Would you call me if you need my love(3)
「人はどうして争いをやめられないんだと思う?」
「優しさが足りないから?」
「違うよ。みんな我侭にならないから」
⇒Would you call me if you need my love(3)
刹那は走っていた。長く続く地下の通路を。
シュズヴェリイとルルイエの戦いは互角に見えた。それにあそこにいても出来る事などなにもないからだ。
結局自分に出来ることはなにもない。そんなことはもう嫌と言うほどわかっている。
では走ってどうしようというのか?矛盾した心理を抱えながら通路を行く。
「待ちなさい刹那。どこに行くつもり?」
「劉生・・・・」
立ちふさがった劉生は腕をくんだままきつい目つきで少年をにらみつける。
「あなたが行った所で出来る事は本当にないわ。それより今は一刻も早くここから抜け出してみんなを安心させてあげることが大事なんじゃないかしら」
「上で何が起きてるんだ・・・・教えてくれ劉生、ここはどうなるんだ?」
「上には軍隊が出張って来ててここはもうじき無かったことになる・・・ううん、非公式な組織だもの、ほとんど誰も知らない・・・所属している私たち以外はね」
「オレたちも消してしまえばその存在は抹消される、か・・・でもそんなことをして誰にどんな得がある?」
「あなたが考えたところでたどり着ける答えではないわ。この世界は貴方が知らない様々な理屈で成り立っているのよ」
二人はお互いに押し黙り視線を交わす。
どちらとも無く歩み寄り、正面に互いを見据える。
「そうかもしれないな・・・・オレには世界なんて関係ない・・・・ただオレはオレのやりたいことを貫くだけだ」
「あなたのやりたいことなんて世界には関係ないわ。何の慈悲もなくゴミくずのように殺されるのが現実よ」
「オレは死なない」
「いいえ、殺されるわ」
「死なない・・・・・・こんなところで死ぬなんてありえない・・・・オレは・・・・・・・・」
強く拳を握り締める。
今、行かなくてはならない。世界が終わろうとそれは関係ない。
敵というのなら倒すまでだ。許せないのならば殴るまでだ。大事ならば守るまでだ。
顔を上げる。少年の心はようやく固まり始めていた。今この時、危機と非現実の嵐の中で。
劉生もそれを理解していた。だからこそ行かせたくない。どんなに彼が決意しようと、現実は捻じ曲げられることではないからだ。
「もう少しだけ待ちなさい・・・・アリスが増援を呼んでくるはずだからそうすれば助かる可能性がグンとあがるのよ」
「・・・・・・・・・・・・・ありがとう、劉生・・・・・・・・でも、オレ・・・・・・・・」
自らの掌を見つめる。何かを掴むには小さくて、あまりに短い。それが命ならば尚更だ。
それでも無いわけじゃない。何かを掴むことが出来ないのなら腕で体で抱えればいい。
届かないというのであれば届くまで両足で走っていけばいい。
命を守るのが難儀ならば、己の命を賭ければいい。
少年はいつでもそうやって生きてきたのだから。
「オレ、行くよ」
「妹さんのため?」
「それもある」
「響のため?」
「そうかもしれない・・・でも」
自らの手をじっと見つめる。
誰かのため・・・そういう『理由』もあるのだろう。
しかしそれは少年にとって全てで無ければ大きな割合を占める理由でもない。
彼はいつでも自分に正直だった。我侭だった。ならばやはり、そんな口実など所詮人事。
それは酷く単純なことだ。自らが明日、そしていつか訪れる遠い未来、そこで笑っていることが出来るかどうか。
結局それはただの我侭だ。そんなことは誰から見ても明白。そしてその愚かしさを時に笑うだろう。
それはかつて過ちを繰り返してきた人間ならば尚の事。己の失敗、過去を重ね、まだ見ぬ道を選ぼうとする者を見る目を曇らせる。
確かに愚行だった。確かに無謀だった。確かに若かった。しかしそれでも、ならばこそ、今だから。
「オレは自分の為に行く。失敗しないために、せめて今を後悔しないために」
ただ、真っ直ぐに見つめるしかない。
それ以外に刹那は今、その想いを伝える術を知らないから。
