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ロマンス・フライ(1)


その感情が誰に向けられた物で、なんであるのか、彼女は知らない。


伊吹伊織いぶきいおりは自分でも理解しがたい感情に頭を悩ませていた。

教室の隅から、ある女子生徒の姿を遠巻きに見つめている。

視線の先にあるのは、秋風響あきかぜひびき近藤伊佐美こんどういさみと言う二名のクラスメイトの姿だった。

二人は楽しそうに休み時間を談笑に使っている。

今日の今日まで、おそらく伊吹はその二人に対し何の感情も抱いていなかった。

強いて言えば、秋風響に対してよくない先入観があった程度。だがそれもまた伊織の頭を悩ませるほどの存在には程遠く、所詮彼女にとっては路傍の石に過ぎなかったはずだった。

それがなぜ、今日になって急にこんな気分になるのだろうか?

夏休みを目前にした昼下がりの教室。

誰もがまもなく訪れる夏の日に浮かれているというのに、伊織ただ一人だけ浮かない表情のまま。

ガラス窓に移った自らの姿を見つめ、眉を潜める。

ゆるくカービングする大人びた印象の長髪。くっきりした二重の、本来ならばぱっちりしていてかわいらしいであろうその瞳は半分ほどしか開かれていない。

それは伊織が退屈だったり何か不満がある時に作る表情だった。

これと言ってすべてに無関心だと思ってきた自分が、ここに来てひっかかる存在。


「伊織さん、どうしたんですか?」


彼女には日がな一日まるで手下か子分か何かのように付きまとう人間が数名居た。

日によって変わるそんな人間たちを見て伊織は日替わり定食を思い出す。

それにしたってもう少し気の利いたメニューが出てくるだろう、と自嘲した。


伊吹伊織は、一言で言えば裕福な家庭に生まれたお嬢様だった。

容姿については言うまでもなく、学業は常にトップクラス、スポーツ万能であらゆることをきっちりこなす彼女の存在は傍から見れば完璧であり、非の打ち所がない。

それにつけ加えて裕福であり、まさに絵に描いたような存在だった。

彼女と共に居ることは、一般的な生徒にしてみればひとつのアドバンテージだと言える。

しかし彼女はそもそも取り巻きたちに何かを与えた事はないし、特にそういった存在に何かを感じる事もなく、目にし耳にはするものの、居ても居なくても同じようなものだった。

