お気に入りの場所での出来事
四月の風は中庭の桜を撒き散らす。
「はぁ……」
放課後になって、何度目かの溜息を吐く。
溜息を吐くと幸せが逃げると言うが、俺は順序が逆なんだと思う。幸せが逃げたから溜息が出るんだ。
「五回生以降の学園生活では実際に敵との戦いに駆り出されることもある」
溜息の根源は全員の対戦が終わった時間まで遡る。
「実戦では仲間との連携も必要になってくる。そこで五回生以上は八人一組のアハスというグループを作り、その中でツヴァイスという二人一組のチームを作ることを義務付けている。今回の試験は抽選と言ったが実は厳選な審査で決められたツヴァイス同士の戦いだ」
つまり今回の対人戦闘試験はツヴァイスの実力を確認するための顔合わせだったということだ。
さらに先生の説明によると、このツヴァイス四つで一つのグループを作るものらしい。
「別に嫌ってわけじゃないんだけどよ……」
確かに俺はあいつの実力を買っていた。けれどあんな失態を見せられたら……。
こういう気分の時はお気に入りの場所で昼寝でもしよう。
この中庭には大きな桜の木がある。さらにその桜の下には昼寝してくれと言わんばかりに置かれたベンチが二脚。
そこが俺の場所。そこで横になって眺める、春なら桜、夏なら木漏れ日、秋なら色をつけた葉、冬なら枝の間から見える空と雲が俺の好きな景色。
ここなら面倒なこと、煩わしい過去のことを忘れることが出来る。
ベンチに近づくと先客がいることに気付く。やれやれ、一人でいるからこそお気に入りの場所だったのに。
「よりによってこいつかよ……」
ベンチですぅすぅと寝息を立てているのは溜息の根源その二、羽里だった。
青い髪が春風に揺れる。能天気な寝顔を見てると、どうでもよくなってきた。
羽里の隣のベンチにドサッと座る。
「学園側で決められたのなら仕方ない……か」
羽里の顔を見ながら半ば諦めた感じで呟いた。
ポジティブシンキングで考えれば宣言も詠唱も無しで魔法が使えるんだ。これからの修行次第で強くなれる。
それにお互い使う魔法が似てるから情報交換とかしやすいし。
それから、えー、他に羽里と組む利点は……カワイイ?
「――――」
ふと羽里の顔を覗き込む。あどけなさが残る寝顔は――まあ悪くない。
背は高くないが足はスラリと長い。
成長途上のまま止まってしまったかのような胸の膨らみはこの小柄な身長にするとバランスがいいのだろう。
世間一般的に言うとその、なんだ……カワイイ。そう言えばクラスの野郎共が羽里もレベル高いとかなんとか言ってたな。確かにそうかもしれない。
ヒラリと羽里の眉間に花びらが一枚舞い落ちる。
「んぅ、む……」
羽里は顔をしかめる。花びらがむず痒いようだ。
何を血迷ったか、俺はその花びらを取ってやろうと羽里に近づく。そして自然と覆いかぶさる形になってしまう。
「ぁ、おーとり、くん……」
「……っ」
目を覚ました羽里に、花びらを取ろうとした手が宙でうろたえる。そして迷った挙句何故か羽里の鼻を摘んでいた。
「ひにゃっ!? にゃに、いきなりにゃにするの!?」
「あ、悪い。ついなんとなく……」
パッと手と身体を離す。
「ふぅ……。どうしたの? わたしに何か用?」
身体を起こした羽里は寝ぼけ眼を擦りながら俺の顔を覗き込む。
「別に、用はねぇよ」
俺の方が背が高いから自然に羽里は上目使いになる。
その顔がたまらなく愛らしいと言うか、なんだかそそるものがある。
「じゃあ、何でここに?」
「ここは――俺の場所だから」
「大鳥君の、場所?」
「気に入ってるんだよ、このベンチ。ここで横になって一人で昼寝するのが好きなんだ」
「そっか、じゃあお邪魔でしたね、わたし」
「いや、先客がいたことは少なくないし、別に構わない」
向こうはなんとも思っていないようだが、さっきの思考のお陰で気まずい。俺は早いところここから逃げ出したかった。
「あの、少しお話しましょうか。ほら、わたし達これから長いお付き合いになるみたいですし」
だと言うのに、羽里は俺をこの場にいさせようとする。
「……わかった」
ただ、生憎俺には断る理由も無かった。
「で、何か聞きたいことでもあるのか?」
「え、あー……ご趣味は……?」
お見合いかよ。
「月並みだけど読書。良く読むのは神話伝承について書かれた本だな。あとはここでする昼寝。羽里は?」
