第六話
「これでおしまい」
「……ありがとう、ございます」
きゅ、と包帯の端を結んで手を離す。出来栄えを確かめるように向きを変えながら眺めていると、ジークは困ったように眉を下げて、そっと左手で右腕を隠した。
それから、こほんとわざとらしく咳払いをする。その頬はうっすらと赤らんでいたけれど、あえて指摘しようとは思わなかった。
代わりに背筋を伸ばして、まっすぐに彼を見る。すると気まずそうに視線を彷徨わせていたジークも、真剣な表情で私に向き直った。
作戦会議だ。
「まさかチセが“ああいう“感じだとは思わなかった……私の想定が甘過ぎたね、反省する」
「それはおれも同じです。正直敵である可能性を考えなかった訳ではないんですが、それでも、あそこまでとは思わなかった。計画を立て直すべきですね」
「うん。――さしあたってひとつ、思いついたことがあるんだけど」
この時、私の中にはひとつのアイディアがあった。
もしも予定通りにチセと――ヒロインと協力関係を築けていたら、あくまで予備プランとして提案するつもりだったことだ。だからこの作戦が上手くいったとして、きっと最悪の未来が変わったりしないだろうとは思う。あくまで小さな布石を投じるだけだ。けれど、私はもう決めていた。
やれることはなんでもやる。
果てしない道のりに見えても、少しずつでいいから積み重ねていくのだと。
自分でも不思議なことに、さっきまでより不安は感じなかった。無意識に開き直っているのかもしれない。ヒロインへの希望が打ち砕かれて、いよいよ退路が塞がれたから。
……もしかしたら“私”じゃなくて、私が乗っ取ってしまったクラウディアの本質がさせているのかもしれないけれど。
私はネガティブな感情を払うように首を左右に振ってから、胸に手を当てて高らかに言った。
「私とリンドブルム殿下との婚約、破談になる前になかったことにしようと思うの」
ジークは目を丸くして、それからなんとも言い表せない表情で首を傾げた。窓から差し込む夕陽が、彼の金髪にきらきら反射している。
「それは……しかし、どうやって?」
「うん。ジークが動いてくれてる間に、私もいろいろ考えてたんだ。本来なら私の立場から婚約破棄なんてできっこないけど、でもひとつ方法を思いついたの」
貴族の結婚には、政略的な意味合いが少なからず絡んでくる。個人の感情が配慮されるのは稀なことだ――この世界が恋愛要素のあるゲームである以上、ヒロインが絡む場合はその限りではないが、生憎と私は脇役だった。公爵家の末娘に過ぎない私の意思で、第二王子との婚約を辞退なんて普通は不可能だろう。
けれど今の私には、その無理を押し通す策がある。
順番に説明するね、と前置きして、私はソファから立ち上がる。そして身振り手振りを交えながら、自分の思考の整理も兼ねて一から説明を始めた。
「そもそも私とリンたんの婚約は、」
「”リンたん”?」
「あ、ごめん。ゲームのファンの間じゃあそういう呼び方が定着してて、つい。リンドブルム殿下ね。彼と私の婚約話って、実はまだ正式に公表されてる訳ではないみたいなの。さっきお母様達に確認したから間違いないわ。――あくまで今はまだ、そういう案が出てるってだけ」
とはいえほとんど成立しているといっても過言ではないけれど、それが公に発表されているか否かの差は大きい。前者であれば王室の外聞に関わる以上、ひっくり返すのは難しいだろう――しかし後者なら、まだどうにかする余地はある。
つまり、王族との婚約以上に益のある話をこの身に用意すればいいのだ。
「――まぁ、具体的なことは後で話すとして。そもそもリンドブルム殿下と婚約するのが私じゃなくったって、物語の主軸に影響はないのよ」
うろうろと室内を歩き回りながら、私は続ける。
「主要人物の婚約者っていう、立場だけならヒロインにとってのライバルにだってなり得た私が“脇役”なのがその証拠よ。物語のうちのクラウディアは別に殿下を愛していなかった。だからヒロインに嫌がらせをするとか、真っ向から対立する描写もない。見た目だって共通グラ――えぇと、どこにでもいそうな感じに簡素化された容姿でしか登場しない。一応名前と合わせて、ひとつかふたつくらい台詞はあったかなって程度」
とはいえ、ゲーム用語を噛み砕いて言い換えるのは意外と難しい。両手をふらふらさせながらなんとか伝えようとして、それでもなんとかジークには言いたいことが伝わったらしく、彼は悩ましげに口元に指を添えて呟いた。
「で、あれば……同じような立場のご令嬢が、お嬢様の代わりに殿下の婚約者となったとしても問題は生じないだろう、ということですか」
「そう、そこが一番重要で――物語に影響しないのであれば、チセから妨害を受けずに済むと思わない?」
はっとしたように、ジークは顔を上げた。彼とまっすぐに視線を絡めて私はうなづく。
記録越しにチセが告げた言葉を反芻する。彼女は、確かにこう言ったのだ。
“わたしにとって大事なのはストーリーの大筋が変わらないことだから、それ以外の些細な部分は、正直どうだっていいし。数人ひっそり生き延びるくらいなら許容範囲かなぁ”
勿論、どこまで本心かはわからない。気が変わってあっさり前言撤回するかもしれないし、そうでなくても、私たちの行動が目に余れば潰しにくることだってありうるだろう。力関係は完全にあちらが上だ。
なによりこちらの最終目標は、国が滅ぶ未来を変えることだ。ストーリーを完遂したい彼女とは、どのみち最終的に敵対する。けれど少なくとも今のうちは、――対抗する術がないうちは、彼女を刺激しない手段を講じるべきである。
「とりあえずしばらくの間、チセと正面から対立するのは避けたい。そんなんでどうやって未来を変えるんだって言われると、答えに困るけど……」
「まぁ、それはこれからも考え続けるとして。出来ることから始めようというお嬢様の意見にはおれも賛成です――そのうえで、計画の概要を教えていただけますか」
私はジークに促されるまま話し始めようとして、直前に、そばのテーブルから書類の束を集めた。先程書庫で調べた内容の覚え書きである。そこに記した乱雑な文字の羅列を指で追いながら、説明を続ける。
「まず結論から言うと、殿下との婚約が公表されるより先に、別の相手との婚約を進めてしまおうと思うの。その相手と家同士の繋がりができることが、将来の第二王子夫人を輩出することより重要であるとアピールできれば……きっとお父様は賛同してくれるはずよ。王家側からすれば、大勢いる婚約者候補のうちのひとりが脱落するというだけ。私が抜けた分序列を繰り上げれば済む話だから、食い下がったりはしないと思う」
「そんなに都合の良い相手がいるのですか?」
当たり前の疑問を口にするジークに、私はにやりと笑って答えた。
「いる。さしあたって数日のうちに、相手のお家にお邪魔するつもりよ。そのときはあなたにも付き合ってもらうわ」
「それは勿論、構いませんが」
「なら、大丈夫。きっと上手くいくわ。ううん――上手くやってみせる。……あぁ、そうだった。そのお相手というのがね」
書類の束の最後に、一際大きく記したその名前を、ジークに見えるように差し出す。そして私は、堂々と口にした――世間的には死んだことになっている、“彼”の名前を。
「ルクシオン・ヴァルドル。ヴァルドル伯爵家――通称魔法卿の、ご長男よ」




