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第十二話

「じゃあ早速、本題に入ろうか」


 そう言って、ルクスは備え付けの本棚から一冊の本を取り出すと、私の前に置いた。

 その装丁は間違いなくあの日に見たのと同じもので、私が思わず身を乗り出すと、彼はのんびりとカップを口元に近づけながら続けた。


「これは私が離れに移った後で見つけたものでね。寝台の下に隠された木箱の中に、ぽつんと一冊だけ仕舞われていたんだ。いつからそこにあったのか、誰が置いたものかもわからなかったから――まぁ、時間だけは永遠のように余っていたことだし、暇つぶしにと開いてみたのだけれど」


 伸ばされた彼の左手が、本の表紙を捲る。そこには少し掠れた手書きの文字で、こう記されていた。


『運命の魔女“レディ・ブラック”より、未だ見知らぬお嬢さんへ』


「レディ、ブラック……」

「額面通りに受け取るなら、魔女の呼び名のことなのだろうね。もっとも今現在そう呼ばれる魔女がいないことは、私の方でも確認しているよ」

「つまり、自称ってこと?」


 私が問いかけると、ルクスは言葉を探すように視線を彷徨わせた。それから苦笑気味に肩を竦めると、指先でとんとんとページの端を突く。


「その可能性はもちろんあるが、ただし私はそうは思わないな。続きを見てみればわかってもらえると思うけれど、――これを記せるのは、魔女の領域に達した人間くらいだろうからね」


 促されるままに次のページを捲り、私は目を瞠った。

何故ならそこにびっしりと書き込まれていたのが、緻密で複雑な魔法の構造式であったからだ。

 思わず次、また次とページを捲ってみても、その全てを隙間なく文字や数式は埋め尽くしている。

 私には到底読み解けない難解な構造式である。部分部分に理解できるところはあれど、全体像や、具体的に何をするための魔法なのかはちっとも見えてこない。

 そんな私の困惑を察してか、ルクスは両手の指を一本ずつ立てると、胸の前で重ね合わせた。


「簡単に説明すると、ここに記されているのはふたつの異なる効果を持つ魔法を組み合わせた、いわゆる複合魔法の構造式だ。複合魔法自体は、あまり大衆に知られてはいないけれど既に確立された技術ではある。だから問題なのは、それぞれの魔法とその効果の方だ」


 ぱっと顔を上げて話に聞き入る私に、ルクスは瞳を細めると右手の指でページの中央あたりを示す。


「ひとつ目は、“魔力収束魔法”。――効果は文字通り、複数人の魔力をひとりに収束させる、というものだ。利点としては、魔法を発動させるための動力である魔力を複数人で負担することにより、今までは消費魔力が大きすぎるために机上の空論とされてきた大魔法をも実現可能になる、というのがひとつ。そしてもうひとつは、魔法を扱うにあたって個人の資質に依る部分が軽くなる、という点だ」


 例えば、とルクスは自分の心臓の上あたりに手を添えて、静かに目を伏せた。


「――数年前から、この体は上手く魔法を扱えなくなった。原因は負傷と、なにより考え無しに治癒魔法を行使したことで魔力の通り道である魔導回路が摩耗したからだ。けれど、魔力自体はこれまで通り生成され体内に留まっている。使い道が無いからそのまま自然に排出されているだけでね」

「……あ、」


 ルクスが言おうとしていることを察して、私は無意識に呆けた声を漏らした。すると彼は得意げに片目を開き、上目遣いに私を見る。そして胸に当てていたのと反対の手で、すっと私を示した。


「そう、もし君がこの魔法を使えば、私が持て余している魔力を有効活用できるというわけだ。そうすれば、いままで君が魔力不足を理由に扱えなかったいくつかの魔法を、不便なく使えるようになるだろうね。とはいえ私ひとりぶんの魔力ではたかが知れているだろうが、もっと多く、よりたくさんの人間から魔力を集めて、君のもとに収束させたとしたら? ……理論的には、この世のすべての魔法を扱えるようになるだろう。それだけ膨大な魔力があれば、魔導回路の質に関する問題は、まあ後先考えなければの話だけれど、ほとんど無視できるからね」