だというのに懲りずに集まってくるところを見ると、それはすでに自己満足のようなものなのだろう、と伊織は考えている。

せっかくいい気分になってくれているのだから、それを態々害す必要もないだろう。


「・・・・・・・・・別になんでもないわ」


呆れたようにため息をついて視線を窓の外に戻す。

秋風響は前々から取り巻きにちょっかいを出されていたかわいそうなクラスメイトだった。

だというのに結局彼女自身は何もせず、傍らに居る近藤伊佐美が言い返す、という他人本位なその態度が気に入らない、というかあまり趣味ではなかった。

だから所詮そこまでであり、気に留めるようなものではなかった。


「あいつ最近調子に乗ってますよ。伊織さんもそう思いませんか?」


「・・・・・・・・・・・」


伊織の表情が曇るのを見て慌てて取り巻きは話題を変えた。

だが伊織の中ではその言葉がやけにくっついて離れない。

退屈な日常。どうにもならない世界。憎むべき境遇。

自分はもしかしたら響に何か共感する部分を持っていたのかもしれない。

伊吹伊織もまた、自ら環境を変えようとしたことのない人間だったのだから。

そうした同族嫌悪に近い感情が、やがてそれを打ち破った彼女を見て逆転したのだろうか。


先日、響は自分にからんできた取り巻きの一人に、笑顔で平手ビンタをかました。


その後頭を下げて謝ると、微動だにせずそのまま去っていってしまったのだ。

それを目撃したとき伊織の開いた口はふさがらなかった。

あの弱虫で自分では何もできなかった響が、自らの意思で手を上げたことがまず驚きだったし、それに対し彼女はなんとも思っていない様子だった。

人の顔色ばかり伺っていた秋風響いぜんと比べ、同一人物だとは思えない。

ショックといえば、それはショックだったのだろう。

だからといって彼女が気になるというのは伊織には理解し難い事だった。

窓に映った自分の姿に手を差し伸べる。

触れた窓ガラスはひんやりと冷たく、夏の世界から切り取られた空間のように思えた。


「・・・・・また来たのね・・・あなた」


窓に映っていたのは巨大な蜘蛛の化物だった。

だがそれは伊吹以外の目には映らないし、彼女自身それを見ても驚かない。

初めてそれを目撃した時はさすがに驚いたものだが、こうしてこの怪物と遭遇するのはすでに何度目かわかったものではない。

だから特に驚く事もせず、自分の携帯電話を見つめる。


履歴を開くとそこにはただの一つとして、他人の番号は並んでいなかった。


誰も彼女の番号を知らないし、知っていても気安くかけることなんか出来ない。

そしてそこにはもちろん、唯の一つとして番号はならんでいない。

他人の番号は、だが。

そこには、彼女自身の携帯電話から何度も何度も繰り返しコールされた記録があった。

ずっとずっと、呼んでいるのだ。

窓ガラスに映った世界に居る、その怪物が。


「ねぇ、あなたは・・・・自由ってなんだと思う?」


伊織の質問に怪物は首をかしげ、それからゆっくりと窓の向こうに移る世界へ去っていく。

鏡に映る幻影から幻影へと、人の心をわたっていくかのように。


やがて怪物の姿が見えなくなると、伊織は目を閉じ、携帯電話の電源を切った。






⇒ロマンス・フライ(1)







「どうですか?調子は」


「ええ、まあ、上々と言ったところでしょうか」


七月も後半に差し掛かり、東京ポートアイランドにある共同学園アイランドスクールにももうじき夏休みがやってくる。

差し込む強い日差しを遮る、路上に似つかわしくないビーチパラソルの下、フランベルジュはアクセサリを並べ露天を開いていた。

ポートアイランド中心部にある市街地。ここでよく彼女は露天を開いている。

それを知っていた響は学校が終了するとそこにやってきて声をかけるのが最近の通例だった。

気温は既に30度近いと言うのに、ロングスカートの青を基調としたメイド服を着こなしているフランベルジュは、だというのに汗の一つもかいていない。

比べて響は既にここまで歩いてきている事もあり、滝の汗だった。

既にわざわざ言う事でもないが、響は足が遅く、そして体力不足だ。いちいち歩くだけで呼吸は乱れるし全身疲れ果ててしまう。お前は病人か、と言いたくなるほどへこたれた体力は女子中学生の平均には程遠く、小学校低学年のようだった。

