11
~~~
扉を開けたら?
そこに、イッケメェエンが立っていました。
~~~
晶華彰嬢が眠りについたことを確認し、彼女の記憶に靄を掛け終える頃には、思ったよりも時間が経っていたのか明るかった外が、橙色の輝く赤い彩りに変わっていた。
ちょうど西向きの窓で、日差しが降り注ぐ室内は、それだけで普段よりも少し特別に感じるから不思議だ。
きっと彼女の迎えが、そわそわしだす頃合いだろうと、水鳥に合図を出す。
これで水鳥が彼女の迎えの者に、それとなく彼女の居場所をほのめかすことだろう。
千世子はもう一度、自らの膝に頭を乗せ、無垢な寝息を立てる少女の前髪をサラリと梳いた。
他の龍達から見たら、千世子は甘やかしすぎだと苦笑するかもしれないが、自分は彼等のように力を振るえるわけでは無い。
未だ、人間でありたいと思うのならば、これからもある程度の加減をしなければならないし、それ故の境界も見定めなくてはならない。
これは境界の一つなのだ。
神としての力を持ちながら、人たらんとするが故の無力。
それは一体、何という矛盾か。
けれども、その矛盾を内包しなければならないという事実に、千世子はいつも溜息を覚える。
この矛盾に直面する時は、いつも愛おしい瞬間。
人を人たらしめている感情が揺れる瞬間、歯がゆくもあり、けれどもいつでも愛しく思う。
彼女もそう。自らを、醜いと下蔑みながらも理想を夢見る姿のなんと愛おしいことか。
千世子は優しく、少女の身体を床へと横たえ、歩き出す。
例え主たる属性が違おうとも、千世子に通ずる能力が無かろうとも、その身の中に水の流れがある限り、彼女達はいつでも彼女の子供だ。
だからいつでも思ってしまう。
いつの世も、懸命に生きる人の子とは。
「……これだから」
何て、愛おしいのだろう。
扉に指を掛けながら後ろ髪引かれて、もう一度だけ教室を振り返る。
傾く夕日が差し込み、オレンジ色に染まる室内が、酷く美しいものに見えるのは、千世子の心が満たされているから。
けれども、まるで鼻歌を歌わんばかりの上機嫌は次の瞬間、扉を開けるまでだった。
開けた所に誰かいます。
ぶつからなかったのは、パーソナルスペースが広い日本人だからこそかもしれない。
踏み出す足を何とか止め、後ろへたたらを踏んで、まず認識したのが白いワイシャツ。
目の前にあるということは、背の高い男の子か男性。
後ろへ下がったからこそわかる、ストライプのスラックスに、黒のカーディガン。
もう制服じゃ無い時点で、男の子は却下。
よせばいいのに、流れと反射でそのまま見上げてしまったお顔は、見事なイッケメェエン。
茫然とこちらを見ている琥珀の瞳。
「……にぃ……」
突発的な事態だったからこそ、出て来ようとしたのは慣れ親しんだ呼び名。
だが、明確な呼びかけになる前に止まれたのは、卯木の顔色が変わったから。
あ。ヤバい。
「……っおま……っ」
思い出したのは、彼が弱いという事実。
後々考えて、我ながら阿保だとは思うが、コレしか出てこなかったのだから、後の祭り。
一本立てた人差し指。
振りかぶり、叫んだ。
「あっちむいてほぉおおおおぉぉおいいぃい!!!」
~~~
いや、本当に我がことながら、信じられない思いで一杯ではあるが、なってしまったのだから仕様が無い。
唐突に振りかぶられたら指に視線がいってしまうのは、自然なことだ。
そうだろう? そうだと言ってくれっ。
「あっちむいて、ほぉおおおおぉぉおいいぃい!!!」
響く叫び、勢い良く横振りされた指先に、持っていかれた視線。
一拍置いて、理解した状況に卯木も叫んだ。
「あほかぁああああぁあ!!!」
何がって、やる方もやる方だが、引っ掛かった俺が恥ずかしいわっ!!
