番外編①
身命を賭して盾となり、剣となりて主人の征く道を拓き。その障害となるならば親兄弟すら敵とすること厭わず、忠義と献身をもって名門スコルハティの誇りを示せ。
そんな家訓を掲げる一族の、出来損ないがおれだった。
スコルハティ家は、有力貴族の従者を輩出することで地位を築いた一族だ。資質に優れた平民の子供を引き取り従者としての教育を施しては、貴族や王室に支えさせる。そうして、各所と縁故を結ぶことで成り上がってきたその様は、実際のところ家族というより教育機関と表す方が適切だろう。
けれど、おれは違った。そう多くないスコルハティ家の直系の子ども――現当主の甥として生まれて。才能次第では家に残り、重要な執務を担うようになる未来だってありえたのだ。血筋だけで言えばの話だけれど。
それでもそうならかったのは、どうしようもなく、この身に魔法の才が無かったからだ。
独力で精製できる魔力は微々たるもので、体内にそれを貯めておける量もごく僅か。大抵の人間が扱える下位の魔法のどころか、単純に魔力を放出することすらままならない。その無能さは、努力とか工夫とか、そういったもので補える程度を遥かに越えていた。
自分が無才であることを自覚したのは、6歳の頃だ。
当主の実弟である父が、おれの目の前で母の頬を叩いて。母は泣いていた。赤く腫れた頬を手のひらで押さえ、床に座りこんだまま。
それを見下ろす父も、泣いていた。なんでこうなった、どうしてこんな子どもが生まれるんだと、繰り返し叫びながら。
おれに魔法の才が無かったから。
父は家の中での地位が危うくなり、母は嘲笑された。”出来損ないの子ども“の親として。その扱いに耐えきれなくなったふたりが家を出て行ったと聞かされたのは、それから十日後のことだった。
以来。
魔法が使えなくてもできることはあると縋るように、俺は寸暇を惜しんで剣術に打ち込み始めた。その実、剣術ばかりできたところで意味はないことにも、本当は気付いていた。
スコルハティ家において価値があるのは、優秀な従者になり得る人間だ。武術一辺倒の兵隊ではない。だから必死に勉強をした。けれどいくら知識をつけ、知恵を磨いたとして限界はある。
おれは呪文ひとつ唱えるだけで傷を癒せはしないし、魔力の障壁を作りだして誰かを守ることはできない。魔法を使えれば数分で終わる作業でも、おれは数時間かけなければ終えられない。これが絶望的でなくて、なんだというのだろう。
それでも剣の修行や勉強をやめなかったのは、諦められなかったからだ。優秀な従者になることを、ではなく。
たったひとりでいいから誰かに必要とされて、ここにいていいよと言ってもらえる日を。生きていて良かったと心から思える日がきっと来る、そんな夢を。
――その夢が叶ったのは9歳の誕生日だった。
叶えてくれたのは、まだとても幼い女の子。フレッグバアル公爵家の、末のご令嬢。父親の仕事の付き添いでこの家を訪れていた彼女は、社交辞令が飛び交う退屈な応接室を抜け出して辿り着いた庭園の端で、ひとり剣を振るおれを見つけてくれた。
ユークロノミア王国の国花である蒼い花が咲き誇る、スコルハティ家自慢の庭から少し離れた、あまり人が寄り付かない寂しい場所。そこに突然現れた彼女は、驚いて剣を取り落としたおれを見つめて言った。
「あぁよかった」と。
「あたしね、まいごになっちゃって。このままおとうさまのところに戻れなかったらどうしようって、ちょっとだけこわかったの。ね、あなた、ここのお家の子でしょ? あたしを“えすこーと”して!」
いいでしょ? と悪戯っぽく笑った少女の姿が、おれにはひどく眩しく見えた。不幸なんてひとつも知らないような、天真爛漫な笑顔。聞き齧った言葉を得意げに口にする無垢さも。
最初に覚えたのは、劣等感だった。
純真で可愛いらしい彼女と、出来損ないの自分。血豆が潰れてぼろぼろになった自分の手や、悲壮さが染みついた自分の顔がより一層惨めに思えて。
咄嗟におれは彼女から目を逸らし、遠くの方を指差した。屋敷のある方向だ。そちらに向かえば、きっと誰かしらに出くわすだろう。その“誰か”に父親の元まで案内して貰えば済む話で、それがおれである必要はないのだ。
だからおれを見ないで欲しかった。偶然出会った小汚い子どものことなんか、さっさと忘れてくれればいいと願って。
けれど、彼女は不満そうに頬を膨らませると、力いっぱいおれの腕を引いたのだった。呼吸すら忘れて混乱するおれを一切気にせずに、ぐいぐい引っ張っておれが指差した方向に進む。抵抗なんて出来るはずもなくただ引き摺られるおれに、彼女は言った。
「あたしはあなたに声をかけたんだから、あなたがあたしを“えすこーと”するの。いい? あたしにはあなたが必要なんだから!」
――きっと彼女にとっては、たいした意味を持たない言葉だったのだと思う。向かった先で誰にも会えなかったらどうするんだという不安があったのかもしれない。やって見つけた案内役を逃がしてたまるかと、おそらくその程度の理由。
けれどそれはおれが、ずっと欲しかった言葉だった。父に、母に、言って欲しかった言葉でもある。
『お前が必要だ』と。
気付けばおれは泣いていた。なんとか落ち着こうとしても、決壊した感情の波は中々凪いでくれてなくて。
振り返った少女はぎょっとして立ち止まり、慌てた様子でこちらを覗き込んだ。気遣わしげに眉を下げ、あわあわと両手を彷徨わせながら口を開く。
「そ、そんなにいやだったの……!? ごめんね、あたし、やっとひとに会えて嬉しくって。あなたがここにいてくれて良かったって、はしゃいじゃったの……」
とどめの一言だった。
ついに自制が効かなくなって、ぼろぼろ涙を流しながら嗚咽を溢す。そんなおれを困り果てた顔で見上げた少女は、何を思ったのか見るからに柔らかな両手を伸ばすと、まるで犬猫を相手にするようにおれの頭を撫で回したのだった。
今振り返ってもあまりの情けなさに居た堪れなくなるようなこれが、クラウディアお嬢様とおれ――ジーク・スコルハティの出会いである。しかしこのこときっかけに半年後、おれはお嬢様の侍従として公爵家に雇われることになるのだから、人生というのはわからないものだ。
それでもこの日のことを思い出すたびに、おれは決意を改める。これから先何があっても、彼女の願いならばどんなものだって叶えてみせる。そのためなら命だって惜しくはないと。
だってこの身の全ては、彼女のためにあるのだから。




