私、判っちゃいました!(2)
「あーーーーーーーアカンわもうウッザイねん!!! 生きてる事が許せへんわ!!」
雪が降る異国の港町。
静かな景色に似使わない関西弁の少女は雪を紅く染めて倒れる吟示を踏みつけながら叫んだ。
派手な雹柄の上着を翻しながらメガネを光らせて振り返る。
「ベル様ぁ・・・・こいつらってアレなん? レクイエムの差し金なんか?」
「それは違うね、遊馬。 でも誰の差し金であれ、私たちには余り関係の無いことだけれど」
「せやな・・・どうせ、ザコばっかやッ!」
消えかけていた吟示の欠片を踏み潰し、消え去っていく霧状の光を眺めながら舌打ちする。
「しっかしなんやねんこいつら、ウジャウジャウジャウジャ同じ顔しよって・・・キッショイねんマジで」
背後の雪原には先ほど消えたものと同じ吟示が大量に迫っていた。
既に先ほど消滅させたもので何十という数である。 それぞれが二本足の人型、顔には奇妙な笑い顔の仮面を付けている。
それは今までずっと彼らを襲撃し続けていた謎の敵だった。 レクイエムにも同様に迫る脅威、本来ありえないみな同じ顔をした吟示。
人形のように奇妙な足取りで遊馬とベルヴェールに迫っていく。
二人の背後、目を伏せ微笑んでいる湊は白いマントを翻し、空間に言葉を描いていく。
「ベルヴェール、遊馬、ここは私がやるから」
「なんや、湊がやったら一瞬で終わってまうがな」
「遊馬、私たちは他のみんなの様子を見に行こう。 ここは彼女一人で大丈夫だ」
「まあそりゃそうやけど・・・・・ま、ええわ・・・・あんま無理はすんなや?」
「ありがとう、遊馬」
微笑みの応酬。 去っていく二人の背中を見送ると少女は白い指先を大群に向ける。
「灰ノ王城」
指先から放たれた灰色の光。 それは矢のように集団の内部に着弾すると空間を引き裂き、圧縮し、捻じ切り、跡形もなく粉砕する。
両の指先、10の光を同時に放つと遠く離れた白い大地を全て灰に染め、焼け落ちるような熱を帯びた雪を舞い散らせる。
消えていく吟示の集団めがけて駆け出した。 マントを翻しながら大きく跳躍した少女は縦に回転しながら勢いをつけて光球を打ち込んだ。
大規模な爆発と空間の歪みの中、敵の中心地で心理領域を発動し全ての敵を閉じ込める。
何もないまっ平な雪原の上に浮かび上がる幻影の城。 両手を広げ、翼を広げ、大空に飛翔する。
「・・・・・・・・・・可愛そう。 心も意思も失って、それでも尚生き続けるなら・・・・いっそ」
両手を天に広げる。 光に包まれた巨大な城がゆっくりと降下を始める。
「全て消えて死んで殺して無に還してあげるね」
全てを巻き込み無に還す巨大な城の落下。
雪と風を巻き上げる異形の景色の中、少女は寂しげに目を閉じ、翼を畳んで舞い降りた。
光に散っていく無数の粒と羽を見上げながらそれに手を差し出す。
「本当に、無為・・・・何もかもが」
「響ッ!!」
叫び声に振り返る。 消え去っていく光の嵐の中、声の主は息を切らせて駆け寄ると少女の頭に手を乗せた。
「大丈夫!? なんかすごいいっぱいいたけど・・・・!?」
「・・・・・・・・・・あのねー」
むすっとふてくされた顔で手を払いのけると湊は少女の顔に指を突き出し、
「何度も言わせないで。 私は響じゃなくて、湊。 みーなーとー。 判った?」
「はいはい湊ね・・・・でもあたしにとっちゃ大して差はないんだけどな・・・・」
頬を掻きながら野球帽を脱いだ少女、近藤伊佐美は再び湊の頭に手を乗せて微笑んだ。
雪の付いた長髪をくしゃくしゃと撫で、抱き上げて様子を伺い、降ろしてその頭を優しく叩いた。
「子供が無理すんなって言ってるっしょ? 怪我したらどうすんの」
「だからあ、子供じゃないの! 私は響と同一精神体なんだから、年齢は十八歳なの!!」