故にただ市街地まで歩いてくると言うだけのこの日課も彼女にとっては「は一大イベントである。

半そでの白いワイシャツ。アイランドスクールの制服のトレードマークとも言える真紅のネクタイを緩め、シャツでぱたぱたと扇ぎながら響は腰を下ろした。


「暑くないんですか〜?」


「YES。温度調整は自分で出来ますからね」


「そうなんですかー・・・・どうやってするんですか?」


「主に電磁動力リニアクラッチで」


「・・・・最近のメイド服はすごいんですね」


「そうですね」


会話はそれっきり打ち止めだった。

正直に言えばフランベルジュとしては営業妨害もいいところなので、店の前に座り込んでいる響にはさっさとどいてもらいたいところである。

しかし本人はそんなことにはまったく気づいていないので、どう注意したものかと考えているところだった。

そもそもあまりきつい言い方をすると響は泣き出しかねない。そんなイメージがあった。

かといってやんわりと退くように指示してもこの娘は気づかないだろう。

さて、どうしたものか。


「響さん、伊佐美さんとは一緒に帰らないのですか?」


「あ、うん。伊佐美ちゃんは陸上の練習でいつも遅くまで残ってるし、今は夏の大会に向けて猛特訓中だからお邪魔も出来ないから、こうして一人で早めに帰ってきてるのー」


だからってわたくしの邪魔をしないでほしいのですが、とは言わなかった。

基本的に寂しがり屋な響は、常に誰かにかまってほしいのか放っておいてもやってくるし、どこかに移動しようとしてもついて来る。

つい数日前までは「事件が解決したら出て行け」などと口にしていたくせに、随分と勝手な娘である。

もちろんそれも口にはしない。沈黙は淑女のマナーだとフランベルジュは考える。


灰ノ王城ヴァレンシアの閉鎖事件以降、響の表情はゆるゆるとしている。


元々常に微笑んでいるか、知性のない目でぼんやりしているような娘であったが、それはあの事件を乗り越えた事によって、なぜかさらに加速したように思えた。

厳密にはいちいち驚かなくなったというか、ボケが進行したというか、まあそんな感じであるが、どちらも同じようなものなのでいまいち表現には困る。

響自身、事件を通じて自分と言うものを理解しようと努力し始めている。

その結果としてボケが進行したのであれば、ゆるゆるでも仕方ないと思うのだが、これが果たして開き直りによるものなのか、自己肯定によるものなのか、フランベルジュには判断しがたい。

そもそもフランベルジュによる他人の客観的評価が期待できないのはあれを見ていればわかることなのだが。

逆に、響はフランベルジュに対して強い親しみを抱き始めていた。

いつのまにかかつては存在した姉のようなものだと感じ始め、甘えるように付きまとう。

姉のことは知らずともその甘えたいモードは伝わるのか、フランベルジュはつい響を甘やかしてしまうのだった。

彼女が人を甘やかしてしまう癖があることは、まあ、主人あいつを見ていればわかることだが。

とにかくそんなわけで、フランベルジュは終始にこにこしている響を結局どかすことが出来なかった。


本日の商売はここまでと切り上げたフランベルジュは響と共に帰宅する事にした。

二人で露天を片付け、響も荷物を持って帰るのを手伝おうとしたのだが、結局パラソル一本でよたよたふらつき、一般人を支柱で殴り倒すと言うトラブルを巻き起こしたので、全部フランベルジュが持ち帰ることとなった。


「うー、ごめんなさいフランさん」


「賞味問題ありません。わたくしはこれをあそこまで一人でもっていったわけですから、持ち帰ることに特に問題があるとは思えませんので」


「フランさんって力持ちですよね〜」


「まあ、普通乗用車程度であれば持ち上げられるかと」


「ふえ〜」


少女の目がきらきらしている。

そんなに期待の目で見つめられるとなんとなくフランも見栄を張ってみたくなる。


「・・・・ま、まあ・・・・・モノレールの一車両程度であればあがりますよ」


「ほんとうですかっ!?すごいすごーい!」


「まぁ、メイドのたしなみですよ、たしなみ」


一体どういったたしなみなのかはおいておくとして、二人は自分たちの暮らすぼろアパートに帰宅した。

扉を開いて「ただいま」と開口一番、片手で腕立て伏せをしているジャスティスの姿が目に飛び込んできた。


「おう、1344!おかえり、1345!!」


「うわっ!?また筋力トレーニングですか?」


「フッ・・・・1346・・・自慢ではないがおれは、1347・・・筋トレをしなかった日が一日もない・・・1338・・・日々の鍛錬を怠らないのだ・・・・1339・・・・!!」


途中で10ほど逆走していたが、女性二人は気にしないことにした。


「それにしても何故だ・・・1352・・・・さっきから・・・・1400台に・・・・1354・・・一向にたどり着かないのは・・・!!」


「3」が抜けていたが、それも気にしないことにした。

そんなこんなでいつもどおり台所に並ぶメイドと中学生。

その景色そのものが既におかしいのだが、三人はなれてしまったのか特にこれといって突っ込みを入れることはせず、三人で夕飯を食べ終える頃、


「ところで響」


口を開いたのはジャスティスだった。二人の視線が集中する。


「この部屋にはテレビジョンってもんがないのか?」


「えーと、見てわからないですか?」


「いやわかる。聞き方が悪かったようだ。テレビジョンは買わないのか?」


「そうしたいのは山々なんですけど、お金が無くて・・・・」


TVどころか女性らしいものは一切見当たらない。

本当に年頃の少女が住んでいるとは残念ながらちょっと信じがたい。

何せTVなんてレベルではない。そもそも家具が存在しないのだ。

ジャスティスとフランベルジュは以前から疑問だったのだが、


「響さん、何故そこまでお金がないのですか?貴女はこれといって働いているようには見えませんし、まだ義務教育過程の少女です。両親から仕送りがあって当然だと思うのですが」


