第5話 商人が迷い込み、経済が回る
「姉御! 三番倉庫の棟上げ、完了しやした!」
「お疲れ様です、親方。筋交いの角度も完璧ですね。いい仕事です」
荒野を見渡すと、そこには一週間前とは比較にならない光景が広がっていました。
整然と並ぶ丸太小屋。
湯気を上げる露天風呂。
そして周囲を囲む、魔物の侵入を防ぐための堅牢な石壁。
もはやキャンプ地ではありません。
小さな「村」です。
オーク工務店の仕事ぶりは、私の予想を遥かに超えていました。
彼らは素晴らしい職人集団です。
私は満足げに図面を閉じたのですが、一つだけ問題がありました。
「……在庫過多ですね」
倉庫の中には、オークたちが余暇で作った木工品や、レオンハルトが「邪魔だ」と言って生成した魔石が山積みになっています。
素晴らしい製品ですが、使い手が私たちしかいません。
これでは宝の持ち腐れ。
経済を回すには「消費」と「流通」が必要です。
その時でした。
村の入り口から、クマ吉がのっしのっしと歩いてくるのが見えました。
背中に何か、大きな荷物を乗せています。
いや、荷物ではありません。
「クマ吉、それは?」
「グルァ。グフッ」
クマ吉が背中からドサッと落としたのは、人間でした。
小太りで、上質な服を着た男性。
顔は真っ青で、口から泡を吹いて気絶しています。
クマ吉は食べいみたいでした。
「ダメに決まってるでしょう! お客様ですよ!」
私は慌てて駆け寄りました。
身なりからして商人でしょう。
隊商からはぐれて、この魔境に迷い込んだに違いありません。
「親方! すぐに救護室へ! それとレオンさんから『例の水』をもらってきてください!」
◇◇◇
一時間後。
ログハウスの一室で、商人の男性が目を覚ましました。
「ひぃっ!? く、喰われるぅぅ!!」
彼はいきなり跳ね起き、部屋の隅で震え出しました。
無理もありません。
枕元ではクマ吉が涎を垂らして見守り、部屋の入り口にはオークの親方が仁王立ちしていたのですから。
私は笑顔で紅茶を差し出しました。
「落ち着いてください。貴方を食べる予定はありません」
「あ、悪魔……!? いや、人、間……?」
商人は私を見て、目を瞬かせました。
私はつなぎ姿ですが、一応人間には見えるはずです。
「私はスカーレット。この開拓村の責任者です。貴方は?」
「……ト、トマと申します。隣国へ向かう途中、砂嵐に巻き込まれて……」
トマと名乗った商人は、まだ半信半疑の様子でおずおずと紅茶を受け取りました。
一口、口にします。
その瞬間。
彼の目がカッと見開かれました。
「な……ッ!?」
彼はカップの中身を二度見し、それから自分の体をまさぐり始めました。
「痛くない……? 持病の腰痛が、消えた? それに、旅の疲労が一瞬で……」
「ああ、よく効くでしょう。この辺の湧き水を魔術師が加工した特製ドリンクです。滋養強壮にいいんですよ」
ただの栄養ドリンク感覚で説明しました。
レオンハルト曰く「魔素のカスを濾過しただけの失敗作」らしいですが、飲むとスッキリするので愛飲しています。
トマ氏は震える手でカップを掲げました。
「こ、これは……『神の雫』クラスのポーションではありませんか!? 市場に出れば、小瓶一本で城が買えるレベルの!」
「城? 大袈裟ですね」
商人の冗談でしょう。
そんな高いものが、レオンハルトの部屋の蛇口から無限に出るわけがありません。
「それよりトマさん。そのカップとお皿、どう思います?」
私は話題を変え、彼が持っている木製のカップと、クッキーを乗せた皿を指差しました。
オークたちが森の古木を削り出して作ったものです。
トマ氏は皿を手に取り、裏返し、木目を凝視しました。
そして、ヒッと息を飲みました。
「……信じられない。継ぎ目が一切ない。これは『千年杉』の削り出しですか? それにこの繊細な彫刻……ドワーフの名工でもここまでの仕事はできませんよ! 美術品としての価値は計り知れない!」
彼の鼻息が荒くなってきました。
商人の血が騒ぎ出したようです。
私はニヤリと笑いました。
パートナーが見つかりました。
「トマさん。単刀直入に言います。商談をしませんか?」
「商談……?」
「見ての通り、ここは物資が余っています。ですが、塩や香辛料、布地、そして鉄製品が不足しています。貴方がそれらを運んで来てくれるなら、対価としてこの村の特産品をお渡しします」
私は倉庫に山積みになっているポーション(失敗作)と、木工品の山を指差しました。
トマ氏はゴクリと喉を鳴らしました。
彼は商人です。
目の前のリスク(魔物)と、莫大なリターン(商品)を天秤にかけています。
そして、欲望が恐怖に打ち勝ちました。
「……独占、契約でお願いできますか?」
「ええ、構いませんよ」
「成立だ! いや、成立です! スカーレット様!」
トマ氏は私の手をガシッと握りしめました。
先ほどまでの怯えが嘘のように、その目は金貨の形になっていました。
「ですが、一つだけ条件があります」
私は声を潜めました。
「この場所と、生産者の正体は『企業秘密』です。もし他言すれば……」
私は背後の壁を親指で指しました。
そこには、騒ぎを聞きつけてやってきたレオンハルトが、不機嫌そうに宙に浮いています。
その周囲には、漆黒の雷がバリバリと音を立てていました。
「……なんだこの騒音は。僕の昼寝を邪魔するなら、国ごと消すぞ」
魔王の威圧。
トマ氏は白目を剥きかけましたが、商魂でなんとか踏みとどまりました。
「ひぃぃっ! しょ、承知いたしました! 墓場まで持っていきます!」
「よろしい。では、第一弾の出荷準備をしましょう」
こうして、荒野に物流ルートが開通しました。
トマ氏は帰り際、荷馬車(親方達が作った)が軋むほどのポーションと木工品を積み込みました。
見送り際、彼はホクホク顔で言いました。
「次は一ヶ月後に来ます! ああ、王都の貴族たちがこれを見たら、どんな顔をするか……楽しみでなりませんなぁ!」
「安全運転でお願いしますね。クマ吉に国境まで護衛させますから」
遠ざかる馬車を見送りながら、私は満足感に浸りました。
これで調味料不足も解消されますし、布が手に入ればオークたちの作業着も新調できます。
「おい、スカーレット」
背後からレオンハルトが声をかけてきました。
手には、私が試作した『低反発ウレタン風・スライム枕』を持っています。
「この枕……悪くない。沈み込み具合が絶妙だ」
「でしょう? スライムの粘度を調整して開発しました」
「気に入った。これの抱き枕サイズが欲しい。……対価はこれでいいか?」
彼が放り投げてきたのは、拳大の宝石でした。
真っ赤に輝く、見たこともない純度のルビーです。
いや、魔力が結晶化した『賢者の石』に見えますが……まさかね。
「綺麗な石ですね。砕いて砂利にすれば、庭の敷石に使えそうです」
「……お前、本当に価値観がバグっているな」
レオンハルトが呆れたように言いましたが、気にしません。
私にとっての価値は「現場で使えるかどうか」だけですから。
こうして、私たちの村は経済的な基盤まで手に入れてしまいました。
衣食住、そして金。
もはや死角はありません。
「さあ親方、次は大浴場の増築ですよ!」
「「「アイアイサー! 姉御!」」」
荒野の開拓は、まだまだ終わりません。




