フラグメント(1)
「あー・・・・またすれ違いかあ」
都内某所にある病院。その庭で一人の少女が携帯電話を弄っていた。
黒地にドクロマークの入った野球帽を指先で弄りながらため息をつく。
「ここに響が居たことは間違いないと思うんだけど」
ポシェットから手帳を取り出し内容を確認。
携帯電話で誰かにメールを送ると帽子を片手に振り返った。
「この辺にはもういないのかなあ・・・・あーくそっ、ほんっと捕まらないわねあいつ」
少女、近藤伊佐美はしぶしぶ携帯電話をジーンズのポケットに突っ込んだ。
伊佐美の背後には黒衣に両手を鎖と拘束帯で縛りつけた男が立っている。
御堂鶴来。吊し男のナンバーズ。
そのナンバーズの男は黙り込んだままただ伊佐美の後に追従している。
「この間の結城刹那っての、やっぱりなんか知ってたんじゃない?ったく、黙ってたってロクな目に合わないっつーのに・・・・ねえ鶴来、あんたなんか感じないの?」
「・・・・・都会では吟示は珍しいものではない・・・だが、響の気配はないな・・・・」
「ってことはまた逃げられたか・・・・くっそ〜!!三年よ!?三年間おっかけて未だに追いつけないとは・・・・あの子の逃げ足にだけは本当に感服するわ」
ダメージ加工したジーンズは穴だらけで真冬の夜空の下ではさすがに寒い。
ため息をついていても仕方ないと判断したのか伊佐美はそのまま歩き始めた。
勿論鶴来もそれに追従していく。
「結城刹那の妹・・・・綺羅っていったかしら?そっちも二日前くらいから行方不明だってさ」
「無関係ではないだろうな・・・・・」
「あんたさあ、組織の人間なら響がどこにいるのか調べなさいよ」
「何度も言わせるな・・・それは出来ない・・・それに自分の力で探すんじゃなかったのか・・・伊佐美」
「ちっ・・・つっかえないわねえ・・・まあわかってるわよ。あの子はあたしが自分で見つけ出すわ」
見付からないのはこれが始めてではない。むしろ見付かったことなど一度もないくらいだ。
少女は再び歩き始める。今までずっと歩き続けてきたのだから、いまさら立ち止まる選択なんてありえない。
「行くわよ鶴来!ポートアイランドに近いし、次はあっちじゃないかしら」
「何を根拠に・・・・・」
「吸血鬼って知ってる?」
「・・・・・・・?」
「ま、いいわ。とにかく行くつったら行くのよ」
異論は許さない。伊佐美はずんずん歩いていく。
ため息をついて鶴来もついていく。鶴来にとって彼女の傍を離れる選択はやはりありえない。
二人の奇妙な旅路は1年前の冬から始まった。
それは、この世界で起こるかもしれない出来事に奇しくも最も近づくための旅路。
世界も敵も味方も関係ない。そうしたいからそうするだけ。
近藤伊佐美。秋風響の親友であり、この世界を知るために歩き続ける旅人である。
⇒フラグメント(1)
「ちょ・・・・ちょっとおおおお!!あたしは一般人なのよ!?こんなことしちゃっていいわけっ!?」
都内某所。
時は進み、ポートアイランドで実現された近未来都市計画は国内各所で実行に移されていた。
より近代化が進んだ東京だったが、その移動の方法は未だに地下鉄がメインだった。
暗いトンネルの中を突き進んでいく鉄道。しかし車内に人の姿はない。
深夜、むしろ明け方に近いと言えるこの時間帯でも人の姿がゼロということはありえない。
だというのにそこには近藤伊佐美の姿しか存在していなかった。
正確には伊佐美と向かい合うようにして車内で胡坐をかいている巨大な蛇の吟示を含め、一人と一匹だったが。
蛇は金色の瞳を光らせながら伊佐美をにらみつけていた。
まさに蛇ににらまれた蛙のように一歩も動くことが出来ない。
非現実的な状況に思わず笑みがこぼれる。
「ああもう、ああもう、あああああもうっ!!あったまきた!!絶対逃げ切ってやるんだから!!」
反転し全力で駆け出す。
背後では蛇が囀るような声を上げながら口を開いて動き始めていた。
ただ、走ることには自信があった。所詮、地下鉄の車内など直線に繋がっているだけの通路に過ぎない。
