EP.03
控室に戻ると、世界が静かになった。
重い防音扉が閉まる。
廊下の喧騒が遮断される。
蛍光灯の白い光。窓のない部屋。パイプ椅子。
壁掛け時計の秒針だけが、かちかちと時を刻んでいる。
椅子には座らなかった。
壁に背中を預けて、天井を見上げる。
首からメダルを外した。手のひらに乗せる。
さっきより少しだけ温かい。
俺の体温が移ったのだろう。それでも、重くない。
五連覇。二十七歳。世界王者。
色々な思いが積み重なったメダル。
——フィギュアスケート男子シングルの頂点。
メダルを握りしめた。
俺は何のためにここにいるんだろう。
記憶が、遡る。
十歳の時、スケートを始めた。ある人に憧れて。
——あんなふうになりたい。
それだけだった。気づけば、俺は頂点にいた。
あの人のいない、頂点に。あの人は見ていなかった。
俺が世界を取った年、あの人は引退していた。氷の上から、消えていた。
それでも俺は滑り続けた。
いつか同じ景色を見れることを信じて。五年が経った。
あの人は戻ってこなかった。
俺は——まだ、滑り続けている。
ドアが開いた。
山本コーチが顔を出す。
「祝勝会、始まるぞ」
「はい」
「顔色悪いな。大丈夫か」
「大丈夫です」
嘘だった。でも、嘘をつくことには慣れている。
十七年も自分を騙してきた。
「大丈夫」「頑張ります」「ありがとうございます」。
嘘じゃない。本当でもない。
山本コーチが俺を見ていた。
何か言いたげな目。でも、言葉にはならなかった。
「……行くぞ」
「はい」
メダルをポケットにしまった。見たくもなかった。
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