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祈りをとどけて(3)

どこで間違えてどこで罪を侵しどこで誰かに叱られたのだろう?


「ディーン・・・・僕たちこれからどうなるのかな」


「知らん・・・・でもまあ、悪いようにはなんないだろ」


雪の振る異国の町を二人の幼い少年が歩いていた。

当時10歳にも満たないディーン・デューゼンバーグとベルヴェール・ロクシスは手を繋ぎ、人々が行きかう町の隅をひっそりと隠れるように歩いていた。

そうした生き方しか出来なかったししてこなかったしするつもりも無かった。

それでも二人の人生においてその時が最も幸せなときだったのかもしれない。

二人の出会いは孤児院をかねた教会だった。お互い雪の中に放置されたという身の上から少しだけ共感し、お互い他人とうまく関われないというアマノジャクがたたりなぜか逆に仲良くなってしまった二人。

兄弟のように、友のように、いつも二人は一緒に過ごしてきた。

どんな苦痛も悲しみも寂しさも一人でなければ耐えられる。

誰からも嫌われた孤児院よりも、当ても無くさまよう一瞬の日々の方が彼らにとっては価値のあることだった。

ぼろぼろの靴の中しもやけた足、つないだ手を覆うのはやはりぼろぼろの布。

巻かれたそれらは寒空の下ほんの僅かだけ暖かく、誰かと共にあるぬくもりを教えてくれる。


「おれはいつかこの町を越えて、世界も超えて、絶対に踏み越えて、行くんだ」


「どこに?」


「そんなのわかんねー・・・・でも、絶対いくんだ。こんなところで終わるおれじゃない!」


「・・・・・僕も一緒に連れてってよ」


「そんなの当たり前だろ?お前を置いていくわけがねえだろ」


「・・・・うん!」


「一緒に行くんだ、ベル・・・・!世界はこんなもんじゃない!もっと広くて、蒼くて、澄み渡る空のように光り輝いていて、どこまでもすげえ果てしなく続いてて、そして・・・・すげえ、美しくて清清しいものなんだ」


曇った空の隙間から差し込む光に手を伸ばす。

その目はいつでも遠いどこか、まだ見ぬ理想を追い続けていた。


「一緒に行こう、ベル・・・・・・・・・おれが連れて行ってやる。新しい世界に」


微笑みとあてもない夢と理想を語ったしもやけだらけの小さな手。

その手がどれだけ暖かく強く頼れるものだったか、その力強さを覚えている。


だから忘れない。


世界はきっとこんなもんじゃないって。


もっと広くて、蒼くて、澄み渡る空のように・・・・・・・。


「ディーン・・・・・君の心は、今どこを漂っているんだい?」



蒼い光と真紅の瞳を覚えている。

世界すら変えてしまいかねない巨大な力を覚えている。


その力がどれだけすばらしいものなのか、

世界はどれだけすばらしいものなのか、


覚えている。



⇒祈りをとどけて(3)




晴れ渡った世界の中、ただ一点だけ曇っているように少女は濁って見えた。

黒という色が他の全てを塗りつぶしてしまうように、たった一滴零れ落ちた雫は世界というキャンパスをみるみる塗りつぶし濁していく。

漆黒の、しかし冷たさからは気品すら伺えるその笑みはどこか純粋で輝いて見える。

長髪を指先でなぞりながら光沢を楽しむように目を細め、少女は笑顔を浮かべる。


「ね、どんな気分?」


響の両肩を掴み、顔と顔を寄せて、


「自分自身が目の前に居るのって」


唇と唇が触れ合いそうな距離。思わず響は少女を突き飛ばし肩を震わせる。


「あなたは誰・・・・・?」


「秋風響そのものだけど」


「違う・・・・・・・あなたは誰・・・・・・」


「何度も言わせないでよ。秋風響そのものだよ。でも、そうだね・・・・・・名前が同じじゃ不便だよね?人間って、同じものは二つないのが普通だもんね。そっか、うん、じゃあ・・・・そうだなー・・・うーん」