真剣に、真摯に。今胸の中にある思い全てを劉生に向ける。
だからそこに言葉も返事も何も要らなかった。全ては無粋であり、今の彼にとって陳腐な言葉でしかない。
それは劉生もわかっている。わかっているからこそ呆れ、しかし同時にその背中を見送る決心がつく。
「絶対に死なないようにね」
「・・・・・・・・劉生、あんたはどうするんだ?ここに居ても時間の問題だぞ」
「アリスを待つわ。そしたらあたしも脱出の手段を探すわ・・・・でも、今はあの子を置いては行けないから」
「・・・・・・シュズヴェリイ、か・・・・?何者なんだ、あいつは」
「さて、何者でしょうね?この戦いが終わって再会出来たら教えてあげてもいいわ。ただし、どんなことになってもこっちは承知しないけどね」
「考えておくよ」
「待ちなさい!こんなの、気休めにしかならないけれど・・・・」
理論武装を構築し、巨大な扇で風を起こす。
その風一つ一つが穏やかに、しかし近寄るものは弾き飛ばす暴風となり刹那の周囲を覆っていく。
やがて不可視になったそれはしかし効力を失わず、彼の周囲の理論に溶け込んで行った。
「お守りよ」
「ありがとう・・・・行ってくる」
走り去っていく背中を見送りながら劉生は深くため息を付いた。
こうして見送るばかりで続く者を諌め、続いてきたものを守る立場になったということは、歳を取ったという事かも知れない。
ならばそれはそれ。歳を取ったのならば、若さを失ったのならば、得たもので勝負すればいいだけのこと。
「あなたたちの役割、きちんと果たしなさい」
組織の内部はどこもかしこも大乱戦。地獄のような景色が続いていた。
組織の構成員の殆どは戦闘訓練を受けていない素人である事を考えれば、これはただの虐殺だったのかもしれない。
絶望的な状況に多くの者が諦めを胸に散り、容赦なく銃声が響いていた。
余りにも唐突。誰かが悪事を働いたというわけでもない。ただそれが予定調和のように、当然のように、実行される。
そんな景色。それを目にする響にとって、それは始めてみるリアルな人間の死そのものだった。
今までの戦いでは死者を目撃してこなかった。それは奇跡のような不安定な確立の上に成立していた幻覚のようなものなのだと嫌でも気づかされる。込みあがってくる吐き気は怒りからか、それとも見慣れぬ死体のグロテスクな散り様からなのか。
どちらにせよ今この目の前の状況を受け入れようとする度、少女の体はがくがくと震えていた。
背負った伊織の体の熱はどんどん冷えていく。人の命が消えていく様を背中越しに感じ、そして視界いっぱいに感じなければならない。
「どうして・・・・・・・・・・・」
ついほんの数時間前まで、ここはいつもの場所だった。
最初は見慣れなかった。冷たく硬い通路の壁は昔からどこか寂しく、孤独感を与えるものだった。
組織が嫌いだった。全てを失った時に見た景色。だから思いでも全て涙色。
そのはずなのにどうしてだろう?気づけばこの景色も、そこにいた人たちも、愛しいものに変わっていたのに。
どうして、という思い。ゆるせない、という思い。認めたくない、という衝動。あらゆる感情がごちゃ混ぜになり、しかしそれでも何故か彼女自身の思考は嫌にクリアだった。
悲しみや苦しみになれた証拠なのかもしれない。大人になるということなのかもしれない。何はともあれ彼女は目の前の状況を納得出来ずともそれを表層に出す事はなかった。
静かに、諦めが包み込む空間を歩みだす。どこまで行っても続く地獄のような景色の中、今にも消えそうな背中越しの感覚だけが彼女を正気に保っていた。
まだ救えるものがある限り逃げ出さない。向かい合う。戦える。そう誓った。仲間のために。自分のために。
「諦めてたまるもんか・・・・!」
涙は流さない。叫び声はあげない。それは後に取っておく。
今までの自分と決別するために。これからの自分を愛するために。
「邪魔だあああああああーーーーーーーッ!!!」
近づいてくる無数の吟示。しかしそれは彼女の障害には程遠い。
多くの命を奪ったそれら殺人兵器の群れも、正義を背負う少女には遠く及ばない。出るだけ無駄、次から次へと素手で破壊されていく。
