TRY AGEIN(1)
「わああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
レクイエム本部全体に響き渡るような大絶叫。
その声に職員たちは振り返り、伊織が使っているはずの室長室を見る。
おそるおそる近づくと、そこからちょっとはみ出る形で心理領域が広がり、慌てて下がる。
「あら、お兄さんがいなくなったと気づいた途端凄い慌てっぷりね」
「冷静に見ていないでなんとかしろオカマ!」
職員たちが慌てて走り去っていく執務室内。
月影劇場を発動し部屋から出て行こうとする綺羅をルクレツィアと劉生が必死で引き止めている。
「にーーーーさーーーーーん!!」
両手両足をじたばた振り回しながらアレキサンドリアに抱えられて暴れる綺羅。
執務机に突っ伏した伊織は頭を抱えながらそれを眺めていた。
「まさか二人がいなくなるなんて・・・・・はあ・・・・前途多難・・・・・っていうか、室長失格だわ」
「そ、そんな・・・・伊織さんが気にすることではないっすよ・・・・」
「もう、色々聞きたい事があったのに・・・・・・どうすればいいのかしら・・・・」
「しばらくそっとしておいてあげたらいいんじゃないかしら」
綺羅に蹴られた額をさすりながら劉生が腕を組んで笑う。
背後ではなんとか綺羅を取り押さえたルクレツィアが何度も蹴っ飛ばされていた。
「あの二人、いい加減なところで逃げ出すような弱い子には見えなかったもの」
「でも、いくらなんでも今回のは・・・・もうだめじゃないかしら・・・・」
「友達のあなたがそんなでどうするの?もっとあの子たちを信じてあげなさい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
上目遣いに劉生を見つめ、それから両手で頭をかかると突然立ち上がり、
「・・・・・・・・・探しに行ってきます」
部屋を飛び出していった。
「き、綺羅もいくー!はなして!はーーーなーーーしてーーー!!!」
「ほんと、厄介な組織よねレクイエムって」
「何でもいいから手伝えオカマ!!」
⇒TRY AGEIN(1)
「・・・・・・・・・迷った」
息を切らし、刹那は足を止めた。
組織からここまで全く足を止めずに走ってきたのだ。しかし全くあてなどないし来たばかりのこの大都市の地理など詳しいはずも無く、あっさりと迷子になってしまったのだった。
手をつないでここまで引っ張ってきた響は刹那以上に息を切らして背後でふらふらしていた。
その事実に気づき、慌てて振り返る。
「だ、大丈夫か・・・・?」
「はひ・・・・はひ・・・・・・はふ・・・・は・・・・あし・・・早いんだね・・・・はふ・・・」
「悪い・・・・・えっと、少し休むか?」
ポートアイランドに張り巡らされた無数の水路、その河川敷に二人は腰掛けていた。
三年前、丁度こうしてディーンと共に肩を並べてこの場所を歩いたことを思い出す。
少しずつ降り積もる雪の中、響は深呼吸して水路を眺めていた。
「ん〜・・・・っ! 何気に私、ここに来るの久しぶりだあ」
「そうなのか・・・・オレは初めてだけどな・・・」
「懐かしいなあ・・・・・昔はよく、ここを歩いたんだあ。向こうにね、学校があって・・・・伊織ちゃんや伊佐美ちゃんや・・・・ジャスティスさんと一緒に歩いたんだ」
思い出を懐かしむように目を細め、寂しげに微笑む。
その横顔を眺めていた刹那は突然立ち上がり、響の手を取り、
「今からデートしないか」
「へぇえっ!?」
恐らく響の18年の人生の中で最もおかしな声だったと思われる。
「いいのか? だめなのか? どっちなんだ?」
「えっ・・・えっ・・・・・えっ・・・そんな・・・え・・・・だ、だめじゃない・・・だめじゃないけどっ」
「じゃあ行くぞ。まずは服だ」
再び刹那に手を引かれるまま歩き出す。
今度は少年も気を使ったのか、背後の少女が苦しくないよう歩幅をあわせて歩く。
少年の歩幅は少女のそれよりも広く、少しでもあわせる事を忘れるとすぐにひきずってしまう。
だから少年は優しく、丁寧に、手を引く先の少女が苦しくないように歩く。
そんな歩幅が少しだけ嬉しくて、楽しくて、少女は握り締めた手にきゅっと力を込めた。
モノレールの駅前にある洋服屋に入ると早足で服を物色し始める刹那。
「でも、なんでいきなりお洋服なの?」
「オレたちはこれからデートするんだぞ? こんなお互いわけわからん格好じゃ普通のデートにならない」
刹那は組織で支給されたらしい寝巻きの上に昨日の戦いでぼろぼろになった上着を着ている。
既にそれは外出用のものであるとは言い難い。
響のほうはまるで男もののコートを羽織り、いつもの怪しい格好のままだった。
「何がいいと思う?」
「え・・・・っと、好きなのでいいんじゃ?」
「・・・・・・・・・・・・ハッキリ言っていいか?」
「え?うん、どうぞ?」
「オレは生まれてこの方デートなんぞ綺羅としかした事がないのでどうすればいいのかさっぱりわからなくて今実はこう見えてもめちゃくちゃ緊張してるんだ。年上ならエスコートしてくれ・・・・・」
いつもとあまり変わらない表情。
それが少しだけ照れくさそうに見えるのは彼のことを知ったからだろうか?