唇を指先でなぞりながら目を閉じ、しばらく考え込むと両手をポンと叩き、


「じゃあ、秋風みなとにしよう。ね、いいでしょ?」


「み、湊・・・・・・・・?」


「そう、湊。お姉ちゃんたちの名前に倣ってね?ふふ、ねえ、本当に私たち姉妹みたいじゃない?」


その一挙一動がいちいちすべてカンに触る。

まるで目の前にいるものが生理的に受け止められない。

全てが気に入らない全てが吐き気を催す全てが嫌悪感に満ちている。

でも目を逸らすことが出来ない。そんな何か。


「なんでいきなり増えてんですの?」


上空からエルザ、それに続き綺羅が舞い降りる。

二人の視線は当然もう一人の響である湊に向けられている。

問い詰めるような鋭い視線でベルヴェールをにらみつけると、ため息をつきながら、


「最初からこうするのが目的で動いていたのですから、湊が生まれるのは必然でしょう」


「説明してほしいですの。倒すべき相手を増やされちゃいい迷惑ですのよ?」


「めんどーくさーい」


湊の唇がゆっくりと動き、その存在そのものに退屈したとでも言うような冷めた目でエルザを捉える。


「もーいいから、かかってくれば?あなためんどくさそーだから、いいよどうでも」


「・・・・・・・・・・・てめー口を慎めですの!そんっ、」


湊が指をほんの僅か、微かに動かした瞬間、一瞬でエルザの体は何百メートルも吹き飛ばされ背後のビルのコンクリの壁を貫通し向かいの通りに倒れていた。

誰も、口を利くことも、それを目で追う事も出来なかった。

少女は微笑を絶やさないで純粋に楽しそうに首を傾げる。


「もう死んじゃったの?」


その目が綺羅を捕らえ、ゆっくりと動き、不気味なまでに蒼く澄み切った瞳が揺れる。


「まっ、やめ・・・・、」


刹那が叫ぼうとした次の瞬間には綺羅はその場に倒れていた。

何が起きたのか把握しようとしてみるが何がなんだかさっぱりわからない。

限界まで圧縮され原型をとどめていない車椅子。巨大なクレーターのようにつぶされた大地、そこにめり込むようにして大量の血液をぶちまけながらぴくりとも動かない綺羅。


「綺羅あああああああああああああああーーーーー!!!」


慌てて駆け寄ろうとする刹那が足を踏み出し、腕を振ろうとした瞬間、

その腕は主の下を離れ遠く離れたはずの湊の手に握られていた。

遅れて吹き出した鮮血と痛みに気づけない現実にしばらく呆然と立ちすくみ、その場に膝を着く。


「が・・・・あ・・・・・う・・・っ」


「刹那君・・・・・・・・? いや・・・・もうやめてっ!!!」


「くすくす・・・・・つまんない。こんなのいらないけど、お姉ちゃんが遊んでくれないんだもん」


ちぎれた刹那の腕を放り投げ、一瞬で響の目の前に現れる。


「ね、遊ぼう?私と対等に居られるのはこの世界でたった一人あなただけなんだから」


「いや・・・・・もういやあああ!!やめてえええーーーっ!!!」


涙を流しながら狂ったように頭を振り、何度も何度も叫び声を上げる。


「もういやなのお!!闘いたくない!闘いたくないのお!!帰りたい・・・いや、いや、いやああああああああーーーーーっ!!!!」


「どうして?闘い続けることがあなたの存在理由だったのに?」


「もういい・・・・闘うの疲れた・・・・・もうやだ、もういい、もういやなの・・・・お願い・・・ゆるしてぇ・・・」


泣きじゃくる響を見下ろしながら湊は表情も変えずに目を閉じる。

そしてその両手を響の肩に置くと、ゆっくりと前に屈み、


「いいよ・・・・許してあげる」


