Would you call me if you need my love(1)
いつだったか話してくれた事、覚えていますか?
「戦う理由・・・・そんなのは私にはまだわからないけれど・・・・でも、友達がいるから」
執務室。 二人だけの時間。 自らが主と定めた人。 守るべき者。
優しく微笑みながら、懐かしむように、目を細めた。
「その友達を助けてあげたいの。 だから戦っているのかもしれないわね」
照れくさそうに笑う。 その横顔を眺めていた。
そんな彼女だからその剣を預けてもよいと思えた。 彼女こそイゾルデに続くリーダーだと思った。
その少女の両の肩には重過ぎる資格と責務を和らげるために何でもしようと思った。
自らが騎士であり主のために戦う刃である以上、それは当然のことだった。
そんな騎士を見ながら少女は可笑しそうに微笑む。
「何を言っているの? ルクレツィアも、私の友達ですよ?」
照れくさくて目を逸らした。
いつだったか話してくれた事、覚えていますか?
「貴様がやったのか・・・・・・・・・・・・・・貴様が・・・・・・・・・・・ッッ!?」
氷の大地。 広がる血の池。 哂う少年。
その両手に抱きしめた少女は目を開かない。 口を開かない。 その名を呼ぶ事も無い。
何故、何故自分は彼女の傍に居なかったのか? 何故、守れなかった?
「ルルイエエエエエエエエエエーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
いつだったか話してくれた事、覚えていますか?
穏やかな陽だまりのような主に、騎士は出会った。
⇒Would you call me if you need my love(1)
「今・・・・・何と?」
眩暈がする頭を額を抑えながら騎士は呟いた。
それは少女と騎士の出会いの記憶。 組織の執務室に立つ少女、その傍らでイゾルデが笑う。
「彼女、伊吹伊織さんが次の隠者・・・つまりレクイエムの室長ですよ」
「・・・・・・・・こんな・・・・少女が?」
驚嘆だった。 今まで騎士が守ってきたのはイゾルデだった。
イゾルデはそれだけの実力と才能があり、騎士にとっては特別な存在だった。 だからこそ主として認めることが出来たし、そのために剣を振るうことに疑問などなかった。
それが目の前のまだ大人でもないただの子供が新しい守るべき存在になると聞いてうろたえないはずがなかった。
ルクレツィアの番号である戦車は代々隠者とセットで組織の中枢を守護してきた存在だ。 いわば掟と伝統を守り続けてきたナンバーズだと言える。
それがいきなり、まだ先代のイゾルデが死んだわけでもないのに代替わりするというのは異例の事態だった。
「これは上の決定ですからもう覆りませんよ。 それにわたくしも彼女のことは認めていますから」
「しかし・・・・・」
もう一度少女を眺める。 少女はルクレツィアの視線に笑顔で応えた。
「とにかく、まずは組織の内部を案内してあげなさい。 さあ伊織さん、ルクレツィアに続いて」
老婆は暖かい笑顔で二人を送り出した。 しかし騎士としてはいまいち居心地が悪い。
いきなり新しいリーダーですと言われたところでそれを納得は出来ないし、それよりなにより単純に目の前にいる少女のことがひっかかっていた。
何がひっかかるのかということは本人も何もわかっていない。 ただなんとなく落ち着かないのである。
「ここが食堂で・・・・食券を買うというなんともレトロな・・・・・何だ?」
「いえ、ルクレツィアさん・・・・で、良かったですか? やっぱり私みたいなのがリーダーでは納得行きませんか?」
「・・・・・・・・・かも、しれないな・・・・・・腹は減っているか?」
「えぇ、まあ・・・・」
「・・・・・カレーでよければ奢ろう」
食券を購入し列に並びトレイの上にカレーを載せて戻ってくる剣を腰から下げた美女というのも大分シュールだ。
いつも通り変わらないむすっとした無愛想な表情のまま席についた伊織にカレーを差し出す。
「カツカレーだ。 食べるがいい」
「い、いただきます・・・・」
スプーンを口に入れるなりなんともいえない表情になるルクレツィア。
実は彼女は辛いものが苦手なので甘口にしようとしたのだが間違えて辛口の食券を押してしまっていたことにようやくこの瞬間気づいたのである。
