善人【高坂】
「……ふふ」
「?」
僕と遠見さんのやり取りを見ていた琵琶さんは口元に手をあてて笑顔を見せていた。
「ご、ごめんなさい!……その……あまりにも微笑ましかったんで、つい」
「私は怒ってるんです!この冷蔵庫みたいな男に人情とは何かを……教え込んでやるうっ!」
「ハゲる!遠見さんってば!」
すでに遠見さんは僕の髪の毛にぶら下がっているような格好だ。
「ハゲたらいいんだ!いっつもクール気取って!宅急便ですか!?」
ふふふ、と琵琶さんはやはり笑っていた。僕の頭皮の惨状など知る由も無いので滑稽に見えているんだろう。
「お二人に声を掛けて正解でした」
笑い涙を拭きながら琵琶さんは唐突にそんな事をいう。
「?」
「?」
僕と遠見さんはギリギリと力を拮抗させながらも琵琶さんの様子を伺う。
「今世の中の人達は……殺気立ってますから。無理もない事だと分かってはいるんですが、お二人はなんだか違って見えたんです」
「違う?」
僕は遠見さんの顔をギリギリと掴みながら形勢を立て直していた。
「病弱な女の子に……アイアンクローって……むぐぐにゅ」
DVだ冷血漢だ女の敵だと僕の手元から呪詛の声が上がるが、とりあえず保留。
「お二人を見てると、隕石騒ぎの無かった頃に戻れたような気がするんです。あの……平和で少し退屈だった頃に」
「妹さんにも刺激になれば、と?」
「はい……奈奈は……シェルターに居た頃に、色々あって……」
「……」
確かに『シェルター』って場所は良くない。
人間の縮図が悪い方向に現れてしまっている。
「シェルターを3カ所見てみたんですが……どこも一緒です。若い女性は特に、皆さん心を病むか荒みきっていて」
「妹さんも」
「はい。最終的に感情を無くした奈奈を『気味が悪い』という理由で追い出したんです」
倫理とモラルを載せた天秤をテーブルごと蹴っ飛ばすようなイカレた話だった。
感情を無くさせたのは自分達だろうに。
ソイツらの行為だって大方予想できる。
ベッドの上の奈奈さんは色白でおとなしそうな印象だが、姉に負けず劣らずの美貌を有しており……つまりは下世話な虐待を受けたんだろう。
「にゅにゅむぅ。痛くない……痛くないもの!」
手の平の小さい成人女性は話を聞いていなかった。
「……」
僕と遠見さんの小競り合いもひと段落し(10回位スネを蹴られはしたものの)遠見さんの興味はベッドの上の奈奈さんに移行したようで、ニコニコとなにやら話しかけていた。
「ちょっとだけ奈奈をお願いできますか?」
しばらくお茶を飲んで過ごしていた僕と遠見さんに声を掛ける琵琶さん。
最初の僕らに対する緊張は幾分和らいだようで、うっすらと笑みを浮かべている。無用心な人だなあ。
元々の性格が善人なんだろうか、この柔らかい雰囲気が彼女の本来であるのが分かる。
「どっか行くの?」
奈奈さんの髪で三つ編みを編んでいた遠見さんはヘラヘラしながら琵琶さんに聞く。
「はい、ちょっと。20分くらいで戻りますので」
「いいよ!行ってらっしゃい!」
遠見さんは奈奈さんの腕をとりブラブラと振った。
病院で育った為なのか、遠見さんは病人の扱いに慣れているように見える。
遠慮は無いが慈愛に溢れているというか……奈奈さんに対してどう接したらいいか分からない僕から見ると単純に尊敬できる。
そんな様子を見ながらす、と琵琶さんが音もなく立ち上がりドアに向かう瞬間。
「……」
少し垂れ気味の琵琶さんの瞳が暗く濁ったのが見えた。
「琵琶さん」
思わず呼び止める。
「はい?」
振り向いた琵琶さんの瞳は元通り、穏やかな色をしている。
「……何でもないです。気をつけて」
僕の言葉に「?」の表情を浮かべた琵琶さんだったが特に気にする訳でも無く、「よろしくお願いします」と軽く会釈をして出て行った。
遠見さんは相変わらずベッドの上に乗り掛かり奈奈さんの髪型をいじり回す。
「……」
僕は臆病なんだろう。
臆病者は周囲の些細な変化にも敏感に反応する。特に今の世の中では過敏にもなる。
「遠見さん。僕も少し出てくる」
僕がベッドの上の遠見さんに声を掛けると
「……なんなら帰って来なくていいですよ。ふんだ」
まだアイアンクローを怒っているようだ。
僕は遠見さんには後で謝る事にして琵琶さんの様子を見に行く事にする。
「ばーかハーゲ、ハチュールイ」
低体温動物だ、と言いたくて爬虫類だと言ったんだと気が付いたのは随分後になってからだった。