親子愛と競合する無自覚な行動【遠見】
「どこ行くんですか?」
「すぐ戻る」
高坂さんはそうぶっきらぼうに言うと入り口とは逆に工場の奥に入って行ってしまう。高坂さんの姿が見えなくなるに従ってチラホラと子供たちの密やかな話し声がアクのように浮き上がってきた。
……現金なものだ。
「ケガを……ちゃんと手当てしなきゃ」
そういって男の子と抱き合って泣いていた母親は、私に近寄って来て救急箱を取り出す。変な事だが私はこの母親に対してまで血が触れてしまわないよう細心の注意を払っていた。
幸い血はもう止まっており拭き残しも無い様だ。
「ご迷惑をお掛けして……申し訳ありません。ほら、ちゃんと謝るの」
「おねえちゃんごめん」
母親のブラウスの裾をつまんで一緒に移動してきていた『しゅうくん』が私にぺこりと頭を下げる。弛緩した工場内の空気に混じる生ぬるい血の匂い。
私は少し気分が悪くなる。なんだかよく分からない。
「『高野裕子』」
キン、と弛緩した空気に突き刺さる高坂さんの声。
高坂さんは工場の奥、影から染み出すように再度現れた。
「本籍は……北海道か。住所は……アパートだ」
暗がりからゆっくり現れた高坂さんの手には何かの手帳やカードが数枚握られており……それを見ながらなにやら呟いている。表情は分からないが怒っている風でも無い。
高坂さんの抑揚の無い乾いた声だけが響き渡る。
「田舎から出てきて一人暮らし。多分未婚なのかな。22歳だ」
「?」
免許証や社員証だろうか?
高坂さんが持っているのはなんらかの身分証らしい。
「これは……『野田和夫』、運送屋さんだ。41歳。2人子供がいるね」
ぴらっと手帳から抜き出した写真には笑顔のおじさんと女の子が2人。
「高坂さん……それは?」
私は手に包帯を巻かれながら高坂さんに尋ねる。
「裏手の倉庫に転がってた死体から借りてきた。こいつらガキ共の輝かしい成果の犠牲になった人たちだね」
バラバラと高坂さんは身分証を床にバラまく。
「身分証を持ってなかった方も居たし、奥の方の死体には根性無くて行けなかった。なんせこの暑さで物凄い臭いだったから。つまり死体の数はこんなもんじゃ無い」
「…………」
私の手当てをする女性は包帯を巻く力がどんどん強くなり、私の指先は白くなってしまっていた。ポタポタと汗を滴らせ俯くだけの母親。何事か呟いているようだったがうまく言葉にはなっていないようだ。
「さっき殺した人達の死体も倉庫入り口辺りに乱暴に棄てられていた。いつの間に運んだのか知らないが、抜け目がない。狡猾だな」
「…………」
母親でありセンセイのすぐ前に立つ高坂さん。『しゅうくん』はすっかり怯え母親の背中を盾にして丸く収まっていた。
「『世界はどうせ終わるから何人殺そうが関係無い』……あんたはそのガキにそう教えるつもりなのか?」
誰も何も口を挟まない。
高坂さんは静かに母親を見下ろしている。
「なにが……言いたいんですか?」
ようやく母親が絞り出した言葉には、明らかに苛立ちが含まれている。
きゅ、と私の包帯の処置が終わると母親は高坂さんを見上げた。
「別に?母性愛ってのは元々『狂気』だし、いいんじゃないか?」
ぶつかり合う視線。
この母親と高坂さんの態度はひどく対照的に見える。
高坂さんは世間話でもしているような気軽さで。
一方母親はといえば、呼吸するのも一苦労といった様子で。
「私はこの子の母親です」
「殺された人達も家族くらいいるでしょ」
「私が許してあげなくて誰がこの子を許してあげられるんですかっ!?」
「あー、待った待った」
至近距離で興奮する母親を手で制しアタマを掻きながら高坂さんは言った。
「僕はあんたを責めてる訳じゃないんだ。とっくに警察なんか無くなってるし、ひょっとしたら殺された人達の分シェルターにも空きが出てそこのガキ共の誰かが入れるかも知れない」
「私はそんな事……」
「ただ自覚はしないとね」
高坂さんは、もうほとんどキスするんじゃないかってくらい母親に肉迫した。高坂さんの勢いに圧されペタリと後ろに倒れ込む母親。その両目には恐らく恐怖の色が浮き上がっているんじゃないだろうか。
ブレない高坂さんの威圧感って、とんでもない。
「あんたは狂ってるし、ガキ共は救いようの無いクソだ」
ぼそりと呟かれた高坂さんの言葉。
目を見開いた母親の後ろで男の子が固まっている。
「あんたみたいなキチガイが許せる『罪』なんて無いよ。残念だけどあんたは間違い無く、完璧に、これ以上無いくらい」
――頭がおかしくなってるんだ。
張り詰めていく。ザワザワと黒い何かが高坂さんから立ち上り、この場の全てを侵食していくような……言いようのない、不安。
膨らみ続けるその不安の塊が臨界点を迎えるような気がして。
「高坂さんっ」
高坂さんがこのまま子供たちごと破裂するんじゃないかって……おかしな妄想が膨らみ過ぎて、思わず声を掛けた。
「……帰ろうか遠見さん」
振り向いた高坂さんは、哀しそうな……困ったような顔で私に笑いかける。
出よう、今すぐ。
此処は、血の匂いがキツすぎる。
「うん!」
私は高坂さんの手を取ろうとして、ついクセで躊躇する。多分もうこの人にはこんな気を使う必要は……
「どした?」
「あ」
ぎゅ、と握られる私の手の平。
なんの躊躇いも感じなかった。
不自然さの欠片もなかった。
それが嬉しくて、暖かくて。
私は高坂さんに『にひ』と笑顔を向けた。




