第3話 引きこもり魔王と騒音トラブル
「――いち、に、さん、シッ(死)!」
荒野の朝は早いです。
日の出と共に起床した私は、岩山の前で日課の準備運動を行っていました。
スカーレット式・筋肉体操。
通常のラジオ体操に、高負荷の自重トレーニングを組み合わせたオリジナルメニューです。
「ご、ろく、しち、ハッ(破)!」
掛け声と共に、大地を強く踏み抜きます。
ドスン、という重い振動が足裏から伝わります。
寝起きの筋肉に血液が巡り、細胞の一つ一つが歓喜の声を上げているのが分かります。
横で見ていたクマ吉が、私の動作に合わせてビクッ、ビクッと体を震わせていました。
怯える必要はありませんよ。
これはただの体操ですから。
「よし、体も温まりました」
私は額の汗を拭い、昨晩掘った横穴に向き直りました。
今日の予定は「床の水平出し」です。
昨日は大雑把に掘っただけなので、床面が凸凹しています。これでは家具が置けません。
「水平こそ、建築の命」
私は拳を握りしめました。
精神統一。
床の凸凹を、均一にならすイメージを固めます。
「フンッ!!」
右拳を床岩に叩きつけました。
ズドンッ!!
衝撃波で余分な岩の出っ張りを粉砕します。
「セイッ! ハッ! ソイヤッ!」
ズドッ! バギッ! ドゴォォォン!!
連続パンチによる微細な調整。
岩山全体が小刻みに揺れ、パラパラと粉塵が舞い落ちます。
クマ吉が耳を塞いで岩陰に隠れました。
少し音が大きいかもしれませんが、工事に騒音はつきものです。
その時でした。
ゴゴゴゴゴ……。
私の作業音とは違う、地鳴りのような音が響きました。
地面の底から突き上げるような、不穏な振動。
「おや? 余震でしょうか」
手を止めて様子を窺います。
すると、私の足元の地面が黒く染まり始めました。
影?
いいえ、これは闇そのものが滲み出しているようです。
「……うるさい」
低く、冷たい声が響きました。
背筋が凍るような、底冷えする声色。
次の瞬間、地面の影から一人の男が「ぬっ」と姿を現しました。
幽霊のように浮遊しながら現れたその人物に、私は目を丸くしました。
透き通るような銀髪。
この世の物とは思えないほど整った、美貌の青年です。
身に纏っているのは、高級そうなシルクの……パジャマ?
しかし、その顔色は最悪でした。
目の下には濃い隈があり、紫色の瞳は殺意と眠気で濁っています。
彼は私を見下ろし、不機嫌そうに呟きました。
「……死ね」
挨拶もなしですか。
彼の指先から、バレーボールほどの大きさの「黒い球体」が放たれました。
ヒュンッ、と空気を裂く音がします。
(危ない!)
私は反射的に反応しました。
工事現場において、飛来物は最大の危険因子です。
とっさに左手を振り抜き、その球体を裏拳で迎撃しました。
パァァァァン!!
乾いた音が響き、黒い球体が弾け飛びました。
ガラス細工のように砕け散った破片が、キラキラと空気に溶けていきます。
「……痛っ」
手の甲が少しジンとしました。
静電気のような刺激。
今の飛来物、ただの石礫ではありませんね。
質量のある高密度のエネルギー体……危険物です。
「貴方、何をするんですか! ヘルメットもなしに危険物を投げつけるなんて!」
私は腰に手を当て、彼を叱りつけました。
安全管理義務違反もいいところです。
しかし、青年はポカンとしていました。
眠そうな半眼を少しだけ見開き、自分の指先と私を交互に見ています。
「……弾いた? 僕の『滅びの魔弾』を?」
「魔弾か何か知りませんが、人に物を投げてはいけません。当たりどころが悪かったら、タンコブができますよ」
「……タンコブで済むわけがないだろう。山が消える呪文だぞ」
彼は信じられないものを見る目で私を見ています。
どうやら、まだ夢を見ているようですね。
山が消える? そんな非科学的なことがあるもんですか。
私はため息をつき、彼を観察しました。
それにしても、酷い顔色です。
肌は青白く、立ち姿もフラフラしています。
これは典型的な睡眠不足と栄養失調の症状。
「……貴方、もしかしてこの地下に住んでいたんですか?」
「ああ。百年ほど前からな。……静かに寝ていたのに、昨日からドカンドカンと地震のような音が続いて……おかげで最悪の目覚めだ」
彼はゆらりと地に降り立ち、私を睨みました。
なるほど。
私が岩山を殴っていた振動が、地下に響いていたわけですか。
それは申し訳ないことをしました。
近隣住民への挨拶回りを怠った、私のミスです。
「騒音については謝罪します。私はスカーレット。昨日からここに住むことになりました」
「出て行け。ここは僕の結界内だ。人間が住んでいい場所じゃない」
「お断りします」
私は即答しました。
せっかく見つけた理想の物件を手放す理由がありません。
「なっ……」
「ですが、迷惑をかけたお詫びはします。貴方、その様子だと安眠できていませんね?」
図星だったのか、彼がピクリと反応しました。
私は畳み掛けます。
「地下は湿気が多く、空気も澱みます。しかも岩盤直下では振動がダイレクトに伝わる。それでは百年寝ても疲れは取れません」
「……だったら、お前が静かにすればいい話だ」
「無理です。これから本格的な建設工事が始まりますから」
彼の眉間に深い皺が刻まれ、再び指先に黒い光が集まり始めました。
対話決裂の合図です。
困った人ですね。実力行使で排除するつもりですか。
受けて立ってもいいですが、貴重なイケメンを傷つけるのは忍びない。
私は提案しました。
「――私が、貴方のための『最強の寝室』を作るというのはどうですか?」
「……は?」
黒い光が霧散しました。
「私は建築のプロです。完全防音、遮光、空調完備。雲の上のような寝心地を提供するベッド。それらを完備した離れを作って差し上げます」
「完全……防音……」
彼の瞳の奥に、理性の光が宿りました。
食いつきましたね。
睡眠欲求の虜になっている人間は、寝具の話題に弱いものです。
「ただし、条件があります。私は今、資材不足です。貴方、魔法が使えるんですよね? 見たところ、かなり高位の」
先ほどの黒い玉。
あれだけの質量を瞬時に生み出すなら、物質生成も可能でしょう。
「貴方が私の指示通りの建材を魔法で出しなさい。そうすれば、私が技術で極上の安眠環境を構築してみせます」
「僕を……あごで使う気か? この魔王レオンハルトを」
「魔王?」
中二病でしょうか。
まあ、肩書きなんてどうでもいいです。
「やるんですか、やらないんですか。このまま毎日、私の掘削音を聞き続けるのと、フカフカのベッドで二度寝するの。どちらが良いですか?」
レオンハルトと名乗った青年は、長い沈黙の後、私の足元を見ました。
そこには、恐怖で震えながら気配を消しているクマ吉(Aランク魔物)がいます。
彼は小さく息を吐きました。
「……分かった。ベッドの出来が悪かったら、即刻消し炭にするからな」
「交渉成立ですね。では早速、断熱材と木材の生成をお願いします」
私はニカっと笑い、彼に右手を差し出しました。
彼は嫌そうに私の手を見つめた後、触れることなくフイと顔を背けました。
人見知りのようですね。
こうして。
「物理特化の現場監督」と「魔法特化の資材工場(魔王)」による、奇妙な共同生活が始まりました。
まずは彼の機嫌を直すために、最高級の枕を作ることから始めましょう。
クマ吉、出番ですよ。貴方の抜け毛が必要です。