 それは、なんとなくわかった。

 ようするに、錆びついて詰まった水道管へ正常に水を流すのは難しいけれど、度を越した勢いで大量の水を流し込めば無理やり通せるのと同じことだ。勿論、そんなことをすれば水道管は破裂する。しかし一回くらい、ほんの一瞬くらいは、多くの水を放出できるように。

 たった一度魔法を発動させるだけならば、たとえどれだけ質の悪い魔導回路だったとしても、魔力量任せの無茶ができる。その反動を計算に入れなければ有用な魔法といえるだろう。


「……でも、そんなこと本当に可能なの?他者から魔力を集めるなんて話、聞いたこともないわ。もしそれが可能なら世紀の大発明だもの、もっと話題になっているはずじゃない?」

「可能だとは思うよ。まだ実証実験の途中だから、絶対とは言えないけれど。精々あと1、2年のうちに完成する予定だったんだ。話題になっていないのは、その魔法理論を組み上げたのが私だからだね」


 生憎と、気軽に新しい魔法を発表できる立場ではないからなぁ。


 軽い調子でそう言って、ルクスはけらけらと笑う――いや、全然、笑い事ではない。彼はあんまりにもさらっと、まるで何でもないことの様に言うけれど、本来新しい魔法なんて20年に一度生まれるかどうかだ。だからこそかつてその偉業を成しえた初代ヴァルドル伯爵は、魔法卿とまで呼ばれたわけで。

 そんな「ちょっとやってみたらできました」みたいなノリで口にする事実ではない。しかしルクスは特にそれを誇るどころか、むしろどうでもいいと言わんばかりに首を振った。


「とにかく、これは十分に実現可能な魔法といっていい。となれば次は、この魔法で集めた魔力を何に使うか、だろう? その答えこそ、この本に記されたもうひとつの魔法……『事象回帰魔法』だ」


 ごくりと、私は喉を鳴らす。事象、回帰。言葉の響きからそのまま推測するなら、起こった事象を巻き戻す魔法ということだろう。やり直す、元に戻す魔法。どう使うにしたって強力な魔法であることに違いはない。


 そこまで考えたところで、私は唐突に思い至った。

 『事象回帰魔法』。悲劇が起こる、その前に世界を戻す魔法。それはつまり――


“魔物の襲撃で国が滅ぶ”というイベント自体は、変わらずに発生させられるということだ。


 ……本当なら、そんな風にはしたくない。“なかったことになる”としても、一度は誰かが傷つくなんて事態が起こった時点で失敗だと思いたいけれど。でもこの方法ならばゲームのシナリオを変えずに済むのだ。

 どんなゲームにも必ずエンディングがある。『救クレ』ならば、ヒロインが魔王を倒せばれで終わり。エピローグで語られる後日談も“魔王討伐後のヒロインが仲間たちと国の復興を誓いあう”ところまで。

 なら、その後は?ゲームが終わってもこの世界は続く。エピローグが終わり、スタッフロールがエンディングテーマの音楽と共に流れて、さらにその後ならば。

 フィクションらしく都合の良い魔法で壊された建物も失われた命も元通りになったとしても、“ゲーム上のシナリオ”は変わっていない。シナリオが変わらないならチセの目的にも影響しないのだから、彼女とも敵対せずに済むのではないか?


 もしそうなら、計画が成功する可能性はぐっと高まる。

私はようやく勝機の一端を見つけられた気がして、思わず己の体を抱きしめた。それを見て、ルクスは貴族然とした笑みを浮かべたまま口を開いた。


「どうやら期待に応えられたようで嬉しいよ、クラウディア嬢」

「うん、……良かった、本当に。まだ何も解決してはいないけれど、それでも、やっと道が定まった気分よ」

「ならば、後は歩むだけだ」


 言い切って、ルクスは足を組みなおし椅子の背もたれに身を預けると、軽く小首を傾げた。


「君が残された時間でやるべきことは3つ。ひとつは、魔力の供給元を確保すること。“魔力収束魔法“で魔力を集めるためには、魔力の供給元となる人物へ事前に規定の儀式を施しておく必要がある。つまりこれからはより一層協力者探しに注力して、少しでも多く魔力を集める準備をしなければならないね」

