第9話 完全決着
「――以上、締めて金貨三億枚となります」
私は羊皮紙の束を、机の上にバンと叩きつけました。
場所は、完成したばかりの村の集会所。
私の目の前には、オーク製の頑丈な椅子に縛り付けられたジェラルド殿下がいます。
彼は髪を振り乱し、泥だらけの軍服姿で私を睨みつけていました。
「ふ、ふざけるな……! なんだその金額は!」
「内訳をご説明しますか? スライム・トラップの再充填費用、オークたちの精神的苦痛への慰謝料、そして貴方が壊そうとした私の平穏な生活の対価です」
これでも身内割引を適用した良心的な価格です。
「払えるわけがなかろう! 大体、貴様ごときが王族に金を請求だと? これは国家への反逆だ! 今すぐ僕を解放し、土下座して慈悲を乞え!」
殿下はまだ状況が理解できていないようです。
唾を飛ばして喚き散らしています。
やれやれ。
現場の安全管理以前に、コンプライアンスの教育が必要ですね。
私はため息をつき、懐から一枚の書類を取り出しました。
それは、一ヶ月前の夜会で、彼自身が私に投げつけたものです。
「殿下。これに見覚えは?」
「それは……追放の命令書……?」
「いいえ。よく読んでください。『辺境開発総督への任命書』です。ここには、こう書かれています。『当地における行政・司法・軍事の一切の権限を、スカーレット・ヴァン・ダイクに委任する』と」
王家の印章が押された、正式な公文書です。
私はその文面を指でなぞりました。
「つまり、この荒野において、私は法律そのものです。私が許可しない軍事行動は全て『侵略行為』であり、貴方は王族ではなく『武装した不法侵入者』として処理されます」
「な……っ!?」
殿下の顔色が蒼白になりました。
彼は私を「ただの追放者」にするつもりで、面倒な手続きを省略するために既存の役職を適当に当てがったのでしょう。
その杜撰な事務処理が、今になって自分の首を絞めているのです。
「そ、そんな屁理屈が通るか! 僕は王子だぞ! 次期国王だぞ!」
「ここは法治国家ソルヴァニアの領土です。王族こそ法を守るべきでは? それとも、ご自分が署名した書類の効力も理解できないほど、知能が低下されたのですか?」
「き、貴様ぁぁぁ……!!」
図星を突かれ、殿下の理性が崩壊しました。
彼は縛られているロープを、隠し持っていた何かで切断しました。
魔道具による緊急脱出。
拘束が解かれます。
「死ね! 生意気な女がぁ!!」
殿下は懐から、短剣のようなものを抜き放ちました。
刀身が青白く輝いています。
あれは……国宝級のアーティファクト、「風神の短剣」でしょうか。
真空の刃を生み出し、鉄鎧すら紙のように切り裂く魔剣です。
「スカーレット!」
背後でレオンハルトが叫び、魔法を放とうとしました。
しかし、間に合いません。
殿下との距離はわずか一メートル。
殺意に満ちた刃が、私の喉元へと迫ります。
(……遅い)
私には、その切っ先が止まって見えました。
現場で落下してくる鉄骨に比べれば、殿下の剣筋など子供の遊びです。
腰が入っていませんし、手首がブレています。
私は避けることすらせず、左手をすっと差し出しました。
パシッ。
「……は?」
殿下の動きが止まりました。
私の親指と人差し指が、振り下ろされた魔剣の刃を「白刃取り」ならぬ「指先摘み」で受け止めていました。
真空の刃が私の指の皮膚を切り裂こうとしていますが、鍛え上げた角質と筋肉の密度には勝てません。
少し爪が削れた程度です。
「危ないですね。刃物は人に向けちゃいけませんと、教わりませんでしたか?」
「ば、馬鹿な……!? それは魔剣だぞ!? 最強の風の刃だぞ!?」
「風? ああ、扇風機代わりにはなるかもしれませんね」
私は指先に少しだけ力を込めました。
ミシッ……。
魔剣の刀身に亀裂が走ります。
「や、やめろ! それは国宝……!」
「不良品です。廃棄処分します」
パキンッ!!!
