ザイン(1)
頂上へと向かうエレベーター。その小さく四角い箱の中、響は背を預け目を閉じていた。
ゆっくりと穏やかに、しかし確実に始まった何かを感じながら、ただ己の心を振り返る。
手は血に汚れ、身体は傷だらけだった。今まで幾度となく戦いを繰り返し、自らの心を縛り付けてきた。
思い出すのはいつだってあの頃の、まだ自分が子供だった頃の記憶だ。そのはずだったのに。
何故だろう?いつからだろう?闘うことや生きる事を責任や業としか感じられなくなっていたのは?
それは酷く滑稽で、酷く当たり前な事実だった。自分が目指すものと今の自分は違いすぎたという現実。
ただそんなことに気づくために、余りに多くの時間を費やしてしまった。
自分はもう誰かの命令や誰かの所為で生きているわけではない。だからもう、全ては自由なはずだった。
「でも・・・・・大事だから」
守りたい人や守りたいものが多すぎて、自分自身の心がわからなくなっていたんだ。
友達や仲間、一緒に闘う人、敵対する人。
帰りたい日々。認めたくない現実。逃げ出したい感情。全てが自分を縛っていた。
けれど、あの日の感動を忘れない。だからあの日の感動を思い出す。
自らの半身を吟示に奪われ、その瞳から世界が色を失った時。
あの時確かに、響は感じていた。そう、世界は美しいのだと。
ありあまる膨大な時間の中にかき消され、忘れてしまっていた気持ち。
水平線の向こうから上る鮮やかな夕日の橙。吹き込む潮風に吹かれ歩いた。
前を歩く男の大きすぎる背中。風に煌く金の髪がいつしか憧れだった。
全てが幸せだった。きっと完全な満足なんて人の中には存在しない。でも、それでよかったんだ。
変化や羨望を望む気持ちだけがあった過去。変えてくれた彼の存在。
自分の中でそれは今でも色鮮やかな景色となって焼きついている。それを忘れてしまっていたんだ。
男はいつでも正直だった。ナンバーズである前に、ディーン・デューゼンバーグという一人の男であり続けた。
笑顔で苦難を乗り越えてしまっていた。そんな気まぐれな姿があまりにも鮮烈だった。
そして彼は、自らの全てを否定される可能性があることを知りながら、響に嘘をつくことだけはしなかった。
正直に全てにぶつかり、己の全力を以ってして叩き伏せてきた。どうしようもない現実ならば受け入れてきた。
それだけの覚悟があった。それだけの力があった。だから輝いていた。
そしてそれを追いかけようと、追いつこうと、その背中にいつまでもしがみ付いていたのかもしれない。
目を開けばそこには誰も居ない。けれど想いは繋がっている。心を託してくれた、彼女のように。
「私やっぱり、ジャスイティスさんみたいには上手くやれませんでした・・・・・」
苦笑して呟く。この気持ちもいつかきっとそう、彼に届くと信じているから。
「それでも私は、秋風響は・・・・・・あなたとは違う道を往きます」
エレベータが上る。その先に何が待っているかもわからないまま、何の猶予も与えないまま。
それでも少女は一歩踏み出した。全てを受け入れる覚悟という、一振りの刃だけを持って。
⇒ザイン(1)
ゆっくりと開くスライドドアから差し込む眩い真紅の光に目を細めた。
吹き込む風は冷たく頬を切り裂くよう。コツコツと音を立てて歩む鉄板の大地。黒いブレザーの裾を翻しながら響は歩む。
その歩みの先には三年前の彼女のように、鎖で縛られ拘束されている姉の姿があった。
その姿は思いのほか成長しておらず、今の響よりも一回り小さい。
蒼い髪ではなく黒髪で胸に手を当てているそれと向かい合う。その姿はフランベルジュと同じ・・・髪の色以外は。
だから驚きも戸惑いもない。眩い光に手を翳しながら、穏やかに微笑んだ。
「久しぶりだね、お姉ちゃん」
秋風渚は応えない。文字通り心ここにあらず・・・彼女は肉体、器だけの存在だった。
心は今はディーンと共にこの地を離れたはずだ。ならばこれは姉であり姉ではない、しかし紛れも無い渚の一部。
近づくことはしなかった。ただ目を伏せ、静かに微笑む。
ずっとずっと長い間望んでいたはずの景色なのに、それに悲しみを覚えるのは何故だろう?