しかしこのシリアスなシーンを何とか継続するため全くなんでもないかのようにカレーを口にかきこんでいく。
「あのー・・・そんなにいやですか?」
「何がだ?」
「涙でてますけど・・・・」
「あ、ああ・・・これは違うんだ・・・・・それで、きみがレクイエムのリーダーとはどういう経緯なんだ」
「そうですね・・・・まあ一言で言えば、『あの事件』に関わっていたとか、秋風響の友人だから、かもしれませんね」
あの事件。 秋風響とベルヴェール・ロクシス、そしてディーン・デューゼンバーグが起こした始まりの事件。
その場に彼女は居なかったものの、負傷したシュズヴェリイを介抱するうちに大体の事情は聞いていた。
結果、このレクイエムの存在に気づき、何故かタイミングよく佐伯社のほうから彼女をリーダーにするという決定が下されたのである。
故に彼女自身は自分がなぜ選ばれたのかを知らないし、戦う大義もないと言えるだろう。
「なら何故それを引き受けたんだ? 拒否する事も出来たはずだ」
鋭いルクレツィアの視線。 それに対し少女はカツをフォークに乗せて苦笑する。
「さあ、何故なんでしょうね?」
「何故なんでしょうね、ということはないだろう」
場所は変わって訓練施設。 腕を組んで立つルクレツィアの隣、伊織は周囲を眺めていた。
「組織に入れば危険も多い。 命を落とす事もあるだろう。 悲しみに耐えられないことだってある。 それでもここにやってきたのだからそれなりの理由があるはずだ。 仮に何となくでやってきたのならきみはそれこそ早々に立ち去るべきだ。 そんな覚悟では戦い抜けるはずもない」
「ここで、秋風さんが訓練を積んだんですね」
「・・・・ん? ああ」
四角く寂しい広い箱の中。
少女は旅立つ前この場所で訓練を積み、理論武装を扱えるようにまでなった。
その景色を想像するように少女は深呼吸し、目を細める。
「ここに来てもきっと秋風さんには会えないと思っていました。 でも、だからこそ、ここに居たかったんです」
「何故だ?」
「彼女が帰るべき場所を創り・・・・守ってあげること。 それくらいしか出来る事、思いつかなかったんです」
寂しげに、しかし信じる心を以って少女は笑った。
その横顔を直視できず騎士は視線を訓練場に移し、「そうか」と頷いた。
まだイゾルデから何の発表もなく、次のリーダーが伊織になるということはルクレツィアしか知らなかった。
そんな頃、二人はよく訓練場で理論武装の訓練をした。
伊織はかつて自らの吟示と遭遇し、そのあり方を目にしていた。 つまりもう少し心を研ぎ澄ませば理論武装は使える。
少女は自らの中に強い責任感や後悔を抱いていた。 それはルクレツィアにはよくわかった。 二人はどこか似ているところがあった。 優等生すぎるところや、お互い何かを守るためには一歩も引く事が出来ないという頑固さも。
だからどこをどうすれば、どんな気持ちでいればいいのか、騎士にはわかっていた。 少女にとって騎士は師匠であり、初めて自分と理論武装を介して触れた人物であり、共に強さを目指す仲間になった。
「でも、ルクレツィアには遠く及ばないわ・・・・・どうしたらそんなに強くなれるの?」
訓練を終えた二人。 スポーツドリンクを飲むルクレツィアに少女は問いかける。
「伊織は十分強い・・・・あとは時間の問題だろう。 きみがちゃんと自分の在り方を見つけるにはまだ数年はかかる。 そうしたら嫌でも強くなって、ぼくなんか抜いていくさ」
「数年かあ・・・・長いなあ・・・・・・そういえばルクレツィアって何歳なの?」
「ぼくか? ぼくは今年で21になる」
「ってことは・・・・四歳年上なのね・・・・なんだか憧れちゃうわ。 私も貴方みたいな素敵な女性になれるかしら」
「ぼ、ぼくが素敵な女性? やめてくれ・・・・最も程遠い言葉だ・・・・」
「師匠に憧れるなというのは無理な話じゃないかしら」
照れくさくなって髪を弄る騎士。 微笑む主。
二人の関係は、きっとそんな感じ。 お互いに魅力的で、お互いに似通った部分を持っている。
ルクレツィアはどんな時でも伊織に対して真摯だった。 どんな事情も事態も彼女は真っ直ぐに受け止める。
そして伊織もまた真っ直ぐだった。 二人は曲がった事なんか一度もしたことが無かったし、それは当然だった。
