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描写間違い訂正しました。
臙脂色のスカート→白にオレンジチェックのスカート。
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透明な水が一面張られた様な錯覚を魅せる教室。
立ち上る淡い光に照らされた少女の後ろ姿。
神秘的で幻想的な、言葉にならないくらいに美しい光景だと卯木は思った。
今までの自分の術師としての在り方を問い質されているかのような光景は、酷く卯木の胸を締め付ける。
彼女はあの少女も人間として扱っていた。
魂だけになり、漂っている幽霊と生身の人間。根本的な所で分けてしまっている自分達には決して真似ることの出来ない姿だった。
「……逝ったねぇ……」
今の彼女と、今までの自分達を比べ、思案に暮れていた卯木の耳は小さな呟きを確かに拾う。
ぼんやりと見送るように顔を上げていた彼女がポツリと小さく呟いたのだ。
「そうですね」
かーこと呼べばれていた浅葱色の髪の女も同意する。
「……、この子、どうしようか」
“この子”という単語に反応し、目を凝らして納得した。
少女が逝ったことで、少女に取り込まれていた女生徒だけが彼女の腕の中に残ってしまっていた。
無理も無い。なんせ女生徒は生身の人間だ。取り込んでいた霊体が消えたのならば、その場に残されるのも自然の流れだろう。
心底困ったように自らの腕の中を見下ろしていた彼女に、かーこは苦笑する。
「そうですねぇ。見た所取り憑かれていた際の霊障も見られませんし、ナキに連絡して本家に引き取ってもらいましょう。まだ夜の八時半ですし、この子のお家もそんなに騒いでいないでしょう。早々に帰した方がいいですよ」
「ああ。そうだね。それが一番か……。ついでに、ここにいる嫡男達もどうにかするように言っといてよ。おウチにナイショで来てるかもだし。車とか必要でしょ」
「はぁ。そうですね。じゃあ、それも込みで」
「でも、今は彼だね」
彼? 卯木が疑問に思うと同時に、彼女が立ち上がり振り返りそうになったので、慌てて目を閉じる。
一歩一歩と近づいて来る足音。それに伴う波紋の振動。
自らの傍らで彼女が座り込む気配を感じ、彼女が口にした“彼”にやっと心当たる。
……彼って、俺か!
疑問が解けると、ああ、と卯木は納得した。
今までの状況で分かってはいたが、確かに彼女はずっと“水”を使っていた。
ならば。
そこまで考えた所で、柔らかな手の平が卯木の腕にしっとりと触れるのを感じた。
小さな手が、卯木の腕に乱雑に巻かれていた布を丁寧に取り払っていく。
「ああ……ああ。もう。これは何だい? かーこ。止血の役割もほとんど成していないじゃないか。血を吸うだけ吸ってべちゃべちゃだよ。
……、なんでそこで頬を染めて照れる。褒めてないんだよ。
……ああ。それに、見事に筋が裂けてるなぁ。まぁ、見た感じ通り、力が逆流したのならこの状態も頷ける」
彼女の呆れたような声とは裏腹に、卯木の傷の上を滑って行く手の平は温かい。
それでいて、清らかで柔らかな水が卯木の中を駆け巡り、何とも言えない気持ち良さが卯木を包んだ。
浮遊霊の急激な暴走から始まり、腕の怪我。死にかけた仲間。また、自らの存在を超えた能力者の存在。
様々な要因から高ぶっていた神経は、自分で思っていたよりも参っていたらしくここに来て、襲ってくる様な強烈な睡魔を卯木は感じていた。
ああ。だめだ。せめて顔ぐらい確認しておかなくては……、そう思うのに、混濁し始める意識に引っ張られ、待ったがかからない。
「……まったく、私がいたから良かったものの……、下手な術師にでも当たったらもう二度と力を振るえなかったかもしれないよ」
拗ねたような口調と共に伸びて来たらしい手の平の感触が、卯木の頬を優しくなぞった。
「……、槌永先生……、責任感が強いのは変わんないね。もう、あんまり無茶しちゃだめだよ。にぃに」
自分の意識が眠りに落ちる最後の瞬間、『にぃに』と卯木に呼びかける元気な幼子の笑顔が視界一杯に広がった気がした。