我に返り顔を戻すも案の定、正面にいたはずの少女の姿は消えていた。
視線を巡らせ、全速力で駆け抜ける背中を捉える。
やっと掴んだ手掛かり。ってか、あれが正体だろう。
逃がして。
「堪るかっ!!」
走り難い上履き用のサンダル。けれども条件は向こうも同じ。
全力で走っている割に心持遅めのスピード。
揺れる一本縛りと、規定丈のスカートの印象通り、運動は苦手のようだ。
ならば、体力のある成人男性であるこっちの方が有利だろう。
今日こそ、絶対に捕まえる。
聞きたいことは山ほどあるのだ。
「そこの、廊下を爆走してる女子!! 止まれっっ!!」
転がるように階段を下り始める背中に叫ぶ。
こうなれば他の生徒、教師に協力を求めるのも辞さない構え。
焦っては駄目だと頭の片隅が囁くが、今焦らないでいつ焦るのか。
あの背中を見失ったらまた引き離されてしまう。
手掛かりも、ヒントも探し尽し、半ば途方に暮れかけていた時に降って湧いたようなチャンス。
確実に距離は縮まっているものの、まだ手は届かない。
「くそっ!」
階段の踊り場で急なUターン。
一瞬見失う背中。
「きゃっ!!」
「うわっ!?」
聞こえた声に、悟った卯木は叫ぶ。
「滝津っ! 照!! 捕まえろっっ!!」
「えっ!? はっ!?」
頭上から響いた慣れ親しんだ声に、今まさに階段を上がっていた滝津と照明は、驚きながらも反応した。
上からもの凄いスピードで駆け下りて来た女子生徒。
このまま照明達が避けなければ、正面からぶつかってくることは必至。
ならば、ただ腕を広げるだけで、彼女は彼の腕の中に飛び込んで来ることとなる。
捕まえるのは容易い。
黒髪の少女もそう考えたのだろう。
ならば彼女が避けられればよかったが、サンダルのまま慣れない全力疾走をした弊害か、脳からの命令に身体がついていかない。
だから彼等に避けて欲しかったのに。
歯噛みする時間も惜しく、覚悟を決める。
もう止まれない、回避も出来ない距離で、むしろ彼女が両腕を広げた。
「なっ!?」
「えっ!?」
「……っ!!?」
そもそも、ここは階段で。
ただでさえ不安定な足場。そこで、上から駆け下りて来た人間を捕まえようだなんて。
普通の廊下でのことならば、そのまま尻餅をつくだけで済んだのかもしれないが、この場に限りそれだけでは終われない。
非は、それぞれにあった。
下を確認せず、指示を出してしまった卯木。
避けられる距離にありながら、腕を伸ばしてしまった照明。
状況が理解出来ず、制止が遅れた滝津。
だから少女は……千世子は躊躇うことなく照明に抱き着いた。
千世子一人の努力では、もう避けられないと判断したから。
ふわりと浮く二人の身体に、ツクリモノが飛び散る。
根元から色が変わり、黒から虹色に反射する水色へと成る髪。
溢れる力で、溶けるように消えた下から現れる銀色の瞳。
キャップを開けている暇なんて無い。
内側から容器を破壊して漏れだす聖水。
触発されて、無から創られる有。
階下に創られた大量の水のカタマリに、次の瞬間、二人で飛び込んだ。
一般家庭の浴槽サイズなのに、有り得ないほどの浮力。
明らかにゆっくりと、背中が床へと着地したと同時に水はその場に霧散した。
「ガハッ!! ゲホッゲホゲホ!!」
ゴムが弾けた髪の毛をはためかせ、少女はそのまま視界から消えた。
「……何なんだよ、あれは……」
誰もが動けない中、茫然と落ちた卯木の呟きだけが響いた。