思わず笑いがこみ上げ、口元を押さえながら肩を震わせる。
「わ、笑うな」
「だってえ・・・言い出したくせにすっごく無責任なんだもん」
「悪かったな・・・・・・」
照れ隠しなのか、シャツの列に手を突っ込みあさっている刹那。
その横に並んで響は服を手に取り微笑む。
「一緒にえらぼっか?」
「あ、ああ・・・・・」
それから二人は一時間以上店内をうろつき、服を選んだ。
こうじゃない、ああじゃないとお互いに文句をつけながらお互いの服を選ぶ。
なんてことはない、友達同士だってやるようなそんな時間がお互い楽しくて仕方がない。
「結局そのコートは手放さないんだな」
「これは特別品なの」
「・・・・・・じゃあそれ、オレが預かっておくよ・・・・男物だろこれ・・・・」
「あ・・・・うん」
店員に見送られ二人は店を出た。
店に入った時と服装があまりに違いすぎてお互いの姿を見て笑いあう。
「なんじゃこりゃーっ」
「全くだな・・・・・」
白いセーターとスカートを合わせた響が照れくさそうに振り返ると、そこには響のコートを着た刹那の姿があった。
その姿に思わず時間が止まったように見入ってしまう。
「・・・・・変か?」
「あ、いや、うん、にあってるにあってる、刹那君顔かっこいいもんね」
「そうか・・・・?」
自覚はないらしい。
何はともあれ今は高鳴っている心臓を静まらせる必要がある。
そのコートはジャスティスが着ていたものを手直ししたもので。
それがあんまりにも刹那に似合っているものだから。
だからきっと胸がドキドキするのだろうと思う。
「雪、止まないな」
赤いマフラーを巻いた少年は空に手を翳す。
降り積もる浅い雪道の上に足跡を残しながら、少年は歩き始めた。
駅前のコインロッカーに荷物を預け、かつて響が歩いた通学路を肩を並べて歩いていく。
行く先では共同学園の制服を着た生徒たちがちらほら見え、懐かしさに胸が温かくなった。
「共同学園かあ・・・・懐かしいなあ・・・・あっ!あそこでね、よく私転んでたんだよ!嫌な思い出だけど今思うとちょっとなつかしいな・・・」
「普通あんな何も無いところで何度も転ばないだろ・・・・のろわれてたんじゃないか」
「ひどいよ〜」
共同学園を覆う巨大なフェンス越しに二人は校庭を眺める。
かつてそこにはディーンが立っていて、それが二人の出会いだった。
校庭を今も伊佐美が走っているような気がして思わず胸が熱くなる。
「なつかしーっ・・・・・よくそこの芝生から伊佐美ちゃんが走ってるの見てたなあ・・・・あの頃の私ってほんと内気でドジで・・・今もだけど・・・」
ぺろりと舌を出して笑う響の隣、刹那は微笑みながら黙って話を聞いていた。
響は学園で会ったことを何度も何度も繰り返し楽しそうに語った。
いじめられていたことや、伊佐美に助けてもらったこと。
伊織と伊佐美に引っ張られまくって帰った帰り道。
いい思い出はほんの僅かであとは苦しい記憶だったこと。
それら全ても今はもう愛しく思えること。
「卒業したかったな・・・・・みんなと一緒に」
フェンスを握り締める指に少しだけ力が入り金網が食い込む。
「刹那君には悪いことしちゃったね。学校、行けなくなっちゃったもんね」
「オレは・・・・・いいよ。そんなつまらないところでも無かったけど、今の自分の位置も気に入ってる。それにもう二度と会えないってわけでもねえしな」
「・・・・ねえ、刹那君ってどんなことしてたの? なんか、私ばっか喋ってるから・・・」
「オレ?オレはバイトしたり、ケンカしたり、結構不良だったんだぜ? 友達はバカばっかりで、でもそこそこ楽しかったっけ。綺羅の見舞いに行ったり、バイトしたり・・・・・・特別なことなんかなくて、普通で、でも幸せだったと思う」
「そっか・・・・・」
町を歩く。
帰り道、アイスの話をしたりもした。
モノレールに乗り、どこまで乗っても一定料金だからと、何度も何度も町を廻ったり。