燃えるように赤い夕日が沈んでいくポートアイランドの景色。それはあの頃と何も変わらない。
あの頃は、あの時は、ただただ自分の想いを伝える事も出来ないまま、不器用に生きていた。
不器用なのは今でも変わらない。けれど、今は少しだけ頑張ることが出来るようになったから。
「まさかそっちからお出ましとはな・・・・意外だったよ、秋風響」
鉄骨に背を預け腕を組んでいた佐伯村雲が呟く。その男を響は一瞥し、それから向き合った。
「あなたがこんなことをしたんですか?」
男は低い声で笑い飛ばし、それから歩き始める。響の正面に立ち、メガネを外して布で磨く。
「そうだ。全てはこの俺が仕組み、行ったことだ。実際に俺が手を下したのは少数だが、誰もが殺すようにと殺意を込めて命令したのはこの俺だ・・・と、答えれば満足か?」
「別に、そんなことはもうどうでもいいんです。でも、これ以上続けるっていうのなら話は別ですよ?」
「ほう、どうするつもりだ?この俺を殺すか?」
「殺しはしませんけど・・・・なんていうか、あなたムカツクんですよね」
「!?」
村雲は驚くしかなかった。つい先ほどまでは語り合う距離に居た少女がすぐ目の前に立っていたからだ。
そして恐ろしいまでの力で強引にメガネを奪い去ると、それを笑顔のまま握りつぶした。
粉々に砕けて散るガラスが煌く中、響は鋭い目つきで村雲を睨みつける。
「私は私の守りたいものを守るために闘う。それは誰の所為でもなく、私の意志です。その私の決意を踏みにじるというのであれば、もう私は何人足りとも許すことはしない」
怒るときには怒る。それが少女が学んだ事だった。
全てに対して真剣に生きるのであれば、感情を押し隠すことなんてない。
笑うときには笑い、涙するときには涙して、怒るべきときには怒ればいい。
それは、少女が長年抱えてきた最大の欠陥であり、弱点であり、美徳でもあった。
だがそんなものはもういらない。みっともなく怒りをあらわにして、汚い言葉で罵ってしまえばいいのだ。
「跪いて下さい。そうしたら考えてあげますから」
「フン、そう上手く行くかな?」
村雲の横、飛び出してきたルルイエの振るった刃を素手で弾き飛ばし、背後に跳んで距離を取る。
手の甲についた切り傷を一瞥し、響は舌打ちした。
「あなた・・・・そこそこ強いですね」
「・・・・・・・・・驚いたな・・・・殺すつもりで振り下ろしたんだけど・・・手の甲で弾かれるとはね」
目を丸くしながらルルイエは撓る漆黒の剣で大地を切り裂く。その切れ味が劣ったわけではなく、ただ響を覆っている心理領域が余りに頑丈すぎただけの話だった。
背後に村雲を隠すように移動したルルイエは漆黒の剣を両手で構え、微笑む。
「流石は神に最も近づいたセイヴァーだ。君ならば僕も本気を出せる」
「御託を並べないでさっさとかかって来て下さい。急いでるの、わかりますよね?」
「では、遠慮なく」
伸縮する漆黒の剣を鞭のように振り下ろしながら上空から襲い掛かるルルイエ。
縦横無尽に動くそれを見据え、響は一瞬の動きを見逃さずその手で掴み、動きを止めてしまった。
ルクレツィアやシュズヴェリイにも止める事の出来なかったそれをあっさりとやってのけると、あろうことかせっかく掴んだ剣を放し、両手をポケットに突っ込んでしまった。
「何のつもりだい・・・?」
「思ったよりあなたが強くないので、両手を使う必要もないってことですよ」
微笑む。その笑顔には圧倒的な自信と威圧感が込められていた。
いかにルルイエといえどこの状況のままにしておくことは出来ない。再び、先ほどよりも力を込めて斬りかかる。
直後、少年の目の前に出現した銀色の十字架に激突してしまっていた。
「がっ・・・!?」
反動で背後に吹き飛ぶとそこにも十字架。後頭部を激しく打ちつけ、ふらつく頭を何とか押さえ、十字架を吹き飛ばす。
左右から飛んでくる自由ノ空。剣で弾くものの、そこから何かが伸びていることに気づき舌打ちする。
「ワイヤー・・・!?」
弾き飛ばされたものの、ルルイエの周囲をぐるりと回って地面に突き刺さった自由ノ空から放たれる無数のワイヤーでルルイエは一瞬で縛り付けられてしまっていた。