ただ真正面同士からぶつかり合うということは時に重荷であり、時に清清しくもある。 刃を交え、正面から何度も無言で打ち合う二人は次第にお互いの存在を認めはじめていた。
傍にいるだけでいい。 お互いを認め合っていることを実感できる関係。
その両肩には重過ぎる荷物を、少しでも軽くしてあげたいと騎士は願った。
かつての自分がそうであったように、誰かに背中を押してもらえる幸せを伝えたかった。
ただそれだけ。 感情移入のようなものかもしれない。 伊織に対し、過去の自分を重ねていたのかもしれない。
遠い日の記憶。
彼女が組織という場所に入り、騎士として生きるよりも前。
暖かい微笑みで彼女を迎えてくれた、かつての誰かのように。
近いようで遠い距離。 それが二人の距離感だった。
けれどもっと傍に居られたら、もっと近くで笑いあえたら、
もっと素直に生きられたのだろうか?
「エクスカリバァあァあああああああーーーーーーーーッ!!!!」
絶叫と共に白銀の鎧が氷の大地の上を奔る。
手にした光の剣は本来は主を守るためのもの。 それは今ただ私情だけで、恨みだけで、殺意だけで動いていた。
大地を裂き、封印に封印を重ねたこの部屋の中でさえ全てを無視して悲しみと絶望で剣は動いていた。
命を燃やし感情を燃やし大気を燃やし存在意義を燃やし剣は輝きを増していく。
「ルルイエ・・・・・何故貴様が・・・・よりによって貴様が・・・・伊織を・・・・・ッ!!!」
「僕は最初から君たちの味方だと名乗った覚えはないし、それに邪魔をしたのは彼女のほうだ」
まるで重力を感じさせない浮遊。 髪をなびかせながら少年は大気を舞う。
迫る光の斬撃を片手で弾き飛ばし、かすかに残る光の残留を握りつぶしながら笑う。
「それに今更でしょう? 組織に入った以上、戦士として生きる以上・・・・死とは常に隣り合わせなんだから」
「それ以上口を開くな! 今すぐその首を刎ねて八つ裂きにしてやる!! 貴様という存在そのものを、我が剣は絶対に許さない!!」
「面白いね。 僕も丁度剣を使うんだ。 闇の剣と光の剣、どちらが強いか試してみようじゃないか」
空間から現れる漆黒の光を剣として構築し、優雅に宙で構える。
二つの影が何度も空中で激突し、氷の世界を振動させる。
「伊織ちゃん・・・・・どうして・・・・・」
彼女たちがここに来たのはつい数十秒前のことだった。
部屋に入るなり倒れていた伊織の冷たい体に誰もが動く事が出来ず、そして氷の中に封じられた存在から目を逸らすことも出来なかった。
ルクレツィアが無謀に突っ込んでいったわけではない。 全員が飛び出したい気持ちであったが、それにかかることが出来たのが彼女だけだったというだけの話なのである。 響は目の前の現状をうまく把握することが出来ず、シュズヴェリイは今までに無いほど悲しげな目でルルイエを見つめていた。
慌てて気を取り直し伊織に駆け寄った響だったが、抱き起こせばわかるその体の冷たさに思わず背筋が寒くなる。
「伊織ちゃん・・・・伊織ちゃんしっかりして! 目を開けてよ!!」
伊織は答えない。 全身が冷たく、生気を感じられない。 何度も言おう、全身が酷く冷たいのである。 それは血液の流出による体温の低下だけではなく、この部屋全体が極端に寒く、そして心理領域を持たない者に対して絶望的に存在を否定される場所だからである。
目を覚ましているのならともかく、気を失い領域を失った伊織がこの空間で生きながらえることなど不可能なのだ。
慌てて無為ノ声を広げ伊織を抱き寄せる。 彼女もまた心理領域で自身を覆った状態での負傷。 通常空間に戻っている今、その傷の多くは現実化に伴い無かった事になっているはずだった。
だというのに少女は目を覚まさない。 何度呼びかけても結果は同じだった。 胸の傷はふさがらず、まるでどうしようもない決定的な事実であることを語るようにそこにある。
「どうしよう・・・・どうすれば・・・・どうして肝心な時、私は何も出来ないんだ・・・・っ」
大切な仲間だった。 友達だった。 もうずっと、自分を影で支えてくれていた人。
それがどうしてこんなにあっけなく、なんでもない出来事のように、あっさりと・・・・・。
全員一緒に未来へ進むと決めた。 誰一人かけることなく、何一つ見失うことなく、最後まで戦い抜くと決めた。
その未来のビジョンには当然伊織の姿もある。 隣で微笑んでいる。 それがどうして?