「・・・・・この作品の登場人物は全員十八歳以上です・・・ってこと?」
「わけわかんないけど・・・違うと思う・・・」
「何にせよ、あんたはそうして普通にしているのが一番カワイイんだから、さっさと帰ってメシにするわよ」
帽子を被りなおした伊佐美は微笑みと同時に手を差し出す。
僅かに躊躇した湊だったが、視線逸らし顔を赤らめながらその手を握り締めた。
ゆっくりと歩き出す。 湊の小さな足が刻むそのペースにあわせ、少女はポケットに手を突っ込んだまま。
その手を握り締めているとなんだか暖かくて嫌な事を忘れられる気がしていた。
「・・・・どうして、伊佐美は私たちについてきたの?」
「どうしてって言われても・・・・・まあ色々あって付いていくしかなくなったっていうか・・・・」
「流されっぱなしなのね。 本当にいい加減なんだから」
「流されるのも人生よ。 それに運が向いてきたとも言うわ。 あんたに会えたんだもの」
「・・・・・・・・・・何度も言うけど、私は世界を滅ぼすために生まれたんだよ? そんなのと遭遇するのは、幸運とは程遠い偶然だと思うんだけど・・・・むしろ不運、不幸の類じゃ」
「んなもん決めるのはあたしでしょ。 勝手にあたしを決めつけんじゃないわよ、なまいき娘」
「・・・・・・・・・・・・・・だから、歳は十八なのに・・・・」
「見た目子供じゃ変わらないでしょ? ほら、みんな待ってるんだから急いだ急いだ」
「わあっ!?」
強引にその背に少女を乗せた伊佐美はにやりと微笑んで雪原を駆け出した。
丘を越えれば町に出る。 そこには仲間が待っていて、少女にとっては家族同然の人たちが待っていて。
だから伊佐美は走る。 少女が寒さで凍えてしまわないように。
戻るべき場所で待ってくれている人たちの下へ、少女を送り届けるために。
「帰るぞ、ちびっこ」
⇒私、判っちゃいました!(2)
何重にも封印を施された巨大な鉄の扉がゆっくりと開いていく。
これで五枚目。 それぞれが大型砲台の直撃すら無力化する強固な鉄壁。 それが五枚。 この中にどんなものが眠っているのか、そしてこの施設がどれだけ重要であるかを物語っていた。
ディーンの跡に続き地下への階段を下りた三人は無言だった。 目の前の男の背中だけを見つめている。
「ここが何故一般隊員どころかおれたちナンバーズにまで隠された場所だか、知っているか?」
「知る必要が無い場所なのか、知られてはまずい場所なのか」
「そういうことだ。 ちなみに両方正解だな響。 ちったあ賢くなったじゃねえか」
「・・・・前から結構賢かったもん・・・」
「なんかいったか?」
「いいえ! それで、そもそも凍結室って一体なんなんですか?」
凍結室。
特殊な理論を打ち込んだ機器を使い吟示や理論武装、所有者などを封じ込めるための部屋である。
基本的に暴走したものを閉じ込め凍結処分にするためにある部屋。
現在フランベルジュが幽閉されている、地下では比較的浅いフロアにある部屋である。
「凍結室そのものはそんなに問題じゃねえ。 鎖かなんか、あるいは空間そのものに凍結の理論が打ち込んであるんだろ」
「理論の打ち込みって・・・・そんなの可能なんですか?」
「んー・・・・知らないのも無理はないが、うちには『道具屋』とか『職人』って呼ばれてる所有者が居てな。 そういう『工房』を作る理論武装の持ち主がいるんだよ。 意味わかるか?」
「つまり・・・・心理領域・・・『物に理論を与える』法則を具現化するってことですか?」
『心理領域内で血液を摂取することで寿命を延長する』という綺羅の理論にそれは似ている。
つまり『そういうルール』を心理領域内で具体化してしまえばいいのである。
どうしても理論武装というと戦闘方面に特化しがちだが、中にはそうした特殊なロジックを持ち出すものも居る。