つまり直線のコース。今まで何度だって走り抜けてきた程度の距離に過ぎない。
走ることばっかりやってきたんだ。こんなところでヘマして死んでたまるか。
「っりゃあああああああああ!!!!」
雄たけびを上げながら奔っていく。
背後では蛇が巨体を引きずって近づいてくる。
だんだんと距離が開いてくる。どうやら蛇よりも伊佐美のほうが足が速いらしい。
車両を移動するごとにわざわざスライド式の扉を閉めていく。
勿論相手は吟示。そんなものは貫通してくるのだが足止めにはなるだろうと本人は信じていた。
「くっそお、なんで狙われてんだ、あたしはっ!!!」
ポシェットから銀色に輝く拳銃を取り出す。
それは本来『拳銃』と呼べるものではない。形状が異常であり、銃口が二つあった。
その使用用途は本来敵を撃つためのものではないのだが、この際なりふりかまっていられない。
「んのおっ!!」
一発、二発、振り返ることもせず奔りながら撃ちこんで行く。
吐き出される薬莢。しかし効果は伺えない。
「やっぱだめか・・・・あ・・・怒った?」
まるで返事をするように吟示は舌を鳴らして目を細めた。
次の瞬間、巨大な口が伊佐美に向かって突っ込んでいた。
とっさに横に飛んでよけたが、蛇の勢いは止まらずそのまま扉をぶちやぶり車外に飛び出していく。
「お、自爆?」
しかしそのまま流れていく胴体の先、尻尾が自分の体にまとわりついて外に放り出されるとまでは考えていなかった。
窓を縫うようにして胴体を強引に通した蛇は細くなっている尻尾の先端で伊佐美を締め付ける。
ぎりぎりと、全身が悲鳴を上げているのがわかる。とんでもない激痛と苦しみに苦悶の表情を浮かべる。
銃を取ろうにも指一本動かせないような状況。
「・・・・・・・れは・・・死んじゃうって・・・・まじ・・・・ッ」
ぎりぎり、ぎりぎり。
締め付けられる体。たとえここから逃れることが出来たとしても下は高速移動する列車が走る線路。
落ちても死ぬ。それ以前にここから逃れられない。まさに万事休す。
こんな状況になって、自分にも何か能力があればいいのにとそればかりを悔やんでしまう。
しかし実際何もないのだから仕方が無いし、この危機に直面しても都合よく目覚める気配もない。
アニメやマンガだったらこういうときに奇跡のパワーを発揮するところなのだが。
「まず・・・・まじ・・・・意識が・・・・う・・・・」
呼吸が出来ない。もうだめだ。そう思った瞬間だった。
頭上を何かが通りすぎていく。いや、違う。天井に・・・進行方向の天井に何者かがくっついていたのだ。
それはタイミングを読んで飛び降り、目の前で揺れていた蛇の顔面を蹴飛ばしたのだ。
同時に一瞬緩んだ伊佐美を締め付ける力。当然そのまま落ちれば死は免れられない。
しかしその手には無数の鎖が巻きついていた。引き込まれるように車内に飛び込んだ伊佐美を何者かが抱きとめていた。
黒い長身。長髪から覗く顔は整っていてどこかのバンドのヴォーカルのようだ。
一瞬顔が赤くなったが、直後伊佐美はあろうことか自分を恐らく助けたであろうその男の顔面に頭突きをかまし、かつロングブーツの上から足を思いっきり踏み付けた。
「何くっついてんのよ変態!!」
あんまりである。助けたほうもこれでは報われない。
しかし男はきわめて無表情に伊佐美から視線をそらし、車外をにらみつけた。
車体になにかがまとわりついている。それは当然あの吟示なわけで。
「・・・・・・走れるか?」
「誰にモノ言ってんのよ!?ていうかあんた誰?」
「・・・・・・・・・・・自己紹介をしている状況ではないと思うが」
「ハア?名乗れつってんでしょこのあたしが。こんなの別にピンチでもなんでもないわ」
「・・・・さっき・・・・死にかけていた・・・・・・・」
「それを助けるのがあんたの仕事でしょ?いいから名乗りなさい」
「・・・・・・・・・・御堂鶴来」
「鶴来ね。あたしは近藤伊佐美。新撰組とか言ったら殺すからよろしくね」