圧倒的なのはわかりきっていたことだ。そう、元々彼女を止められる存在などこの世にごく僅かしか存在しない。
たとえ蒼ノ詩を失ったとしても、彼女自身が強力な所有者である事実にはなんの変化もない。
心の揺らぎ、不安定さ、自らへの自虐的な感情、トラウマ。そしてそれを乗り越えようとする強い意志との間をグラグラと揺れ続ける彼女の心、それは理論武装を構築する上で最も必要なパーツだと言える。
彼女自身の強さは先天的なものでもなんでもない。才能があったといえばあったのだろう。ただそれは彼女が自らに降ってかかった境遇に対しどんな感情を抱いたかと言う原因にすぎない。
彼女は自らの力で自らの自由と未来を閉ざした。大切な人を救いたいと、しかし救えないという相反する二つの真実の狭間の中、常に問答を繰り返してきた。
その究極的なまでのネガティブさと間の抜けたポジティブさ、それこそが彼女の強さの源だった。
だから秋風響は強い。それ故の最強。前世代最強と謳われたディーンやベルヴェールをも越えるほどに。
響の全身を止められるものは存在しなかった。吟示も、所有者も関係ない。ただ彼女の歩みに対し全てが無力だった。
「ば、化物か・・・・・!?」
銃火器を構える兵士たち。それに対し響きは自らの掌を翳す。
目には見えない絶対的な防衛線。彼女が自らの周囲に展開した極端な心理領域は鉛の弾丸を通さない。
それが多少の心理領域への効果を持っていたところで意味などない。頑丈さの桁が違うのだから。
そんなこともわからない兵士たちは次から次へと爆薬や弾薬をばら撒いていく。
全てを片手で無力化し、それで軽く宙を凪ぐ。次の瞬間には兵士たちは全員地に伏していた。
武器と呼べる武器全てに十字架が突き刺さっている。つい先ほどの瞬間まで存在しなかったそれはただ武器だけを一撃で正確に破壊していた。
発動短縮。常人には何が起きたのかすら理解出来なかっただろう。誰もが唖然としていた。
「どいてください・・・・あと、出来ればもう帰って・・・・もう、私を攻撃しないで・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
脅しではなくお願いだった。
兵士たちは誰も身動きできないまま、少女を見送っていた。
あっという間に医務室までたどり着いた響が見たのは、その部屋の前で待機する吟示の姿だった。
嫌な予感・・・いや、それは確信だった。色濃く脳裏に過ぎる最悪の景色。片足を大きく天に振り上げ、迫る吟示の脳天に踵を叩き込む。
爆発音のような派手な音が大気を振動させ、吟示は文字通り木っ端微塵になった。無言で扉を開く。
「・・・・・・・・・・・・・・・ひどい」
医務室の中には最後まで抵抗した人々の死体が転がっていた。
吟示相手にはどんなに立てこもって抵抗したところでそれは自ら追い詰められただけに過ぎない。しかしそんなことは彼らはわからない。『関係なかった』のだ。前線にも、吟示の特性にも。
彼らは、職員は皆吟示の被害者かその関係者だ。だからこそ戦えなくても所有者を必死で支えてきた。
口を利くこともなかった。むしろそれを恐れていたのかもしれない。今更になって響は後悔する。
「どうして・・・・・もっと仲良く出来なかったのかな・・・・・っ」
背後の扉から迫る吟示。扉そのものを大量の十字架で封鎖するとベッドに伊織を降ろした。
「伊織ちゃん・・・・伊織ちゃん!」
血に染まった頬、髪を避けながらそっと触れる。
伊織は小さく胸を上下させながら静かに目を開いた。虚ろな瞳で、しかし響をきちんと見つめ、小さく微笑む。
「・・・・・・・・・・・私・・・・・寝てたの・・・?ごめんね・・・・大事な時に」
「伊織ちゃん、私・・・私どうしたらいいの?教えて・・・・どうしたら伊織ちゃんを助けられるの!?」
本人に聞いたところで仕方の無いことかもしれない。
しかしリーダーでありこの施設に自分よりよほど詳しい伊織を、親友の伊織を、頼らずには居られなかった。
手を取り、必死で問いかける響の頬に手を寄せ、悲しげに微笑む。