響は両手を使うどころか一歩も歩く事もなく、あのルルイエを拘束して見せたのである。
「この・・・・なめるなあっ!!」
ワイヤーを引きちぎり、十字架も弾き飛ばしたルルイエは何故か地に足をついていた。
痛みもない。ダメージを受けたわけではない。ただ足元には・・・泥のように黒い水。
月影劇場の持つ歩行不能能力だった。両足に力が入らないルルイエに無数の十字架と自由ノ空が襲いかかる。
退屈そうに目をそらし、ため息を付く響の前方でルルイエは必死に戦っていた。こんな絶望的状況でもまだ尚無事でいられるあたり、彼もかなりの強者である事を示している。
だが、この秋風響という少女の前では役不足だ。事実彼女はルルイエなどもう眼中になかった。
「それで、あなたはまだやるんですか?それともメガネがないから良く見えませんか?」
村雲に語りかける。男は目を細め、鋭く笑う。
「心配無用、あれは伊達だ」
「伊達ですか」
「ああ・・・・それにルルイエも本気でやっているわけではないさ」
振り返る。ルルイエは自らを攻撃していた響の理論武装たちを木っ端微塵に粉砕すると自らの足で立って見せた。
何が起きたのか、響には理解できた。少年は自らの理論を以って響の攻撃を無力化したのだ。
つまり響の理論をねじ伏せるほどの膨大な心理領域を展開したということ。
逆に言えば、今までは殆ど自分の心理領域など使っていなかったということになる。
「確かに君は強い・・・でもね、上には上が居るものなんだよ・・・秋風響」
巨大化させた剣で横から薙ぎ払う。増幅された闇の波動は避けきれるものではない。
だから目の前に無数の十字架を展開しそれを防御した。しかしその選択は間違いだった。
剣の圧力は十字架が持つ理論など一瞬で圧倒してしまうほどのもの。防げたのは一瞬で、爆発のような衝撃に吹き飛ばされた響は何メートルも宙を舞い、鉄板の大地に頭から落下、鮮血の跡を残しながら転がった。
「やる気がないのかい、響?君がこの間見せた力はこんなもんじゃなかっただろう?あのベルヴェールさえ凌ぐ膨大な自己矛盾・・・魂の叫びを見せてくれよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
額から流れる膨大な出血を片手で押さえながらゆっくりと立ち上がる。
その目は全く怯んでも居なければ戸惑っても居ない。真っ直ぐで熱い眼差し。
あの男を連想させるようなその瞳にルルイエのほうがむしろたじろいでしまう。そんな迷いを振り切るように剣を構え直し、響に告げた。
「君の親友を殺したのも僕だ。でもね響、君があの時あそこに来ていてくれれば・・・そうすれば運命はまた違ったものになっていたかもしれないんだよ。けれどたどり着けたのは君ではなく彼女だった」
「どうして伊織ちゃんを殺したの?」
「彼女は必要以上に組織の事を知りすぎていたしね。それに、渚を見られたら生かしておくわけにはいかない」
「どうしてお姉ちゃんなの?」
「彼女は君とよく似ていた。だから君と同じ理由だよ。力が強く、彼女は自らをいつも否定していた。潜在的に内向的な性格をしていたからね。だから使いやすかった」
渚はぼんやりと、二人の語らいを眺めている。不思議そうに首を傾げながら。
この身体を取り戻しさえすれば・・・・そう簡単にはいかないとわかっていても、またあの頃のように・・・昔のように、フランベルジュと・・・渚と一緒に居られるのではないかと思ってしまう。
だけどその未来を期待することをやめることはできなかった。だからあれを取り戻す選択以外存在しなかった。
たとえ目の前の少年が、自分の力の及ばない存在だったとしても。
手の中に最も落ち着く『彼女』の感触はない。今はただ一人、傍に誰も居てくれない状況。
それでも闘わなくてはならない。勝利しなければならない。だから額の血を拭い痛みも忘れ去る。
「・・・・・灰ノ王城」
小さく呟く発動の言葉。周囲を覆っていく灰色の世界の中、響は風に髪をなびかせながら目を開く。
「名乗るのを忘れていたね。僕はルルイエ・・・運命のナンバーズだよ」
「私はジャスティス。正義の名を持つ者・・・・私は私の信じる正義のために闘う」