「うーん、わたしも読書かな。この学校の図書館、十年じゃ全部読みきれそうにないですし」
「へぇ。確かにあの図書館の本を全部読みきるのはなかなか出来そうに無いな」
量もさることながら、魔法使い養成学校だけに蔵書にも魔法が掛かっていることがある。
例えば、どう見たって二百ページ位なのに実際に読むとハードカバー二冊はあるだろって感じの本とか。
「確かにあれ困りますよね。軽く文庫本でも読もうって思ったらすっごく長くて没頭しちゃいますからね」
「ああ、よくある」
属性が似ていればどこか似通ったものがあるのだろうか。
「なあ、俺も聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「うん?」
「試験の時のあれ、なんだったんだ?」
俺はここで本日最大の疑問、試験の時のあのことについて聞いてみることにした。
「属性宣言を省く魔法使いはよく聞くけど、詠唱を省略する魔法使いなんて聞いたこと無い。でも防壁の強度は薄い。どういうことなんだ?」
「ううー、あれの事聞くんですか……恥ずかしいな」
羽里は目を泳がせ頬を掻く。それから少し悩んで話し始めた。
「あまり大きな声では言えないんですけど、実はわたしとある魔法使いの名門の分家らしいんです」
「名門?」
「はい。わたしがこんなこと出来るって気づいたのは四回生最後の水流魔法の実技の時だったんです。その実技の時、少し危ないことがありまして、とっさに防御しようと思ったとき、この無宣言無詠唱ができたんです」
成程、それなら俺も気付かないわけだ。
「名門の血筋と緊急事態によるリミッター解除。そういうわけだな」
「血筋とかそんな大したものじゃないですよー」
少しおどけた雰囲気で謙遜する羽里。
「でもちゃんと魔法を使えたのはその時だけなんですよ。それ以外は何度練習してもあの通り……」
「まともに発動したこと無い、と」
はい、と沈んだ返事をすると羽里は寂しそうに俯く。
「……心配するな。一度は出来たんだ。頑張ることを忘れなければいつかは出来る。諦めなければいつかは……」
そう励ます自分が悲しかった。
俺は一度、あることを諦めている。そんな俺が諦めなければ出来ないことは無い、なんて、とんだお笑い種だ。
「大鳥君? どうしたんですか、ボーっとして」
「ん? ああ。なんでもない」
なんでもない。そうやって過去をなんでもなかったことにしている俺は、弱い。そして弱い俺は――嫌いだ。
「あの、大鳥君に折り入って頼みがあります」
羽里は急に畏まった態度を取る。
「なんだ?」
「わたし、いつも見てたんです、大鳥君のこと」
今まで俺に向けられていた羽里の目が舞い落ちる桜に向けられる。
「見てた、って――」
「実技の時間、見る度に新しい魔法を作ってきて、カッコよく魔法を使って、その――素敵だなって」
この雰囲気は漫画や小説やドラマなんかでよく見た気がする。
「凄いよね、大鳥君。憧れちゃうな」
「止せよ。俺はそんなに出来た人間じゃない」
「ううん。凄いよ」
お約束のベターな台詞だってわかっていても、勝手に口から出てきてしまう。
「わたし、すごく幸運ですよね。憧れの人とツヴァイスを組めたんだから」
ここまで来たら、もう最終的に来る“頼み”と言うのは明白だ。……決断を、せねばなるまい。
「だから、ここまで来たらわたしだって調子に乗っちゃいます」
考えてみる。
羽里は彼女としてどうか。
普段から見る限り羽里は悪いコでは無さそうだ。性格としてはオッケーだ。
外見も水準以上。十分に羽里は彼女だ、と言って胸を張れるのではないだろうか。
いや、でも付き合うと感じが変わるって言う話もよく聞く。
「わたしの――」
「ああ、いいよ」
羽里が言い出す前に答えてしまった決断は、案ずるより生むが易しという言葉に則り、悩む位なら承諾しろというものだった。
「え、ほ、本当ですか!?」
「本当だ。ツヴァイスのことも含めてこれからよろしくな。そうだ、折角だから呼び方とか変えてみるか」
ああ、この一連の流れは歯が浮いて仕様が無い。
こうなれば行くところまで行ってやる。
「俺はお前のこと穂歌って呼ぶつもりだけど」
まあ、彼氏彼女の関係なら普通か。
「じゃ、じゃあわたしは――」
俺なんかと付き合うことが余程嬉しいのだろう。羽里――いや、穂歌は今にも飛び跳ねそうな勢いだ。
「――師匠って呼ばせていただきます」