「その道具屋が作った部屋だ。 まあ元々似たような部屋はあったんだがな」
「・・・・・・・・・・・なんだかなんでもありですねえ」
「なんでもアリなんだよ、実際な」
軽快に笑い飛ばしながら最後の扉を開く。
ここに来るまでの扉は一枚として開かなかったというのに最も今までで強固な守りであるはずの凍結室の扉は何故かまるで自らディーンを迎え入れようとするかのように自動的に開いていた。
凍結室は広い。 室内とは思えないその異常な広さはやはりそこが通常の空間ではない事を物語っている。
凍りついた大地と無数の十字架、大地を伝う鎖たち、それを踏み越えて最奥に貼り付けになっているフランベルジュの下へ向かう。
そんなディーンを見送りながらシュズヴェリイはため息を付いた。
「いいのか? 組織の一員としては禁断の行いだぞ」
「掟は尊守すべきだが、ぼくはいい加減この島の秘密が知りたくてね。 誰かの手のひらの上で踊るというのは、何よりカンに触る」
「響はどうなんだ? あの男を信じるのか?」
「へっ? 疑うもなにもあれは本物ですし、本物のジャスティスさんが悪い事をするはずないですから」
両手を背後で組みながらやわらかく微笑む。
その心の底からあの男を信じきった笑顔にシュズヴェリイはさらに盛大にため息を付く。
なんというかまあ、そりゃそうなんだが。
「同意、なんだがな・・・・・」
フランベルジュの体を拘束していた鎖に触れると手を焼け付くような痛みが貫いた。
それは当然のことだった。 そういう封印だった。 焼け付く、というより氷ついたそれを強引に掴み、歯を食いしばって引きちぎる。
「フランベルジュッ!! 大丈夫かッ!!」
手が凍りつき、血を噴出しても男は手を休めることをしなかった。
その後姿を響は見つめる。 そう、あの男はそういう男だった。
目を閉じればいまでも鮮明に思い出せる。 いつでも一生懸命で、笑っていた少年のような姿。
夕暮れの道を翻る黒いコート。 真夏だというのにその姿は暑苦しく、しかし何より鮮明だった。
「フランベルジュッ!!!!」
いつだって叫んでいた。 本当はきっと沢山の苦しみや悲しみを抱えていた。
それでも彼は笑っていた。 その力強さにどれだけ救われたことだろうか。
胸に手を当てる。 少しだけ熱くなる。 少しだけその背中に駆け寄りたくなる。
しかし彼が見ているのはいつでも自分ではなく、きっと彼女・・・・・彼女だった。
「はあ・・・・はあ・・・・・っっづう・・・・・っ!! くそ、こんなもんで封印すんじゃねーよ!!」
輝くその瞳はきっと、自分を見つめていてくれた。
それは父のようで、兄のようで、友のようで、まるで恋人のようで。
そう、きっと、それは彼なりに自分に対して責任をとるための行いだった。
それは重さを持つ、生ぬるく、寂しくて、残酷な日々。
明るく、微笑み、その中で、どれだけの、日々や、過去や、悲しみや、愛や、勇気や、心を。
想いを、想いを、想いを、その胸に、そうして生きたのだろう。
彼もまた、素直になれず、自由になれず、その翼を鎖で縛りつけ、生きていた。
彼になれない、彼にはおいつけない、彼とは同じになれない。
だからきっと・・・・それは恋だった。
淡い初恋。 ほんの少しの憧れ。 胸に点された灯、それを運んできた風に憧れて手を伸ばしただけ。
責任や重圧というものからその翼を解き放ち、後押しをするのはきっと自分の役割で。
だから駆け出した。
「ジャスティスさん・・・・・・お姉ちゃんのことを・・・愛してくれますか?」
微笑み。 それは、目の前に居る存在が自分の姉だととっくに気づいていたと告げていた。
力強いウソ。 いつでも自分に言い聞かせていたこと。 だから耐えられた。 だから一緒に居られた。
姉が自分を殺そうとしたことも、自分が重荷に過ぎなかったことも、本当は全て気づいていた。