「そっか。でもね、僕にも信じる僕だけの正義がある・・・だから、負けてあげる事は出来ないんだ」
笑顔のまま少年は駆け出す。それを迎え撃つように、響は手を翳し、それを振り下ろした。
「お兄ちゃんは、本当はどうしたいの?」
「え・・・・?」
頂上へと向かうエレベータの中、綺羅は兄に問いかけた。
そこに居る誰もが黙りこみ最後の地への想いを固める中、一人浮かない表情をしていた兄を心配してのことだった。
唐突な問いかけに刹那は言葉を濁し、腕を組んで考え込む。
「どうしたいのか・・・・・か・・・・どう、したいんだろうな・・・・」
冷え込むエレベータの中、白い息を吐き出す。
響と・・・・彼女と始めて出会った日、刹那は何かを感じていた。
彼女が妹を奪いに来たのではないかという恐怖だけではない、何か。
黒衣の女。そう呼ばれる彼女の存在は今でも非現実的で、そしてどこか手の届かないものだった。
心理領域を知り、世界を見る目が変わっても、変わらないものもあるし、やっぱり変わってしまうものもある。
綺羅の頭に手を乗せ、くしゃくしゃと撫で回す。
「お前は、オレが思っている以上にしっかりしたやつだったよな」
「な、なに急に・・・・?でも、それは兄さんがいつでも居てくれると信じていられたからなんだよ?」
「・・・・・・・・」
そうだ。人が信じ行動する根拠は、いつだって他の誰か、どこかにある。
自分がここに来ることが出来たのも、自分がこうして行動できたのも、その根拠は別にあった。
だから走る。だから走り続けることが出来る。少しでも迷えば失速して墜落してしまうような綱渡りの世界を。
それは、自分だけではない。
刹那だけではない、誰もが、誰もが、いつ裏切られ消えてしまうかも判らない信頼と心のつながりの中、かすかな希望を夢見て走り続けている。
傷だらけになっても、もう走れないと思っても、生きている限りまた誰かを信じ、誰かに手を伸ばす。
それが痛みの原因であり、そして先に進むために力だと誰もが産まれ持って知っているから。
それを知らずに、誰かを信じ何かを預けるという事を知らずに、傷だらけで生きる人を知ってしまった。
血を流し、涙を流し、それでも闘わねばならないと、生きなければならないと、必死で叫んでいる人を知ってしまった。
そして自分は思った。彼女に何がしてやれるのだろうか、と・・・。
「オレは・・・・何も出来ない。何の力も無い。でも、それでも・・・・傍に居てやりたいんだ・・・響の」
その言葉にその場に居た誰もが応えず、しかし笑った。
「なんだよ刹那、お前今更そんな事言ってんのか?」
「空也・・・・?」
「お前は最初から、あいつのことが気になってしょうがなかったんじゃねえのかよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
目の前に鮮明に現れた幻想的な存在。
しかしそれもただの人間であり、むしろ自分なんかより余程繊細で傷つきやすいと知ったあの夜。
何も出来ない自分たちは、逃げることも向き合う事も出来なかった。だから怒った。何かを許せなかった。
それでも確かに繋がったと感じたあの日から、自分はとっくに気づいていたのかもしれない。
「そうだ・・・・・・・オレはきっと最初から・・・・あいつのことを守ってやりたかったんだ」
そう、少女はそれでも闘い続ける。そこに終わりなどないのだ。
天上での戦い。夕焼けを背景に二つの影は何度もぶつかり合い、激しく火花を散らす。
たとえ武器がなくとも、たとえ誰の声援もなくとも、少女の足が迷う事は無い。
全ては全ての結論の上に成り立っている。だから少女は迷わないし迷う必要もなかった。
けれどそれは孤独に身を引き裂かれるような舞い。だから少女はいつも悲しみを孕んでいた。
その瞳に蒼く晴れ渡る空や、鮮やかな夕焼けの朱を映しながら。
「それは誰かにお願いされたわけでもなければ、そう決まっていたわけでもない」
少年は強く拳を握り締める。
この小さすぎる手でつかめるものがまだあると、信じているから。
どんなに傷つけられても、どんなに強大な敵でも、響は諦めず戦う。
