EP.02
リンクサイドに向かって滑る。
足が重い。エッジが氷を削る音だけが、妙にはっきり聞こえる。
フェンスの向こうで山本コーチが待っている。
六十手前の小柄な男。選手としては五輪に届かなかった。
だが、俺を五輪に届かせたのは、この人だ。
十歳から、ずっと俺の隣にいてくれた。白髪が増えた。
眉間の皺も深くなった。俺のせいだろうか。
——そう思うのに、胸が痛まない。
「文句なしだ」
コーチの唇が動く。声は聞こえない。
それでも、何を言っているかは分かる。
エッジカバーをつけて、ベンチに座る。
山本コーチが隣に腰を下ろした。
得点が出るまで、数分。
カメラが俺たちを映している。世界中に中継されている。
笑顔を作った。口角を上げる。目尻を下げる。歯を見せすぎないように。
頬が痛い。
電光掲示板に数字が表示された。技術点。演技構成点。合計。
今季世界最高得点。
山本コーチが俺の背中を叩く。「やったな」と言っている。たぶん。
俺は笑顔のまま頷いた。
——また勝った。何も、変わらない。
表彰台への階段を上る。
一段。足が重い。鉛を引きずっているようだ。
二段。膝が笑っている。四分間の代償が、今になって押し寄せてくる。
三段。
一番高い場所に、また立った。
何度も立ってきた場所だ。
五年連続、同じ場所。
足裏が絨毯の感触を覚えている。
この赤い絨毯に、何人もの選手が立ってきた。その涙が、染み込んでいる。
俺の涙は——染み込まない。
流れないから。君が代が流れる。日の丸が上がっていく。
俺は右手を胸に当てた。心臓が動いている。ちゃんと脈を打っている。
——生きている証拠だ。
なのに、どうしてこんなに虚ろなんだろう。
メダルが首にかけられた。金属の円盤が、胸元に落ちてきた。
——冷たい。いつもそうだ。メダルは最初、冷たい。
手のひらで包んでみる。金色。五連覇の証。
去年と同じ重さ。一昨年と同じ光沢。
違うのは——俺の方だ。
去年より、軽く感じる。一昨年より、遠く感じる。
メダルが軽くなったんじゃない。俺の中身が、減っているんだ。
客席を見上げる。無数の影がそこにある。無数の目。無数の手。
その全てが、俺を素通りしていく。
俺は何のためにここに立っているのだろう。
——答えは、返ってこない。
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