にこやかに握手を交わす。伊佐美はこんな状況なのに慌てていない。
呆然とする鶴来を置いて少女は駆け出した。
「おいてくわよ!?あとそこ危ないわ!」
「ん・・・・・・」
車体そのものをねじ切るような衝撃。迫りくる外壁を飛びかわすと伊佐美を追い抜いて鶴来は駆け出した。
「ねえ!あんたあいつ倒せないの!?」
「・・・・・不可能ではないが・・・・やつは強い・・・・それに特になんの準備もしていない・・・」
「はー、使えないわね・・・・逃げようにも高速移動する牢獄の中、か・・・・まいったわね」
「・・・・・・・・・」
せっかく助けてあげたというのに凄まじい口の利き方である。
この状況で伊佐美に対して不満を抱いていないのは単純に彼が無感情だからであろう。
駆け抜けた先、車掌室の前で二人は振り返った。
行き止まり。つまり追い詰められたということ。
「どうすんの?何か策はないわけ?」
「・・・・・・・ないわけではないが・・・・」
突如右側の窓を貫通し蛇が突入してくる。
咄嗟にとんで避けた鶴来は空中を回転しながら両腕の鎖を飛ばして蛇に突き刺す。
よほど頑丈な外皮をしているのか、本来鉄さえ貫通するはずの鎖は表面に突き刺さっただけだった。
「強い・・・・・・・・っ、伊佐美、危ない・・・!」
伊佐美に向かって飛んできた尻尾の薙ぎ払い。
しかしそれをあろうことか少女はしゃがんで受け流すと反射的に蛇の顔面を蹴飛ばした。
強烈なハイキック。特になんの能力もない少女であるはずの伊佐美があろうことか吟示に立ち向かっているのである。いや、そもそも彼女は先ほどから一瞬たりとも恐れを表すことがなかった。
その目は怒りと不満と自分に対する自信に満ちている。
その意志の強さは心理領域において若干少女の身体能力を強化しているのかもしれない。
本人も驚くほど綺麗に入ったハイキックに思わず本人が口笛を吹いた。
しかしそれはとてもではないが致命傷には程遠い。むしろ相手の怒りを買っただけであり、往復で飛んできた尻尾の攻撃が背後から迫ってくる。
伊佐美が反応しきれない攻撃。しかしそれにすぐさま反応し鶴来は伊佐美を抱き寄せた。
凄まじい衝撃で車外にまで吹き飛ばされる二人。蛇が舌を鳴らす情景がスローモーションに見える。
次の瞬間、超高速で移動していた列車から無造作に放り投げられたダメージが二人を襲った。
伊佐美をかばうために全身をそこらじゅうに激しくたたきつけた鶴来は意識を失い、さんざん線路の上を転がりまわった後、ぐったりと動かなくなった。
いつの間にか心理領域からは放り出されたのか、現実空間に戻ったというのに怪我は治る気配が無い。
「っつううううう・・・・っ!!!あのね、あんた助けるならもうちょっと・・・・って、何これ」
ぐっしょりと、男の上着から滴ってくる鮮血。
全く動かないぐったりとした体。
それが自分をかばうために負った傷だということは明らかで。
しかも通常空間に戻ったということはいつここを電車が通ってもおかしくない。
「・・・・・・・ああ、もう・・・・」
いくらなんでもほうっておいたら、やっぱり薄情だろうから。
男を何とか背負って歩き始めた。
あとはもう、運任せだ。
都内のビジネスホテル。シングルのベッドの上には包帯まみれの鶴来が眠っていた。
夜も明け始めた頃、ようやく手当てを終えた伊佐美はため息をついて椅子に腰掛けた。
「うあー疲れたー・・・・・こいつ重すぎよ・・・・・」
結局最寄のホームまで走り、乗客にすごい目で見られながらもなんとか逃げ切ってきた。
こんなとき心理領域というのが広げられれば人目につかなくて便利だろうに。
汗だくの頭を抱えながら野球帽を小さすぎるテーブルの上に投げ出した。
とにかく疲れていたが、無事に生きて帰ってこられただけでも御の字というものだ。
上着を脱いでTシャツに滲んだ血を見つめながらため息をついた。
自分がこの程度の怪我で済んだのは彼のおかげに他ならない。
