第十話
それから数十分が経って。
ようやく概要を説明し終えて、私は再び紅茶に口をつけた。不要な部分は省いたとはいえ、それでも喉が枯れるくらいにボリュームのある内容である。特にチセに関する部分は、より気力を使った気がする。
そんなことを考えながら顔を上げると、ルクスは顎先に手をやって、何事かを思案していた。
少し間を開けてから、彼は口を開く。
「……正直、予想外だったな。流石に、この世界そのものが作り物だとまでは考えが及ばなかった。しかし、成る程。君は前世の知識を活かして此処を“見つけた”のではなくて、文字通り最初から知っていた、というわけだ」
「そうなりますね」
「ではもちろん、私が此処にいる理由も知っていると」
「えぇ。今から5年前――当時7歳だった貴方に何が起こったかも、全て」
ふむ、とひとつ頷いて、彼は背伸びをした。体重をかけられた安楽椅子がきぃきぃと揺れている。そのまま上目遣いに背後に控えるオズさんを見上げて、問いかける。
「君はどう思う?」
「俺に聞くな」
「彼女が口にした“げーむ”とやらの題名に心当たりとか」
「ない。……つっても乙女ゲーム……女向けの娯楽ってやつだからな。俺が知らないからといって、怪しいとまでは思わない」
「ふぅん? そういうものか」
次に視線を私に移し、ルクスはこてりと小首を傾げる。今日だけでも何度か目にした仕草だった。彼の癖なのかもしれない。
その間も、ルクスの左右で色彩の違う瞳は、まっすぐに私を見ていた。
「クラウディア嬢。祝福だろうと呪いであろうと、こちらの意思を無視して一方的に押し付けられるものを私は嫌悪する。だから君の目的は理解できるし、賛同もしよう。――だからこそ、あえて君の口から聞きたいな。私をどう使うつもりで此処にきたのか、具体的な方法を」
試されている。
私は直感的にそれを察した。
目的なら、それはもちろんリンドブルム殿下との婚約成立を事前に回避することだ。では何故相手としてルクシオン・ヴァルドルという人物を選んだのか。その理由だってちゃんとある。
最大の懸念材料は、それを口にすることでルクスの気を損ねないか、というところなのだけれど。でも、私はこれから彼を説得して“協力者”になってもらわなければならないのだ。ここまで至った以上、明け透けに振る舞う他ない。
ならばせめてと、私は背筋を伸ばした。
「貴方との婚約を決めて、それを理由にリンドブルム殿下の婚約者候補から降りるつもりです。本来の“クラウディア”は殿下の婚約者となり、ヒロインに敗れて辺境に追放となる筈でした。そこは改変されれば、少なくとも物語の終盤まで公爵家の令嬢として王都に居られる。……王都は物語の中心となる地です。ぎりぎりまで未来を変えるために足掻くのなら、此処を離れる手はない」
「――私にはもう、伯爵家の人間としての価値はないのに? 第二王子の夫人となるかもしれない未来を蹴って私と婚約するなど、君のお父上が許すかな」
「許します。他の伯爵家ならともかくとして、相手がヴァルドル伯爵家で――そちらに、恩を押し売れる絶好の機会ですから」
この部分に関しては、自信があった。事情を話せばきっとお父様は納得するだろうし、むしろ喜んで賛同するだろうと。お父様から見れば私はまだリンドブルム殿下の婚約者“候補”に過ぎないのだから、そんな不確定な未来よりも、ヴァルドル伯爵家に優位に立てるチャンスを選ぶ筈だ。
――ヴァルドル伯爵家とは、最初に“魔法卿”と称された初代当主の功績により、たった一代にして成り上がった家だ。
かの人は百年に一人とまで言われた魔法の天才だった。彼が齎した知識と技術によって国内の魔法技術は大いに発展し、その功績を讃えるべく、伯爵位が贈られたのだ。
そもそも、『救クレ』における魔法とはどういうものか?