「・・・・・・・シュズヴェリイ! 私は彼女を連れて医務室に向かうわ! 劉生さんとかならなんとかなるかもしれないからっ!!!」
「響、道中常に伊織に呼びかけ続けろ。 死を本人が自覚しない限りそれなりに可能性はある」
それはかつて秋風響がまだただの人間であった頃。
自らの吟示である双頭の騎士に確かに殺され、しかし自らの死を認識するより早く事が済んだお陰で助かったのに似ている。
つまりはそういうことなのである。 意思の戦いである心理領域での傷は心の傷。 死を認めたらそこで全てが終わる。
頷いた響は伊織を背負い、入り口に向かって奔っていく。
響とすれ違った刹那は呆然と立ち尽くしていた。 目の前のルクレツィアとルルイエの戦いは彼にとって未知の領域。
ナンバーズ同士の戦いは確かに以前目撃しているが、本気でお互いがやりあったらどういうことになるのか彼はまだ知らない。
響と綺羅が戦った時、響は実力を全く出し切っていなかったし、綺羅も戦うことに迷いがあった。
それとはもう完全に全く性質が違う。 いや、そもそもこんな戦いは今まで一度としてなかったのかもしれない。
ナンバーズ、所有者の中でも最強クラスとされる存在は言ってしまえば生きる殺戮兵器。 その戦力は戦車やヘリコプターなど遠く及ばない無敵の存在だ。 そんなバケモノたちはお互いの立場、理由により今まで本気の殺し合いというものを避けてきた。
吟示との戦いはヒト同士の戦いではなかった。 救世示との戦いは殺す事が目的ではなかった。
だが今は違う。 理由や思いは違えど二人はお互いの命を終わらせるためだけに戦っている。
光の剣は怒りと悲しみと殺意を胸に。
闇の剣は得体の知れない喜びと苦痛を胸に。
そんなものが目の前で殺しあっていたら、しかもこんな悪意と殺意に満ちた空間では、気がおかしくなって当然なのである。
だというのに少年はそこにまだ立っていた。 それだけでも奇跡を起こしているといえるだろう。
心理領域を張っても居ない少年が、ただの少年が渦巻く殺意と悪意の中、平然とそれを見つめているのだから。
その姿にシュズヴェリイは舌打ちし、少年を腕で制止する。
「あまり魅せられるな・・・・貴様が少々特殊な人間だという事は理解できたが、ここから先は『少々特殊』程度ではどうにもならん世界だ」
「はああああああああああああーーーーッ!!!」
ExcVから放たれる膨大な量の光のエネルギー。 それはルルイエごと壁へと直撃し、室内で押さえきれないその質量は部屋の四方へと拡散し、周囲の氷柱を次々に破壊し切り刻んでいく。
そんな即死級の攻撃を何度も放たれ、ルルイエはそれでも無傷だった。 封印を施された壁に傷をつける威力は本物のはずなのに。
ルクレツィアの剣を握る手にはかすかな違和感があった。 それはルルイエを目視した瞬間から感じていた一つの事実である。
仮にあの少年を直接切りつけることが出来たとしてもそれもまたかなわぬ夢のようなものであろうことを騎士は気づきはじめていた。
彼は能力か、それとも本当にバケモノなのか、先ほどから攻撃を加えてもダメージを与えられている気配が無い。
攻撃しているのは幻影かなにか、いや、そこに確かに実体はあるのだが、水で出来た体のように衝撃をいともたやすく受け流してしまう。
それに心理領域を張っているのかいないのかわからないような精密なコントロール、そして空中移動という人外技。
目の前の『運命』を名乗る少年がどれだけ別格であるのかを思い知らされずにはいられなかった。
それは判っていたことだし、それにもう彼女にとってそれはどうでもいいことだった。
勝ち目が無いから戦わない、そんな賢い戦いではない。
これはただの殺し合い。 気が済むまでお互いに傷つけあい、心を否定し肉を裂き血液をぶちまけるためだけの愚直な行いだ。
