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クソみたいな硝子玉が、あんなに綺麗でたまらない

掲載日:2026/02/07



 地下室の空気は、いつも湿った土と鉄錆、そして微かな鉱油の匂いがする。


 シュッ、シュッ、シュッ。


 静寂を支配するのは、私の指先だけだ。

 回転する研磨盤に原石を押し当てるたび、微細な粉塵が舞い、裸電球の頼りない光の中でキラキラと踊る。


 指先の感覚が麻痺しかけている。

 それでも私は、手の中にあるそれを離さなかった。


 ――蒼玉サファイア


 ただの石ではない。何層もの色彩を内包し、覗き込めば魂ごと吸い込まれそうな、本物の深淵。


「……完璧」


 私は吐息と共に呟き、革のエプロンで額に滲んだ汗を乱暴に拭った。


 誰もが見落とすような原石を拾い、何日も、何ヶ月もかけて削り出した。

 流行りの派手さはない。けれど、ここには物語がある。光の角度ひとつで表情を変える、重厚な世界がある。


 これこそが、才能だ。


 私は、自分が創り出した結晶をランプにかざし、うっとりと目を細める。


 ドッ、と頭上の天井が揺れた。

 パラパラと石灰の粉が落ちてきて、私の完璧な蒼玉を汚す。


「……また、始まった」


 天井の向こう。地上の大広間からは、品のない足音と、耳障りな楽器の音が漏れ聞こえてくる。


 今夜は『新作発表の舞踏会』。


 私は舌打ちをして、研磨盤のスイッチを切った。

 行きたくない。けれど、この蒼玉を納品しなければ、明日のパンも買えない。


 私は重い腰を上げ、蒼玉をベルベットの布に包むと、懐にしまい込んだ。



 螺旋階段を一段上るたび、空気が変わっていく。


 地下の冷やりとした静けさが遠ざかり、代わりにムワッとするような熱気と、安っぽい香水の匂いが鼻孔を突き刺してくる。


 石造りの壁に手を添える。冷たい。

 この冷たさだけが、今の私を正気に保ってくれる唯一の救いだ。


 階段の最上段。重厚なオークの扉の前で、私は足を止めた。

 扉の向こうからは、何百人もの話し声が波のように押し寄せている。


 ――嫌だ。


 胃の底が冷たくなる。離れたい。


 私は一度、きゅっと唇を噛み締め、呼吸を整えた。胸元の蒼玉を服の上から握りしめる。


 これがある。私には、これがあるから大丈夫だ。

 意を決し、私は重いノブを回した。



「――見て! 私の新作、素敵でしょう!?」


「ああ、なんて素晴らしいんだ! この輝き、天才的だよ!」


 視界が白く飛んだ。

 シャンデリアの暴力的な光。そして、目が痛くなるほどの原色、原色、原色。


 そこは、硝子の地獄だった。


 着飾った人々が、互いの装飾品を褒め称え合っている。

 彼らが身につけているのは、宝石ではない。ただの色付きガラスだ。

 中身などない。気泡だらけで、強引に着色されただけの、安っぽい模造品。


「あら、あなたも来たの?」


 声をかけられ、私はビクリと肩を震わせた。

 振り返ると、今月一番の売れっ子――装飾家であるリリナが立っていた。


 彼女の首元には、拳ほどの大きさがある真っ赤なガラス玉がぶら下がっている。


「……リリナ」


「ふふ、またそんな地味な石を持ってるの? そんな暗い色、誰も見ないわよ」


 彼女は扇子で口元を隠し、嘲笑うような目を向けた。


 言い返そうとした。

 中身が違うのだと。お前のそれは、ただ光を反射しているだけで、奥行きなんてないじゃないかと。


 けれど、言葉は喉でつかえて出てこない。

 なぜなら――。


 シャンデリアの光が、リリナの首元のガラス玉を直撃した瞬間。

 パァン、と弾けるような赤色が、周囲の客たちの視線を釘付けにしたからだ。


「わあ、綺麗!」


「すごい、遠くからでも一目でわかる輝きだ!」


 客たちが群がる。

 私はその光景を、ただ立ち尽くして見ていた。


 ……わかっている。あれは計算だ。

 わざと表面を多面的にカットして、乱反射するように作られている。中身の空洞さえも、光を屈折させるためのギミックに過ぎない。


 薄っぺらい。品がない。

 あんなの、創作じゃない。ただの刺激だ。


 そう思うのに。

 私の目は、あの下品な輝きから離れられない。


 悔しい……。


 認めたくない。あんな承認欲求の塊みたいなガラス細工を。

 でも、あのガラス玉は、確かに『一瞬で人の心を掴む』ように設計されている。


 私の蒼玉は、時間をかけて覗き込まなければ美しさが伝わらない。けれど彼女のガラスは、通り過ぎるだけの客の足を止めさせる力がある。


 それは、まぎれもなく「技術」だった。


(なんで……なんで、あんなゴミみたいな素材で、こんなに人を惹きつけられるのよ)


 憎悪が胸の中で黒く渦巻く。

 彼女の才能を認めてしまっている自分が、何より気持ち悪い。


 あんな風に、私も簡単に笑って、簡単に褒められて、簡単に愛されたいと思ってしまう。

 その卑しい心が、吐き気がするほど嫌いだ。


「――っ」


 私は逃げ出した。

 納品なんてどうでもいい。

 人混みをかき分け、ズボンの裾を踏まれるのも構わず、来た道を戻る。


 バタン! と背後で扉が閉まると、再び静寂が戻ってきた。


 薄暗い階段。私は手すりにしがみつき、膝から崩れ落ちた。


 懐から、蒼玉を取り出す。

 地下の薄闇の中で、それはひっそりと、深く、美しく輝いている。誰にも媚びない、孤高の青。


「……私のほうが、すごいのに」


 言葉にすればするほど、惨めだった。

 階段の石畳に、ポツリ、と涙が落ちる。


 上の階からは、まだ楽しげな笑い声と、ガラス玉が触れ合う軽薄な音が響いている。


 私は涙を拭うこともせず、冷たい石の床に額を押し付けた。

 あの輝きを『すごい』と認めてしまった自分の目を、えぐり出してしまいたいと思いながら。

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― 新着の感想 ―
活動報告のコメントと合わせて読んで、なるほどねーと、込められた意味に気付きました。 リリナさんをガラス玉と言っておきつつ、それはそれで認めてるところが好きですね。 「あまりいい終わり方ではない」とも…
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