だから少女は微笑む。 その翼を鎖から解き放つために。
「ここから・・・・連れ去ってあげてくれますか?」
「・・・・・・・・・・響・・・・・お前・・・・・・・・全部・・・・・?」
男は静かに頷き、それから目を伏せ少女を見つめる。
「ああ。 おれは・・・・・秋風渚を、心の底から愛しているよ」
二人は同時に凍てついた鎖を掴む。
体を貫くような鋭い痛み。 しかしそれすら今は心地よい。 この痛みの先に、
伝えたい言葉は沢山あった。
「お姉ちゃんっ!!!」
二人の手により引き裂かれた鎖が宙を舞う。
その破片と解き放たれた封印が部屋中に走る光の中、フランベルジュは目を覚ました。
疲れ果て、虚ろな瞳の少女を男は抱き起こし、その額を指で小突いた。
「おーい・・・・こちとら必死に起こしたんだから・・・ちったあしっかりしろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
しばらくの間寝ぼけたように首をかしげ目の前の男の顔を見つめていたフランベルジュ。
そうして数分が過ぎる頃、慌てて身を乗り出し男の顔に触れ存在を確かめた。
「まっ・・・まっ・・・ます・・・・マスターッ!?」
「マスターです」
「ゆめ・・・・じゃないの・・・・?」
「残念ながら現実だ。 お陰で手がこんなになっちまった」
「あっ・・・ああっ・・・・・酷い怪我・・・・・じゃなくて、どうして・・・・・・?」
状況が全く把握出来ていないメイドの肩を叩き、自分の隣を指差した。
そこには涙を浮かべながら微笑んでいる妹の・・・・響の姿があった。
その姿に酷く戸惑い、肩を震わせ声を殺して涙を零した。
顔を両手で覆い、みっともなく、何度も何度も嗚咽を漏らし、頭を下げる。
「ごめんなさい・・・・・・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・っ」
ごめんなさいと。
全てのことにごめんなさいと。
悲痛な姿で、本当の姿で、少女は涙を流す。
響は何も言わずその体を抱きしめ、何度も頷いた。
「いいよ・・・・いいんだよ・・・・いいに決まってるじゃない・・・だって私たち・・・・姉妹でしょ・・・・?」
「うっ・・・うう・・・・響・・・・ごめん・・・・ごめんねぇ・・・・っ!!!」
抱き合い涙を流す姉妹の姿に安堵のため息を漏らしたジャスティスはシュズヴェリイに投げ渡された包帯を腕に巻き、髪をぽりぽりと掻く。
「ん・・・・この包帯どこから出したんだ」
「わたしはいつも包帯を体に巻いているからな。 貸してやる」
「ということはロリの素肌に巻かれていた・・・・ぐへえ! 蹴るなよ!?」
「ったく・・・・本当にデリカシーの無い男だな・・・・」
顔を赤らめながら何度も足に蹴りを入れたシュズヴェリイはそっぽを向く。
苦笑を浮かべた男は入り口を振り返り、そこに立っている少年に声をかけた。
「よう、きみで最後か?」
光を背に立っていた少年はその声に凍結室へ足を踏み入れ、そのままずんずん歩いてディーンの目の前に立つと胸倉を掴みあげ、顔面を思いっきり殴り飛ばした。
本来ならばダメージにもならない些細な攻撃。 しかし不意打ちだったせいか男はハデに吹っ飛び氷の大地に倒れた。
押し入ってきた少年、結城刹那はその拳を解きながらため息をついて男を見下ろす。
「ふう・・・・すっきりした」
「ぼくたちの気持ちを代表してくれたようだな」
「自業自得だ」
「あのくらいじゃジャスティスさんはへっちゃらですよー」
「マスター!?」
それぞれが別々のリアクションを取る中、腫れた頬を押さえながら涙目で立ち上がる。
「なんで初対面の男に殴られてんだおれ・・・・?」
「あんたに殴られる覚えはなくても、こっちには殴る覚えがあるんだよ」
拳を構え、ファイティングポーズを取る。