そこに迷いもなければ考えもない。 ただ本能と感情だけで剣を振るう。
そんなことは騎士にとっては随分と久しぶりの事だった。 ずっと冷静で静かに状況を見極めさせていた彼女の冷静さは見る影もない。
ただ涙を流すことも忘れ全身を貫くような悲しみに抗うことなくその勢いを剣に乗せて放つ。
余りに大雑把、しかしなんら迷いの無い殺すための壊すための太刀筋はあらゆるものを両断する狂気の刃となっていた。
少年もその攻撃は流石に直撃を避けたいのか、強引すぎる、しかしそれゆえに力があり受けきることの出来ない刃をなんとかいなしていた。
「まるで親を殺されたような目をするんだね。 君と彼女の関係はたかだか三年ちょっとのものなのに」
「時間など関係はないッ!!! 私にとって彼女は友だった・・・主だった・・・剣を取る理由など、それで十分だ!!!」
「確かに彼女はよく似ていたね。 まるで初めて出会った頃を思い出すようだったよ・・・・ねえ、ルクレツィア・セブンブライドお嬢様」
さらに激昂した騎士はあらん限りの力を込めて剣を真っ直ぐに振り下ろす。
その隙を待っていたかのように少年は流れるような動きで太刀をかわすと剣を振るった。
それはルクレツィアが隙を見せたとしても十分回避可能な動きのはずだった。 それがただの剣だったのならば。
「なにっ」
突如として剣は蛇のようにしなり、伸び、鋭く打ち付けるような動きでガードの上から騎士の横腹を切りつけた。
しかし驚いたのはルルイエの方だった。 確かに撓る刃はルクレツィアを切り裂いていた。 だが騎士はその蠢く剣を素手で掴むと強引に引き寄せ、ルルイエの目前に迫っていたのである。
「お前の敗因は上からの物言いだよ・・・・最初から勝ったつもり、無傷のつもりだからこういう戦い方が思いつかない」
自分自身の体を犠牲にしてでも相手に隙を作る動作。 無謀と感情だけで戦い、そして常に相手の動きを冷静に見続けてきた彼女の経験が咄嗟の一瞬に反応した。
あとは時間の勝負だった。 剣を放して後退しようとするルルイエの顔面を掴み、大地に叩きつけるとその首を大地ごと切り裂き、刎ね飛ばした。
ほんの僅か一瞬だけルクレツィアのほうが反応が、殺意が、勝っていた。
空中をクルクルと飛翔するルルイエの生首をさらに両断し、粉砕し、剣先に付いた血痕を振り払うと騎士は立ちあがる。
「首を飛ばされれば心理領域だろうがなんだろうが関係ない・・・・お前の運命は死だったようだな」
脇腹の傷口を押さえながら深くため息を付き、刃を支えに膝を突いた。
反応するのが僅かに遅かったならば胴体を両断されていたのはルクレツィアの方だったであろう。 その一瞬の全身を冷やすような悪寒が彼女に冷静さを僅かに取り戻させ、正気に繋げた。
言わば敵に与えられた勝利といっても過言ではなかった。 長年訓練を積んできた自分に匹敵する剣術の持ち主であった首の主に苛立つ。
しかし仇を討ったというのに彼女の心の中は全く晴れていなかった。
ゆっくりと腰をあげ、なんとか立ち上がろうというその時だった。
「君の敗因は、勝てないと判っている相手に無謀に突っ込んだこと・・・ただそれだけだよ」
振り返る間も無かった。 そこには首を失った少年が居た。 手には漆黒の刃。
蠢くその剣は枝分かれし何度も何度も騎士の背中を刺し貫く。
そしてその剣はルクレツィアを浸食するように体内を蠢き、内部から滅多刺しにする・・・そのはずだった。
突き刺さった刃を切り裂く月の一撃。 白く輝き巨大な刃はルクレツィアの体を介抱し、華奢な腕で彼女を支えた。
銀髪に黄金の瞳を持つ死神、シュズヴェリイ。 少女は冷静な瞳でルルイエを見つめていた。
