鬼神(ヤンデレ)と月兎
ここまでで二人の仲間を置いてきてしまった。そのことが頭に残って、俺は何度も後ろを振り返る。
だが、それは建前の理由。本当の理由は、後ろから聞こえてはいけない爆発音や、アマテラスの号泣の叫びが聞こえるからであって、真理亜やクロエが怪我をするとは微塵も思ってはいない。
だからだろうか、これまで一度たりとも足を止めたことはない。このまま、何もなく未来の俺の元までたどり着ければいいのだが……。
「恭介先輩、危ない!」
急に薫が押し倒してきたので、何事かと思ったが、俺が立っていた場所に小さくはなくクレーターが出来上がったことから、敵の攻撃を受けたことは明白だった。
どうやら、俺は薫に守られてしまったらしい。まあ、本人が怪我をするよりはマシだったのだが、これは男として少し不甲斐ないと思ってしまった。
「すまん。助かった。……でも、どこから攻撃が?」
「恭ちゃん、行って。あの兎は、私がどうにかするから」
俺がキョロキョロしていると、学校の屋上の一点を見つめている綺羅がそう言ってきた。
冗談じゃない。真理亜やクロエはまだ戦闘要員だ。戦える力を持っている。だから戦わせることができた。でも、綺羅は戦闘すら出来るかわからないのに、置いていけるわけがない。
俺は立ち上がり、綺羅に抗議しようとしたが、綺羅の目から今まで見たこともないくらい黒い何かを感じ取り、言葉が詰まった。
「大丈夫。私も強くなったから。真理亜ちゃんやクロエちゃんだけじゃないんだよ。ね、春ちゃん?」
「ま、まあ、そうだよね、うん」
綺羅のヤバさを勘付いたのか、春の声も少しだけ覚束無い。
と、次の瞬間、綺羅が包丁を逆手に持ったかと思うと動体視力でかろうじて見えるかというレベルのものが高速で飛んでくる。このままでは包丁を持った綺羅に直撃すると思われたが、なんと綺羅は見えるか見えないかというレベルの攻撃を逆手に持った包丁で切り裂いた。
……ごめん。俺の幼馴染がチートすぎる。
「早く行って」
「はい……」
綺羅の言葉に素直に返事をして走る俺。大丈夫だ。むしろ、今の綺羅を敵に回したお相手さんが可哀想なくらいだ。
俺は綺羅を置いて再び走り出した。
三人逃がしたが、問題はない。全ては戦力を分散させるための計画だ。
そう思いながら月の兎、夜見は緊張していた息を整える。
再びスコープに目を合わせる。すでに見つかっていることはわかっている。しかし、校舎の屋上から彼女がいる場所まで優に五百メートルはある。ただし、ここは屋上。普通の人間がジャンプなどで来られる場所ではない。
よって、地の利のおかげでこちらが優勢である。そう、相手が普通の人間であれば。
「八百メートル毎秒の銃弾を精密に切り裂くなんて、彼女は化け物ですよー……」
彼女はさっき、一発の銃弾を見ただけで自分の位置を正確に見極め、一秒にも満たない弾道を見切って先回りして銃弾を切り裂いた。それはつまり、並みの人間、いやもしくは人間ですらないのかもしれない。
ならば、彼女は一体誰なのか。人でないのなら、彼女は一体何なのか。疑問という恐怖が、自分を締め付けるを感じながら、トリガーに指をかける。
「相手がどんな化け物であろうと、頭を打ち抜かれれば……」
しかし、一発で頭を撃ち抜くのは不可能。あの包丁で切り裂かれるのは目に見えている。だから、複数の玉を精密射撃する必要があった。
だが、それは相手の動きを撃つ前に把握、もしくは予知する必要がある。
そんなことはどんなに優れた生き物であろうと不可能だ。神か、神の恩恵をもらっているものでない限りは。そして、夜見はその対象に入ってはいない。