それにしても何でまたあんな都合のいいタイミングで現れたのだろうか。
考えても仕方ない。とりあえず今はこの真冬だっていうのに汗だくになったシャツを脱いでシャワーを浴びたい。
頭からシャワーを浴びながら帰ってきてから三度目のため息をつく。
「吟示・・・・・・かあ」
吟示。
今の自分に存在する数少ない手がかりの一つ。重要なカード。
それは世界の謎に迫るためのキーワード。そして、自分が追い求める彼女への道しるべ。
秋風響。中学時代を共にすごした親友の名であり、彼女が追い求める人物の名でもある。
ごく一般人であったはずの秋風響は突如世の中から蒸発してしまった。
つまり失踪。どこにも彼女の行方を示すものはない。彼女に何があったのか。
いや、なにがあったのかはほんの少しだけ想像がつく。
近藤伊佐美。彼女もまた秋風響をとりまく非日常にわずかながら足を踏み込んだことがあるのだから。
後日、大事になったポートアイランドのプラント暴走事件。
その真相はなんであれ、とにかくマスメディアで報告されたものが事実でないと言い切れる。
プラント暴走事件の中心にいたのは秋風響。彼女の親友だ。
そしてあの事件から一度も響の顔は見ていなかった。
まるで世界から存在を否定されてしまったように、文字通り神隠しのように。
そしてやがて世界中で発生が確認された『気力喪失』。
様々な事件が何か今世界に起こることを警告しているように感じる。
そして彼女がその何かに関わっているような。
吟示のことを調べるということは、そのまま秋風響に繋がる道なのだと信じている。
だから中学を卒業してから彼女はずっと響を追いかけてきた。
様々な気力喪失事件を独自に調査し、『協力者』から吟示というワードも手に入れた。
しかしそれでもまだ響にはたどり着かない。
「生きてるよね・・・・響」
鏡に移った弱気な自分を吹き飛ばすように頭を強く振った。
着替えを済ませて部屋に戻ると目を覚ました鶴来が傷口を押さえながら座っていた。
「あ、起きた?一応手当てはしておいたけど、病院いっとく?」
「・・・・・いや・・・・あまり大げさに動けない身だからな・・・・・・遠慮しておく」
「だと思った。それに正直言うと手放す気はないし、あたしも」
「・・・・・・どういうことだ」
「あんた、あの『組織』とかいうのの一員でしょ?」
「・・・・・・・・答える義務はない」
「それってYESって言ってるのと同じじゃない?何にせよせっかく見つけた情報源なんだから絶対に逃がさないわよ!聞きたいことが山ほどあるんだから!!」
「・・・・・・・・・答えられる範囲なら・・・・な」
「じゃ、何か食べたいものはある?」
一般人にはわからない範疇でだったが、鶴来は目を丸くした。
それに対して伊佐美は不機嫌そうに髪を指先で弄りながら、
「何?はっきりしなさいよ」
「いや・・・・・特には・・・・」
「そ、じゃあ勝手に買ってくるから。あ!絶対逃げ出さないでよね!!」
念押しするように鶴来を指差すと伊佐美は部屋を飛び出していった。
十数分後、伊佐美は両手にコンビニのビニール袋を持って帰ってきた。
中身は弁当や包帯などの衣料品だった。
定期購読しているのか、怪しげな雑誌を広げながら片手でおにぎりを食べている。
真剣にその内容を読んでいたかと思うと、おにぎりを食べていた指先をなめながら顔を上げた。
「なに?なんか食べれば?けっこーイケるよ、コンビニのおにぎり。あ、それとももしかして傷痛む?痛み止めも買ってきたんだけど、飲む?」
がさごそがさごそ。ビニール袋を弄りながらぺらぺら喋る伊佐美。
しかし完全においていかれた様子の鶴来は何も答えず代わりに咳払いし、
「・・・・・・・・そもそも、よく助けてくれたな・・・」
「うん?ああ、いいのいいの、借りを作りたくなかったし。あんた助けてくれたじゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・ボクは何も答えられない・・・・それでもか?」