失った首を空中で再構築しまるで接着剤か何かで適当にくっつけるような動作でルルイエはあっさり復活した。
その微笑と優しい目で死神と向き合い、漆黒の蛇を片手にお辞儀してみせる。
「やあ、シュズヴェリイ。 相変わらず人間の傍に居るのが好きみたいだね」
「ああ、ルルイエ。 相変わらず笑顔の気持ち悪いやつだな」
「そう悲しい事を言わないでほしいな。 だって僕たちは・・・・・」
剣を構え、少年が微笑む。
「兄妹じゃあないか」
死神は何も答えずふらふらのルクレツィアを氷の大地に横にするとマントを翻し鎌を構える。
「随分と昔の話だが・・・・なっ!!!」
空中を走る鎌と蛇が絡み合い、激突する。
封じられし者、その封印を揺さぶる激突。
何かを呼び覚ます儀式のように、まるで何かの音楽のように、その刃は打ち合っていた。
「止まりなさい響!」
地下通路から上層へと向かう階段の途中、響は足を止めていた。
目の前には息を切らし似合わないまじめな表情で響きを見つめる劉生の姿があった。
血を流す伊織を抱きかかえた響は慌てて劉生に駆け寄る。
「劉生さん・・・! 伊織ちゃんが・・・伊織ちゃんがあっ」
「わかってるわ・・・落ち着いて聞きなさい響・・・・・上に行っては駄目」
「どうして!? 今すぐ医務室で手当てしなきゃ伊織ちゃんが・・・っ」
「上に行ったらどうにもならなくなるわ! それこそ助かる手段はなくなるわ! 今すぐどこかからここを抜け出して・・・・」
そこで言葉は途切れた。 悲痛な目が、血を流す少女を見つめている。
劉生は新入りたちに比べ以前から吟示と戦ってきた戦士だ。 その戦士の目には判ってしまったのかもしれない。
目の前の少女が、新しくリーダーとしてこれからも戦っていくべき少女が、もうどうにもならないということに。
膝をつき、伊織を抱きかかえながら響が叫ぶ。
「そんな・・・・なんて顔してるんですか!? 大丈夫ですよっ、今からなんとかすればあっ!!!」
その手は震えていた。 その体の冷たさを一番理解しているのもまた彼女だった。
男は黙って響の手を取り、伊織の傷口を診る。 しかし何度診ても結果は同じこと。 これはもう助からない。
それを告げることも認めることも出来ない自分自身に腹が立つ。 そして今この現状にも。
「・・・・何度も説明している暇はないわ。 よく聞いて響・・・・・組織は・・・レクイエムは・・・・・」
地下にまで響く揺れ。 聞こえてくる銃撃音、爆音。 つい先ほどまで平和だったはずの上層で何かが起ころうとしていた。
動揺する響の肩を叩き、劉生は目を合わせ、しっかりと告げる。
「レクイエムは終わったの。 今、佐伯社の私設部隊が上部区域を攻めてきてる。 ここが落ちるのは時間の問題よ」
「へ・・・・? 何言ってるんですか、佐伯社は私たちの・・・レクイエムの親元でしょう? それがなんで・・・?」
「嵌められたのよ、私たちは。 だからジャスティスはここからさっさと逃げ出したの。 やつらの狙いはあなたと・・・・封印されたあなたのお姉さんよ」
地下の封印室で凍結され、生きたまま氷付けにされていた自らの姉。
あの状況、しっかりと確認したわけではなかった。 しかし劉生の言葉に予感は確信へと姿を変える。
そうだろうとは思っていた。 わかっていた。 納得できたつもりだった。 けれど、目の前にして心に降ってわいたのは恐怖だった。
本当の事を知ることも、姉を救い出すことも、結局のところ少女は恐れるしかなかったのである。
事実、真実とは彼女にとって余りに過酷であり、今まさに牙を向き世界を侵そうとしていた。
「やつらにとって必要なのはあなたかお姉さん・・・渚のどちらかだけ。 そして肉体、精神ともに揃っていなければ意味が無い。 だからジャスティスはお姉さんの精神・・・・ここに揃ってしまっていた方を奪って逃げたのよ。 奴らの計画を遅らせるためにね」