「そりゃありますよぅ?」


「失礼ですが、如何程で?」


「一月三万円くらいかな〜」


「なるほどさんま・・・三万円!?正気ですか!?」


「え、え?う、うん・・・・家賃が一万円でしょ〜、食費が一万円〜・・・あ、二人が来たからもっとしてるかな〜?あと、貯金が一万円なの」


そこに自由に使える金おこづかいと呼ばれるものは存在していなかった。

そもそも響の中にそのジャンルが存在していない。

それ以前にまずこのアパートの家賃が一万円であることに驚愕と共に微妙に納得する。

食費が一万円というのは、まあ妥当な金額だろう。響はそれほど食事量が無い、小食といえるタイプ(朝や夕飯は食べないこともある)だったし、料理上手であることから凝った料理を作ったり材料を揃えたりするのに必要以上の金額を消費したりする。

あまり食べない本人と見合わない食生活がプラスマイナスで一人前一万円で妥当と言ったところだ。

しかし一万円で妥当というのはかなり安い。単純に計算しても一日に消費するのは数百円ということになる。

一体今でどうやって生活してきたか・・・それは一緒に買い物に行ったことがあるフランベルジュだけが知っていることだ。

まず響は安い商品しか買わない。まるで歴戦の主婦のようにそのあたりには鋭い。

そして常にぼけている響は、学校ではいじめられっこだったがモール街では大人気だった。

どこに言ってもおまけ、おまけの嵐であり、中には買い物を手伝ってくれる人まで居る。

なんだかんだで響はいろいろな人に助けられつつ生活してきたのだ。

とまあ言い訳してみたところで一万円はどう考えても安い。貯金しているという部分の一万円からいくらか持ってきていると考えていいだろう。

それにしても全額で三万円というのはどういった事情なのか。


「失礼ですが・・・・ご実家は物凄く貧困に喘いでいるのでは?」


「そんなことないですよ?結構立派な武家屋敷に住んでる農家の三代目ですから」


「・・・・・・・・では何故その金額で?」


「んとねー、本当はもっといっぱい送られてくる予定だったんだけど、足りてるから断ったの。特にほしいものとかなかったし、ほしいものが出来たなら自分で働いて買うつもりだったから」


「意外な部分で立派なのですね」


「ほめられた〜」


うれしそうに表情を緩ませる響を見てなんとなく推理する。

おそらく実家から野菜などは送られてくるのだろう。そういえばいくつもの空きダンボールを見かけた。

響自身、物をほしがる性格ではないので特にそれで困らなかったのだろう。

しかしそれは世界とつながることをあきらめていた響の場合だ。

今の彼女はそれなりに他人と付き合っていこうと思っているし、自分と向き合うということで趣味や好みのものがいくらか見つかっていくに違いない。

そういった状況に陥ったときこの娘は果たしてどうするつもりだったのか?

うれしそうに湯飲みを傾けている姿を見ていると、それも訊ねられなかった。


「というか響、きみはさっき買いたいのは山々っていってなかったか?」


「あ、ほんとですね。じゃあ貯金を下ろして買いますか」


「やれやれですね・・・・・」


「それにしてもそうか・・・響、おまえの立派な考えにはおれも感心したぞ!よし、おまえ、暇ならアルバイトしないか?」


「あるばいと・・・・?」


「おれたちがアクセサリを売って生活しているのはおまえも知っているだろう。こいつは自慢だが、おれは手先だけは異常に器用でな。主婦が昼下がりに内職をするが如く勢いでアクセサリを日々量産しているのだ。だから働いていないわけでは断じてないぞ、そこをまず覚えておけ」