「目の前で死なれたら後味悪いから。それよりねえ、『ボク』っていってんの?」
「悪いか・・・?」
「いや、あはは!あんたそんなイケメンで長身なのにボクって、なんかウケる」
サンドウィッチの袋をはがしながら椅子に深く座って雑誌を半分に折りたたんで膝の上に置いた。
「聞きたいことも山ほどあるけどまずは治ってからでしょ。つってもあたし、東京にはあと一週間くらいしかいないつもりだけどさ」
「・・・・・・・・・」
喉は渇いていたので缶コーヒーだけ飲み干すとベッドに上半身だけ起こして横になった。
汚く散らかされた机の向こう、少女は手帳を開いてそこに熱心に万年筆を走らせていた。
それから手帳と携帯電話を眺めながらなにやらぶつぶつ独り言をつぶやき、新聞を取り出してそれを頭から読み、再び手帳を開いてあくびをし、ようやく見られていることに気づいたのか顔を赤くしながらじっと鶴来をにらみつけた。
「何をしているんだ・・・?」
「ん?ああ・・・あたし、馬鹿だからさ。いちいち見たりしなきゃ忘れちゃうんだ、色々なこと」
「・・・・・調べもの・・・・か?」
「そ。吟示とか、気力喪失関連のね。でも流石に徹夜で眠くてほんとふらふらだわ」
「何故そこまで・・・?」
「うーん・・・・・・もっかい、会いたいやつが居るのよね」
自嘲じみた笑顔を浮かべ、それから遠い過去を思い返すように明るくなった町を眺める。
「そいつを見つけた時、また無力で助けてあげられないとか、ヤなんだ。でもあたしには何にも特別な力なんかないし頭も悪いし、運動神経と顔はいいけどそれだけじゃねー」
自分で言うか。
「必死にもなるよ・・・・・友達だもんさ」
照れくさそうに笑い、それから先ほどの倍大きな欠伸をし、
「ねむ・・・・・・限界。ちょっと寝かせて、あ、逃げないでよ・・・・」
目深に野球帽を被った伊佐美はそのままあっさり眠りこけてしまった。
その眠るまでのスピードにも驚くが、素性の知れない人間を相手に寝こけてしまうことも、そして大事な情報源が逃げ出さない保障などないというのにそれをあっさり信用してしまっていることも驚きだった。
「ふう・・・・・」
ただの一般人救出のつもりがとんだ厄介ごとに足を突っ込んでしまったらしい。
本来ただの一般人ならば吟示に襲われたところで領域から出ればその記憶は消え去るはず。
だというのに当然のようにそうなっていないところを見ると、過去に吟示の事件に関わったか、あるいは何か強烈に心理領域を忘れたくないと願っているかどちらか。
どちらにせよあまりよい兆候ではない。ほうっておけばもう一度あの蛇に挑みかねない。
これだけの怪我を負ってしまった以上、下手にこれ以上怪我をして動けなくなるわけにもいかない・・・。
何より、とりあえずこの少女を置いてここから出て行くことは出来そうになかった。
痛む全身。しかし痛みには慣れている。毛布を拾い上げて伊佐美にかける。
「・・・・・・・友達・・・か」
その言葉に少しだけ胸が痛くなる。
そしてこの少女がどんな夢を見ているのか、そんなことが気づけば気になっていた。
「どういうことなんですか先生っ!!」
ポートアイランドの共同学園、その職員室に伊佐美の怒号が響いていた。
教師の机を両手でぶったたき、今にも噛み付きそうな勢いである。
「どうもこうも・・・秋風響さんは不登校なんだって」
「でもあの子家にもいないんですよ!?そもそも部屋に誰も住んでないし・・・・!何があったんですか!?何か聞いてないの!?あんた教師でしょ!?」
「そういわれてもなあ・・・・・」
「ああもう、いいわよ!あんたに聞いたあたしがバカだったわ!!給料泥棒!所詮公務員ね!」
はき捨てるように言うと大またでずかずか歩き、職員室を後にした。
あのプラント暴走事件から丸一週間。気づけば世界から秋風響の痕跡はどんどん消え去っていた。
彼女が暮らしていた部屋も今は完全に何もない空き部屋。
あらゆる私物がいつの間にか消滅し、この世界からどんどん『響』が消えていく。