「いいの・・・・もう・・・・・・・・・わかるでしょ?響、なら・・・・」
「わかんないよ・・・・わかんないよっ!!!大丈夫だから!だって何でもありなんだよ!?空も飛べるし、ねえ・・・・理論武装は・・・・想いは・・・・何でもひっくり返せるんだよ・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・私たち、は・・・・甘かったのかもしれない・・・・」
「え・・・・?」
「戦えば・・・・・死ぬことだってある・・・・傷ついて・・・戻らない傷だってつく・・・それくらいのこと・・・わかってたつもりだった・・・リーダーだから・・・・それを見ても大丈夫なようにって・・・・・・・・・・・・納得していたつもりだったでもちがった私は・・・・私はやっぱり・・・・・」
涙を目に溜めながら必死で気丈に振舞う響を見つめる。
その姿が愛しく、そしてそれを今以上に悲しませてしまう事が心苦しかった。
伊織は自分が死んでしまうことはとっくに受け入れていた。心残りはなにもない、今出来る事はやったし、こうなることを想定して打てる手は打ってきた。
だからこれが最後の心残りだろう。この優しすぎる、繊細すぎる親友はきっとまた大きな傷を作ってしまう。
その痛みを与えてしまうこと・・・・・・それは確かに、大きすぎる心残りだろう。
「戦いを・・・・終わらせよう・・・・響・・・・・・・・・もう・・・同じ事を繰り返さないように・・・」
「うん・・・うん!一緒に終わらせよう!一緒に終わらせようよ!!」
事実を受け入れるのを拒むように何度も子供のように首を横に振った。
響に出来るそれが精一杯の抵抗であり我侭だった。ただひたすら目の前の死を受け入れたくない。
哀れな姿に伊織からかけられる言葉は余りに少ない。胸が痛むのは傷のせいだけではないだろう。
しかしそれでも告げなくては。せめてリーダーとして、友として。
「私の部屋に・・・・・私が今まで調べた全てがあります・・・・命令です、秋風響・・・・・それを回収し、直ちにこの場を脱出し生き残った者と共に逃げなさい」
「そんな・・・・・・・・・やだよ・・・・やだよおっ!!やだやだやだやだ、やだああああああああああっ!!」
「聞いて響・・・・」
「いやあっ!!!」
「聞きなさいっ、ジャスティスッッ!!!」
互いに言葉を失った。自分たちですらその言葉に驚いていたから。
微笑を湛えながら伊織は言う。
「お願い・・・・・・・・・今までしてきたことを、無駄にしたくないの」
「でも・・・・でもお・・・っ」
「お願い響・・・・・ね・・・・・?お願いだから・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ずるいよ・・・・・・・・」
伊織の手を握り締める。強く強く、それは伊織も、そして響自身も痛みを感じるほどの強さ。
きつく、離したくないと。きつく、傷つけたいと。傷つけられたいと。爪は食い込み少女の手を離さない。
「どうしてみんな、そうなの・・・・そんなカッコつけないでよ・・・・カッコつけて死なれたってこっちは迷惑なの!!割り切れないよ、そんなのっ!!!!納得出来ないよおっ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
「あっ・・・・謝って済む問題じゃないでしょ・・・・・・・・・・・・・」
「そうね・・・・でもね響、私だって死ぬのは・・・・・・・怖いわ。すごく・・・・・・・・すごく怖い。だからカッコつけてでもいないと・・・・どうにかなっちゃいそうなの」
「・・・・・どうにかなればいいよ・・・・つらいならつらいって言ってよ・・・言ってくれなきゃ、わかんないよお!」
流れる血も、傷の痛みも溶け合っていく。強く抱き合い、お互いの暖かさを感じていた。
「なんで黙ってるの!?もっと私を信じてよ!もっともっと、沢山沢山信じてよ!!いっぱいお話してよっ!!!なんでみんな勝手に納得して死んじゃうの!?私だって伊織ちゃんのこと助けてあげたかったよ!!助けてあげたかったんだよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