軽快な音が響き、伝説の魔剣は飴細工のように砕け散りました。
破片がキラキラと床に落ちます。
殿下は折れた柄を握りしめたまま、口をパクパクさせていました。
完全に心が折れた音も聞こえました。
「ひ……ひぃ……化け物……」
殿下は腰を抜かし、床を這って逃げようとしました。
しかし、出口には既に「先客」が立っていました。
「――見事だ、スカーレット嬢」
重厚な声。
入り口の扉が開き、一人の初老の男性が入ってきました。
豪奢なマントに、威厳ある髭。
そして背後には、以前ここに来た商人トマと、武装した近衛兵たちが控えています。
「ち、父上……!?」
ジェラルド殿下が叫びました。
そうです。ソルヴァニア国王陛下その人です。
国王陛下は、這いつくばる息子を一瞥もしませんでした。
冷ややかな目で、ただ「ゴミ」を見るように見下ろしています。
「ジェラルド。予はお前に失望した。国庫を横領し、無実の婚約者を追放し、あまつさえその功績を奪おうとして軍を私物化するとは」
「ち、違います! これはその、盗賊討伐で……!」
「黙れ。全て見ていた。スカーレット嬢の言う通りだ。お前は法を犯し、武人としての誇りも捨てた。……王族の恥晒しめ」
国王が指を鳴らすと、近衛兵たちが一斉にジェラルド殿下を取り押さえました。
「父上! お許しを! 僕は騙されていたんです! ミラが! あの女が唆したんです!」
「見苦しい! 連れて行け! 王都に戻り次第、廃嫡の手続きを行う。二度と太陽の下を歩けると思うな!」
「いやだぁぁぁ! 僕は王になるんだぁぁぁ!」
断末魔のような叫びを残し、殿下は引きずられていきました。
あっけない幕切れです。
物理で心を折り、法でトドメを刺す。
完璧な工程管理でした。
静まり返った部屋で、国王陛下が私に向き直りました。
その表情は、先ほどまでの厳格なものから、柔和なものへと変わっています。
「スカーレット嬢。……いや、スカーレット総督。我が愚息がすまなかった」
陛下が深々と頭を下げました。
一国の王が、です。
私は慌てました。
「お、お顔を上げてください! 私はただ、自分の現場を守っただけですので」
「謙遜するな。商人のトマから報告は受けていたが……まさかここまでとは。荒野を一ヶ月で楽園に変え、伝説の魔王まで手懐けるとはな」
陛下がチラリと、部屋の隅で欠伸をしているレオンハルトを見ました。
レオンハルトは「フン」とそっぽを向きましたが、敵意はないようです。
「スカーレット。単刀直入に言おう。王都へ戻ってこないか?」
陛下の申し出に、私は少しだけ考えました。
王都に戻れば、名誉は回復され、何不自由ない生活が待っているでしょう。
しかし。
私は窓の外を見ました。
オークたちが汗を流して働いています。
クマ吉が川で魚を獲っています。
そして隣には、私の答えを待っている不機嫌な魔王がいます。
私の居場所は、もう決まっていました。
「ありがたいお申し出ですが、お断りします」
私はまっすぐに陛下を見つめ、答えました。
「私はこの荒野が好きなんです。自分の手で作り、自分の足で立てるこの場所が。……それに、まだ大浴場の増築工事が終わっていませんから」
陛下は目を丸くし、それから豪快に笑いました。
「ははは! そうか、工事なら仕方ないな! ……よろしい。では、この地を好きにするがいい」
「ありがとうございます。……あ、請求書は王宮に回してもよろしいですか?」
「……うむ。息子の不始末だ。全額支払おう」
こうして、私の「荒野開拓」は、王国公認の事業となりました。
邪魔者はいなくなりました。
資金も潤沢です。
さあ、これからは遠慮なく、世界最高の国を作りましょう!




