クソみたいな硝子玉が、あんなに綺麗でたまらない
地下室の空気は、いつも湿った土と鉄錆、そして微かな鉱油の匂いがする。
シュッ、シュッ、シュッ。
静寂を支配するのは、私の指先だけだ。
回転する研磨盤に原石を押し当てるたび、微細な粉塵が舞い、裸電球の頼りない光の中でキラキラと踊る。
指先の感覚が麻痺しかけている。
それでも私は、手の中にあるそれを離さなかった。
――蒼玉。
ただの石ではない。何層もの色彩を内包し、覗き込めば魂ごと吸い込まれそうな、本物の深淵。
「……完璧」
私は吐息と共に呟き、革のエプロンで額に滲んだ汗を乱暴に拭った。
誰もが見落とすような原石を拾い、何日も、何ヶ月もかけて削り出した。
流行りの派手さはない。けれど、ここには物語がある。光の角度ひとつで表情を変える、重厚な世界がある。
これこそが、才能だ。
私は、自分が創り出した結晶をランプにかざし、うっとりと目を細める。
ドッ、と頭上の天井が揺れた。
パラパラと石灰の粉が落ちてきて、私の完璧な蒼玉を汚す。
「……また、始まった」
天井の向こう。地上の大広間からは、品のない足音と、耳障りな楽器の音が漏れ聞こえてくる。
今夜は『新作発表の舞踏会』。
私は舌打ちをして、研磨盤のスイッチを切った。
行きたくない。けれど、この蒼玉を納品しなければ、明日のパンも買えない。
私は重い腰を上げ、蒼玉をベルベットの布に包むと、懐にしまい込んだ。
螺旋階段を一段上るたび、空気が変わっていく。
地下の冷やりとした静けさが遠ざかり、代わりにムワッとするような熱気と、安っぽい香水の匂いが鼻孔を突き刺してくる。
石造りの壁に手を添える。冷たい。
この冷たさだけが、今の私を正気に保ってくれる唯一の救いだ。
階段の最上段。重厚なオークの扉の前で、私は足を止めた。
扉の向こうからは、何百人もの話し声が波のように押し寄せている。
――嫌だ。
胃の底が冷たくなる。離れたい。
私は一度、きゅっと唇を噛み締め、呼吸を整えた。胸元の蒼玉を服の上から握りしめる。
これがある。私には、これがあるから大丈夫だ。
意を決し、私は重いノブを回した。
「――見て! 私の新作、素敵でしょう!?」
「ああ、なんて素晴らしいんだ! この輝き、天才的だよ!」
視界が白く飛んだ。
シャンデリアの暴力的な光。そして、目が痛くなるほどの原色、原色、原色。
そこは、硝子の地獄だった。
着飾った人々が、互いの装飾品を褒め称え合っている。
彼らが身につけているのは、宝石ではない。ただの色付きガラスだ。
中身などない。気泡だらけで、強引に着色されただけの、安っぽい模造品。
「あら、あなたも来たの?」
声をかけられ、私はビクリと肩を震わせた。
振り返ると、今月一番の売れっ子――装飾家であるリリナが立っていた。
彼女の首元には、拳ほどの大きさがある真っ赤なガラス玉がぶら下がっている。
「……リリナ」
「ふふ、またそんな地味な石を持ってるの? そんな暗い色、誰も見ないわよ」
彼女は扇子で口元を隠し、嘲笑うような目を向けた。
言い返そうとした。
中身が違うのだと。お前のそれは、ただ光を反射しているだけで、奥行きなんてないじゃないかと。
けれど、言葉は喉でつかえて出てこない。
なぜなら――。
シャンデリアの光が、リリナの首元のガラス玉を直撃した瞬間。
パァン、と弾けるような赤色が、周囲の客たちの視線を釘付けにしたからだ。
「わあ、綺麗!」
「すごい、遠くからでも一目でわかる輝きだ!」
客たちが群がる。
私はその光景を、ただ立ち尽くして見ていた。
……わかっている。あれは計算だ。
わざと表面を多面的にカットして、乱反射するように作られている。中身の空洞さえも、光を屈折させるためのギミックに過ぎない。
薄っぺらい。品がない。
あんなの、創作じゃない。ただの刺激だ。
そう思うのに。
私の目は、あの下品な輝きから離れられない。
悔しい……。
認めたくない。あんな承認欲求の塊みたいなガラス細工を。
でも、あのガラス玉は、確かに『一瞬で人の心を掴む』ように設計されている。
私の蒼玉は、時間をかけて覗き込まなければ美しさが伝わらない。けれど彼女のガラスは、通り過ぎるだけの客の足を止めさせる力がある。
それは、まぎれもなく「技術」だった。
(なんで……なんで、あんなゴミみたいな素材で、こんなに人を惹きつけられるのよ)
憎悪が胸の中で黒く渦巻く。
彼女の才能を認めてしまっている自分が、何より気持ち悪い。
あんな風に、私も簡単に笑って、簡単に褒められて、簡単に愛されたいと思ってしまう。
その卑しい心が、吐き気がするほど嫌いだ。
「――っ」
私は逃げ出した。
納品なんてどうでもいい。
人混みをかき分け、ズボンの裾を踏まれるのも構わず、来た道を戻る。
バタン! と背後で扉が閉まると、再び静寂が戻ってきた。
薄暗い階段。私は手すりにしがみつき、膝から崩れ落ちた。
懐から、蒼玉を取り出す。
地下の薄闇の中で、それはひっそりと、深く、美しく輝いている。誰にも媚びない、孤高の青。
「……私のほうが、すごいのに」
言葉にすればするほど、惨めだった。
階段の石畳に、ポツリ、と涙が落ちる。
上の階からは、まだ楽しげな笑い声と、ガラス玉が触れ合う軽薄な音が響いている。
私は涙を拭うこともせず、冷たい石の床に額を押し付けた。
あの輝きを『すごい』と認めてしまった自分の目を、えぐり出してしまいたいと思いながら。