「著、ちょっとまってください・・・・・今はそんなことより伊織ちゃんを・・・・」
「伊織はもう助からないわ。 それはあなたが一番よくわかっているでしょう」
息を呑んだ。 言葉が出ない。 目を見開き、苦悶の表情で歯軋りする。
わかっている。 わかっているさ。 わかっているにきまっているんだ。 でも、それでも、信じたい、認めたくない、
あの笑顔が、あの言葉が、あの日々が、全て無意味になり、消え去り、目の前から、手の届かない場所へ、消えてしまうなんてこと。
「諦めたくないんですようっ!! もう、誰かが傷ついたりっ! 居なくなったりとか、いやなんですっ!!! 諦めたくないんですようっ!!!」
「いい加減にしろ、クソガキッ!!!」
再びの爆音。 揺れる大地の中、軋む世界の中、男は叫んでいた。
「我侭だ、それは・・・・・生き残れる可能性を否定してまで、貫くにはあまりに稚拙な・・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
黙って歯を食いしばった。
もう涙は流したくなかった。 どんなにつらくても嫌でも逃げたりしたくなかった。
誰かのせいになんかできないし誰のせいでもない。 全ては運命のように導かれそこにある。
だから涙を流している暇なんかない。 懸命にそれを堪えて劉生を見据える。
「・・・・・・・・・・・我侭、でしょう・・・・・でも・・・・・だから・・・・なんなんですか?」
「子供の我侭で命を軽んじるなといっているの」
「軽んじてなんかいない・・・・・ただ救えるものは全部救いたいだけです」
「その采配を誤っているのよ」
「好きにやらせてくださいよっ!!!」
立ち上がり、叫ぶ。 それは数日前の響とは少しだけ違い、少しだけ前向きで、少しだけ我侭だった。
「だったら私が全部倒して全部切り開いて全部ぶちのめして伊織ちゃんを助けます・・・・っ! それで文句は無いんでしょう!?」
「そんな甘い幻想が通じる状況じゃないといっているのよ!」
「知ったこっちゃねぇんですよ、そんなことはっ!!!」
全力で叫んだ。 三度目の揺れ。 その勢いに思わず劉生ですらたじろいだ。
少女は涙を流すでもなく、悲劇に身をゆだねるでもなく、初めて自らの意思で何かを否定していた。
真摯な目で、純粋な意思で、全てを理解した上で、歯を食いしばった。
「・・・・どうせ子供なんですよ、私たちは・・・・」
「・・・・・・・・・わかったわ・・・・だったらやるだけやってみなさい」
劉生は理解していた。 少女にはどうにもできないことなどとっくに。
それでもやれと言ったのは、少女が自ら選んだ間違いを否定する事など出来なかったからだ。
大人になるにつれ間違いと正しい選択を知り、より正しい方を取捨選択していくのがヒトという生き物。
その中でいくつか納得の行かないものや信じることの出来ない正しさを選ばねばならない時が来る。
その時それを選ぶのか、選ばないのか・・・それは未熟な判断と殺しきれない自らの青臭さと、見えていない現実が左右する。
だがしかしそれでもかまわないと劉生は思う。 それで取り返しの付かないことになったとしても、それは自己責任だ。
「あなたはもう、子供じゃないの。 自らの選択の代償は、自ら支払いなさい」
つまりはそういうこと。 もう誰かの命令でも誰かのためでもなく、彼女は彼女のために生きるべきだ。
いい、分岐点なのかもしれない。 男はそう思う。
それに元々、
「あたしはけっこう放任主義なのよ」
ウィンクに少女は苦笑で応える。
それから返事もせずに駆け出した。 親友を助けるために、命をつなぎとめるために。
何もかもを振り切って、無謀な現実へと。