◇◇◇
一人の少女が腰掛け笑っている。
彼女は、目を白黒させながら少女を見るに留まった。
いつも通りの放課後。
本日最後の授業終了のチャイムを聞いた後、足早に教室を出て行くクラスメイト達。そんな彼等を横目に、ゆっくりと荷物を詰めていた彼女の目の前の席、もうすでに教室から出て行ったと認識していたクラスメイトの一人が戻て来たのか、と彼女が視線を上げると、少女と目が合ったのだ。
前の席の椅子を逆向きにし、彼女の机に両肘を付いた少女は彼女の目を見詰め、ゆったりと笑った。
少し、私の話をさせてもらうね、と。
「私ね。自分のこと好きじゃなかったの。わかるでしょう? ぱっとしない顔だし、洒落っ気も無いし、気の利いたトークも出来ない。引っ込み思案で、ずっとそれを気にしていたわ。
でもね。こんな私だけど小さい頃……、小学校の四年生の時の算数のテストでね、百点を取ったことがあったの。その時にね、もちろん、私も嬉しかったけど、何よりも両親がそのことをすっごく喜んでくれてね。
ああ。私もこんなことが出来るんだって、私が頑張れば、もっと二人共私のことすごいって、褒めてくれるんだって思ったら、何と無く自分の事が好きになれた気がしたの」
目を白黒させ、戸惑いは消えないものの、彼女は鞄に荷物を詰めていた手を止め、少女の話に相槌を打つ。
「最初は、本当にそんな小さな理由だった。そんな小さな理由だったのにね。いつからかな……私は、いつの間にかそんな理由を忘れてしまって、ただ、“テストで良い点を取らなくてはいけない”って義務感を持つ様になってしまっていたの。
少しでも成績が下がってしまったら、今まで手放しで褒めてくれていた両親が、私のことを笑顔で応援してくれてた先生や友達は、がっかりするんじゃないかって思ったら、怖くなって。
私から離れて行ってしまうんじゃないかって勝手に思うようになってしまった……」
今の成績をキープして。
下がらないように。
少しでも、下がらないように。
「私、いつでも何かに駆り立てられていた。単語を一つでも多く覚えなきゃ。公式を暗記して、応用に引っかからないように、読解力もつけなきゃ。ケアレスミスをしないように数式に慣れて、少しでも多く読み解けるように古文の変格を使った問題を探した。
でも、そんなことをやっている内に、私の周りはどんどんと流行が変化して行って、結局ハヤリの曲一つ、歌えない自分に気付いたの」
そうしたら、もっと怖くなった。
周りに置いていかれた自分の姿を知ってしまった。
自分一人だけがその場に立って、私の周りには誰もいなくなったように感じてしまった。
「私は勉強に縋った。言い聞かせながら問題を解いたわ。“私には勉強がある”、“今、ハヤリの歌なんか歌えても、将来には何の役にも立たないんだから”。“きっと、いつか今、チャラチャラしている奴らは、後悔するのよ。ああ。あの時この単語を書けるようになっておけばよかったってね”。
そんなことをしていたから……、多分余計にね。勉強をしていない自分には意味が無いとすら思うようになったわ」
自分でキラキラしたものを切り捨てたくせに。
自分が捨てたもので周りがキラキラ輝いているのを見て、途端に惜しくなったのだ。
けれども、惜しくなった自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
でも、そんな中で。
「でも、そんな中でも私、恋をしたわ」
自分で切り捨てた輝きが、不意に目の前に降ってきたような思いだった。
「自習室にね、ノートを忘れたの。私。それで、取りに戻ったわ。そうしたら、彼が私の座っていた席に座って私のノートを開いて見ていた」
大切な思い出をなぞりながら語る。
一つ一つ、丁寧に言葉にする作業は、酷く愛おしかった。
眩しい人だった。
「彼のこと、知っていたわ。だって有名だったもの。学業優秀で、見目麗しい生徒会長……。
私、今まで勉強ばかりだったのよ。それなのに、とっても素敵な笑顔で話掛けられて、褒められて、好きになるなって言う方が無理よ」
“これ、君の?”