それがなによりも悔しくて寂しくてどうすればいいのかわからなくなる。
教室に戻ってもそこに響の姿はなく、伊織の姿もまた見当たらなかった。
当然だ。夏休みなのだから。誰もいない教室。まるで自分だけ取り残されてしまったように。
あれから伊織とも連絡がつかない。そもそも住所も電話番号も知らないのだ。連絡しようがない。
とにかく何もなかった。ここにきてやっと気づく。
「あたしと響って、こんなちっぽけな教室でしか関わってなかったんだ・・・・・・」
親友だ親友だと思っていた相手が何も告げずにいなくなった。
けれど本当に自分は彼女の親友でいられたのか不安になる。
あの日、塔の頂上で震えながら涙を流していた少女に出来たことなどなにもなかった。
何もかもが自分では届かない場所での出来事。全てが届かず全てが及ばない。
無力すぎる自分。いくら走っても追いつける気配の無い世界の裏側。
まるでこんな、最初からなにもなかったように、親友が消えていくのを認めたくない。
クラスでも目立たなかった響は、居なくなってもクラスメイトの記憶からでさえ消えていくだろう。
そうなったらあの子のことを覚えていてあげられるのは、きっと自分と伊織くらいしかいないのだろう。
「なにやってたんだろ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あたし」
これから先も毎日そんな日々が続くのだと信じていた。
毎日毎日、限りなく楽しい日々が続いていくのだと夢見ていた。
けれど本当は現実や広がる世界など一瞬で崩れ去ってしまうようなものであり、
明日やればいいとか、明日があるなんてことはないのだと知った。
退屈な世界が本当はどれだけ満たされていて誰かに守られていたことか。
気づいたところで全ては遅すぎる。もう響は、どこにもいない。
死んだなんて思わない。けれど自分の目の前に彼女はもう二度と現れない気がした。
そんな風にあきらめてしまう自分が何より嫌だった。
でも仕方ないじゃないか。
「あんなの・・・・あたしにはどうにもできないよ・・・・・・・」
結局、まるで響の話題を避けるように伊織とも一言も口を利かぬまま中学三年の日々が過ぎた。
ごく普通に高校を受験し、ごく普通に秋と冬を過ごした。
それでいいと思っていた。そうするしかないのだと思っていた。
だというのに卒業式の日、そんな日々がどうしようもなく嫌になり、逃げ出すように駆け出した。
所詮ここは閉ざされた海上の島。狭い世界に過ぎない。
そんな場所からどうしようもないとただ嘆いているだけの自分が嫌になったのだ。
「やっぱ、忘れらんないって」
海岸であきれながら笑う。
「何も出来ないかもしれないけど、ほっとけないって」
そうだ。
響はいつも気弱で、けれど自分にいつも付き合ってくれて。
ドジで間抜けでほっとけなくて、自分がついていてあげなきゃ駄目な子なんだ。
そう、信じていたってまだ・・・・構わないだろう。
「やっぱあたし、あんたのこと好きなんだ。友達なんだよ・・・・少なくともあたしにとってはさ」
たとえ別れ際に何も言ってくれないような相手だとしても。
自分ではきっと無力で救うことすら出来ないような相手だとしても。
何も出来ない無理だってあきらめて、そのまま忘れていくなんて絶対に嫌だから。
「今度はもっとうまくやるから・・・・待っててよ・・・・・・響」
決意した。今度こそ彼女の力になると。
そのためにはどんなことだってしてみせると。
合格していた志望校への進学を取りやめ、少女は親友を探し始めた。
無謀で、ノープランで、頭も良くないけれど。
それでも何もせずただ過ぎていく時間に身を任せることだけはしたくなかったから。
わかっている、子供だって。自分が一番理解している。
でも子供だから。所詮子供なのだから。無茶も無謀もアリだろう。
今できることを、今しかできないことをすればいい。
「明日やればいなんて、そんなことはないもんね」