「てっきりニートなんだと思ってましたけど誤解だったんですね〜」


「そうだそれは誤解だ。くそ、涙が出てきたっ」


あふれる悔しさを袖で拭う。


「土日にでも露天でこいつを売りさばいて来い。売上金からいくらかお前にバイト代としてくれてやろう。フランも一人じゃ退屈だろうし、ちょうどいいだろう」


「それはかまいませんけど・・・どうしてジャスティスさんがやらないんですか?」


「おれはいろいろと忙しいからな」


ジャスティスの発言にはまったく信憑性がなかったが、響はとりあえず楽しそうだったのでOKした。

フランベルジュと一緒に居るのは楽しかったし、バイト、という言葉に中学生ながら何か魅力を感じたのかもしれない。

なにはともあれ、次の休みには響もフランベルジュについて働くことが決定したのだった。







翌日、市街地にあるハンバーガーショップにジャスティスの姿があった。

丁度昼時なので込み合う時間帯だったが、ジャスティスの座る席の周りには空席だった。

ハンバーガーを食べるジャスティスの向かいの席には十歳前後の少女が座っていた。

一言で表現するとそれは奇妙な格好だった。

淡く光沢する白銀のマントにすっぽり覆われ、その髪もまた銀。

落ち着いた様子でハンバーガーを齧っている。


「それで、どうだったんだ。秋風響の素質は」


「もがもが・・・ん?まあ、いいんじゃないの?」


「食べながら口を利くんじゃない・・・色々と飛んできてひどく迷惑だ・・・!」


飛んできたパン屑を手の甲で打ち落として不機嫌そうに言う。

ジャスティスは「悪い悪い」とおざなりに謝って会話を続けた。


「あいつの心理領域ヴァレンシア、特にこれといって能力が存在しないものだったんだよ」


心理領域とはそれぞれの心に描く理想の空間と解釈してよい。

それらは所有者セイヴァーの意思に従って何らかのロジックを具現する。

だというのに響の灰ノ王城しんりりょういきには特にこれといった効果が存在しなかった。

その異様さに少女は眉をひそめる。


「能力が存在しない心理領域だと?そんなものはただの正体不明の空間ではないか。心理領域も実在それぞれ勝手気ままなものだが、それでも共通の法則ロウはあるというのに」


「だよな。だから「これといって能力がない」のが「能力」なのかもしれないな」


「そんなものは能力とは呼べない。だというのに貴様がそこまであの娘に固執する理由はなんだ?」


「固執してるわけじゃねえよ。まあ、おれなりに考えてあいつの持つ力について評価する部分もある・・・ただ今後あいつが理論武装を使おうとしたとしても、それはたいしたものじゃないだろうな」


「当たり前だ。理論武装は相手の理論武装・・・つまり心理領域を壊すためのものだ。心理領域と理論武装は操り手が違うだけの同一意義。心理領域が無能なら、理論武装も無能だろうよ」


少女は吐き捨てるように言った。

彼女の身長は120センチ程度。ジャスティスとは70センチほど差がある。

年齢も二十代であろうジャスティスと比べるとかなり幼く見えるが、なんとも偉そうな口調だった。


「ジャスティス、貴様も番号入ナンバーズなら、私情で動くのはやめろ。我々の過ち一つで、この世界のバランスは大きく傾くのだぞ」


番号入つよいってのは不便だなあ。何やるにも怒られるし、注意されてばっかだ」


ふてくされるジャスティスに思わずため息をこぼして少女は髪を指先でくるくると弄る。


「力を持つなら持つなりに自覚しろ。責任と業の上に我ら番号入ナンバーズは選定されているのだ。本来なら貴様も正義ジャスティスとしての仕事をもう少し遵守してほしいところを大目に見て自由にさせてやっているのだ、最低限の仕事はこなせ」


少女の金色の瞳が伏して大男を見上げた。


「シュズヴェリイの方はどうなんだ?最近ちゃんと吟示狩ってるのか?」


死神ジョーカーを名乗る以上必要な分はそれなりにな。だが最近は貴様のような番号入でありながらロクに活動しない者を取り締まるのに忙殺され、褒められたような仕事は出来ていない」