今この瞬間にだって、鮮明に耳の中に蘇る。
だって、自分が恋に落ちた瞬間だもの。
窓の外に視線を向けながら、柔らかく緩んだ少女の目元に、彼女は目を細めた。
「でも。私は知っていたわ。“候補”かもしれないけれど、彼に婚約者がいることを」
ああ。
ああ、と彼女は思う。
本当に悲しいほどに、あの子と同じだったのだと、少女の話を聞くことで改めて認識したからかもしれないし、彼女の守るべきお嬢様の、誰にもどうにも責められない現状に諦めを感じたからかもしれない。
「……有名だったもの。文武両道で、容姿端麗な御令嬢だしね。……私がいろんなものを切り捨ててキープしていた勉強も、何でも持っているような名家の御令嬢にあっさりと抜かれてしまったし。
でもね。私は自分を弁えていたし、自分の立ち位置や、自分がどれだけ手の届かない人に想いを捧げてしまったのかも、自分の想いが届く訳ないことも理解していたの」
そんなわけあるか、と彼女は声を上げて反論したかった。
彼女は……、彼女と彼女の後見人だった者は、人間が好きだった。
可能性に溢れ、可能性を持ち前の、呆れるほどの執念深さで反則的のようなやり方で、それでも一つずつ形にしてしまう。
そんな人間が好きだから。
“立ち位置”など無いのだと、一人の個人に対して、叶わない願いなど無いのだと、本当は声に出して言ってやりたかったが、開いた口は、閉じてしまった。
外に注がれていた少女の視線が、真っ直ぐに彼女を見たから。
「そんな時にね。あの子を見つけてしまった」
もう薄暗い教室の隅っこで、小さな声で泣いていた。
「……、不思議よね。あの子、明らかに人間じゃなかったのに。……だって、透けてたのよ。わかりやすいくらいに、もう生きてなかったのに、私、あの子の涙の訳がわかってしまった」
わかってしまって、同じだと感じた。
きっと、あの子がむき出しの感情だったから、尚更わかりやすかったのかもしれない。
「だから、手を伸ばすことを少しも躊躇わなかった……」
抱き締めてあげたいとすら思った。
泣き止ませてあげたいと思ったのは、そうすれば自分も安からかな心境になれると信じられたから。
「それから起こったことは本当に不思議なことだったの。まるで夢のように曖昧で、良く覚えている訳ではないけれど。
すごく恐い思いをして、生徒会の皆様がいて、あの人がいて。御令嬢に手を伸ばすから、カッとなってしまって……。
断片的な映像が頭の中を駆けて行って、気が付いたら私、家で寝ていたわ」
目を細めた先に見るのは優しい光。
「私、貧血で倒れたのですって。塾も無い日だったのに、なかなか帰って来ない私を、すごく心配したって……。お父さんとお母さん、私が目を覚ますまで枕元にいてくれていたみたい。
頭を撫でられて、抱き締められて……、私、知らない内に、自分で自分の目を塞いでいたの」
少女は、彼女の瞳を真っ直ぐに見詰めている。
「勉強が、それほど出来なくても、……例えば、私がお馬鹿でチャラチャラしていて、今と正反対だったとしても、両親は、私のことを、変わらず愛してくれていた。私が両親を見ていなかっただけで、私、充分な愛を受けているの。今も、今までも。本当は。
でも、目が覚めて、不安に思ったわ。お父さんとお母さんは、学校の人が車で私を送ってくれたって言うの。だけど、そんな覚え全然無いし、本当は全部私が一人で勝手に見ていた夢だったんじゃないかって……。でも」
そう。だけど。
「私、あなたの姿を覚えていた」
見ず知らず、会った事もない人の姿を。