ルルイエの剣に何度吹き飛ばされ、切り刻まれようとも、鮮血を流し、しかしとめどなく溢れる想いを胸に。
膝を突いても、眩い景色の中、その太陽に負けない瞳の輝きで。
だからそれをきっと、守りたいと思うのは特別なことなんかじゃなかった。
それを知り、それを何とかしたいと、そう思うのならば・・・・それは遠回りすぎたくらいのこと。
「オレ自身が・・・・」 「私自身が・・・・」
「 そうしたいから、そうするんだ 」
「あいつのことが」 「この世界のことが」
「 好きだから 」
胸から湧き上がる鮮烈な想いをセーブすることなく迸らせる。
正義として持てる力の全て。大気を切り裂き、夕焼けすら飲み込むような黒白の波動。
響の全身から溢れ出るようなその波紋にルルイエは目を細め無言で刃を振るう。
何度も繰り返される攻防。華麗すぎるそれは二人だけの天上のステップのようでもある。
奇跡のような時間が続く。煌く汗も、流れる血も、全てが宙を舞い輝いて消えていく。
白い吐息。吐き出される苦悶の声。視界を覆う血の赤。虹のように輝く指先から迸る光。
ただ二人の輝きが弧を描き、その残像だけが高速で舞台を失踪していた。
少女も少年も目の前の敵を倒す事に何の迷いも無い。そのはずなのに。
「・・・・・・・・・ふふ」
交わす剣の一閃が、触れる直前で通り過ぎる目前の刃が。
宙を舞う上下左右の感覚すらなくなるような高速のステップが。
その一つ一つが、どこか心躍るようで。
「そう、私たちは闘うことでしか理解しあう事が出来ない生き物だから」
少女は踊る。空中で、光を背に輝きを迸らせて。
誰もが争い、しかしその中で語り、全てを分かち合う。
争う事でしか理解しあえないこともある。そして今が正にそのときだった。
少女も少年も、お互いに理も義も違えど、それはやはり譲れぬ信念を根本としているものだ。
ならばそれは受け入れる事も出来ないが否定する事も出来ない強固な意志。だからそれは愚かな戦いなどではない。
限りなくお互いを受け入れるために必要なプロセス。そこに在る全てが、背景が、何もかもが、鮮やかで充実している。
「素晴らしい・・・・素晴らしいよ、君は・・・・・本当に素晴らしい輝きだ」
ルルイエは嬉しそうに、無邪気な笑顔を浮かべた。それは今まで彼の表情にへばりついていた笑顔などではなく、心の底から嬉しくて浮かべる笑顔だった。
響はその笑顔にまた純粋な笑顔で応える。自らを戒めていた眼帯を手に取り、大きく空へ投げ出して。
「全力で来いーーーっ、ジャスティスッ!!!!」
少年の慟哭。笑顔のまま二人は小賢しく考える事をやめた。
真正面から互いの理論武装を激突させる。しかし限界を迎えていたそれは同時に粉々に砕け散った。
瞬間。
響の心理領域がその力を維持することが出来なくなったためだろう。
崩れ去るように消え去った灰色の空間、その向こうから風と共に真紅の輝きが増し、鮮やかすぎる景色が現れた。
ガラスの破片のように消えていく心理領域の壁。町に降り注ぐ幻想的な光の欠片たち。
それを背景に、二人は崩れた理論武装を手放し、さらに前へ。
もう二人を覆うものは何も無い。理論ではなく理屈ではなく、魂で、根性で、気合で、そんなどうしようもない、子供っぽくてみっともない、かっこよくもなければスマートでもない、下らない感情だけを武器にして。
「ジャスティーーーースッッ!!!」
「私はジャスティスじゃない・・・・そんなの関係なああああいっ!!!私は・・・・っ!!!」
高速で繰り出されたルルイエの拳をかいくぐる。
そう、少年はこの戦いにたどり着くまでに二人のナンバーズを相手にしていた。本人も気づかないうちに彼の中に蓄積していた疲労が、ここに来てスレスレの勝敗を左右したのだ。
響の血塗れの拳が、グローブをつけた黒い手が、思いっきりルルイエの顔面に直撃する。
激しい衝撃。その反動に震える拳を思い切りねじ伏せるように、大地に向かって突き降ろす。
「私は・・・・・秋風響だあぁぁあああーーーーーーーーーーーーーッッ!!」
姿勢も何もかも気にしない。全力で目の前の敵をぶっ倒す。
それだけのことだった。地面に叩きつけられたルルイエは血を吐き出し、笑う。