「来いよ。 あんたとはどうしても一度、喧嘩しておかなきゃ気がすまねぇ」
「・・・・・・・・・・・見たところなんの力もないようだが、そんな子供をいじめるのは趣味が悪くないか?」
「手加減なんかしたら殺すからな。 全力で来いよ・・・絶対に負けねえ」
「・・・・・やれやれ・・・ま、こういうノリも・・・・・」
心理領域で身体能力を強化する。 その濃く厚い理論に誰もが息を呑んだ。
それは間違いなくジャスティスという番号を与えられた男の最強の姿。
そんなものが一撃でも刹那に直撃すれば死は免れられないほどの。
だというのに少年は握った拳を震わせ、恐怖に臆す事もなく駆け出した。
「嫌いじゃねえから、なっ!!!」
迎撃の蹴り。 大気を振るわせる強引過ぎる、しかし必殺の威力を持った疾風。
氷が砕け、その影に飛び込んだ刹那の体ごと遠く高く宙に放り投げ吹き飛ばしていく。
「じゃ、ジャスティスさん!? 刹那君やめて、死んじゃうよ!?」
「うるせえっ!!!」
たった一撃で立つのもやっとだった。 全身が痛み、これ以上は無理だと叫んでいる。
全てのものがうるさい。 今は集中したい。 あの男の顔面に拳をぶち込むことだけに。
血の流れる額を押さえることもせず少年は歩き出す。 その瞳は真っ直ぐ男を見つめている。
駆け出したその足が、その呼吸が、その目が、全てを語っている。
だから男は容赦せず、少年を迎撃した。
巨大すぎる扉が伊織の目の前にあった。
余りに大きすぎる、扉と呼ぶには少々強引過ぎるそれには木を模した紋章が刻まれており、それそのものが巨大な理論であることが感じられる。
「・・・・まるで世界樹ね・・・・・文字通り、ここは巨大な島を支える中枢、ってことか」
凍結室よりもさらに地下、最奥に存在する部屋。 ここは室長権限でも立ち入る事が出来ない場所。
だから伊織は携帯端末を使い扉をハッキングする。 普通のそれでは不可能だとしても、自分の室長権限を足場に行えば可能になる。
こんな日が来ると思っていた伊織。 そのため、今のために用意していたプログラムを走らせる。
汗が滲む。 優等生気質である伊織にとって禁忌を犯すことは非常に勇気を必要とすることだった。
それでも尚この扉の向こうに何があるのかを知りたいと感じたのは、これ以上何も知らないまま何も対応をとらないまま放っておいたらなにかとんでもないことになるような予感がしていたから。
そう、何もしなければ何もかわらない。 誰かが変えた運命と言うレールの上をぼんやり進むことしかできない。 そうした未来は自分にとって幸福なものには決してなら無いと少女は知っているから。
友のため、仲間のため、そして今は自分のため、何かを帰るため、必死でキイを打ち込む。
「知りたいのよ・・・・多くの悲しみや苦しみを生み出しているものがなんなのかを・・・・!」
扉が開く。 ゆっくりと停止していた時間が動き出すかのように。
重苦しい空気と白く濃い霧が溢れ出してくる。 思わず口元を押さえたのは正解だった。
無味無臭、しかし吸い込むだけで気分が悪くなるような、気が遠くなるような霧。 まともに吸い込んでいたのならばその場で伊織は気を失っていたのかもしれない。
しかしその時彼女は気づいていなかった。 この霧を生み出しているものがなんであるかを。
ゆっくりと、長く続く狭い通路を歩いていく。 黒塗りの、壁にびっしりと何らかの文字が刻み込まれた通路を。
その最果て、全てのものがたどり着くであろう恐らくこの物語の終着点、巨大な宝石のように輝く氷の中、一人の少女が鎖で縛られ眠っている。
それは形式だけ見れば巨大なだけの凍結室だった。 フランベルジュが眠っていた場所と大して変わらない。 しかしその封印の重厚さは比べ物にならないし、中に封じられているものも比べ物にならない。