「おかしいって思ったの。私の夢なら、私の知っている人ばかり出てくるはずなんじゃ無いかって。
それなのに、私はあの子のことも、……何よりも、あなたのことを良く覚えていた。
そう。忘れられるはずが無かったのよ。あなたの綺麗な、透き通る様な白銀の瞳を」
悪戯が成功した子供の様な笑顔で、伸びてきた指先が彼女の眼鏡を揺らした。
息を呑む音が小さく響く。
昨日の一件で変色し、戻らなくなってしまった瞳の色。
枷を一つ外してしまったことで、解放してしまった彼女の力。その証拠。
いくら存在感を薄めていると言っても、あまりにも気になった色彩故、カモフラージュにかけていた眼鏡。
それを揺らされたことに動揺した。
何故、少女は昨日の自分を……、否、自分のことを覚えていられたのか。
「今朝、学校に来てから休み時間の度に色んな教室覗いちゃったわ。でも、本当に良かった。比較的に早く見つかって。まさか同じ学年の普通科にいるなんてねぇ。
昨日、うちの学校の制服を着ていたから、ここの生徒だとはわかってたけど」
ありがとう、と少女は言った。
「ありがとう。あの子を救ってくれて。詳細は良く覚えていなくともね、あなたが救ってくれたことはわかるの。だから、一言お礼が言いたかった。
本当に、あなたがいてくれて……、本当に、良かった。だから、ありがとう」
まるで、眩しいものを見るみたいに、少女は彼女を見詰めた。
でも、本当に眩しいのは、きっと少女の方なのだ、と彼女は思う。
だが、そんな感慨深い情景は、一転した少女のガキ大将のような笑みによって吹き飛ぶこととなる。
「私は、進学科一年。日暮灯処。それで? あなたの名前は?白銀の瞳の霊能力者さん」
名乗るまで、逃がさない。そう言っているのが、ありありとわかる表情で。
……あれ? 君、今、自分で引っ込み思案でトークも上手くないっておっしゃっていませんでした?
ターゲットとして、ロックオンされたと瞬時にわかる灯処の眼光に、雨宮千世子の頬はひくりと引き攣ったのだった。
◆◇◇
風が吹き、サワサワと軽い音を立てながら木立が揺れる。
良く晴れた日の放課後。
昨日、弟分達が楽し気に計画を立てていた木の下で今日は一人、卯木は木の幹に背を預けぼんやりと佇んでいた。
昨夜が昨夜だ。気を失い、倒れた面々は連れ戻された本家から安静を言い渡され、本日は休みを取っていた。
卯木は一人考える。
はっきりと覚えているのは、増大した霊に弾かれ、逆流した力が卯木の腕をズタズタに引き裂いたことと、その痛みまで。
だが今、自分の腕を確認しても、傷ついた形跡すら無い。
目を覚ましてから、知らず何度も繰り返したように、再び腕を撫ぜる。
眉を寄せ、思考深くまで手掛かりを探すも、何とか出てくるのは纏まりの無い映像のみ。
卯木が気を失った後、頭の中をいじられたようにしか思えない。
だが、逆を言えばそれでも覚えているのだ。
何故かTシャツ覆面から始まり、色鮮やかな長い髪に、泣いてる少女。翻る白にオレンジチェックのスカート。黒髪一本の平凡な後ろ姿。
優しく頬を撫でる柔らかな手の平の感覚に。
零れる様な。
零れる様な慈愛の籠った柔らかな声。
『にぃに』
耳に残る声に、触発されて思い出す。
幼い子供の溌剌とした笑い声。
俺は……。俺は、何かを忘れている…………?
暖かな風に煽られ揺れた前髪の下、決意を秘めた琥珀の瞳が覗いていた。
◆◆◇
例えば、崖があって、石があって、何かのきっかけに転がり始めてしまったのならば、それはきっともう、落ちるしかないのだろう。




