ジン・バーレンの試練
「うん、面倒だな。」
私ーーージン・バーレンは困っていた。
手には招待状。
一瞬だけでも招待状を破ろうと考えた私を怒らないでほしい。
夜会だ。夜会からの招待状だった。しかも、我が兄上からの。
正直、私は舞踏会やら夜会やらのパーティーは好ましくない。だって、疲れるし。やだよー、愛想笑いずっとしてるの。
しかし、今や私は、私だけの個人の感情では、断ることなど出来ないのだ。
結婚してからは独身のように気ままに断ることすらも出来ない。なんと悲しき現実。
いや、独身の時でも、出なければいけないものは嫌でも参加していたが…。
シェトル家の面子を折れさせるなど言語道断なのだ。
夜会を断り続けてみろ。周りの貴族達にとって、恰好の噂となる。
まだ私の悪口ならいい。しかし、ルーナの悪口が囁かれてしまったら、バーレン家のみならず、シェトル家さえも迷惑をかけてしまうことになる。
うん、絶対、ダメ。
そもそも、兄上からの招待状という時点で、断るという選択肢はないのだ。あれ、おかしいな、兄上だよね?なんで、兄弟なのに私には権限がないのだろう?
ルーナに夜会のことを言ったら、なんだかやたらと気合いを入れていた。
多分、兄上主催の夜会だからだろう。
ドレスの新調とか、なんだか忙しそうで、あのボリュームたっぷりのおやつタイムはしばらく無かった。なるほど、夜会があれば、おやつは作らないのだな。
私は女でもないので(体は)、特に新調はしなかった。
男性にとっての夜会は、そんなものだ。ちゃんとした質の良いものであれば、デザインやら色にこだわる必要はない。たまに、すんごい恰好の人もいるけれど。
富豪な商人や外交官なども夜会に出席するというので、せっかくだし人脈を広げないとな、とつらつら考えていると、執事が声をかけてきた。
「ルーナ様のご準備が整いました。」
「そうか。」
玄関で待っていた私が振り返ると、着飾ったルーナがやってきた。
薄い水色のドレスを身にまとい、いつもよりもしっかりメイクをしていた。
お、なんだか、いつもより大人っぽいなーと思っていると、ルーナが顔を赤らめた。
「ジン様、とても素敵ですわ。」
「あぁ、ありがとう、ルーナもよく似合っている。」
なんだか褒めてくれたので、こちらも褒めたら、ますます赤くなっていた。
うむ、なるほど。私、見た目はいいからな。赤くなってしまうのは分からないでもない。
しかも、私がルーナを褒めるなんて、今までほぼ無かったんじゃないかな?
少し離れたところにいる侍女達がガッツポーズをしていた。…うん、なんか君って、すごく見守られてるんだね。気がついてないようだけど。
赤くなった彼女と馬車に乗り、ぼんやりと外を眺めた。
「兄上、本日はお招きありがとうございます。」
「あぁ、今宵は楽しんでいけ。」
兄上、いつも通りラスボス感はんぱない。
目や髪の色は私と同じなのだが、どうして、こんなにも雰囲気が違うのだろう。
しかも、兄上の奥さんも、すんごい美人さんだしな。
この夫婦は、美男美女すぎて、もはや神々しい。
流石の私も、この二人と比べられてしまったら、霞んでしまうのだ。ちっ、退散退散。
挨拶を済ませ、私はルーナを伴いながら、挨拶周りと情報集めを始める。はぁ、嫌になっちゃうぜ。
ある程度、挨拶周りを済ませたぐらいで、ふと気がつく。
「少し、休もう。」
「い、いえ、私は大丈夫ですわ!」
「いや、私が休みたいんだ。すまないが、少し待っていてくれ。」
ルーナを入口付近で待たせて、兄上に離れにある部屋の一つを借りるのをお願いした。
了承してもらい、執事から部屋の鍵を貰う。
こういう時、主催者が身近な者だと、融通が利いて便利だ。
部屋へ連れて行くと、ルーナはなんだか緊張している様子であった。ソファーに座らせて、ポイッとパンプスを取った。素足を見る。
「やはり、足を痛めていたか。」
ルーナの歩き方を見て、もしやと思ったけれど、やはりそうだった。
足の小指が赤くなっていた。水膨れができていて、痛そうである。
「今日はもう帰ろう。この時間なら、誰も咎めないだろう。」
「申し訳ありません……。」
「いや、構わない。挨拶ももう一通り済んだ。」
むしろ早く帰れるぜ、ひゃっほーい!帰れる理由が出来たー!