その体を抱きしめた。


「私はあなたなんだよ?お姉ちゃんのことを許さないわけがないじゃない・・・・」


あろう事か響を抱きしめながら涙まで流し始めたもう一人の少女は響の頬に触れながらやさしく微笑む。


「闘うのがいやなら、もうやめてもいいんだよ?お姉ちゃんは十分がんばったから、もう休んでもいいの」


「・・・・・・・・・・・」


「私と一つになろう?一緒に居れば寂しくなんかないよ・・・私は絶対に裏切らない」


鋭く冷めた視線で呆然と座り込んだフランベルジュを睨み付け、


「渚おねえちゃんみたいにあなたを置いていったりしない。ずっと傍に居てあげる。だから一つになろう?一つになればもう闘わなくていいんだよ」


「一つに・・・・・・・」


「やめろ!」


響の体を血塗れの腕が引き寄せる。

脂汗をかきながら血に染まった頬を苦痛に歪ませ湊を睨み付ける。


「これ以上響を苦しめるんじゃない・・・・」


二人の間に割って入った少年の肩は恐怖に震えていた。

喉もからからでまるでうまく喋れる気がしない。

今すぐこの場から逃げ出したくてたまらない。今までの人生でこんな恐怖を味わったことはなかった。

足が竦む。けれど逃げられない。逃げちゃだめだと自分に言い聞かせる。


「どうして?」


わからない。頭を抱えたくなる。顔に当てた手は血に染まり指の間から見える顔は自らが背にし守ろうとしている少女のそれとなんら変わらない。

勝ち目なんてない。最初から戦いになっていない。それでも前に出たのは何故か。


「そこまでする価値があるの?」


わからない。出会ったばかりで、お互いのこともろくに知らなかった。

それでもこれは自分の性分なのだろうと諦めるしかない。今までもそうだったしきっとこれからもそうだ。

目の前で誰かが助けを求めているというのに引き下がる事なんて出来るはずがない。


「・・・・・・・・・いてぇ・・・・」


血が止まらない。?げた腕は存在しないはずなのに奇妙な苦痛を感じる。

ありはしないはずのもの、あるはずのものがないという不吉な感覚。

死というものを色濃く感じる。それでもなお足は前へ。


「あなたの事に興味はないの。邪魔しなければどうでもいいし命も奪わないよ?一般人だってわかってるから手加減もしてあげた。なのにどうして邪魔をするの?そんなに死にたいの?」


何か口にされる度に心底逃げ出したい衝動に駆られる。

震える心を締め付けるように胸のシャツをぎゅっと握り締めて前を見る。


「女子供が闘ってるのに・・・・自分だけ逃げて、何が男だ・・・・!」


「面白いね」


にやりと、子供特有の無邪気な微笑み。

吹き飛ばされる刹那の体。激しい痛みと衝撃を伴い、しかしそれは即死に至るほどのものではない。

何度も何度も、あっちへこっちへ吹き飛ばされては再び別のどこかへ叩きつけられる。

空中をおもちゃのように吹き飛ばされる刹那の姿は文字通り壊れかけた人形のようだった。

それを眺めながら湊は目を細め、心底楽しそうに頬を歪ませる。


「刹那君はいい子だよね。痛くてもつらくてもいつも自分を犠牲に出来る。だからきみは綺羅ちゃんのことも見捨てられないし、自分の自由も捨てられなかった」


強く頭をぶつけたせいか、刹那の意識は朦朧としていた。視界が歪み、よく通る湊の声だけが聞こえる。


「アンバランスなんだよ、きみの在り方は。どっちつかずで、全部守ろうとか手にしようとか考えるからいつも何も手に入らないし何も出来ないしきみは結局最後まで自分を苦しめる結果を自ら選び取ることになる」