「所詮番号入れんちゅうはどいつもこいつも好き勝手やってるだけだろ。選定方法だって強いかどうかだし、おまえみたいにまじめに活動してるやつのほうが珍しいんだって」


「貴様は仮にも正義ジャスティス。あまり不用意な発言はするものではないぞ」


バニラシェイクを口にしながら、金の目で睨み付ける。


「我が死神コトバが貴様の首に届かぬ内に、やるべき事をやることだな」



そうして二人はハンバーガーを食べ終えると店を出た。

シュズヴェリイは銀のマントを頭までかぶって背を向ける。


「ジャスティス」


「なんだ?」


「貴様があの娘に拘るのは、あれがあの女の妹だからか?」


特にこれといってその言葉に反応するでもなく、ぽりぽりと頭を掻いたジャスティスは背を向けているシュズヴェリイの頭を撫で、


「おれにだってわかんねーな、そりゃ」


そう答えた。









「ジャスティスのおかげで、ポートアイランドは平和そのものだね」


組織レクイエムの本部は、海中に存在する。

そこは本部の中でも指導者と呼ばれる者の部屋だった。

組織の指導者、イゾルデ・ハーミットは最奥に位置する巨大なテーブルに腰掛け、腕を組んで目を閉じている。

イゾルデは若者の多いこの組織の中では最年長であり、年齢は60代。『長老』と呼ばれる彼女の外見はもちろん組織の制服であったが、それは指導者用に専用に作られたものであり、装飾やデザインがいくらか一般のものより豪華だと言えた。

長髪をオールバックに固め、鋭い紺の目を開く。


「ルルイエ。貴方もこんなところで遊んでいる場合ではないんじゃなくて?」


彼女の視線の先には白いタキシードを着用した背の低い少年が居た。

少年は必要以上に巨大だと言えるイゾルデのデスクの上に腰掛けて足を組んでいる。

ウェイブのかかった銀髪と金色の瞳、絵に描いたような美少年である。

名はルルイエ。それはジャスティス同様、通り名であり本名ではない。


「そんなにかりかりしないでよ、イゾルデ。さっきも言ったでしょ?ジャスティスのおかげで、町は平和そのものなんだ。僕のような下っ端番号入ナンバーズの出る幕じゃないよ」


少年は天使のような微笑を浮かべ、それからふわりと舞うようにデスクから飛び降りた。

すらりとした細身に透き通るような白さの肌。身長は160センチほどで、年齢は十代前半に見える。


「彼はやっぱり凄い所有者セイヴァーだよ。彼がこの町に来てから既に四件、事件が発生して彼の手によって解決に導かれているんだ。短期間による連続発生は珍しい事だというのに、彼はそんなのお構いなしだ」


ここ一ヶ月程で発生した心理領域の数は4。そのうちジャスティスによって浄化されたものも4。

彼がこの町に来てからというもの、心理領域の発生するペースは異常に加速した。

というより、彼がこの島にやってきて最初に関わった事件・・・秋風響の心理領域浄化戦を皮切りに次々と似たような事件が発生し始めていた。

その事件の尽くをジャスティスは浄化してきたのだ。


組織レクイエムの対応はどうしても後手になってしまうけれど、彼の場合前準備とか下調べとか関係なく気ままに心理領域に立ち入ってしまうもんね。はっきりいってこれじゃ組織も形無しだよ」


「ふう・・・・・・わざわざ組織われわれに嫌味を言いに来たのですか?貴方は」


「そうじゃないさ。それにイゾルデだって手を拱いているだけってわけじゃあないんだろう?」


「当然です。現在組織に所属する所有者セイヴァーは私を含め十三名・・・内、番号入ナンバーズは四名。肝心の番号入は全員この町を離れていますし、確かに後手に回ってしまうのも事実でしょう」


イゾルデは口元に手を当て、窓の向こうに目をやる。

組織の窓の向こうは基本的に海中が映し出されている。そこに差し込むいくつかの太陽の光。


ジャスティスが組織に居た頃はもう少し迅速な対応が可能だったというのに・・・・今は心理領域に立ち入るための中継地点アクセスポイントを探す能力者が不足しているのよ。そのせいで被害者が増えているのだから、言い訳は出来ないのだけれど」


「あははっ!でも、彼は組織を抜けられてせいせいしているんじゃないかな?僕はたまに彼に会いに行くけど、今の彼のほうが昔よりずっといい顔をしてるよ」


「でしょうね。ジャスティスの望みを叶えてやれなかったのは、単に我々の力不足。彼が組織を見限って出て行ってしまったとしても、こちらとしては何もかけられる言葉はないわ」