何が比べ物にならないのか? それは、
「なんて・・・・凶悪」
息を呑む。 氷付けの美少女。 儚く美しいそれは、しかし禍々しい何かを放っていた。
世界全てを恨み、呪い、滅ぼそうとでも無邪気に願うように、氷はじんわりと霧を放っていた。
それは、毒でも兵器でもない。 しかし純粋すぎるが故に、残酷すぎるが故に、毒であり兵器であり、ただの人の思いでもある。
純粋な悪意、殺意の類。 にじみ出たそれはこの空間では霧となり、人の体を犯す。
吐き気のような感覚に口元を抑える。 咳と共に口から飛び出してきたのは大量の血液だった。
何が起きたのかわからず呆然とする頭。 慌てて自分の周りに心理領域を発生させ霧を防ぐ。
「ごほっ・・・・げほっ・・・・うっ・・・・うううっ・・・・!?」
膝を突き、喉を押さえる。 この場に来て僅か数十秒。 その僅かな間で既に全身を悪意が貫いていた。
そんなものがあるのかと信じられないような残酷で純粋な悪意。 恐怖で体が震える。
しかしここまできて引き下がるわけには行かない。 これがなんであるかを確かめる必要がある。
ゆっくりと氷に迫る。 氷そのものが十メートル以上のサイズをしている以上ありえないとわかっていても中で眠っている少女がおそいかかってきそうな、そんな恐怖に駆られる。
息を呑む。 必死で近づき、震える足を押さえ、それを見つめる。
「はあ・・・・はあ・・・・はっ・・・・・・・?」
そこにいる人物に見覚えがある自分にまず驚いた。
それは確かに、見間違えるはずがない、それは・・・・。
「残念だよ・・・・ここにたどり着いたのが響じゃなくて君だったなんて」
「え?」
背後からの声に振り返るより早く、何かが胸を貫いていた。
その痛みと燃えるような熱さに自らの胸を貫いているものを凝視する。
それは剣のような何かだった。 漆黒の刃。 引き抜かれると同時に血が吹き出る。
振り返りながら倒れた。 そこにきてようやく気づく。 ああ、自分は背後から刺されたんだ、と。
「だ・・・・れ・・・・・・?」
ここへは誰も立ち入ることが出来ないはず。 だからこそ警戒心が緩んでいた。
揺らぐ視界で必死に顔をあげる。 悪意により弱った体には厳しすぎるダメージ。
「・・・・・・・・・・ルル・・・・イ・・・エ・・・・」
少年は笑顔を浮かべながら屈み、少女の頭を撫でる。
「今までご苦労様。 よく頑張ってくれたね、伊織」
「ごふっ・・・・・・」
大量の血液を口から吐き出し、体を震わせながら少女は手に力を込めようとする。
理論武装を構築しようとするその手に漆黒の剣を突き刺すとルルイエは立ち上がる。
「でも君の欠点はいい子過ぎるところだ。 余計な事には首を突っ込まないほうが身のためってこと」
「どうして・・・・あなたが・・・・・・?」
「確かに僕は君にアドバイスをしたりもしたね。 でも僕は基本的に中立だから、組織だけの人間じゃないってこと」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
意識が薄れる。 このまま眠ってしまったらもう目覚められない気がする。
せめて、誰か・・・ルクレツィアに真相を告げる必要がある。
何度も何度も力を込めて必死で立ち上がろうとするのに、力が入らない。
「まあどちらにせよもうこの組織は必要なくなったからいいんだけどね。 それじゃあさよならだ、伊織」
剣を引き抜くと少年は笑顔を浮かべる。
世界が歪んでいく。 血をぶちまけながら必死で呟く。
「どうして・・・・・・立てないのよ・・・・・バカ・・・・・・・・・・・・・・」
それっきり少女の体は動くことがなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・くそっ・・・・やっぱ負けかよ・・・情けねえ」