宙に浮かんだ体をぎりぎりと目には見えない力が締め付ける。

その度に全身の骨という骨、内臓という内臓が悲鳴を上げ喉をさかのぼる鮮血が口から溢れ出す。


「それでもきみはいい子だよ。目の前に居るものを見殺しに出来ない。でも、それじゃいつかきみが死んじゃうよ?」


羽虫の羽をもいで遊ぶ幼い子供のように。

空から零れ落ちる少年の多すぎる血を見上げながら。

少女は笑っている。その行為を止める者も叱る者も一人も居ない。

苦痛と絶望が少年の心を包み込んでいく。

もういいだろうと、もう死んだほうがラクだろうと、何度も何度も呼びかけてくる。

だが、それに否と答える。

必死で立ち上がり、何度でも立ち上がり、響をかばうようにその前に立つ。


「・・・・・・・・・あ・・・・・あ・・・・・・」


既に自分が何をやっているのかもよくわかっていない。

何故ここまでしているのか。何故こうまでしているのか。


「もういいよ・・・・もういいから・・・・倒れていいから・・・っ」


泣きながら笑う響の声にゆっくりと振り返り、その頭に血まみれの手を乗せる。


「・・・・・に・・・・げ・・・・・・・ろ」


もう生物学的に立っていられない。これ以上立ち上がることは人間というものである以上不可能だった。

それがわかる。すぐ近くまで死というものが迫っているのが感じられる。

だからもう耐えられない。もう立ち上がれないから、せめて、逃げて欲しい。

ここに居る全てのものを捨ててでも、振り切ってでも、逃げて欲しい。

死なないで欲しい。いなくならないでほしい。その結果、自分が消えてしまっても。


ああ、そうだった。


少年はいつも、誰かのために生きてきた。

自分はそんなつもりはなかった。しかし、なぜかはわからなくても、それがひどく心地いい。

視界に倒れる妹。背後に崩れた少女。

目の前で笑っている、少女。

きっとどれも自分にとっては守るべきもので、助けるべき対象で、そうだ、ああ、わかった。

目の前で笑っている少女も、本当は笑ってなんかいない。助けを求めている。響と湊はきっとなにも変わらないものだと。

だったら闘っちゃいけない。だから闘っちゃいけないんだ。


「たたかうな・・・・たたか・・・うな・・・・」


ゆっくりと、傾いていく。

世界がずれていく。それが自分自身が倒れているのであると気づく頃、

少年は意識を失い、ついに壊れてしまったようにその場に倒れこんだ。

コンクリの大地に紅い血だまりが生まれ、前髪で隠れた表情はうかがい知る事が出来ない。

目の前で倒れた誰か。血まみれの誰か。それを見て少女は三年前を思い出す。

あの時も目の前で、大事な人が死んでしまった。

心を失ってしまった。自分のせいで。自分自身が。

目の前で、子供の自分がまた大事な人を殺してしまった。


このままじゃだめだ。


「フランベルジュ・・・・・」


逃げてたらだめだ。


「フランベルジュ・・・・!!」


みんな死んでしまう。


「フランベルジュッ!!!!」


闘わなくては。だから、今までも闘ってきたじゃないか。

逃げてる暇なんかなかった。泣いてる暇なんかなかった。

その間にどんどん、大事なものは失われていくと知っていたじゃないか。

なのにどうして、また同じ事を繰り返してしまうのだろう。

次は絶対に守ると決めたのに、誓ったのに、また繰り返す。

こんなのはいやだ。


「一緒に闘って・・・・・フランベルジュッ!お願い!闘ってッ!!一緒に闘ってよおッ!!!」


願えばそれは共にあった。

いつもすぐ傍に居て、呼べば現れて、いつでも繋がっていたはずの存在。

それは今は手の届かない場所、しかし離れてもいない場所で呆然としゃがみ込んでいる。

そこまでいけない。立ち上がる気力がない。呼べば来ると思っていた。当たり前のように。


「フランベルジュッ!!」