「そのジャスティスがどうしてこっちに戻ってきたのかは知らないの?」


「それは調査中よ・・・・まさか私が直接訊きに行くわけにもいかないでしょう。期待の新人二名と、万里双樹に彼らを監視させているわ。あとは報告待ちね」


「なるほどね。いつの時代も可能性を切り開くのは若い芽、ということかな」


そういって無邪気に微笑むルルイエだったが、イゾルデはため息をついて眉を潜める。

心理空間の発生事件や、理論武装の所有者というのは十代の少年少女が主だった。

もちろんこの組織レクイエムの構成メンバーもほとんどが十代の若者だ。

それは若者の方が心に問題や疑問を持つと言うことなのであろうから、仕方のないことだったが、イゾルデは出来る限りこの吟示ぎんじと言う心より生まれる異常を大人の手で処分したいと考えていた。

若い力を疑問視するわけではなく、ただこういった世代を生み出してしまったのは単に大人の問題でもある。その責任を取らず、心理領域のことも知らない大人ばかりだということが、果たして正しいことなのか。

悩んだところで答えなど出るはずもなく、それは理解している。

ゆえにそれは己に永遠に問いかけ続ける罪悪の境界なのであろう。


「それじゃあイゾルデ、僕はそろそろ行くよ。なんだか楽しいことが起こりそうな気がするんだ」


ポケットに手を入れたまま歩き出すルルイエ。


「貴方がそういう時は、大抵ろくでもないことが起こる時なのですよ、運命ルルイエ


その言葉に苦笑し、手を振ると少年は去っていった。

残された広すぎる部屋でイゾルデは椅子に深く背を預け、海を見つめる。


「彼女の妹である秋風響が、ジャスティスと関わる事によってどんな影響が生まれるのか、運命あなたならわかっているのでしょうに・・・・」


深い海は常に何も答えずそこにある。

イゾルデは気持ちをすぐに切り替えると、書類の処理を始めた。









「・・・・・・・・・・・・・」


暗い部屋だった。

伊吹伊織という少女が一人で暮らすには、その部屋はあまりに広すぎる。

年頃の少女の部屋と言うよりは幼子のためにあるような、かわいらしい内装だった。

ピンクや白のコーディネートと、たくさんの縫い包みに包まれて少女はベッドに座っていた。

ここ数日の晴れない気分はどんどん加速し、次第に疑問に変わってゆく。


「お父様・・・・・・」


本来ならば、今日は父親と久しぶりに食事が楽しめるはずの日であった。

彼女の父はこのポートアイランドの初期計画立案者の部下であり、ポートアイランドが完成すると同時にこの島に移り住んできた。

それはまだ伊織が生まれて間もない頃の話なので、伊織にとってはこの島こそが故郷であり、そして父が偉業を成し遂げたという確たる証でもあった。

しかし父は常に仕事で忙殺され、彼女への態度はいつもおざなりだった。

母親はまだ幼いうちに亡くなっていたため、彼女はいつも広い家に一人ぼっちだった。

父はまるで幼い子供に当てるように、懲りずにまだ伊織に縫い包みを送り続ける。

不器用な人間だった。仕事が生きがいであり、しかし一人娘の伊織を愛していた。

だがその気持ちは娘にはうまく伝わらず、彼女はこれまでも寂しい思いをしてきた。

しかしここまで胸が苦しくなることは一度もなかったというのに。


「どうしてなのかしら・・・・」


父のことは理解しているつもりだった。

父の理解者になれるのは自分だけだし、自分を理解してくれるのも父だけだと信じていた。

その自分が信じてきたさまざまなものが、突然揺らぎ始めている。

自分はずっと、本当は寂しかったのではないか?


携帯電話の着信メロディが部屋に響く。


何度目かわからないそれにいい加減うんざりしながら窓の向こうを見つめた。


「あなたは・・・・・私を呼んでいるの?」



窓の向こうには大きな蜘蛛の姿がある。

それはしきりに、彼女に手を伸ばすかのように、そっと身を寄せる。

不思議と恐ろしくはなかった。ただ、理解できない。


蜘蛛は彼女に届くようにと、


携帯電話を何度も何度も、何度も鳴らしていた。





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