三年前フランベルジュと共に露天を開いた場所には他の露天が出ていた。
いつだったかメイド服を来てアクセサリを売ったこと。
三年前住んでいたアパートに向かってみると、そこにはもう別の建物が建っていた。
『仕方ないよね』と寂しげに笑う。
少しずつ強くなる雪に喫茶店に入り、そこで軽食を食べる。
窓辺に積もる雪を眺めながら刹那は腕を組んで少しだけ眠った。
病み上がりには違いないので、本来はこんなに歩き回っていいものではない。
その隣に座り、響もまた目を閉じ肩が触れるか触れないかの距離で息を潜めた。
日がくれ始め、歩きつかれた二人はカラオケに入ることに。
「だっだだーだらだっだっだーだっだだだーーー!!!」
そしてアニソンを熱唱する刹那。
歌には自信がある二人は我先にと予約を入れまくり、マイクの取り合い状態。
予約欄がいっぱいになってしまっているのを見て笑いあったり。
何時間も歌って、響が一銭も持っていなくて結局刹那が料金を支払って。
夜の街を二人して何の目的もなくだらだらと歩き回る。
時には店に入り、時には何も考えず座り込み、お互いの話をした。
懐かしそうにこの町のことを語る響の思い出にはいつもディーンやフランベルジュの姿があり、それがどれだけ彼女の中で大事なものだったのか痛感する。
お互いずっと気になっていたがいえなかった体の血なまぐささを指摘しあったのはこの頃だった。
フランベルジュと共に入った銭湯に二人で入る。
男湯と女湯の暖簾の前で待ち合わせし、タオルを首からかけたまま寒空の下を歩く。
雪が積もり凍った響の髪を刹那が払う。
手を繋ぎ、それからまた下らない話を何時間も語り合った。
あまりにも普通で、あまりにも特別で、何故今までこんなことがなかったのだろうと、疑問に思ってしまうほど響の中でその時間は楽しくて。
そうして二人はいつしか東京へ出る連絡船がやってくる港にたどり着いていた。
「ついたねー」
「果てしなく壮大な遠回りだったな」
「まあ、もう深夜だし連絡線は出てないけどねー」
とっくに無人になった船着場、降りたシャッターの前にある屋根の下、二人で並んで立つ。
雪は結局一日中降り続き、止む事はなかった。
両手を合わせ息を吐きかける響の隣、刹那はマフラーに顔を半分埋め、両手をポケットに突っ込んでいる。
沢山のことを話しつかれたのか、二人は何も言わずに空を見上げていた。
都会の光が照らす空から降り注ぐ雪はどこか神秘的で、人気のない薄暗いこの場所だからこそそれらがより美しく感じられる。
「なんか・・・・・・あっという間だったね・・・・・・」
「楽しい事は早く感じるな」
「うん・・・・・・・今日は、ここ数年でいっちばん、楽しかったわ」
二人は黙って空を見上げる。
きっと同じ事を考えていたのだろう。光も届かない場所で二人は顔を見合わせる。
ここで朝まで待っていれば、この島から抜け出す事が出来るであろう。
そうしてどこまで行けばこの現実から逃げられるのかはわからない。
それが一瞬でも、無謀でも無策でも、この場所から逃げられるかもしれない。
朝が来れば一つの答えが出る。ここから逃げるかどうか、本当に決めることになる。
逃げるといったってどこへ?なにから?様々な疑問が浮かび上がる。
けれど、一度くらい逃げてしまってもいい気がした。そんなのも悪くないと思えた。
何もかもまじめにカンペキにやっていくのは疲れるものだ。少しくらいサボっているくらいのほうが案外うまくいくもの。
朝までの長くて短い時間、お互いに決めねばならない。
自分の今後の身の振り方も、自分が何をなすべきかも。
「お前・・・・・前のジャスティスを助けたくて、戦ってるんだそうだな」
「・・・・・・・・・・・・まあね」
どこから聞いたのか、という疑問よりもそれを知られてしまったか、という諦めのような気持ちがあった。
