第4話 魔境温泉と労働力の確保
「レオンさん。そこ、配管の勾配が足りません」
「……注文が多いぞ、雇い主」
「水は低い方に流れるんです。物理法則を無視しないでください」
荒野の真ん中で、私たちは奇妙な共同作業を行っていました。
私の目の前には、不機嫌そうな顔をした魔王、レオンハルトが浮いています。
彼はブツブツと文句を言いながらも、指先から出した魔法の光で、私が描いた図面通りの「石造りのパイプ」を生成していました。
ログハウス建設は順調です。
彼が建材を無限に出してくれるおかげで、資材調達のコストと時間がゼロになりましたから。
まさに夢の現場です。
しかし、家があっても水がなければ生活できません。
川までは距離があります。
そこで私は、この一帯に漂う微かな「硫黄の匂い」に賭けました。
「よし、ボーリング調査開始!」
私はツルハシ代わりの右拳を振り上げました。
狙うは地下三十メートル。
岩盤の隙間から蒸気が漏れているポイントです。
「フンッ!!」
ズドォォォン!!
地面が大きく陥没しました。
衝撃が深層まで届き、地殻を刺激します。
シュゴォォォォォッ!!!
次の瞬間、真っ白な蒸気と共に、熱湯の柱が空高く噴き上がりました。
あたり一面に湯気が立ち込め、硫黄の香りが広がります。
「ビンゴ! 源泉かけ流しです!」
「……うわ、熱っ」
近くにいたレオンハルトが、飛んできた飛沫に触れて顔をしかめました。
彼は本当に耐久力がありませんね。
「素晴らしい湯量です。これなら飲料水の濾過はもちろん、暖房にも使えます。そして何より……」
私は湯気を浴びながら、恍惚の表情を浮かべました。
「お風呂に入れます」
「……風呂?」
レオンハルトが怪訝な顔をしました。
どうやら、お風呂の素晴らしさを知らないようです。
人生(魔生?)の半分を損していますね。
「いいですか、レオンさん。温かいお湯に浸かることは、最高の疲労回復術であり、安眠への最短ルートなのです」
「安眠……」
その単語が出た瞬間、彼の目の色が変わりました。
彼は無言で指を鳴らしました。
ゴゴゴゴ……。
地面から美しい黒曜石が隆起し、あっという間に巨大な「湯船」が形成されました。
さらに、源泉から湯船へとお湯を引き込む水路までもが、自動的に構築されていきます。
「……これでいいのか?お風呂とはこんな感じか?」
「仕事が早い! 大丈夫です、流石です!」
私たちは顔を見合わせ、頷き合いました。
利害の一致です。
早速、お湯が溜まるのを待とうとした、その時でした。
「グルルル……!!」
現場監督補佐のクマ吉が、警告の唸り声を上げました。
南側の枯れ木林から、ガチャガチャと金属音が近づいてきます。
「おい人間! ここは我ら『黒鉄族』の縄張りだぞ!」
姿を現したのは、緑色の肌をした巨漢の集団でした。
オークです。
しかも、ただの魔物ではありません。
腰には立派な道具ベルトを巻き、手には武器ではなく巨大なハンマーやノコギリを持っています。
彼らは知能が高く、建築技術を持つ亜人種。
数は十体ほど。
その先頭に立つ、一際大きな古傷だらけのオークが、私を睨みつけました。
「人間ごときが、神聖な水源を勝手に掘り返しやがって! 失せろ!」
殺気立った怒号。
レオンハルトが面倒くさそうに溜息をつき、手を上げかけました。
魔法で消し飛ばす気でしょう。
私はそれを手で制しました。
殺してはいけません。
彼らの装備を見てください。あの使い込まれたハンマー。手入れの行き届いたカンナ。
彼らは「職人」です。
「お待ちください。私はスカーレット。ここの現場監督です」
私は一歩前へ出ました。
オークの親方は、私を見下ろして鼻を鳴らしました。
「女だと? ケッ、ひ弱な人間が粋がるな。俺たちは力こそ正義の種族だ。文句があるなら力で示せ!」
「力で示せば、話を聞いてくれますか?」
「ああ? 俺に勝てたら、この水源はお前のモンだと認めてやるよ! だが負けたら、その肉を食わせてもらうぞ!」
親方は近くにあった平らな大岩を拳で叩きました。
バンッ!
