第2話 マイホームはワンパンで作る
王都を出てから三日目の昼下がり。
私はついに、目的の境界線へと到達しました。
目の前に広がる景色が、明確に変わっています。
ここまでは緑豊かな街道でしたが、一歩先からは赤茶けた大地と、捻じれた枯れ木が続く荒涼とした世界。
「沈黙の荒野」。
ソルヴァニア王国の北端に位置する、人類生存不能領域です。
「……ふむ。空気の質が違いますね」
足を踏み入れた瞬間、肌にピリピリとした刺激を感じました。
大気中に充満する高濃度の魔素です。
普通の魔術師であれば、魔力酔いを起こして昏倒するレベルでしょう。
ですが、私には関係ありません。
肌の表面でバチバチと何かが弾ける感覚がありますが、私の高密度な筋肉繊維が、外部からの異物侵入を物理的に拒絶しています。
少し乾燥気味でしょうか。後で保湿クリームを塗らなくては。
私は革靴の底で、赤土を踏みしめました。
「地盤は硬め。杭打ちは大変そうですが、建物の基礎としては悪くありません」
視線を上げます。
遠くには、ゴツゴツとした岩山が連なっています。
石材には困らなそうです。
木材は……あの捻じれた針葉樹、加工すれば建材として使えそうですね。
創作意欲が湧いてきました。
まずは拠点の確保です。
野宿も悪くありませんが、やはり水平な床と屋根があってこそ、人間らしい生活と言えます。
測量のために歩き出そうとした、その時でした。
「グヴァァァァァァァ!!!」
鼓膜を震わせる咆哮と共に、近くの岩陰から巨大な影が飛び出してきました。
体長四メートルはあろうかという巨体。
刃物のような爪。
全身を覆う、鋼のように硬質な剛毛。
「グランド・グリズリー……!」
王立図書館の魔物図鑑で見たことがあります。
危険度Aランク。
熟練の騎士団でさえ、遭遇すれば撤退を推奨される森の暴君です。
熊は真っ赤な目を爛々と輝かせ、涎を垂らしながら私を見下ろしています。
圧倒的な捕食者の殺気。
しかし、私は思わず感嘆の声を漏らしていました。
「素晴らしい……!」
なんと見事な毛並みでしょう。
あの剛毛、断熱性とクッション性が抜群に違いありません。
それにあの丸太のような腕。
あれだけの筋量があれば、重機代わりとして大活躍するはずです。
熊が、太い腕を振り上げました。
風切り音を立てて、私の頭蓋を砕かんと爪が迫ります。
「住み込みのバイト希望者ですね? 採用です!」
私は一歩踏み込みました。
腰を落とし、地面を掴むようにスタンスを固定。
振り下ろされた熊の右腕に対し、下から突き上げるようなショートアッパーを放ちます。
インパクトの瞬間、手首を返して衝撃を浸透させる。
私の得意技、「発破打ち」です。
ドォォォォォン!!
鈍い音が響き渡りました。
熊の巨体が、紙切れのように宙を舞います。
そのまま十メートルほど後方へ吹き飛び、岩盤に激突して止まりました。
「ギャ……ウ……?」
熊が白目を剥いて痙攣しています。
おや、少し力加減を間違えましたか?
即戦力として期待しているのに、壊してしまっては元も子もありません。
私は慌てて駆け寄りました。
「大丈夫ですか? 今の挨拶、ちょっと強すぎました?」
熊の顔を覗き込みます。
意識を取り戻した熊は、私を見るなり「ヒッ」と短い悲鳴を上げました。
そして、その巨体を縮こまらせ、地面に頭を擦り付けるようにして土下座の姿勢をとりました。
「グルル……」
「まあ! なんて素直で聞き分けの良い子なんでしょう」
私は感動しました。
魔物は凶暴で話が通じないと聞いていましたが、やはり拳と拳で語り合えば分かり合えるのです。
指導のしがいがありそうです。
「貴方の名前は……そうですね、『クマ吉』にしましょう。これから現場監督補佐として頑張ってくださいね」
私はクマ吉の頭を撫でました。
剛毛ですが、根元はふかふかしています。
最高の手触りです。
さて、労働力も確保したところで、本日の宿営地を決めなくてはなりません。
太陽が傾き始めています。
荒野の夜は冷え込みますし、他の魔物が出るかもしれません。
クマ吉は震えながら私の後ろをついてきます。
私は手頃な岩山の前に立ちました。
高さ二十メートルほどの断崖絶壁です。
「ここが良いですね。南向きで日当たり良好。地盤もしっかりしています」
私はつなぎの袖をまくり上げました。
右手に力を込めます。
筋肉が収縮し、血管が浮き上がります。
「本日の作業工程。仮設住宅の掘削!」
私は岩肌に向かって、正拳突きを放ちました。
魔法による爆破ではありません。
純粋な運動エネルギーの集中点。
ズドンッ!!!
轟音と共に、岩盤が円形に粉砕されました。
衝撃波が岩を内部から崩壊させ、砕けた石が砂利となって流れ落ちていきます。
「オラオラオラァッ!!」
削岩機のようなワンパン。
そこには奥行き五メートル、高さ三メートルほどの綺麗な横穴が開通していました。
壁面は私の拳圧で磨かれ、ツルツルに仕上がっています。
「ふう。とりあえず、今夜はこれで凌げそうです」
仕上げに、入り口にクマ吉を座らせます。
生体暖房兼、扉代わりです。
「クマ吉、中に入りなさい。貴方の毛皮なら、床に敷くだけで極上のカーペットになりますから」
私が手招きすると、クマ吉は涙目で這いずってきました。
そして自ら仰向けになり、お腹を見せて「どうぞ」というポーズをとります。
私は遠慮なく、その温かいお腹の上に寝転がりました。
「……んん、最高」
程よい弾力。
体温の温もり。
王宮の最高級羽毛布団よりも快適かもしれません。
追放初日の夜。
天井(岩盤)を見上げながら、私は確信しました。
この荒野開拓、間違いなく成功します。
だって、こんなに楽しいのですから。
明日からは本格的な整地作業です。
温泉も掘りたいですし、丸太小屋の設計図も頭にあります。
やることは山積み。
腕が鳴りますね。
「おやすみなさい、クマ吉」
「グゥ……」
私はクマ吉の心音をBGMに、深い眠りへと落ちていきました。
その時、私が掘り抜いた岩盤のさらに奥底から、
「……うるさいなあ」
という不機嫌な寝言が聞こえたことに、私はまだ気づいていませんでした。