一瞥くれて響は両の拳を胸の前で突き合わせる。佐伯村雲を睨みつけて。
「どうだ・・・・倒してやったぞ・・・・佐伯村雲ッ!!!」
村雲に掴みかかろうと一歩歩みだし、少女は音を立てて倒れた。
ルルイエに勝利できたわけではない。少年はもう傷を修復し立ち上がろうとしていた。
一度の勝利では彼にとっては意味のないことだからだ。しかし少女は疲れきった身体に鞭を打ち、必死で立ち上がろうと腕に力を込める。
「無駄だよ響・・・君は本当に素晴らしい人間だった。それでも僕には敵わない」
「うるさいんだよ、あんたたちはいっつもいっつもそういう奇麗事ばかり並べてんじゃねえっ!!!」
血を吐き、それでも立ち上がる。余裕の笑みを浮かべ、拳を構えて見せる。
「誰がいつ諦めるって言った!?私はまだ生きている・・・・あんたが何度も復活する反則野郎だっていうなら、復活しなくなるまでぶっつぶすだけだ!」
「強がりはよせ。それ以上やったら君の命も失うことになるんだぞ」
「そんなの知ったことじゃないんですよ・・・・ルルイエ君ならもうわかるでしょ?」
そんなことは言われなくても勿論判っていた。
そんなことで、『その程度のこと』で、歩みを止められるわけがないと。
そうしてフラフラのまま、血を流しそれでも笑う少女から目をそむけるしかなかった。
正に響はルルイエが出来なかったことをしようとしていたからだ。
思わず背後に下がるルルイエの左右から、同じ姿をした奇妙な吟示たちがわらわらと集まり、響に向かっていく。
「村雲・・・・!?」
「何を考えているのかは知らんが、そいつはもう用済みだ。それどころか生かしておいたら間違いなく俺たちの障害になる・・・情けをかけるなど正気の沙汰ではないぞ」
量産型が響に襲い掛かる。次から次へと塔の外壁をよじ登ってくるそれを相手にしながら響は下がって行く。
今の傷ついた身体ではハイブリッドを相手にするのも一苦労であり、次から次へと沸いてくるのだからなおさらだった。
その姿から目を逸らすように俯いたルルイエは裂けた口元の血を上着の袖で拭い、黙り込む。
こんな形の結末ではなく、出来ればこの少女とはもっとちゃんと本気でやりあいたかった・・・。
必死でハイブリッドを避けていた響だったが、やがて腕に噛み付かれるのを皮切りに一斉に攻撃が集中する。
いくら響と言えどもこれは耐え切れるはずが無い・・・絶望的な瞬間、それでも響はその目から輝きを失わなかった。
直後、大地を引き裂き現れた巨大な腕が吟示を叩き潰し、引きちぎり、強引に介入すると周囲の吟示を弾き飛ばしていく。
白い煙と共に現れた一匹の兎。月影劇場は響を守るように腕を突き出し、響を制止する。
「一人でまた無茶して・・・・暴走した時みたいにまた仲間に迷惑かけるのね」
「・・・・・・・・・綺羅ちゃん・・・」
振り返れば声と共に開くエレベータ。そこには仲間たちの笑顔があった。
駆け出す空也と万里。二人は集まってくる吟示を破壊しながら響の前に立つ。
それに遅れる形でゆっくりと、刹那が響の前に立った。
「一人で全て何とかしようと思ってんじゃねえよ」
「・・・・・・・・・うん・・・・ごめんね」
「オレたちは仲間だろ?何のために一緒に居ると思ってるんだ」
るるるが展開する無限音階に腰掛けたまま、綺羅が言う。
「勝手に死なれたら困るの。だから、少しは綺羅たちを頼りなさい」
「俺もるるるも、響には死んで欲しくねえんだよ!」
「わたしたちは繋がってるんす。心のどこかで・・・だからそれを信じて下さい」
誰もが言う。誰もが告げる。だから響は目を細め、瞳に涙を湛えたまま頷いた。
「うん・・・・・・・うん、そうだよね・・・・ばかでごめんね」
「ああ、馬鹿だ。お前は馬鹿だ。だから、オレがお前の全てになってやる」
「・・・・へ?」
呆ける響を無視して刹那は至って真剣に、その手を差し伸べた。
「オレはお前の事が好きだ。だからお前もオレの事を好きになれ」
「・・・・・・・・・・・・・えぇ〜!?何いってんのこの人〜・・・!?」
顔を真っ赤にさせながら両手をぶんぶん振り回す響の背後で空也が吟示の群れに押しつぶされそうになっている。