「だからっ・・・・謝って済む問題じゃ・・・・ないよう・・・」
伊織の体は冷たかった。それは本人が一番感じていることだった。
恐らくもう流れるものもないのだろうと思った。だからこそ、響の温もりがダイレクトに伝わってひどく心地よい。
ああ、こんなことならばもっと長い間抱き合っていたいと心底願った。胸の痛みも、彼女の温もりが上書きしてくれる。
全ての痛みや苦しみがどこかに消え去ってしまった。いや、既に感覚がないのかもしれない。だがそれでもいい。誰かとかかわり、そして向かい合うということはこんなにも心地よいのだから。
抱き合うことで汚してしまう彼女の服、肌、髪。自らの血を流しその痕跡を残す事すら今はぬるく暖かい。
恐怖はある。戸惑いはない。心残りはある、後悔はない。
だからこそ笑える。精一杯笑う。響の心に少しでも闇を作ってしまわないように。
本当はもっと伝えたい事が沢山あった。もっともっと一緒に居たかった。けれど物語はいつでも唐突だ。
誰が何を保障してくれるというのか。明日は永遠には続かない。いつかぱったりと日常は途切れてしまう。
ああ、だからこそもっともっと一分一秒を真剣に生きるべきだった。いや、生きてきた。けれど人と向き合うことはやはり避けてきたのだと思う。
元より苦手だった。伊織という少女の本質だった。だから仕方のないことだし、けれど少女はいつかくる日々の中少しずつ変わっていければいいと希望を抱いていた。
しかしいつかなんてものはこない。そう知っていたのなら、いや、本当に理解していたのであれば・・・・。
「もっとあなたと・・・・・お話したのに」
「やだよう・・・・やだようう・・・・・伊織ちゃん・・・やだ・・・やだやだやだ・・・やだあ・・・」
強く抱きしめ、その胸に何度も頬を摺り寄せる。それは抱き合うというよりはすがり付いているようだった。
その髪を優しく撫でながら伊織は笑う。
「前に進んで、響・・・・・・私の心は・・・・・・・・・あなたにあげるから」
手を取り合う。きつく、爪が食い込むほどきつく握り締められた手と手から力があふれていく。
それは思いだった。理論武装でも心理領域でもなく、ただの想い。具現化し実体化した想いの粒子、残像がカタチを生み出すのだとしたら、そのカタチになる前・・・なんのトラウマにも制限されない純粋な想いだった。
心そのものを自らの手で響へ手渡していく。
「なに・・・これ・・・・・・・何か・・・流れ込んでくる・・・」
「・・・・やってみるものね・・・・・感じる?それが私の心よ」
「暖かくて・・・・・柔らかくて・・・どろっとしてて・・・でも気持ちいい・・・・これが心?」
「あなたの為に紡いだ想いよ・・・すごく小さな心理領域だけど・・・その法則の中では何もかもが可能になる。だから・・・・あなたに想いを託します」
「すごく近くに伊織ちゃんを感じる・・・・私たち本当は・・・・」
「ええ・・・・お互いに想いあっていたのね・・・・自分たちが思っていた以上に」
見詰め合う。互いの潤んだ瞳が笑顔で歪んだ時、涙は雫となって頬を伝い落ちた。
伊織の手から力が抜けていく。理論武装を、心を譲り渡した以上、彼女という存在は酷く希薄になる。
残りの命が少ない身でそのようなことになれば結果は見えている。それは伊織自身も当然。
だから霞んでいく視界の中でも、安心して笑うことが出来る。
言いたいことは山ほどある。しかし自分の努力はカタチにして残した。
そして想いは、ここに託したのだから。
「ごめんなさい・・・・ううん、違う・・・」
せめて最後はトモダチらしく。
「ありがとう、響・・・・・・・」
開いたままの瞳が静かに色を失って。
握り締めた掌から完全に力が抜け落ちた時、響は歯を食いしばりその亡骸を抱きしめた。
大切な親友だった。失いたくなかった。失うなんて思っても見なかった。
それが今、消えてしまった。
思いはここにある。
「・・・・・・・・・・・・終わらせよう・・・・一緒に」
悲しむだけが全てじゃない。