手が届かない。ほんの僅か、10メートルほどの距離が果てしなく遠く感じる。

どんなに声を張り上げても、彼女と共にあったはずの蒼の従者は応えない。

心理領域が発動しない。ぐしゃぐしゃになった混乱した心は何も生み出せない。

それでも諦めるわけにはいかない。逃げるわけにはいかない。


「Give....Me....My....Sword.....」


自分に問いかける言葉。

自らの剣を呼び出す言葉。

なのに何故こんなにもむなしく聞こえるのだろう。


「ギブミーマイソード!」


来るはずがない。


「ぎぶみーまい・・・そーど・・・・」


来るはずがない。


「・・・・・・・・・なんでっ・・・・・・」


来るはずがない。


「どうして私を見てくれないの・・・・っ」


感じない。今までは共にあった。心は一つだった。

どうして?何故?わからない。わかることはたった一つ。


「ふらんべるじゅっ・・・・!」


来るはずが無い。来るはずが、無いのだ。


地面を何度も拳で叩き、叩き、拳が割れて血が出るまで叩き、涙を零す。

血まみれの少年の体を抱き寄せて歯を食いしばる。自分の無力さに心底腹が立つ。

どうして自分には力がないのだろう?どうしていざと言うとき何も出来ないのだろう?

熱された大気と吹きすさんだ風が呼んだ雨雲が、ゆっくりと町に雫を降り注がせる。

焦げ付いた大地を癒すように降り注ぐそれらは熱された大地に舞い降り霧を生みながら舞い上がっていく。

非現実的な景色の中、湊は腕を組んで首を傾げていた。


「理論武装、使えなくなっちゃったの?」


周囲を見渡す。

そこに居る誰もが既に闘える状態ではなく、誰もがぼろぼろで傷だらけで、一体何がどうなればこうまでなってしまうのだろうと疑問なほどに、誰もが傷つき倒れていた。

そんな中、立ち上がった響はよろめく足取りで湊に向かって駆け出した。

何度も躓き、転びそうになっても、みっともなく涙を流しても、子供のように怒りに瞳を熱くさせても、

それでもただ前へ、あきらめきれなくて、こんな結末を認めたくなくて、

わけがわからなくても、なにもわからなくても、何かがわかっても、それでもかまわなくて、


ただ闘うことをやめてはならないと。


そうすることで全てが終わってしまう気がして。


「わああああああっ!!!」


殴った。

とりあえずの全力だった。

小気味いい音が空に響き、湊の体が少しだけ揺れた。

勿論意味なんかない。心理領域を展開している人間に対し素手で殴りかかったところで無意味だ。

それは判っている。それでも振り上げた拳を再び叩き込む。

みっともなくて、情けなくて、なりふりかまってられなくて、痛くて、苦しくて、

誰も頼りに出来なくて、でも嫌で、守ってあげたくて、助けてほしくて、

様々な混乱する感情の中、ただ目の前のものを認められなくて、拳を振り下ろす。

何度も、何度も、まるで意味なんかない、力なんか篭っていない、フィスト

それを悲しげに、何も言わずなされるがまま、湊は受けていた。

傷も痛みもなく、しかしそれでも痛む胸の鼓動に眉を潜めながら。

やがて倒れこむように湊にすがり付いた響の肩を抱きしめて目を閉じた。


だらりとぶら下がった血まみれの拳がゆらゆら揺れて、

荒い呼吸が静まるように、まるで眠りに付くように、響はその場で気を失った。

その体を抱き寄せ、そっと地面に寝かせると湊は踵を返し、


「いこっか」


ベルヴェールに告げた。




「終わったんかいな・・・・早っ」


ビルの上、バットを片手に八神遊馬は切れた頬の傷からあふれる血をシャツの袖で拭い、笑う。

5メートルほど放れた位置、やはり傷だらけの伊織とアリスの姿があり、降り始めた雨の中三人は構えていた武器を下ろし町の中央部、先ほどまで強い気配が感じられていた場所を見た。

