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第八話

 優しい陽光に包まれた窓の木枠に、小鳥が数羽止まっている。日向ぼっこでもしているのか、心地よさげに身を捩ったり、居眠りをしている子までいる。

 また脇に置かれたテーブルの天板には底の深い銀の皿が載っていて、そこに顔を寄せた三毛猫が、ぴちゃぴちゃと音を立てて水を飲んでいた。

 猫は私たちの方を一瞬だけちらりと見たけれど、特に興味もなさそうに欠伸して、近くの安楽椅子に向かってジャンプした。そうしてそこに座る人物の膝に着地すると、ひとつ伸びをしてから丸くなり、じきに寝息を立て始める。

 嘘のように、平穏な光景だった。此処が伯爵家の敷地の端にある軟禁用の建物の中とは思えない程に。


 室内の思いがけない様子にぽかんとする私たちを見て、膝の上で眠る猫を撫でながら、“彼”は安楽椅子を揺らしてくすくすと笑った。


「おや、驚かせてしまったかな。……この子達以外のお客様が来るのは久しぶりでね、失礼がないといいのだけれど」


 それは絵画から飛び出してきたかのように、美しい少年だった。緩やかに波打つ長い髪を、片側の肩に流している。けれど手慣れた仕草で猫の耳の付け根を揉む指先は病的に白く、微笑を敷いた頬に血の気はない。さらに厚手のストールを羽織っていて――夏の花が綻ぶ季節だというのに、だ――彼の体調が芳しくないことは、想像に難くない。

 けれどその笑顔だけは、不釣り合いな程に穏やかだ。


 彼は言葉を失った私とジークを順に見て、それからこてりと首を傾げた。


「ふむ……君たち、市井の民ではないようだね。好奇心に駆られてうっかり忍び込んでしまったのでなければ、私に何か御用だったのかな。まぁ見ての通り、私は暇を持て余している。話し相手になってくれるのなら嬉しいよ」


 続けて、彼はのんびりと目を細める。

その右目は澄んだ青い色で、けれど反対の左目は、光を失ったかのように燻んだ黒色をしていた。


「もしかしたらもう知られているかもしれないけれど、礼儀として名乗っておこう。――私の名は、ルクシオン・ヴァルドルと言う」


 君たちの名前も聞かせて欲しいな

彼がそう言った途端、階段しか無いはずの私たちの背後で――かちゃりと、剣を抜く音がして。

 驚くより先に、力強く腕を引かれる。つんのめった私を庇いながら、ジークが振り向き様に袖口に忍ばされていた短剣を抜いた。

 

 次いで、軽やかな金属音。

ばっと勢いよく振り返れば、ジークが振り下ろした短剣の刃を、何者かが長剣で受け止めているところだった。

 その人物の背格好は、多分私やジークとそう変わらないぐらいだろうか。フードのついた黒いマントを被っているせいで容姿はわからない。


 冷たい目でそれを見据えたジークが、短剣を押し込む腕に力を込める。ぎし、と擦れ合った刃が鳴って、その人物は舌打ちを漏らす。それから手にした長剣を僅かに横に引いて、短剣の一撃をいなした。

 共に体勢を崩し、けれどすぐに立て直す。油断なく構えながら互いの出方を探るふたりの拮抗を崩したのは、呆れを隠さないルクシオンのため息だった。


「こら、何乱暴なことをしているんだい?――オズ」


 よくないと思うよ、そういうの、と。

 緊張感のない言葉を投げられて、あからさまにフードの人物は肩を落とした。なおも警戒を解かないジークに見せつけるように剣を取り落とし、おもむろにフードを脱ぐ。


 そうして顔を見せた黒髪の少年は、私にとってまるで見覚えのない人物だった。つまり、ゲームの主要キャラではないということだ。ルクシオンが口にした“オズ“の名すら記憶もない。

 だというのに何故その人物がルクシオンの側にいて、私たちを攻撃しようとしたのか。疑問は尽きず半ばパニック状態の私に、苦笑を浮かべてルクシオンは言った。


「私が言うのも何だけれど、とりあえず、一旦仕切り直そうか」



 私たちを背後から襲ったその人物は、“オズ”という名前らしい。ちょっと物騒だけれど悪い奴じゃあないんだと、ルクシオンが教えてくれた。ジークはその言葉を信じ切ってはいないようで、今もなお警戒を隠そうとしない。けれど私は、心のどこかで「ルクシオンの言っていることは本当なのだろうな」と感じていた。