刹那から視線を外し、自分自身でももやもやしている気持ちに苦笑する。
「今となっては、本当にそうしたかったのか・・・・よくわかんないや」
「どういうことだ?」
「結局、私は自分が嫌いだったのかもしれない・・・・ただ自分が嫌いで、認められなくて、自分の罪を消し去ってしまいたかっただけなのかもしれない」
「・・・・・・・・本当は闘いたくないんだろ?」
「そうかも・・・ううん、きっとそうだね。本当は闘いたくなくて、ずっとずっと逃げ出したかったんだ、私」
目を閉じ、そう気づく事で自分自身の胸がすっと軽くなるような気がしていた。
しかし同時にそれはひどくなさけなくて、かっこわるくて、自分がちっとも成長していないという証拠でもある。
恥ずかしさと申し訳なさに苦笑しながら目を涙で潤ませる。
「もうやだよ、闘うの。痛いし苦しいし・・・・人を傷つけるの、やなんだ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「どうしてかな?どうして人は傷つけあうのかな?どうして傷つけあって生きていかなきゃならないのかな・・・・?どうして許したり許されたり出来ないのかな?よく、わかんないよ・・・・」
その場に座り込み、俯きながら手を両手を合わせきつく握り締める。
「一人じゃなきゃ傷つけあっちゃう・・・・そんなのもうやなんだ・・・・・一人ぼっちなら誰も傷つけなくて済むよ。でも、それじゃ寂しくって、耐えられないんだ・・・・ほんとなさけなくてかっこわるくて、どうしたらいいのかわかんないよ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・オレも・・・・一人ならよかったと、思うことはあるよ」
涙を湛えた瞳が刹那を見上げる。
視線を合わせず、降り注ぐ雪を見つめながら刹那もまた目を細めた。
「でも、本当に一人になったことはないから・・・・その苦しみも寂しさもよくわからない。結局オレにはいつも綺羅がいてくれた。あいつがオレの心を支えていてくれたからなんだって出来た。だから、きっとオレは幸せだったんだ」
「私にもフランベルジュがいてくれた。いつも、一緒にいてくれた・・・・・フランベルジュとだけは心が繋がってるって信じてた。でも、今は感じられないんだ・・・・・・・どこでも呼べば応えてくれたのに・・・・・どうしてかな?私、嫌われちゃったんだろうね・・・・・・いっつもなよなよしてるし、感情抑えられないし・・・・・・ジャスティスさんを・・・・だから・・・」
響は知らない。フランベルジュが姉そのものだということを。
そしてフランベルジュが響を心から愛することが出来なかったということも。
今でも彼女のことを信じている。彼女が自分を殺そうとしたことなど知りもせず。
それが悔しくて拳を強く握り締める。
「一人はやだよ・・・・・寂しいよ・・・・・・苦しいよ・・・・・・でも、人と関わればもっと苦しいよ・・・・・・どうしたら、いいのかな・・・・どうするのが、正解なのかな・・・・わかんないよ・・・・・わかんないよ・・・・・・・」
肩を抱いて涙を零す少女を見下ろしながら少年は何も言わず目を伏せた。
空は寒く、凍えるように町全体を吹き抜けている。
ポケットに手を入れたままの刹那は、寂しそうに呟いた。
「逃げ場なんてないって、本当はわかってるんだ」
汗ばんだ手のひらを何度も何度も握り締めては開き、そうして振るえる体を落ち着かせる。
「オレもあんたも、逃げ場なんかない。逃げるもなにもないんだ、この世界は・・・・」
シャッターを背に息を大きく吐き出した。
そんなことはお互い判っている。判っているからこそつらい。逃げられないし、退路は最初からない。
「・・・・・・・ディーンのことは・・・・もう、忘れろよ」
刹那が口にした言葉に響は思わず目を見開いた。