分かり合える喜びと別れていく苦痛を胸に、それを全てひっくるめて幸せと呼ぼう。
思いは胸にある。彼女の思いも自分の思いも全てはそこにある。だから・・・・。
「ゴメンね・・・・・・ううん・・・・・・・・・ありがとう」
振り返る。涙は拭って。出来る限り、空元気でもいい、笑顔を浮かべて。
深呼吸をして一歩前に踏み出せば、世界は今までと色を変え姿を変える。
少女はまた一つ強くなる。子供であるということはそういうことだ。失敗別れ痛み後悔を重ね強くなる。
「一緒に行くよ、伊織」
そこには悲劇に浸る表情はなかった。
むしろ、雲ひとつ無く晴れ渡る快晴の空のような清清しさ。
今出来る事を、一分一秒を無駄にしない。
扉を破壊し外に飛び出す。迎え撃つのは無数の吟示。少女はただ微笑み、手を翳す。
「理論武装・・・・・・・発動」
眩く輝く光の渦。
金色の髪を靡かせながら、少女は戦場に踊りでた。
少女が一人、戦いを始める頃。
「うーん・・・・・・いて・・・いててててっ!?なんじゃこりゃあ!?」
少年は全身を貫く激痛に思わず悲鳴を上げた。悲鳴を上げた、などという表現で何とかなる傷ではなかったが。
薄ぼんやりとする瞳を開くとそこには見覚えのある人物の姿があった。
色あせたロングコートに身を包んだ煙草を咥えた男。大型拳銃を片手に男は通路の角から顔を出し、様子を伺っていた。
少年が目を覚ました奇声に気づいた男は振り返り、ため息をついて苦笑する。
「よう・・・・久しぶりに会ったと思ったらいきなり死に掛けててこっちは困ったぞ」
「お・・・・おっさん!?なんであんたがここに・・・・」
万里双樹。それはこの基地にはいないはずの男の名前だった。
かつて空也が行動を共にし、そして彼らが一人前として認められた時別れたはずの男。
今ではイゾルデの側近として行動していたはずの彼が何故ここにいるのか。空也は目を丸くして首を傾げる。
「・・・つか、俺もしかして生きてる?」
「もしかしなくても生きてるぞ・・・・しかし随分無茶をやらかしたな。腕っ節はまともになったのかもしれんが、やってることは相変わらずガキだな」
「・・・・・・・本物のおっさんじゃねえか・・・・ばあさんの護衛はどうしたんだよ?つーか、めちゃくちゃタイミングいいな・・・」
「タイミングも何も、ピンチだと聞きつけて現れたんだからな。まあその方法とかはともかく、こっちも色々と忙しいんだ。人手はいくらあっても足りんくらいにな」
「詳しい事はあとでいいや・・・・それよりるるるは?俺と一緒に居たはずなんだけど・・・・」
傷の痛みを堪え立ち上がろうとするが激しい痛みに意識がどこかへ飛んでしまいそうになる。
息を荒らげながら通路の壁にもたれかかっていると万里は空也の頭を小突いた。
「そんな状態で戦う馬鹿がいるか。そんなんで死なれたらこっちのほうが困るだろうが、阿呆」
「でも、るるるは・・・・?」
「お嬢ちゃんはなんだか知らんが奥に向かったぞ。知り合いでも助けに行ったんじゃねえのか?」
「はあ!?あいつだって怪我してんだろ!!何やってんだよおっさん、一人でいかせるやつがあるかっ!!」
「お前に比べればはるかに軽傷だろう・・・とにかく何とか歩けるか?ここから脱出して体勢を立て直すぞ」
「でも、るるるが・・・・あいつ、戦闘能力なんかないんだぞ・・・・?どうするんだよ・・・」
「俺もそう言ったが聞かなかったからな・・・・まあ敵も浅い階層にはもう少ないだろうから問題ないだろう。連中の狙いは深層だからな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
納得はいかなかった。しかしあっさりやられてしまった自分が悪いのであってるるるを責められるはずもない。
そして実際に今は戦うことなど出来そうにもなかった。それは空也自身が一番よくわかっている。
だから仕方なく立ち上がると万里の肩を借りて歩き始めた。
そして一方、少女は走っていた。万里の推測通り、上層には量産型の姿も無く、戦闘能力のないるるるでも移動には困らなかった。