しかしながら、今夜は満月。月の兎が本領を存分に発揮できるのだ。遥か昔、帝釈天の贄となった兎の子孫はその後帝釈天より月の開きの大きさによって力を提供されることとなった。それはすなわち、満月の日に絶大な力を得るということ。その力とは、
「行くですよー」
一発目。これは綺羅の頭を精密に射撃したもの。一瞬のうちにリロード、そして二発目。今度は恩恵で手に入れた未来予知で綺羅が次に行うとされていた行動を先読みし、再び頭に向けて撃つ。再びリロード、三発目。再び未来予知で手に入れた綺羅が行う動作を制するためのもの。
この三発で綺羅は完全に詰み。つまりは死ぬとされていた。ただ、されていたという過去形だが。
「なっ……」
驚くことに、綺羅はその三発の銃弾を避けてしまった。
きっかけは一発の銃弾だった。
その銃弾は恭介の頭を狙い撃とうとしたもので、薫が止めてくれなければ恭介の頭は撃ち抜かれていたことだろう。
瞬時に綺羅は狙撃手を探し出し、見つめる。よくは見えないが、人物特定するのに頭から生えているウサ耳は素晴らしく目立つものだった。
そのウサ耳に見覚えはあった。夏季合宿のとき、あの時未来の彼と一緒にいた敵だ。それはつまり、恭介を苦しめる本人たちということだ。
ここでひとつ、現状を思い返そう。敵が恭介を狙い撃った。辛うじて避けられたが、殺意があったのに変わりはないだろう。そして、恭介は綺羅の愛する少年だ。
これだけの条件が揃って、綺羅が激高しないわけがないだろう。
そうして、現状に至る。
目の前には一発の銃弾が頭を撃ち抜こうと向かってくる。だが、それは右ステップで避ける。しかし、回避した先にも一発の銃弾があった。綺羅は足が地面に着いた瞬間地面を蹴って、左にステップする。だが、相手の王手。足は宙に浮き、弾道は浮いている自分の頭を狙っている。これはどうやっても避けられない。
――――今までの綺羅ならば。
「おいで、スサノオ」
唱えるが、スサノオの参上は見受けられない。だが、綺羅の体に変化はあった。
微かな神気、釣り上がる頬、眩しく光る包丁に、目は凶悪なほどに黒く光っている。神化、その上を行く神喰らい、しかし、綺羅が行ったのはその両方だった。
神になり、神となった己を喰らう。これすなわち、鬼神。扱い方を間違えれば、狂戦士など可愛いものとなってしまう凶悪な儀式。
それを行って今、綺羅は本当の意味での鬼神となった。
「遅い」
ぎぃぃぃぃぃぃいいいいいいい!!!!!!
甲高い音を上げながら、一発の銃弾が切り裂かれた。
タンっと地面に降り立ち、鬼神と化した綺羅は人のみを超えた身で屋上にいる兎を見やる。
兎は体を震わせたかと思うと、急に冷静になり、再び銃に目を合わせた。なるほど、あくまでも戦う気なのかと思い、歓喜に震える綺羅。
しかし、あまり時間を食っている場合ではない。早めに終わらせるために綺羅は逆手に持っていた包丁をクナイのように兎に向けて投げた。
すると、銃のスコープだけを切り裂き、包丁は彼方に消える。
「な、めるなぁぁぁぁああああ!!!!!!」
スコープが消えたのにも関わらず、兎は叫びながら鬼の形相で五百メートルは離れているであろう自分に向かって精密射撃を行った。狙いは頭。避けることは可能だ。
綺羅は包丁を銃弾に向け投げ、走り出す。
「そういう意気込み、私は嫌いじゃないよ。でもね――」
手持ちにあった残りの包丁を校舎の壁に投擲して、刺さった包丁を足場に屋上まで上り詰めた。
その上で、綺羅は続きを話す。
「恭ちゃんを殺そうとしたことだけは、許せない」
「あっ……」
「覚えておいて。私は、現代の殺神鬼。神を喰らって、神になる」
果たして、綺羅の声はどこまで聞こえただろうか。兎は、目の前に現れた鬼神に慄き、気絶してしまっていた。