「どこで・・・・・それを?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・悪い」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
長い沈黙だった。黙り込んだ響は立ち上がり、それから目を伏せ、拳を強く握り締め、何度も何度も、握り締め、それから顔を上げた。
「・・・・嫌いに、なった?」
鼻声だった。
ぼろぼろ涙を零し、先ほどまでの笑顔はもうどこにも見当たらない。
何度も嗚咽を上げながら、肩を震わせて両手を強く握り締める。
手のひらに食い込んだ爪から血がにじむほど、それは強い。
自分自身を許せない気持ちとフランベルジュやシュズヴェリイに対する罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
あれから強くあろう、強くあろうと、必死で走り続けてきた。
それでも一日たりとも自分を許せた日はなかった。
その責任から逃れたいと毎日毎日願ってきた。
誰にも愚痴を言う事も、弱音を吐く事も出来なかった少女は気が狂いそうになる遠い日々の中、必死で自分自身を強く在らせようとすることでその暗闇を塗りつぶしてきた。
知られたくなかった。心の底からそう思っている。思い出したくもない日々。忘れる事も出来ないディーンの言葉。
馬鹿みたいに涙を流し、立っていられないほどの胸の痛みに膝をつく。
「きらいにっ・・・・なっ・・・ったあ・・・・っ?」
零れる涙は雪に吸い込まれていく。
何故ここまで、刹那にあの事を知られてしまったのが悲しいのだろうか。
いや、そうではないのかもしれない。誰でもよかったのだ。
誰にも知られてはならなかったのだ。誰かに知られることで自分自身の築いてきたものが崩れてしまう気がしたから。
しかし思えばそんな見栄はひどく脆いものに過ぎなかったと気づかされる。
結局秋風響という少女はまだ少女に過ぎず、それ以上でも以下でもなかった。
責任も、苦しみも、歳相応にしか背負う事が出来ず、決意することもできなかった。
ただそれだけの話で、別に特別でもなんでもない話で。
ただ、嫌われたくないと、本気で願っている自分がいた。
「ならないよ」
同じように膝を突いた刹那が目の前で笑っていた。
「嫌いにならないよ」
響の頭に積もった雪を払いながらその頬を伝う涙を拭う。
「嫌いになんかならない。人を責める資格なんかオレにはないし・・・・・」
それになにより、こんなに苦しんでこんなにがんばった人を、どう嫌えばいいのかわからないから。
「大丈夫だ」
震える体を強く抱きしめる。
その背中をあやすように何度も擦り、何度も何度も大丈夫と繰り返す。
響もまた刹那の背中に手を回しコートをぎゅっと握り締め、胸に頬を埋めた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・暖かいね」
「オレは猛烈に恥ずかしいが・・・・」
「ふふふ」
「・・・・・・・なあ、響・・・・・・オレたちは、きっと一人じゃない・・・・・みんながいる。みんなは、お前のこと本気で心配して、本気で友達だと思ってる。今だって俺たちを探しているかもしれない。確かに、裏切られたり、傷つけあったり、オレたちまだバカだし、ガキだし、そういうふうに苦しい事いっぱいある。いっぱいいっぱい、あるよ。でもさ・・・・」
その瞳をじっと見つめながら、誠心誠意を込めて言う。
「それでもオレたちは一人じゃ生きていけないから。だから、一人じゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ぼんやりと、気の抜けた顔で刹那を見つめ返し続けている響。
その状態にかなり恥ずかしくなってきた刹那は思わず目を逸らしたが、響の手が頬にふれ強引に目をあわされてしまった。