しかし、責任を感じているのか、ルーナの口数が少ない。おぉ、なんという穏やかな時間だ。いつもなら、隙を逃さないとばかりに、喋りたててくるのに。
少し休んでから、私とルーナはこそこそと出口に向かった。
ルーナに合わせて、ゆっくりと歩いていると、後ろから声をかけられる。
「ちょっと、バーレン様?私に挨拶無しなんて、ひどいではありませんこと?」
声で分かった。振り返ると、やはり予想通り、レイチェルがいた。
レイチェル・リンベス。幼い頃から交流があり、また歳も同じであったせいか、幼なじみみたいな、腐れ縁みたいな関係である。夜会で、ダンスをする時にはよく相手になってもらい、とても助かった。
レイチェルに挨拶してなかったのか。これは失敬失敬。正直、お前には挨拶しなくてもよくね?と思うが、親しき仲にも礼儀ありとか言うので。
「それは申し訳なかった。貴方も参加しているとは思わなかった。…失恋したばかりだから。」
「あら!失恋した時こそ、人は動かなければなりませんもの。めそめそする暇があったら、新しい人を探さなければ。」
「そうか、私としても、良き方と出会えることを祈っている。」
「あらまぁ、なんて心のこもってない言葉なのかしら。」
「…そう言われてもな。場所を考えてみてくれ。」
はきはきした物言いに、私は苦笑する。
なにせ、このレイチェル。好きなタイプはマッチョなのだ。私のような標準体型でも、対象外。アウトなのだ。
レイチェルのお目にかなう者は、おそらく騎士や冒険者ぐらいだろう。
普通の貴族がマッチョになるまで鍛えるなど、おそらく有り得ないだろう。
つまり、夜会に参加していたとしても、レイチェルは警備として参加している騎士にしか眼中にないのだ。はははは、なんという目的でやってきてるんだ、お前は。
「では、私はまだ夜会に参加いたしますので、ご機嫌よう。ルーナ様、よろしければ今度私のお茶会にご出席下さいませ。」
レイチェルは、そう言うなり、さっさと歩いていった。
すごいな、こないだ失恋したばかり(マッチョな騎士)だというのに、すぐにまた良い男を見つけようとしてるんだから。目が完全に戦闘態勢に入ってて、いささか気合いを入れすぎてるような気もするが。
さて、私も帰ろうか。
ルーナを馬車へ誘導し、私もさっさと乗り込む。
ふー、極楽極楽。やっと、ゆっくりできるぜー。帰ったら、お風呂に入って寝よう。決まりだな。
しかし、静かすぎる室内に、私は疑問を抱いた。
あれれ、どうした。ルーナが、やけに静かなような?
「うっ…、」
ええええええええ!泣いてる!泣いてるよ!?
「…、どうした?」
どうしたんだよ、困ったなぁ。なんか、そんなにショックなことあったっけ?
じっとルーナを待っていると、泣きながら話し出した。
「レイチェル様とは、やはり、恋仲でしたのねっ…、」
ええええええええええ。
どういう考え方だよ、それ。
ということは、さっきのレイチェルとの会話がいけなかったのか。
あー、よく考えれば、レイチェルと話してる時、ルーナのことほっといてた。ていうか、レイチェルのこと話したことなかった!それか!あー、流石にそれはいけなかったな。ほら、私、前世女だから、そういう時の女の気持ち分かるからね。
どうしようか。どうやったら、泣き止むんだ。
その後、私なりにルーナを慰めてみたのだが、努力のわりには報われなかった。
結局、ルーナの涙は止められず、家に着いてしまった。
家の者達、特にルーナの侍女達には、殺気のこもった目を向けられ、きっと、ますます明日から私の味方はいないことだろう。