しかしあろうことか少女は下層に向かって階段を駆け下りていた。敵が大量に待ち受けているということはわかりきっているのに、である。
そこまでして彼女が下層へ進む理由。それを辿るために少女は辛うじて理論武装を展開していた。
無限音階が導き出す一つの反応を頼りに。
それに勝算がないわけではなかった。全くの無謀というわけではない。だから少女は右へ左へ張り巡らされた通路を駆ける。
敵を避け、通れない場所を避け、傷の痛みに耐えながら息を切らして走った。
「はあ・・・・はあ・・・・はあ・・・・っ」
むしろ最下層には劉生をはじめとするナンバーズが待機していると考えれば、それほど無謀というわけでもない。
上方からはいつ敵がきてもおかしくないのだから、ルート選択さえ間違えなければ戦闘は避けられる。
通路の角から様子を伺う。ハイブリッドがうろついている通路。しかしその奥に進まねばならない。
「こんなことなら戦闘訓練くらい受けておくんだったっす・・・」
「響ー!綺羅ー!どこだー!」
「ぶーっ!?」
盛大に噴出してしまった。馬鹿な少年が一人、ハイブリッドの群れの傍を大声を出しながら走っていったのだ。
当然それにわらわらとついていくハイブリッドたち。そして追われているのは顔見知りである。
「あああああああ!何故そんな無謀な事を・・・・・死にたいんすか、刹那さん!?」
「るるる!丁度よかった、このあたりで綺羅と響を見かけなかったか!?」
「いやいやいやいや、うしろうしろうしろ」
真顔のまま振り返った刹那。その背後には無数のハイブリッドが。
無言で全力疾走し始めた刹那に巻き込まれる形でるるるも逃げる羽目になってしまった。
「ひゃああああ!!なんでこういうことするんすか!?前前から馬鹿じゃないかとは思ってたけど本当に馬鹿だったんすね!!!」
「いや・・・・・そこまで気が回らなくて・・・・・ご、ごめん・・・」
少年は立ち止まり、反転し鋭く踏み込むとハイブリッドの頭部に蹴りを繰り出した。
しかし腐っても吟示であるハイブリッドに物理攻撃は通用しない。奇妙な蹴りの反動に舌打ちしながら刹那は跳び下がった。
「やっぱりだめか・・・・こいつらも吟示なんだな」
「そりゃそうっすよ・・・・いくら刹那さんの運動能力が高くても独自の理論の前には無意味っす」
「だよなあ・・・くそ、参ったな・・・・」
何も考えずに行動したらしい刹那に呆れながらるるるは後ずさりする。
刹那は何故かファイティングポーズを取り吟示と向き合っている。その景色が理解できず少女は首を傾げる。
「いや・・・無駄っすよ?」
「無駄かどうかはやってみなきゃわからないだろう」
「いやさっきやってみたじゃないっすか」
「どっちみち行き止まりだぞ」
「いやあああああっ!!!」
背後を見てあらびっくり。いつの間にか追い詰められていたらしい事実に気づき絶叫する。
慌てふためくるるると無謀にも立ち向かおうとする刹那という奇妙なコンビ、その窮地を救ったのは上層から天井をぶち抜いて落下してきた兎だった。
月影劇場。落下と同時にハイブリッドを踏み潰し、引きちぎったハイブリッドの腕を武器に周囲の敵を掃討していく。
巨大な足で壁に吟示を叩きつけ、その肉体をめり込ませながら兎は無機質な目で刹那を捉える。
「兄さん!無事だったのね!」
天井にあいた穴を見上げると妹が手を振っていた。
一度穴から上のフロアに戻ったアレキサンドリアが肩に綺羅を乗せて舞い降りてくる。
「綺羅!まあ無事だろうとは思ってたが本当に無傷とはな」
「よくここの場所がわかったっすね〜・・・探査系の能力でもあるんすか?」
「ないわよ?でもこっちから兄さんのにおいがした気がするから〜」
それはどうだろう、と思いながらるるるは苦笑する。しかしもう何かつっこむ気力も失せていた。
気を取り直し合流した三人は道端で顔を突き合わせる。
「それで綺羅、早く脱出するんだ」
「嫌だよ・・・・だって兄さん脱出する気ないでしょ」
「ああ・・・・響がまだ見つかってないからな」
その答えが不服なのか、ほっぺたを膨らませて抗議する妹。しかしそんなことに兄は気づいていない。