濡れた瞳がすぐ目の前にあり、お互いの息が顔にかかっている。
その状態が続いていることに刹那はかなり緊張し、既に顔がこわばっている。
というのに、響はさっきからぼんやりとその目を見つめており、全く動く事が出来ないでいた。
「ねえ」
「な、なんだ・・・・・・・・?」
「デートの最後にすること、おしえてあげよっか」
「は・・・・?」
目を逸らす事が出来ない。
まるで魅入られてしまったかのように、濡れた瞳を見つめたまま、響の唇が触れていた。
唇と唇が触れ合う暖かく生ぬるい感触に背筋がぞくぞくする。
「んっ・・・・・?」
短いキスが終わると、響はぺろりと唇を舌で舐め、眼帯を外し、真紅の瞳を露にして再び刹那を見つめる。
呆然としたまま全く身動きが取れないでいる刹那を強引に押し倒し、再び唇を奪った。
「ん〜っ・・・・んんっ・・・・ん〜・・・・・」
深く触れ合う唇。
舌と舌が絡み合う優しくてどろりとした感触。
何がなんだかわからなくなってくる真っ白い思考。
長いキス。何度も繰り返し、何度も何度も、唇を重ね、互いの心臓の音に驚く。
雪の上に倒れた二人は見つめあいながら唇を指先でなぞり頬を紅潮させる。
「いっ・・・・・・・いきなり何すんだてめぇっ・・・・」
「キス」
「そりゃわかってる・・・・・あー・・・・・・つめてえ」
「汚れちゃったね・・・・・・服」
けろりと笑っている響に引っ張り起こしてもらったものの、コートの裏側は雪の上に寝そべったせいで湿っていた。
ため息をついて響の方を見るとやはりけろりと笑っている。
全くなんだったのか判らない刹那だったが、あまり深く突っ込むのも恥ずかしいので黙ることにした。
「ね・・・・・・・私たち、付き合おっか?」
「は?」
「刹那君なら・・・・何されてもいいよ」
赤く染まった頬、潤んだ瞳、胸元に手を当て、ゆっくりと歩み寄る。
上目遣いの瞳に頭がくらくらしてくる。今更冷静になって響をみてみると、とんでもない美人だった。
それとデートとはまた自分も思い切った事をしたといきなり一日の出来事が恥ずかしくなる。
それにしてもいきなりすぎる。喉がカラカラだ。どうすればいいのかわからない。
「お、オレは・・・・そ、そのっ・・・・」
「・・・・・・・・冗談だよ、あははははっ」
はあ? と、言いそうになった。
「年下のクセに生意気だぞ〜?」
「は・・・・・おま・・・・えなあ・・・・・っ!!!人がせっかくまじめな話してんのに!!」
食って掛かる刹那の手を取り、響も照れくさそうに笑う。
「私だって恥ずかしいんだから、少しは紛らわせてよ・・・ばか」
「うっ・・・・・・」
腕にしがみついた響を振りほどく事も出来ず、小さな屋根の下身を寄せ合いながら空を見上げる。
「付き合うのは、なしにしようね・・・・・」
「あ?ああ・・・・」
ちょっぴり残念である。
「でも・・・・・時々、頼ってもいいかな・・・・?そしたら私、がんばれる気がするんだ」
「・・・・・ああ。オレも世話になるだろうけど、一緒にがんばろう」
「うんっ!」
初めて、響の本当の笑顔を見た気がした。
そしてその可愛さに驚くしかない。
今までどうして全く意識しなかったのか謎なくらいに、秋風響は可愛かった。
つい先ほどの唇の感触を思い出しくらくらする頭を抑えて空を見上げる。
あともう少しだけ、朝が訪れるまで、こうしていようと思う。
決断を下す前に、逃げていられるうちに、何もかもが止まっているうちに。
あとほんの少しだけ、猶予が欲しい。
絡めた指先から伝わる温もりが胸を満たしていく気がする。
一人ではないという幸せ。
この先、自分たちはわかちあっていけるのだろうか?
言葉はなく、涙もない。
降り積もる雪は全てを白く塗りつぶし、
また明日の朝には、違う世界を生み出すだろう。
まさかただデートして終わるとは思いませんでした。