悲惨なヒーロー
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視界に入るのは一人の少女と、一人の少年。
少女は少年に笑いかけ、少年はそれに応えるかのように少女の手を取る。
その光景を見て、薫はふと思い至る。あの少女は、一体誰なのかと。
栗色の長い髪。小さい子にありがちな幼さがにじみ出ている顔。薫はそのような人物は会ったことも見たこともなかった。
逆に、少年の方はというと、若干の幼さを感じるが御門恭介その人だとすぐに判断できた。
見たこともない少女と、幼き頃の御門恭介。一体、これはどういうことを示唆しているのだろうか。
そういえば、この夢を見る前にヨハネに言われたことを薫は思い出す。
『お前も、見るがよい』
見るとは、きっとこの夢のことだろう。ならば、この夢にはきっと何か意味が有るはずなのだ。その意味は、一向に分からないが。
「ずっとずっと、一緒だよね?」
「そうだよ。ずっと、一緒だよ」
少女が話しかけ、恭介がそれに答える。幼い二人が話すにはどうもおかしい内容だということに、薫は気がついている。
ずっと一緒。その言葉の重みを、果たしてふたりは知っているのか。それすらも、わからなかった。
「大丈夫だ! 僕が○○ちゃんを守ってみせるから!」
「そうだよね。大丈夫だよね?」
断片的な記憶が、薫の頭を狂わせる。認識や音、感情や色、その光景を見続ける限りこれらの情報が狂っていく。
だが、決して薫は目を逸らさなかった。知りたかった。感じたかった。そしてなにより、御門恭介という人物をもっと昔から見てみたかったから。
そして訪れる、狂気。一瞬のうちに薫の体を苦しめ、縛り上げ、引きちぎり、感情を破壊していく感覚が薫を襲う。
全身がおかしくなっていく感覚に薫はどうすることもできずに声も上げることもなく両肩を抱いた。
声などでない。助けなど来ない。ただただ冷たく痛い闇が薫を包み、削り、全てを盗んでいく。
それが、御門恭介が感じていた感情だと、誰が知ろうか。きっと、感じている薫は恭介が拒絶しているのだと思っているだろう。もしくは、既にここが恭介の記憶の中だと言う事を忘れ、ただ苦しんでいるのだろう。
しかしだ。ここは御門恭介の記憶の中。恭介の中で一番ブロックが固く、誰にも知られたくない記憶。自分自身にも悟られてはならない禁忌と呼ぶべき記憶だという事を思い出して欲しい。
ここは、踏み入った瞬間から、入ってきたものを拒絶していたのだ。痛み、あるいは精神崩壊という警報で。
「嘘だ。うそだよね……○○ちゃん。僕は……君を――」
薫が最後に聴いたのはその言葉。泣き叫ぶように、搾り出すように言う少年の悲痛の言葉。
それが、少年が全てを失った瞬間の叫びだということを、薫は果たして気が付けただろうか。
「ん、んん……」
目を開けると、薫はふかふかのベッドで目を覚ました。
ガバッと上半身を起こし、薫は自身の体が動き、感性、感覚があることを調べる。そして、安堵の息を漏らして目を落とす。
すると、そこには高校生にまで成長した御門恭介が薫の隣で寝ていることを知った。
枕を見れば散々と濡れ、それが薫自身が流した涙や汗だということを悟った瞬間、薫は恭介が薫を心配して添い寝してくれたということが判断できた。
そんな恭介の行為に、薫はふと涙を流した。
「……ん、あれ? 薫、起きたのか」
「恭介先輩……」
「ん? どうし――たんだお前!? な、なんでそんな泣いてんだよ! 悪夢でも見たか!? お、俺が何かしたとか!? ちょ、何か言ってくれよ! なあ!」
薫が泣いていると、恭介は薫の肩を揺さぶりオーバーアクション気味に事を大きくしていく。
しかし、薫はそんな恭介の心遣いとも取れる行為が嬉しく、同時に悲しかった。
さっきの夢は恭介の記憶。それも、恭介自身が忘れたいと切実に願ったことで起きた小さな記憶喪失の一端。薫は今日、恭介の過去の一端を知った。知って、畏怖した。
決して、全てを知ったとは言い切れない記憶の量だったが、感情は同期していたのではっきりと取れた。悲しみを超える悲しみを、怒りを塗りつぶす憤怒を、枯れ果てるまで泣いた日々を、薫は知ってしまった。
知ってしまったから、薫はますます恭介という人物がわからなくなってしまった。
「ごめん……なさい……!」
「ええ!? なんで、謝って……ああ、泣くなよ! 頼むよ! ほ、ほら! 今日は一緒に寝てやるから! それとも一緒は嫌か!?」
「うぅ……一緒が、いい」
「お、おぉし! き、今日は恭介さんが添い寝してやるぞ!」
焦った顔も、困り果てた顔も、怒った顔も、笑った顔も、全部見てきた。しかし、少なくとも悲しい顔を見たことはない。
なぜか、それは恭介自身が正しい選択肢を選んでいるから、ではない。自身を犠牲にして、正しい選択肢を無理やり作り出し、それを躊躇なく選択してきたからだ。
だが、薫は初めて恭介の悲しい顔を見た。
それは幼く、若く、だが決して弱くない少年の日の出来事。恭介が知らない、恭介の過去。
薫はゆっくりと恭介に体を預け、もう一度深い眠りに入った。
今度は、悪夢は見ることはなく、逆に恭介の腕の中という安心感を持って、気持ちよく寝息を立てる。