「兄さんだってココに来るまでにみたでしょ?もう一般人がうろうろしてて安全な場所じゃないんだから・・・・むぐー!」
言葉を中断する刹那の指。首を横に振り、少年は目を細める。
「もうそんなのは聞き飽きた。だがオレは行くし、いくら綺羅の言う事でも聞くことは出来ないし譲る事も出来ない」
言いたかったことを全て先に否定されてしまった綺羅は全身をわなわなと震わせたが、やがて諦めたのか盛大にため息をついて兄を睨んだ。
「・・・・まあ、こうなったらてこでも動かないのが兄さん・・・それは綺羅が一番よくわかってるし・・・だったら綺羅も最後まで付き合うわ。それが最大の譲歩よ」
「・・・・・・・・・・危険だぞ?」
「兄さん一人より余程安全だと思うけど」
「そうか・・・・すまん、頼るぞ」
流石に兄妹だけあり、二人の会話は早々にまとまりをみせた。しかしるるるは何かを考えるように腕を組んだまま明後日の方向を眺めている。
「るるる?響の反応はわかるか?」
「へ?あ、はい・・・・ここより上層、伊織さんの執務室に向かっているようですけど・・・・」
「そうか・・・・だったらるるるも一緒に・・・・」
「いえ、わたしはこのまま下層に向かうっす。どうかお構いなく」
早々に歩き出するるるの手を取り、刹那が首を傾げる。
「どうした?何をそんなに焦っているんだ」
「・・・・・・・・・・」
目を伏せ黙り込むるるる。しかし次の瞬間二人はアレキサンドリアの影に覆われていた。
一瞬の出来事だった。戦闘能力のない二人には探知できないほどのスピードで接近したそれは出会い頭に鋭い拳を繰り出していたのである。
それは当然、敵である佐伯村雲の私兵であった。彼ら同様、レクイエムの制服を纏った少年である。
ただ大きく違う事と言えば、少年の武器は他のものとは違い鋼鉄の爪であった、ということだろうか。
獣のように鋭い目つきでアレキサンドリアを睨みつけるとにやりと頬を歪ませる。
「なるほど、面白そうなのつれてるじゃねえか」
人間離れした動きで後方に回転しながら跳んでいくと低い姿勢のまま爪を輝かせアレキサンドリアを見据える。
ぼさぼさの長髪の間から覗く刃物のような瞳がその好戦的な彼の性格を如実に現していた。
「だが、あんまりおイタはよくねえなァ・・・・・旧友との久しぶりの再会なんだ、邪魔ァされるんは不愉快だ・・・・なあ、るるる」
綺羅と刹那の視線がるるるに向かう。少女は唇をかみ締め、拳を強く握り締めたまま少年の姿を見つめていた。
やがて震える声を絞り出すように、ゆっくりとその名を呼んだ。
「・・・・・・・・・・・・・八番・・・・」
「覚えていてくれてうれしいぜ、六番」
獣じみた瞳をぎらぎらと輝かせながら少年は笑った。
るるるの強く握り締めた拳が、音を立ててその手に爪を食い込ませる。
「あの時と変わらねェなあ・・・・お互いに・・・・俺様は殺して・・・・・テメェは仲間のお荷物だ・・・・なぁ、六番!!」
再びの踏み込み。その速度はやはりるるるにも刹那にも取られきれなかった。
だからこそ即死。その攻撃そのものが死という意味に直結する一閃。だからこそ彼らは幸運だった。
それを捕らえ、受け、しかしそれでもなお立っている事の出来る戦力と合流できていたのだから。
「わけのわからない話はもううんざりなの・・・・・だから、わかるように説明してくれる?」
立ちふさがる。純白の兎は真紅の瞳を無機質に輝かせている。その威圧感は刹那にも伝わるほど。
だからエイトは背後に下がる。目の前の障害を排除せねば落ち着いて会話もできないのだと、彼は知っているから。
「名前くらいは聞いておいてやらあ」
「結城綺羅・・・・愚者のナンバーズ、綺羅よ」
「俺様は実験体番号八番・・・・エイト」
名乗りを終えると二人は互いに瞳を輝かせる。
お互いに譲る気も負ける気もしていなかった。だからこそ強固な意志を持ってして前に躍り出る。
それぞれの道を阻むものを打ち倒すために。
ものすご久しぶりに更新です・・・・・。
色々と忙しかったわけですがとりあえず連休に入ったのでまとめて更新しますので許してください。
土下座しますから許してください。すいません。