閑話 怪物を見守る者たち その①
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ついさっきまで先輩である御門恭介が寝ていた布団には微かに温もりが残っていた。
花宮薫は、その温もりを手のひらで感じながら恭介の言った言葉を再び思い出す。
「自分は怪物だから今までの事は全て偽善、か。私は……そうは思うわないけどなぁ~」
薫は恭介が出て行ったドアを見て、悲しそうな目をした。
それは、恭介への悲観の目ではない。恭介の卑屈なまでの作り笑顔に向けての目だった。
薫は、巫女という仕事上、悲しそうな夢や希望を持ったどん底真っ盛りの者たちを数多く見てきた。そして、彼らが向ける笑顔は、全て恭介のそれと同じだった。故に、薫はその笑顔のことを知っていて、その重みも悲しみも少しだが認知している。
だからと言ってそれを許容できるわけはない。
「恭介先輩はああ言ってるけど、結局どうなの? あなたなら知っているんですよね、タナトス」
「……まあ、うん。知っているといえば知っているかもしれないよ。極々一部分だけどね」
「それは知らないって言うんですよ。日本語、わかります?」
「いやぁ~、僕は日本語が苦手でねぇ~? ほら、僕外国生まれの神様だし?」
「にしては日本語がお上手で」
いつからそこにいたのかわからないが、気が付けばタナトスが宙で回っていた。
そのタナトスに話を振ってみるが、タナトスは興味がないようで答えてはくれない。いや、もしくは知っていても教えないほうが面白いと考えたのだろうか。どちらにしろ、答えがないということに変わりはない。
薫は、薫にはとっては珍しいため息というものを小さくして、外を見る。
まだ出て行ってそう時間が経っていないから見えるかと思われた姿はオレンジに染まる夕日のせいで上手く見ることができなかった。
辛うじて見えたその姿には見るからに重そうな重荷を持っているように見え、薫はやるせない気持ちでいっぱいになる。
「ねえ、タナトス」
「何かな?」
「なんで、恭介先輩だったんですか?」
「……何がかな?」
「人は一秒に何人も死ぬと聞きます。なら、あの時、あの場でなんで恭介先輩を選んだんですか? 代わりは、いくらでもいたでしょうに」
「確かに、代わりは何人もいたね。そりゃあもう、呆れるくらいに」
「なら――」
宙を浮くタナトスは、薫の言葉を遮ってニヤニヤと気色の悪い笑顔でいう。
「それでも、彼が良かった。彼は僕が探していた逸材で、僕が憧れた逸材だ。知ってるかい? 彼はね、力を持ってから自分を犠牲にし始めたわけじゃないんだ」
「……」
薫がわからないという顔をしたのを見て、タナトスは笑った。しかし、その笑いは薫を馬鹿にするものではなかった。腹を抱えて、腹筋をさすりながら笑うその姿は、まるで心から面白いものを目の当たりにしているような、真相を目の当たりにしているような笑いだった。
「彼の父親は、周りと比べればかなり変わった変人だ。彼の母親もまた、世界一級品の変人だ。父親は世界を救おうと一生懸命ありもしない平和のために自分を磨き、母親は全てを解きほぐそうと翻弄した。そんな二人だからこそ、巡り合いそして子を成した。それが、御門恭介なのさ」
だからどうしたと言いたそうに眉をあげる薫に、タナトスは気にせず話を進める。
「そんな二人の子供だからこそ、彼は何も捨てることができず、何も諦めることができず、何にも答えを出すことができない。世界を救うことは世界を変えるということだ。真理を追い求める者は真理から最も遠いんだよ。わかるかい? 彼は今も、人生という迷路で迷子になっているのさ。人という枠組みを脱した今もね」
「でも――」
それこそが、人という一つの概念なのではないか。そう言おうとした薫の言葉をかき消すように、タナトスは言う。
「僕はそんな人生を目の当たりにしてみたい! あんなところで終わらせたくなかった! だから! 僕は彼を選び、彼を欲した! この強欲を誰が戒められるだろうか! いや、できない! これこそが我儘だ! 君も気になるだろう? 死という概念がなくなったら、人はどうなるのか! 人は一体何を成すのか! 僕は気になる! この探究心が、君に理解できるかい!?」
タナトスのどうしようもない言葉に、薫は一言も話すことができなかった。
タナトスの言葉を要約するなら、恭介という存在はとてつもなく歪で特殊なもので、それが何をするのかを見たいがために死なない体を与えたということだ。
心底バカバカしい。ため息を着く暇がないほどの傲慢と欲求のオンパレードに薫は呆れを通り越して、既にそのことに凄さを見出すまでである。
「タナトスの言い分は分かりました。まあ、恭介先輩が生きているのも、真理亜が生きているのも、全てはタナトスのその思いがあってこそですから、私には感謝をすることはあっても憎むことはありませんしね。もう、好きにしてください。でも、気を付けたほうがいいですよ? その話が本当なら、恭介先輩はあなたの手に余る逸材です」
「わかってるよ。その上で、僕は彼を欲したんだ。彼が生きるここからの全ての人生が、僕の欲求不満を解消し、これからの探究心を満足させていくだろうね。それほどまでに、彼の行動は、生き様は純粋なまでに美しい」
それだけ言い残して、タナトスは消えた。
まるで、それだけを言いに来たかのようにもうここには何の気配もない。
何もいなくなった部屋で、薫は布団に目を落とす。さっと一撫でして、ふぅっと一息する。
布団にはもう、彼の温もりは残っていない。かすかに見えた姿も、もう見えなくなってしまっていた。
しかし、それでも薫は言う。
「恭介先輩。それはもう、ヒーローなんですよ」
あの時言えなかった言葉を、言わずにはいられない。たとえ、何度拒絶されようと、この事実だけは変わらない。
自分を犠牲にして、他を救うその姿は、完全無欠にヒーローなのだから。