出来ることは今日全てやろう。
どんなに無茶でも無理でも無謀でも。
そうすることが無駄なんてことは絶対にないから。
「んー・・・・・・・・・・・ひびきー・・・・」
むにゃむにゃ。
しばらく寝言をつぶやき、それから慌てて飛び起きた。
ベッドでは鶴来がおとなしく新聞を読んでいる。
日はすっかり高く上り、六時間程度眠れたらしい。
「ねむー・・・・・」
缶コーヒーを一気に飲み干し、欠伸をしながら鶴来を見た。
すると新聞だけではなく自前の手帳まで読んでいるではないか。
「わあああっ!?ちょちょ、ちょとおお!!返しなさい!」
慌てて駆け寄りひったくるとそのまま元いた位置までかけもどった。
「・・・・・見た?」
「ああ・・・・・素人にしては良く調べられている」
「なにそれえらそうに・・・・勝手に読まないでくれる?乙女の手帳なんだから!当然のマナーよ」
「・・・・わかった。それにしてもそこまでして吟示を追ってどうする」
「やっぱ吟示のこと知ってんのね・・・まあ当然か。追ってどうするっていうか、今この世界の裏では非日常的なことがおこってるわけでしょ?今朝の蛇みたいに。そういうのほうっておくのもどうかと思うしね。たぶん根っから自分の知らないことがあるのが気に入らない性分なのよ、あたし」
「興味本位というわけか」
「否定はしないわ。それに世界を知ることはあの子に近づくことに繋がると思うから」
「・・・・・・・・・そんなに・・・友達が大事か?」
「大事よ」
即答だった。自分でも後々恥ずかしくなったのか、顔を赤くして帽子を目深に被った。
「ドジな子でね。ド天然っていうか。あたしがついてなきゃなんにもできなくて、ほんとトロくてだめで・・・・こりゃいつまでたってもだめだなと思ってたら、本当なあの子、ちゃんとしてて・・・・ほんと、ちゃんとしててさ・・・・・本当に必要としていたのはあたしのほうで・・・あの子はあたしを必要としてくれてたのかもしれないな、って思うんだ」
「それでも求めるのか・・・・?」
「うん。今度はちゃんと、助けてあげたいの。ただのワガママで、自己中なのはわかってるけど、誰かに言われてやめるくらいなら最初から始めてないわ」
「・・・・・止めはしない・・・・・・・それが伊佐美の望みなら」
「・・・・・・・あんた・・・なんか調子狂うわね」
頬をぽりぽり掻きながらつぶやいた。
それからしばらく二人は無言で過ごした。
伊佐美は調べごとと携帯電話でメールを繰り返し、鶴来は休めるうちに休むつもりで眠っていた。
そうして何時間かたった頃。
「よし、ちょっと出かけてくるわ」
「どこにだ?」
「すぐさま地下鉄に乗り込んだりしないから安心して寝てなさいよ、怪我人のくせに」
「・・・・・・・・・本当だな?」
「なによ、子供じゃないんだから・・・夜までには戻るから。じゃね」
不安そうに見送る鶴来を扉で遮り、思わず止めていた息を吐き出した。
「調子くるうなあ」
冷静に考えてみると男とあんな狭い部屋で二人きりというのはかなり恥ずかしいのでは。
そんな風に考え始めた後先考えないシャイな少女はホテルから出て歩き始める。
吟示や気力喪失の捜査は足が基本だ。ネットに出るのは噂話程度だしメジャーな情報ルーツではその情報を手に入れることが出来ない。TVなどで見る情報にくらべればまだネットの掲示板のほうが情報の質は高いといえるだろう。
しばらく歩き、とある喫茶店の前で立ち止まった。
そこには無精髭を生やした眼鏡の男性が緩んだネクタイをぶら下げながらたっていた。
「おまたせ」
「やっときたか・・・・まあいい、早速入ろう。寒い寒い」
「中で待ってればいいのに」
「こんなおしゃれな店を指定するんじゃねえ。一人で入るのが怖いだろうが」
「うわ、ヘタレ」
「いいから行くぞ」
曇った空を振り返りながら喫茶店に入っていく。
「雪が降りそうね」
男は特に何も答えない。
伊佐美もまた特に気にしないで中に入っていった。
なんか二十章突破しました。
がんばろう・・・。