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……遠くから、その姿を眺めているだけで満足だった。
その気持ちに少しの揺れも無かったのに、心の闇は酷く簡単に湧き出るものだということを初めて知った。
溌剌とした笑顔も。
真剣な横顔も。
真摯な瞳も。
自分の意志に真っ直ぐな所も。
全部、大好きで。
どうしようも無く憧れた。
決して手の届かない人だとわかっていたから、見ているだけで満足だったのに。
私の落し物を拾ってくれた。
たった一回の接触が全てを変えてしまった。
向けてもらえた真っ直ぐな笑顔が、どうしようもなく心に響いて。
ああ。この人は確かに私と同じ世界に住んでいるんだ、と、感じてしまったから、私は……。もしかしたら、手を伸ばせば届くんじゃないか、なんて……。
思わせてしまったあの人が、憎らしい。
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「さぁ!やって参りました! ドキドキ、夜の校舎で大捕物!? おウチに内緒でこっそり修行大作戦~~! ウー! パフパフ!!」
「ダサい」
「三十点」
「引くな」
「ネーミングセンスがちょっと」
「弟ながら、情け無い」
「俺の仲間が辛辣で辛い!!」
上から順に、いつでも眠そうな爽太君に、廉条お目付け役の由紀君、大人な卯木先生に、笑顔の滝津さん。最後に残念そうな笑顔の兄、照明君で締めだ。
そのあまりにも容赦の無い貶しっぷりに、紅火は天を仰いだ。
「しかも、他の面々はまさかの無反応!! こんなんばっかだよ!」
中等部生徒会長にして、まさかのやられ役である紅火は、自らの不遇を嘆かずにはいられない。
「お前等、辛辣ってわかる!? 辛辛を束ねるで、辛辣って言うんだからな!!」
現時刻、午後七時を回った所。
それぞれ愛用の道具を持って、夜の普通校舎を探索中だった。
「……特別棟は、普段から僕達が使ってるから、目に余るモノもいないし、普通校舎へ、というのもわかりますが、かと言ってここに何かしらいるとは限らないでしょう?
何か、話でも上がっているんですか?」
常に冷静沈着を地で行く秀才眼鏡の彼方が紅火に問いかけると、それを引き継ぐように寡黙な遥が口を開く。
「……確かに。紅火に言われるがままここに来てしまったからな。だが、ちゃんと理由があるんだろう? 紅火」
遥が問うと、仲間内からの自分の扱いに深刻な疑問を持ちかけていた紅火が、気付いたように明るく頷いた。
「そう! そうそう!! よくぞ聞いてくれました! お二人さん!! 何も僕も無鉄砲じゃあ無いからねっ。生徒会長である伝を使ってね。掻き集めましたとも、怪談話!!」
「……紅火君。お兄ちゃんも“生徒会長”なんだけど……」
「まぁまぁ、そこは気にしない! って言ってもウチの学校、七不思議的な怪談が無くてねぇ。取り敢えず、眉唾な話から、これはっ! って話まで二~三個ほど用意して来たんだけど、どれから巡ろうか。皆さん」
手に持っていた懐中電灯を顔の下から当てながら、ウキウキと紅火が問いかけると、皆、顔を見合わせながも、最終的に年長者、卯木先生の方へと視線を向けた。
全員からの視線を受け、やっぱりこうなったと内心一つ溜息を吐きながらも、卯木は苦笑し顎をしゃくる。
「“取り敢えず”、一番胡散臭いのから行くぞ。紅火、案内」
「アイアイ、サー!」
コミカルな紅火の返しに、弾けるように上がる笑い。
そんな彼等の和気藹々(わきあいあい)とした様子を、木の枝に座りながらじっと眺める影一つ。
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「はぁ~んあ~! 海原背にして掲げるこぶしぃ~、やってやるぜと誓った酒にぃ~! 泣かない女の涙をぬぐ~う~、ああ~あぁんあ~~~!!人生一つぅ、漢酒ええぇええ~~~!!」
天井から落ちる雫の音をBGMに、千世子は至福の一時を過ごしていた。
並々と張った湯船に全身を浸し、歌詞の通りに高々と拳を振り上げながら朗々とお気に入りの演歌を歌い上げる。
正確には、元水神だった千世子の保護者、『じぃじ』の趣味だったのだが、幼い頃から聞かされていた刷り込みの要領で、千世子が演歌を愛する様になったのは必然だった。
さらに言うと、千世子は現水龍なのでもちろん長風呂派。
つまり今千世子は、一日の内でもっとも幸せな時間を過ごしている、と言っても過言ではなかった。
『千世様!! 千世様!! 大変ですっ』
調子良く、このまま二番の歌詞に入ろうとしてた千世子に待ったがかかったのは、その時である。
夜間に、滝津の守護としてつけている眷属の河子の騒がしい声に千世子は弱冠、訝しげに眉をしかめ、次の瞬間合点がいったようにしたり顔でにやけ始める。
河子がこうして慌てた様子で、千世子に思念を送ってくるのはこれが初めてでは無い。
送られて来た思念に、その波の方向性を辿って千世子の声を載せる。
『やー。どうしたー? かーこ。どうせまた滝津様の入浴現場でも押さえて大興奮してるんでしょう。
ははん。さては滝津様のカップが成長したことを発見してさらに優越感にでも浸っていたのかな君は!
けど、残念でしたっ! 私なんてねぇ、昨日の昼時点で、すでに窮屈そうに無意識に手で押し上げている仕草まで気付いて悶えていたのですヨ! おとといきやがれ!!』
『……え!? ……(じっと見てみる)…………ほんとだ……。くっ! いつも千世様に先越されるっっ!! 直に見てるのはこっちだって言うのに! どうして服の上からわかるんだ……っっ!! 悔しいっ。この変態めっ!!って、違う違う!! 千世様!!』
本人(滝津)が聞いたら間違い無くセクハラよー! と叫んでいただろう台詞の応酬をしながらも、千世子の予想とは裏腹に、河子の声は焦っていた。
……どうしよう……。すっごく面倒なニオイがしてきた……気がする。
千世子としては、このままルンルン気分で入浴を済まし、まったりと眠りに就きたいのだが……。
これを聞いてしまったら、それは叶わないのではないだろうか……。
けれども眷属である河子を今現在、護衛としてつけているのは、今話に上がった廉条滝津様、その人であり。よって。
「……どうした? かーこ。聞こうじゃないか」
こう返すしか無いのだろう。
私情により、明日の更新はお休みさせていただきます。(>人<;)
また、日曜から頑張ります。