氷の大地に寝そべった刹那はもうどうやっても勝ち目が無いことを納得し呟いた。
ボロボロの体、しかし心は先ほどより幾分かすっきりしている。
「ちょっと・・・大丈夫!? ジャスティスさん、どうして手加減しないんですかっ!?」
「男同士の喧嘩は手加減無用だゼ」
「黙ってください・・・・」
「まじでこわっ!?」
刹那を抱き起こし傷だらけの頬に手を寄せた響。 その心配そうな視線から目を逸らし、少年は言う。
「ディーン・・・・あんたのせいでどれだけ響が苦しんで傷ついたかわかってるんだろうな」
「え?」
きょとんと、目を丸くする響を押しのけて少年は立ち上がる。
「オレはあんたを許さない。 あんただけは気にいらない。 そうやってすべて丸く収めたつもりかよ!? 今までいろんな奴が・・・・いろんな人が・・・・お前のために苦しんだんだぞ・・・・っ!!」
叫んだ。
それは八つ当たりだったのかもしれない。 子供すぎてワガママすぎてあまりにも無様。
自分にどうにかできる力があればよかった。 けれどそんなものはなかった。
だからきっとそれは、今の自分の居場所には、本当は目の前の男がいるべきで。
響の隣にも、この組織のみんなにも、頼られるべきは目の前の男で、
自分が何も出来ないで、みっともなくて、それでもあがいていることをあっさりやり遂げてしまって。
目の前の響の顔が直視出来なくて。 悔しくて涙が零れた。
刹那の叫びに誰もが口を閉ざし、息を呑む。 そんな中響は少年の頭を軽く小突いた。
「大丈夫だから」
「でもっ・・・・・!!」
「大丈夫だから・・・・・・ありがとうね」
微笑み、振り返る。
ディーンとフランベルジュ。 響と刹那。 二組の男女が見詰め合う。
「おれたちは行くよ。 やらなきゃいけないことがあるからな」
歩きながらディーンがいう。 その手の先はしっかりとフランベルジュの手を握り締めていた。
嬉しそうに、恥ずかしそうに、しかし申し訳なさそうに両手で少女は男の手を握り返す。
「響・・・・・・・・・おれたちと来るか?」
一緒に来るかと、男は問う。
少女は目を閉じ、隣に立つ少年の手を握り締め、そして背後に立つ騎士と死神を引き寄せ、肩を抱いて微笑む。
「私は・・・・・・」
目を白黒させている騎士と死神、そして憂鬱そうな刹那の顔を見る。
ああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだ。
今まで自分は何を見て何を感じてきたのだろうか。
そうだ、そうだった。 今まで見ようとしていなかった。 翼を鎖で縛っていたのは彼ではない。
「私は、ここにいます。」
自らの翼を放棄し、目を閉じていた。
だから風の問う言葉に少女は再び自らの翼を広げ信じることを始める。
「ここには、私が歩いてきた三年間があります。 ジャスティスさんとは一緒に行きたいけど、やっぱりいけません」
全員を強く抱き寄せ、にっこりと笑う。
「私、判っちゃいました! ここにいるみんなが大好きで、幸せで、ここにある全てが私の歩んできた道で、そして・・・・・」
俯いた刹那に微笑みかけ、そしてその手をいっそう強く握り締める。
「私と一緒に歩いてくれる人たちが居るって」
ディーンはその少女の強い瞳を見つめ返し、呆れたように微笑み、それから頷いた。
「がんばれよ、バカ女」
「響・・・・・・本当に・・・・?」
「うん。 お姉ちゃんはジャスティスさんと一緒にいるのが一番いいでしょ? だからいいよ」
「・・・・・・ごめんね・・・・やっぱりまだ、私は・・・・」
わかっている。 まだ姉妹がお互いを見詰め合うには時間が必要だということも。
きっと風は姉にも吹くだろう。 男はあらゆるものに風をもたらし、足踏みしている暇はないと催促する。
響もまた再びの風にその翼を取り戻し、自らの想いを強くした。