「うん、わかった。貴方や私のようにシナリオへの影響力が低い人を選んで、協力してもらえるよう頼んでみる。実を言うと候補はもう何人かいるから、すぐにでも動き出すわ」

「では、ふたつめに魔法技術の向上――つまりは特訓だ。魔法式の構築や設定自体は私がやればいいから、詳しい構造を理解する必要はないにしても……せっかく集めた膨大な魔力を無駄に消費せず運用できるように、相応の訓練を積む必要がある。幸い、君は公爵令嬢という有数の権力者だ。望めば腕の良い魔法使いに師事することもできるのではないかな」


 しかしこれはさすがに、答えに詰まった。

 令嬢とはいえ末娘。政略結婚の駒以外に有用性を見出されていない私に、優れた魔法の師などつけてもらえるだろうか?

 これまでお父様は、当然、私よりも才がある兄様や姉様の教育の方に力を入れてきた。今更私が魔法を学びたい”と言い出したとして、受け入れてもらえるかは正直自信がない。


 けれど、と思い直す。それが必要なことならば、何としてでも叶えなくてはならない。脳内でお父様を説得するためのいくつかの策を練りながら、私は頷いた。


「……うん、なんとかしてみせる。任せて」

「悪いね。私が教えてあげられれば話が早いんだけれど、いかんせん人に教えるというのが苦手なんだ。私よりもオズの方が得意なんじゃないかと思うくらい。ただ彼の魔法は些か実戦的すぎるから、お手本にするには不向きだろうし」


 天才というのは大抵の場合がそういうものだ。最初から出来るのが当たり前だから出来ない人間の気持ちがわからない。私は苦笑して、緑茶をひとくち口に含む。懐かしい苦味が脳を刺激して、思考がクリアになる感覚がする。


「それで、3つ目は?」

「あぁ」


 ルクス手を伸ばして例の本を開いた。迷いのない手つきでぱらぱらとページを捲り、半分を過ぎたところで手を止め、私に見えるようテーブルに置き直す。

 とん、と彼の指が指し示したのは、まるで見覚えのない魔法陣だった。


「これは”事象回帰魔法“の発動に必要不可欠な魔法陣だ。魔法の効果範囲に比例して魔法陣も巨大なものになる。国の滅亡そのものを”無かったことに“と望むなら、大体、王都の面積と同じくらいの魔法陣が要るだろうね」

「王都と、同じくらい……!?」

「当然、欠損部分があれば魔法は発動しない。だからただ魔法陣を刻むだけでなく、それを保護する魔法を施しながらになる。一朝一夕で出来るようなものでもないし、協力者探しと並行して行わなければ間に合わない」


 忙しくなるね、とルクスは言った。

 ――正直、気が遠くなるような話だ。周囲に怪しまれないように公爵令嬢として日常を装いつつ、信用のできる協力者を選定し、事情を話し交渉と説得をして協力関係を取り付けて。ストーリーから退場する予定のキャラクターたちを、チセに気付かれないようにこっそり救って味方につけるというのもアリだろう。人助けと協力者の確保を同時にできるなら一石二鳥だ。

 これらと合わせて、私自身の修行。私の我儘から始まった計画なのだから、魔法の行使による全てのリスクは私が背負うべきだ。こればかりは誰にも頼りたくはない。けれど“クラウディア”の魔法の才は高く見積もって中の下というくらい。人並みの努力では間に合わない。

 さらに魔法陣の準備を、慎重かつ計画的に進める、なんて。私の10年程度て足りるかどうか、不安はあるけれど。


 でも、これら全てを達成できれば、救える。脇役の私でも、この国を――大切な人達を、すべて。

 ならばもう、躊躇う理由はない。だから私は、胸を張ってこう応えた。


「上等だわ、やってやる!」


 ――かくして、カウントダウン付きの10年は始まった。


 あぁ、けれど。結局、レディ・ブラックとは何者なのか。

研究途中の魔法の構造を知っていて、まるで今の状況を把握しているみたいに、最適な魔法を本を記して。しかもその本を、他でもないルクスの目に留まるように隠しておくなんて。

 本当は、その答えに薄々勘付いていたけれど。


 このひととき、私はそれに、気付かないふりをすることにしたのだ。


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