 何故なら今私たちが座っている椅子はオズさんが他の部屋から運んできたもので、私たちにルクシオンが手ずから振る舞っている紅茶やお菓子も、元はオズさんが持ってきたものだからだ。彼が率先してというわけではなく、ルクシオンから次々に命じられて、それになんだかんだ言いつつ従っているのを見ていたから、余計に。

 ……もしオズさんが紅茶やお菓子をテーブルに並べるところまでしていたら、きっとジークは私にそれらを口にしないよう勧めていただろう。けれどオズさんは本当に“持ってきた”だけで、紅茶をポットからカップに注いだり、バスケットに入っていたお菓子を皿に移したのはルクシオンだった。まして彼は私たちの目の前で毒味までしてみせたのだから、これ以上疑う理由もない。

 私は礼を伝えてからカップを持ち上げ、唇を湿らせた。案の定変な味がしたり舌が痺れるようなこともなく、ちょっと甘めなだけの美味しい紅茶だった。


 変だな、と思う。

複雑な立場に在るとはいえルクシオンは貴族の子息で、使用人がいたっておかしくはない。けれどオズさんがルクシオンの従者であったとして、主人に給仕の真似事をさせたりするだろうか?最初から私たちの警戒心を解くことが目的で“そう”した可能性もあるけれど、だとしてもオズさんは従者らしくなかった。

 そうするのが当然、みたいな。むしろ勝手にやってろ、ぐらいの態度で壁に背を預け、腕組みして顔を背けている。けれど必ず私たちを、特にジークの姿を視界から外さないようにしているあたり、ルクシオンの身を守ろうとしているような様子ではある。

 では、護衛とか? ――それも不自然だ。

ヴァルドル家にとってルクシオンの存在は邪魔でしかなく、文字通り“殺すことができない”からせめてと人目に触れないように閉じ込めている、はずだ。そんな人物に護衛をつけたりするだろうか。万が一、うっかり、奇跡的にルクシオンが殺されるのは、ヴァルドル家からすれば幸運以外の何物でもないのに。それが倫理的に正しいかどうかは別にして。


 というかそもそも、私は“オズ”という名の登場人物に覚えがない。彼のような黒髪赤目のダウナー系美少年なんて、攻略対象にはいなかった。では私たちと同じ脇役ということになるけれど、それでも名前さえ聞いたことがないというのはどういうことだろう。私、『救クレ』は結構やりこんだつもりだったのに。

 

 ともかく、いつまでも出方を探っていたってしょうがない。私はカップをソーサーに戻し、正面からルクシオンに向き直った。


「改めて、突然の来訪をお詫びします、ルクシオン様。わたくしはクラウディア・フレックバアルと申します」

「……あぁ、フレッグバアル公爵家の方でしたか。こちらこそ家の者が失礼をいたしました。誰んでお詫び申し上げます」

「いいえ、どうかお気になさらず。ろくな挨拶もなしに上がり込んだのですもの、疑われて当然ですわ」


 上辺だけ取り繕ってその実は腹の内を探り合う、お手本みたいな貴族の挨拶を交わして、私とルクシオンはにっこりと微笑みあった。視界の端、オズさんが露骨に嫌そうな顔をしているのが見える。


 ルクシオンは姿勢を崩し、ひじ掛けに頬杖をつくと、探るような視線を私とジークへ向けた。


「それで、公爵家のご令嬢がこんなところまでいらっしゃるとは、よほど大事な要件でも?」

「――ええ、その通りです」

「まぁ、どうやって私の居場所を突き止めたのか、というところから既に疑問なのだけれど。歳の頃と不釣り合いに大人びた口調だとか、耳にしていた人物評と実際の君に対する印象の相違だとかから、ある程度の予想はつく。……“前例”がない訳でもないし」


 意味ありげにそう言って、ルクシオンはこてりと首を傾げた。


 “前例”。

 一瞬言葉の意味を見失って、理解した途端に息を呑む。勿論、ありえないことではなかった。私が“こう”で、もしかしたらチセも“同じ”かもしれないこの現状。同様の存在が、他にもいたっておかしくはない。それに私が抱いていた“彼”への違和感も、そこに起因するものだとすれば辻褄が合う。

 思わず身を乗り出した私に、けれどルクシオンはあまりにあっさりと答えを口にした。


「実はそこにいるオズは、別の世界で生きた前世の記憶を持っているんだよ」と。


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