8 ある女学生の話①
短かったので、連続します。
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端整な容貌に、引けを取らない頭の良さ。
それなのに、ちっとも傲った処のない性格は、誰もが彼を好む要素となり、一層彼を魅力的に見せた。
普段から特別棟で過ごし、外へはなかなか出て来ない人ではあるものの、そんな希少性もあってか、彼の人気はとても高く、いつも遠くから見ているだけで精一杯で。
同じ学園に通っている同じ生徒だと言うのに、過ごしている場所も、環境も違うせいで感覚としては画面の中のアイドルとそう変わらなかった。
だからだろうか。だから私は、彼の素敵な立ち姿も、話に聞く性格の良さも、そのどれもに好感を示し憧れを感じながらも、自分とはまったく別の次元にいる人。
無意識の内にそう考えていたんだ。
でも、起こったのは奇跡のような残酷な偶然。
図書室で勉強をしていた帰り。
友人からもらったゴム製のストラップの紐が切れ、数歩ほどの距離を勢い良く跳ね上がり、私はそれを慌てて追いかけた。
たった数歩の距離、ではあったものの材質がゴムだったからだろう、不規則に飛び跳ねたそれは手前の角を曲がって行ってしまい、見失っては、と急いで角を曲がった私は、瞬間、驚きで足を止めていた。
ストラップを追いかけて下ばかり見ていたから気が付かなかったのだが、どうやら角の先に人がいたらしく、私の目が捉えたのは、私のストラップを拾い上げる指先の長い異性の手だった。
拾い上げた指の先。上がるストラップに釣られて目線の先にぶつかったその人の顔。
私は信じられなくて思わず小さな声を上げてしまった。
「……っあ……っ」
「君の?」
いつも遠くからしか見ることが出来なかった男らしい容貌。温かい彼の橙色の瞳が私を視界に収める。
信じられないけれど、彼が私に声を掛けてくれている。
「……? これ、違う?」
言葉を忘れてポカンとただ間抜けに口を開ける事しか出来ない私に、彼は再度尋ねる。
やっと、彼が掲げた指先にあるものと、彼の言葉の内容が頭の中をゆっくりと巡り出し、私はようやっとの体で、勉強道具を持っていない方の腕を差し出すことに成功した。
「……わ、わたしの……です」
信じられない。
人気が少なくなる放課後だから、彼もこちらに出てきたのだろうか、と何と無く当たりはつけられるものの、それでも信じられない、ただそれだけが私の中で繰り返しリピートされる。
彼が、ここにいることも。
一人でいることも。
私の目の前にいることも。
私のストラップを拾ったことも。
私に話かけてくれたことも。
私が直接彼の声を聞いたことも。
彼が私にストラップを渡してくれたことも。
何より、彼の視界に私が入っている、その事実が。
受け取ったストラップを握る指先が震える。
「あ、……っ、あの……」
「ん?」
「あ、りがとう……っ、ございます」
「……ふふ。うん。いいよ」
「……っ、……っっ!!」
笑った。温かい瞳をゆったりと細めて、私に笑ってくれたっ!!
「これ、可愛いストラップだね。無くさないよう、気を着けて」
天にも登る気持ち……。
私が何も言葉に出来ず目を見開いている間に、彼は優しい言葉を私にかけその場から去って行った。
私はそこに膝から崩れ落ちながら、今起こった奇跡のような出来事を思い出していた。
たまたま紐のちぎれたストラップが彼の足元に転がっていくなんて。まるで運命のようだとも、少女漫画じみた頭で思ったものだ。
彼は実在していた。
本当に近くにいた。決して漫画や、テレビの向こうのアイドルやスターでも無く、自分と同じ学園の生徒だった。
楽しければ笑うし、落し物があれば拾ってくれる心の優しい男の子で……。
ちゃんと、私と同じ人間だった。
本当に、近くにいた。
本当に、すぐ近くにいたんだ。
手を伸ばせばもしかしたら……、もしかしくとも、触れる事が出来たのだ。
だって、本当にすぐ近くにいたのだから。
思ってしまったら駄目だった。
実感してしまったら駄目だった。
まるで坂を転がる小石のように、崖から落ちるのは早かった。
崖から落ちるように恋をしたのだ。
手の届かない人に。
決して、触れられない人に。
そこからは、ずっと、面白いぐらいに目で追った。
彼に近づきたくて、一生懸命人波を掻き分け、前に行くようになった。
前にいて、彼の目に一瞬でも止まれば……。きっと優しい彼のことだ。私に気付いて声をかけてくれるはず。
『あ。あの時の子じゃないか!』
なんて。
彼から、もし話かけてもらえたらちゃんと今度こそ、話が続くように話題も用意したわ。
なんて、夢も見た。
けれど、どんなに話かけたくても、周りの子達のせいで私の声はどうしても届かなくて。
何より、彼の隣にはずっと彼女がいた。
長くて、綺麗な髪の。
大きくて、キラキラした瞳の。
白く透き通るような肌の。
スラリとした手足の。
輝くような笑顔を持った、美しい女の子が。
生まれた時から傍にいた婚約者?
何よそれ。
そんなのズルい。
私だって、生まれた時から傍にいたかった。
私だって、ずっと傍にいて婚約者になりたかった。
“ずっと傍にいた”、たったそれだけの、どうしようも無い理由で、彼を独り占めするなんて。
私だって、私だって。
私だって、私だって、私だって、私だって、私だって、私の方が、絶対に! あの人の事が、大好きなのにっっ!!!
どうしてっっっ!!!!?
…………見つけてもらえなくて。見てもらえなくて。手を伸ばすことすら、周りに埋もれて。声も。距離には適わない。
だから、もちろん触れることすら出来なくて、ましてや、近づくことすら……。
……気が付いたら、私は階段に立っていた。
人のいない、遅い時間の放課後。
階段の少し上の方に立って、下を見下ろしていた。
一体どうしたら、彼に私を見てもらえるのだろうか。
頭の中は、それだけで一杯で。
初めての恋。
苦しい初めての恋による極度のストレスのせいなのか、最近の私は、ぼんやりとした思考でとりとめの無いことを考えることが多かった。
これは、そんなはっきりとしない頭で弾き出した最良の方法だと思えた。
彼は、生徒会長だ。
ならば、生徒が学校で大きな怪我をしたら、様子を見に来てくれるのではないだろうか。
そうすれば。
そうなれば。
私は彼と近くでお話することが出来る。
あの瞳に、私が映る。
想像するだけで、歓喜が身体を駆け巡り背筋が震えた。
なんて、素晴らしい考えなのだろう。
躊躇いなんて少しも無く、口元に笑さえ浮かべて、彼女は飛んだ。
そうして、視界は暗転した。
……ストックが切れました。
はwやWいWW。
まとまったストックが出来るまで二日に一回更新になるかと思いますので、宜しくお願いします。