例えるなら、それは絵を描くのに似ている。
先駆者達が様々な物質・現象から着想を得て、試行錯誤を重ね、汎用化させた魔法陣や呪文を“下絵”として用いて。
魔力という“インク”と、魔導回路という“絵筆”でそれをなぞり色を塗る。
そうして一枚の絵を描きあげたとき、魔法が発現するのである。
この例えを採用するなら、一般人が使う“魔法”とは“塗り絵”のようなものだといえる。“下絵”――つまり魔法陣や呪文は既存のものを流用し、実際に行う工程は魔力と魔導回路で着色する部分だけ。そのため“魔法の才”という言葉は、生まれ持ったインクの量や絵筆の品質――魔力量と、魔導回路の性能の良不良を意味する。
しかし、ヴァルドルの血を引く魔法使いはこの次元にない。魔力量も魔導回路の性能も人並外れて優秀なのは当然として、ゼロから魔法を創造することすら……つまりオリジナルの下絵を描く才能すら、生まれ持っているのだ。
だからこそ初代ヴァルドル家当主は新たな魔法陣や呪文を多数開発し、それをもって国防に貢献し、また国益を発展させ、畏怖と敬意を込めて“魔法卿”と呼ばれるに至った訳で。
ヴァルドル家が未だ“伯爵”の地位にあるのは単純に歴史が浅いからだ。今後代を重ねていけば、さらに高位の貴族となることは間違いない。現にゲーム内でもストーリー終盤でヴァルドル家当主となったブラディオンは、最終決戦前に侯爵の地位を得ていた。尤も最終的に生き残るのはヒロインと攻略対象だけで、ブラディオンの攻略ルートに入っていなければ、侯爵家となったヴァルドル家も当主諸共魔物に滅ぼされる訳だけれど。
ともかく。
お父様からすればヴァルドル家は、権勢を増すことがほとんど確定している政敵だ。それに対して優位に立てる部分は、多ければ多い程良い筈。まして、ヴァルドル家最大のスキャンダルである『現当主の第二夫人による、次期当主候補の暗殺未遂事件』の真相と証拠を手にしたとなれば、今後ヴァルドル家に対しある程度は無茶を押し通せるようになるだろう。
これこそが、私がお父様に提示できる“リンドブルム殿下の婚約者候補になる以上にメリットのある話”であり、運命を変える計画の、小さな一歩目なのだ。
言い切った私に、ルクシオンはゆっくりと瞬きをして。
やがて顔を上げた彼は、うっそりと微笑んでいた。
「うん、いいね。なかなかに現実味があって、それなりに夢のある話だ。確かに今の話をすれば、フレッグバアル公爵を説得し得るだろうし……私の存在を抑えられた時点で、私の父に抵抗の余地はない」
「……その分、貴方には不自由を強いることになります。身の安全は保証しますし、私にできる限り希望を叶えたいとは思っていますけれど、結局は人質と変わらない訳ですし。勿論、目的が果たされた後は強引にでも婚約は破棄して、貴方に自由をお返しするつもりでしけれど……」
「あぁ、それは気にしなくて構わない。現状とさして変わらない……いや、さりげなく殺し方を模索されない分、むしろ待遇は改善されるといって良いぐらいだ。十分私にとって利点のある話だよ」
あっけらかんと口にされたそれは、まぁルクスの本心ではあるのだろう。とはいえ「じゃあ良いか」と思える精神性を私は持ち合わせていないのだけれど、私の隣でなんとも言えない顔をしているジークも、渋い表情を浮かべているオズさんも、きっと同じ気持ちだろうから。
そんな私たちに構わず、ルクスは足を組み直すと、膝の上に指先を重ねながら言った。
「では、交渉成立だ。この後は君に任せよう。それに応じた振る舞いをすることをここに約束する。……名残惜しいけれどそろそろお開きだ。誰かに見つかる前に、君を家に帰してあげなければ」
咄嗟に、私はジークを振り返る。
彼は懐から取り出した懐中時計に目を落としてから、私と視線を合わせてこくりと頷いた。確かに、これ以上長居するのはまずい。お父様に先に話を通すまで、私たちが此処に侵入したことがバレる訳にはいかないのだ。
無礼を承知で手早く挨拶を済ませて、私たちは席を立った。ジークがさりげなく前に出て、入り口の扉を開けた。
そうして慌ただしく部屋を出ていこうとする私たちに、ルクスはあくまでも彼のペースを保ったまま、なんでもないことのようにこう告げる。
「次に会ったとき、君に渡したいものがあるんだ」
「……私に、渡したいもの?」
「預かりものでね、――『レディ・ブラック』から君へ、未来を変えるための、世界にただ一つの魔導書さ。どうか楽しみにしておいてくれ」
反射的に問い詰めようとした私に有無を言わせず、ルクスは朗らかに手を振っている。
そのため。
後ろ髪を引かれながらも、やむなく私はヴァルドル伯爵家を後にしたのだった。