彼が怪我をしていてボロボロだということを誰もが忘れていた。万里以外。
「オレはお前の全てを否定しない。お前と一緒に歩み続ける。お前が自分を信じられなくても、オレがそれを支えてやる。お前が帰るべき場所はお前の中にある。オレがお前を信じてる。だから、お前はオレを信じてくれ。お前が呼んでくれれば、オレはいつでもそこにいるから」
差し伸べられた手。その手を取ることを躊躇っていた。
長い間、誰かとそうすることを忘れていた。いや、知らなかったのかもしれない。
あの時、ジャスティスが手を差し伸べてくれたように。自分を信じていると、自分を信じろと言ってくれたように。
震える手を刹那の手に重ねれば、それは想像以上に暖かく胸に染み渡る。
刹那の微笑みが力をくれる。馬鹿みたいに赤くなっている顔も、今は心地よい。
心臓の鼓動。触れ合う感触。自分が信じるもの。自分を信じてくれているもの。
守りたいものはいつもすぐ近くにあった。守りたいと願うほど指から零れ落ちていった。
でもそれは、それを守ると、守りたいと、強く願う気持ちが足りなかったからだ。
少女は少年の手を取り、笑顔を浮かべる。それは少年が見た彼女の笑顔の中でもとびっきりのものだった。
手と手を、両手を重ね、そして想いを通わせる。
「やっとわかったんだ。オレに出来ること。オレはやっぱり戦えない。オレは誰かが望んでくれないと戦えない」
そう、誰かのために。自らのためにではなく誰かのためにと戦ってきた。
そこに迷ういも矛盾もなかった。少年にとってそれは当たり前すぎる事実だったから。
少女にとって『誰かのためではなく自分のために』という言葉が答えであるように、少年にとってはその正反対の言葉が該当したというだけのこと。
つまりこの二人は似ているようでその本質は全く逆であった事を示している。
しかし自分と同じ人間なんて居ない。自分と同じ価値観を持つ人間と一緒にいても、心は磨かれない。
正反対だからこそ惹かれあい、正反対だからこそ憧れた。そう、三年前のジャスティスのように。
だからきっと、求め合うことが力になると知っているから。
「オレを呼んでくれ響。オレはお前の剣になるから・・・・・だから一緒に行こう、響」
「うん・・・・・うんっ!一緒に行こう!みんなで一緒に!」
触れた指先から輝きがあふれ出す。それは光を天に向かい放つ矢のように、この星の遥か頭上、果てしない天の向こうまで上っていく。
雲を散らし、突きぬけ、空の景色すら両断するような輝きの中、二人は手を取り合い、目を閉じ呟く。
輝きの中、ただお互いの存在を感じ、お互いの存在を信じ、一つの事を願う。
「GiveMeMySword」
歌うように、声をそろえて。
「HeartAndMind」
互いの心を感じながら。
「WithRaptAttention」
約束の言葉を口ずさむ。
「Let'sDance」
眩い光の嵐の中、少年の身体は光に溶けていく。
輝きの中、響が天に手を伸ばすと、そこには光が装甲を形成していく。
そう、それはエレキトリック・ギター。
黒く輝く、しかし色鮮やかに、彼女の色で。
手に取るその感覚。ずっしりと重い、人一人の心の重さ。
少女は息を吸いこみ、そして静かに告げる。
手の中に居る、心を許した人と共に。
「 歌は好きですか? 」
くるりと回転させたそれを構え、目を閉じる。
「 私の 」 『 オレの 』
「『 存在の全てを賭けて 』」
音が鳴り響く。
それは誰かが誰かに想いを伝えるために生み出された繋がるための道しるべ。
武器としては三流。そもそもそれは武器ですらない。
しかしそんなことは関係ない。なぜなら誰かに想いを伝えたいという夢見る気持ちが溢れているのだから。
その名は存在。
秋風響の理論武装でもない。
結城刹那の理論武装でもない。
二人でなければ作り出せなかった一つの答え。
一歩、前に歩みを進め。
そして呟いた。
「『 ぶっ壊してやる、何もかも 』」
燃え盛る夕日の中、それは静かに鼓動を始めた。
あーなんか30話行きそうですけど、なんかもうね、もうね・・・・なんかもうね、長く続きすぎ。本当にすいません。本当にすいません。はーどすこい。つかれた。