なるほど、即席のテーブルですね。
「分かりました。では、公平に『力比べ』でどうでしょう?」
「ギャハハ! 舐めやがって! 俺の腕は丸太より太いんだぞ!」
親方が大岩に肘をつきました。
その腕は、確かに私の胴体ほどもあります。
周囲のオークたちが「親方、やっちゃってください!」「人間の腕なんてポッキリだ!」と囃し立てます。
私は静かに向かい合いました。
私の腕は、彼の五分の一ほどの太さしかありません。
「レディ・ゴー!」
掛け声と共に、親方の筋肉が膨れ上がりました。
血管が切れそうなほどの全力。
岩がミシミシと悲鳴を上げます。
しかし。
「……ぬ? ぬぬぬ?」
親方の顔が真っ赤になりました。
彼の腕は、開始位置から一ミリも動いていません。
私は涼しい顔で、彼の剛力を受け止めていました。
小指一本分の力も出していません。
「そ、そんな馬鹿な……びくともしねぇ……!?」
「いい筋肉ですね。上腕二頭筋の張りが素晴らしい。現場で良い仕事をしてきた証拠です」
私はニッコリと笑いました。
「ですが、基礎が甘い!」
ドォン!!!!
私が一瞬だけ力を込めると、爆発音が響きました。
親方の巨大な腕が、凄まじい速度で岩盤に叩きつけられました。
あまりの衝撃に、土台の大岩が真っ二つに割れます。
シーン……。
あたりが静まり返りました。
親方は白目を剥いて、地面に突っ伏しています。
右腕は無事ですが、心の骨が折れたようです。
私はパンパンと手の土を払いました。
「さて。約束通り、水源は使わせていただきますね。それと……」
私は呆然としている他のオークたちを見回しました。
「貴方たち、良い道具を持っていますね。家の組み上げ、手伝ってくれませんか? 報酬は『温泉入り放題』と『まともな食事』です」
オークたちが顔を見合わせました。
そして次の瞬間、全員がその場に膝をつきました。
「「「あ、姉御ォォォォォ!!!」」」
野太い声が荒野に響き渡りました。
復活した親方が、涙目で私の足元にすがりつきます。
「あんな剛腕、見たことねぇ! アンタこそ真の男……いや、女傑だ! 一生ついていきやす!」
「いえ、ついてくるのは現場だけで結構です」
こうして、最強の土木作業チームが結成されました。
◇◇◇
その日の夕方。
完成したばかりの岩風呂に、お湯が満たされました。
湯気が夕焼けに染まっています。
「ふぅぅぅ……生き返りますね……」
私はタオルを頭に乗せ、肩までお湯に浸かりました。
極楽です。
労働の後の温泉ほど、体に染みるものはありません。
壁を隔てた男湯からは、レオンハルトの「……悪くない」という呟きと、オークたちの「風呂、最高だぜ!」「親方、背中流します!」という賑やかな声が聞こえてきます。
三日前までは、死の荒野と呼ばれていた場所。
今は湯気と活気に包まれています。
私は空を見上げました。
一番星が光っています。
「さて。衣・食・住の『住』は整いました。次は経済活動ですね」
人が増えれば、物資が必要です。
外部との接触を考えるべきかもしれません。
私はお湯の中で、固く握り拳を作りました。
この楽園を守り、発展させる。
そのための計画が、次々と頭に浮かんできます。
のぼせない程度に温まったら、図面の続きを引きましょう。