ここにいて、仲間と共に、一緒に戦っていくということ。
逃げるでも諦めるでも縛るでも悲しむでも苦しむでもなく、笑うように踊るように歌うように歩くように生きる。
多くの言葉は要らなかった。 男は頷き、二人のジャスティスはすれ違う。
「またな」
「・・・・・・・・・・・・・・はいっ」
ディーンとフランベルジュが去っていく。
振り返り、その後姿と振り返らない響とを何度も見比べ、刹那は叫んだ。
「いいのかよ!? 何にも言わず、またあいつは行っちまうんだぞ!?」
「目指す場所が同じなら、また会えるよ」
「そうじゃねえだろ!? 言いたい事とか・・・もっとあるだろ!? あいつ怪しいじゃねえか! 敵かもしれないだろ!?」
「敵じゃないよ。 そんなの判りきってる」
「・・・・っ!! どうしてそこまで信じられるんだよ!?」
「信じてるんじゃない・・・・・どんな結果になっても、受け入れる覚悟があるから」
少年は驚きと共に口を閉ざした。 拳を震わせながら首を横に振る。
「わかんねえよ・・・・・どうしてみんなあいつのことをそんなに信じられるんだ・・・・・・・」
それは三人ともわからないことだった。
ただなんとなく、あれはただ吹き抜ける風のようなもので。
どうせほうっておいてもスカートが捲れるくらいの被害しかなくて。
きっとまたどこかの誰かに風を届けるためにあるのだと。
そんな気がするから。
「どうして刹那君がそんなつらそうな顔するんだか・・・・ばかなんだから」
「うるせえな・・・・・」
少年の肩を抱き寄せ、その体を優しく抱き寄せた。
「ありがとうね」
「・・・・・・・・・・・・・・うるせえよ」
「ありがとう」
少年は答えなかった。
ただ成すがまま、抱き寄せる温もりに身を委ねて。
「おほん・・・・そういうのは後でやってくれないか? ぼくらを忘れてもらっては困る」
「わあああ!?」
慌てて離れた二人は顔を紅くしながら慌てふためき、戸惑いながら振り返った。
「ジャスティスが何故目覚めたのか、その理由もままならない状況だ。 とりあえず伊織と合流して現状を整理したいんだが」
「あれ・・・・・そういえば伊織ちゃん、どうしたんだろう? 先に地下に向かったはずなんだけど」
「・・・・・何?」
嫌な予感に眉を潜めるルクレツィア。 すぐさま接続されている無限音階を介してるるるに連絡を取る。
『室長っすか? なんかそこより奥の巨大な凍結室みたいなところで反応が消えてるんすけど』
「どういうことだ?」
『みなさんの反応も今は感じられないっす。 かろうじて通信は繋がってるけど、封印室の構造上内部で何が起きているのかはわからないみたいっすね』
「なるほどな・・・・・とりあえず現地に向かってみる。 ナビゲートしてくれ」
剣を握り締め騎士は踵を返す。
「伊織の様子を見に行くぞ。 付いて来い」
「はあーい」
四人は歩き始めた。
その時はまだ、この先にどんな出来事が待っているのか知らない。
だから歩いていける。 そしてこれが全ての始まりでもあった。
世界の終わりがゆっくりと近づきずつある。
それを眺めながら少年は微笑んでいた。
大地に倒れ動かない伊織の体を見下ろす。
「さあ、ここで待とうじゃないか。 全ての真実を語る瞬間を・・・一緒にね」
血の池が広がっていく。
返り血で汚れた白いスーツが冷気で氷つき、ヒビが入った。
まるで美しいオブジェでも眺めるように、少年はその神の姿に魅入っていた。
そろそろ第二部完結です・・・長いです・・・・。
最近あらすじの部分がただの次回予告になっている気もする今日この頃。
そろそろ過去の文章とか大幅に直したり増やしたりしようかなーとか思ってますがどうでしょうか。
ではくそ長い文章に付き合っていただき感謝。また次回もお願いします。
かしこ。