そこで何があったのか推測できるのは遊馬だけであり、アリスと伊織は目つきを厳しくし、


「一体何が起こっていたの?」


「さー・・・・・でもいなくなったってことは、戦いに決着がついたってことじゃない?」


「そんな・・・・・」


「なかなかおもろかったけど、もう用無しや。うちはあそこでぶっ倒れてるエルザを拾って帰らなアカンし、そろそろお暇するで」


「逃がすとでも思っているの?」


自由ノ空ロマンス・フライがそれぞれ攻撃の姿勢を取る。

しかしアリスはそれを片手を挙げて制止した。


「ほっといたらみんな死んじゃうんじゃない?」


「ま、そういうこっちゃな・・・エルザもほっといたら死んでまうし、お互いここは仲間のために引くっちゅうことで・・・ほなさいなら」


ビルを飛び降りていく遊馬を追う事も出来ず、怒りに目を細め、伊織の体は宙を舞っていた。

形振りかまわず全力で飛翔し、あっという間に上空から惨劇の舞台に舞い降りた。

溶けた大地が生み出す大量の霧、原型をとどめていない状態に思わず息を呑む。

どんな闘い方をすればこんなことになるのか。


「・・・・秋風さんっ!」


倒れていた響を抱き起こし、その肩を静かに揺らす。

血まみれの服装だったが、実際に彼女は傷を負っておらずそれが他人の血だとわかると胸をほっと撫で下ろす。

しかしつまりそれは他にひどい怪我をしている者がいるということで、振り返った瞬間そこら中が血に染まっている異常な状態に気づく。


「ひどい・・・・・・」


響を抱き寄せ、その頬をそっと撫で、強く体を抱きしめる。


「おわっ、なんじゃこりゃあっ!?」


いち早く到着したシュズヴェリイと空也がその惨状に思わず驚きの声を上げる。


「何をどうすればこうなるんだ・・・・!伊織、響たちは無事か!?」


「秋風さんは無傷のようですが・・・・・それに心理領域の中で起こった事だし、傷は無かった事になると思うけれど・・・」


「あまりひどいものだと心理外傷マインドダメージが残る・・・!早く本部に運ぶぞ!」


「ええ」






見渡す限り海が広がる海上に一席のフェリーが進んでいる。

甲板に立つ湊の髪を靡かせ、白いコートがはためいている。


「どうして響に止めを刺さなかったんだい?」


その背後、風に吹かれながら立つベルヴェールの問いかけに少女は苦笑しながら答える。


「なんでだろーね・・・・よくわかんないや」


振り返らず聞こえる声。ベルヴェールは頷き、目を伏せた。


「旦那ー、エルザのやつやっぱ外傷残ってましたよ」


「ジョシュアか・・・・しばらくエルザには大人しくするように言っておいてくれないか?」


「既に暴れてるんで、俺様の下僕たちに抑えさせてますけど・・・・」


「エミリアあたりが適任かもしれないな・・・・まあいい、すぐに行くよ」


船内に下りていくジョシュアを笑顔で見送ると、振り返り手摺に身を乗り出している湊の肩を叩く。


「あまり長くここにいると風邪を引いてしまいますよ? 部屋に戻って、コーヒーでも淹れましょう」


くしゃりと、その小さな頭を撫でる大きな手。

少女はぽろぽろ、涙を零しながら海を眺めていた。


「ベルヴェール・・・・・・寒い」


青年は自らの上着を脱ぎ、少女の肩にかけ隣に立つと共に海を眺めた。


「直に、雪が降るでしょうね」


空に翳した指先にふわり、舞い降りる羽のように雪が留まった。

しばらくの間、少女はその場で涙を流し続けていた。





ポートアイランドに発生した巨大な心理領域と暴走した秋風響の処分はすぐに行われた。

流石に隠蔽しきれない規模の事件だったが、被害者たちはほとんどが心理領域の性質によりその記憶を失っており、その出来事が露見することはなかった。

しかし精神に大きな負担を負った被害者の中には気力喪失や重度の鬱病にかかるものも降り、それらの被害者に対する対応だけでも相当な問題に違いなかった。

そして暴走した秋風響の処分は下されるや否や伊織の心に大きな疑問を残した。


「全くの処罰なし、か」


あれだけの暴走を起こしておきながら秋風響は佐伯社からなんのお咎めもなしだった。

それが一体何を意図しているのか。そしてあれはなんだったのか。


「それにこの現状・・・・・」


組織構成員が住まう居住区よりもさらに地下深く、立ち入り禁止エリアの一室。

薄暗く狭いその部屋の壁には一面理解不能な数字と各国の文字が入り混じった文章が刻みこまれており、淡くそれらが発光している。

その奥、壁に繋がれた鎖はフランベルジュを縛りつけ、その両腕をひねり上げている。

苦しそうな体勢だが、そのフランベルジュ自身に意識が無く、やはり文字がびっしりと書き込まれた布が巻かれたその顔の表情はうかがい知る事が出来ない。

それは素人目に見ても『封印』と呼べるものだった。

部屋全体に刻み込まれた無数の文字が心理領域に近いものを生み出し、フランベルジュの意識を奪い続けているのである。

そんなものの存在、伊織は見たことも聞いたこともなかった。


「擬似的に心理領域を再現できる『封印』・・・・こんなの聞いてないわ」


そしてフランベルジュの凍結処分。

一体佐伯社が何を考えているのかわからなくなる。

冬であり深海であることを差し引いたとしても寒すぎる部屋の中、伊織は目を細める。


「何が起きているの?この島で・・・・」




「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・生きてる」


目を覚まして最初に呟いた言葉に自らが生きているのだと教えられた。

組織のベッドで目を覚ました刹那は自らの腕がまだくっついているという奇妙な状況に思わず眉を潜める。

確かにあの時引きちぎれて何もなくなったはずなのに。

シャツの袖をめくり切断面を見てみると、そこには紅いラインのようなものが引かれていた。

恐らくは引きちぎれてしまった影響なのだろう。左腕は微かに動きが鈍く、思うように力が入らない。

ため息をつきながらベッドに再び倒れこむ。


「生きてるのか・・・・・・」


目を覚ましてこんなに安堵したのは初めてだった。

ぼんやりとした頭で自分がまだ生きているという事実をかみ締める。

そうしてしばらく天井を見上げた後、慌てて体を起こす。

自分の右手に奇妙な違和感を覚え視線を向けると、ベッドの右側には響がうつ伏せになり眠っていた。

パイプ椅子に座ったまま、刹那の右手を両手で握り締め、眠っている。


「・・・・・・・・・・」


かすかに覚えている。響があのあとどうしたのか。

それを見ていることしか出来なかった自分が悔しくなる。

右手から伝わってくる暖かさと、血が滲む包帯の巻かれた白い指に思わず胸が詰まる。


「響」


眠っているその肩を揺らし、声をかけた。


「響・・・・響」


ゆっくりと顔をあげ、目を擦りながら疲れた笑顔を浮かべる。


「無事でよかった」


何を考えたのか、それは本人にもわからない。

気づけば刹那はベッドから降り、上着を着ると響の手を取っていた。


「行こう」


「・・・・・・・・ど、どこに?」


「・・・・・・・・・・・・・逃げちゃおう・・・・ここから」


「・・・・・・・・・・・・えっ?」


突然の提案に思わず目を丸くする。

しかし強く引くその手を思わず握り返し、無言で何度も頷いた。


「逃げ・・・ちゃおっか?」


「行くぞ」


今度はさっきより強く、迷いのない力強さ。

笑顔浮かべその手を負けじと強く握り締め、部屋を飛び出した。

地下深くにある場所から一緒に飛び出そうと強く強くひっぱる手は少しだけ冷たくて、

響はその背中を見つめながら不思議と自分の胸が高鳴っている事に気づこうとしていた。



降り始めた雨はやがて雪になり、海上の都市を白く染めていく。




逃げ出した先、一体どんな世界が待っているのだろう?


それすらも、わからないままに。

30章いきましたよ・・・・・・・・・。

こんな長くなるなんて・・・・まあ長く書こうと思って書き始めたんですけどね・・・。


このペースでいけば50章くらいまでには完結できるのではなかろうか、と思う・・・。

多分・・・・。


さて、次からは解決編というかついに終わりに向けてラストスパートです。早いけど!!!


出来れば最後までお付き合いください。かしこ。

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