フルフェイスの背信
俺の名前は燕都。母親のいないいわゆるシングルファザーの家庭で育った。母親は俺を妊娠してからしばらくしてからの定期健診で癌が見つかったが、出産を優先させて抗がん剤等の治療を一切行わなかったそうだ。出産後に癌治療を行なったがすでに全身に転移が進んでおり出産後わずか3カ月で一人息子である俺を残し亡くなってしまったのだという。
だからか父親は俺の事を母の生まれ変わりのごとくそれはそれは大切に、蝶よ花よと育ててくれた。これは一般的に女児に用いる表現だが
「可愛い過ぎるから」
と女装させられた写真がわんさか残っている程なので父にとっては誤った表現では無いだろう。母のいない寂しさを少しでも埋めるように、そして埋められるように父の休日は出来るだけ一緒に遠出をして遊び、たくさんの習い事に通わせてもらえ同年代の子供たちとも多く触れ合うことができた。もう兄弟ができる事はあり得なかった事もあるのだろう。確かに過保護ではあったが温室育ちという訳では無かったのだと今は思う。
俺の初恋は幼稚園。隣の組の聖ちゃん。利発で頭が良くて、運動がちょっと苦手で、頑張り屋の聖ちゃん。話しかける機会は持てなかったのだが俺は聖ちゃんを目で追うようになった。聖ちゃんとそれ以外の生物は別物であると思った。何せ聖ちゃんの白磁の肌はうっすら発光しているのだ。たまに遠く聞くことができる聖ちゃんの鈴を転がすような美しく可愛い声。どれだけ周囲が騒々しくてもその聖音が聞こえると全身が喜び、総毛立つ。聖ちゃんの両親が聖ちゃんと一緒に暮らしている事に嫉妬し、それを見て父が俺に嫉妬するというこじれた男2人家族。聖ちゃんは世の中のすべてから愛されているはずだと思っていたのだが、
「僕は美優ちゃんが好き」「僕は先生が!」「うーん、和香ちゃんかな?」
と、そこらへんの石ころが好きだと言う。周りにいるやつの目は節穴か?もしくは俺だけ特殊な目を持っているのだと思っていた。
小学、中学と不運にも俺と聖ちゃんは学校のクラスが一度も同じにならなかったが、俺の恋心は変わらなかった。ただ、同じクラスになったとしてもきっと 好かれたい<<<<<<嫌われたくない であったので話しかける事はできなかったと思う。何せ視界に㍉でも聖ちゃんが入ってしまうと、心臓が轟音で拍動し、あっという間にゆでダコになってしまうからだ。
俺自身は容姿が整っているらしく、運動も勉強も父の英才教育(?)のおかげで人以上にうまくこなすことができていた。知らない女子から告白される事は何度もあったのだが、友人数人を引き連れてキャーキャーとイベント事のように行なわれるものであったので、そのような生半可な恋心に酷くイラつかされた。
高校は聖ちゃんと同じ高校を選択。第二候補などは希望に書きすらしなかったので中学の担任に怒られた思い出がある。聖ちゃんが高校受験に失敗し別の滑り止めの高校に行っていたらどうなっていただろう?と後に考えた事があったが、0.5秒で聖ちゃんの通う高校に編入すれば良いという結論に達した。話掛ける事すら出来ない聖ちゃんを軸に俺の人生はぐるぐる回っていた。同じ高校に合格し高校1年でもまたもクラスは別であったが、どこかほっとしている自分がいた。
そんな高校1年の冬。友人数人と某ショッピングモール内をぶらついていた際にエリア端、遠くに聖ちゃんを見かけた。どれだけ遠くても見紛う事は無い。貴重な私服姿は、一昨年10月22日の林間学校の夕食の時以来。死ぬ程写真を撮りまくりたかったが社会的に死んでしまうので平静を装っていた。。。。のだが、、、
彼女の隣に同年代の男子がいた。俺は気絶した。
それから俺は意識を変えざるを得なかった。生温い湯から熱湯に移る事を余儀なくされた。彼女はお年頃であるが、彼氏ができる可能性を何故か排除していた。そこからの3カ月はじりじり彼女に近づき、じりじり聖なる業火に焼かれた。熱湯どころの話ではなかった。聖ちゃんに近づくことは太陽に近づき焼かれ落ちるイカロスのようであった。クラスが違う事がもどかしい。結局自身ではあれ程毛嫌いしていた告白してきた女子に似たような手法を使わざるを得なかった。
友人に打ち明け、告白の準備を手伝ってもらい、台詞を台本として準備し、憶える。自信なんて無い。ある訳が無い。話したことすら無いのだ。自称プレイボーイとして名を馳せた父親にも相談。
「ずっと聖ちゃんを好きって言ってたもんな。パパはずっと嫉妬してたよ。でもようやく告白か。気持ち悪くならないように目を見て告白しろよ。俺がお母さんと付きあう~ なんたらかんたら~」
何度も聞いた母とのエピソードに突入したので頭を切り替える。なるほどね。目を見て告白するのは大事かもしれない。うん…?石化するのでは無いか?目を見ずに告白してきた女子にイラっとした事を覚えているが、その気持ちが分かり、ようやく申し訳なかったという気持ちが今になって少し芽生えた。
告白当日。聖ちゃんの友人に聖ちゃんを呼び出してもらう。
「何?燕都君。」
名前を呼ばれ目線を向けられた時点で台詞の全てが地平の彼方へぶっとんだ。
「あ、あの。お、お、、、お友達になって下さい!!」
結局目を見れずにお辞儀をして頼み込んだ。台本には無かったが咄嗟に。顔はすでに茹って真っ赤である。
「あはは。お友達から、、とかじゃないんだ。へぇ~。
あ!燕都君は幼稚園からずっとおんなしだよね。実は私も燕都君とお友達になりたいと思ってたんだよ。私、燕都君に告白したいって友達とか知らない人からも10回くらい相談されてたんだから。」
と、聖ちゃんは言っていたらしいが、聖ちゃんの台詞の「私、燕都君に告白したい」が耳に飛び込んだ段階で俺の胸は極太の杭に貫かれ、以後は気絶していたので聞き取れていなかった。聖ちゃんはそんな俺に呆れることなく、俺の友人達と一緒に目が覚めるまで一緒に付き添ってくれた。目が覚めて「燕都君!よろしくね!」と至近距離で言われ、俺はもう一度永い眠りについた。
何故だかその日から俺は聖ちゃんにすっごい面白い人!という風に見られ、顔を見かけては話しかけられるようになった。聖ちゃんに遭遇する度に俺の血液が沸騰し血管がぶちぶちと裂ける。マジで。聖ちゃん側の俺の皮膚が焼け焦げ体力の12割を消耗させられる。こうなることが分かっていたので恒星に近づきたくなかったのだが、まずは仲良くなるという第一の目標を達成はしたのだ。
しばらくして、台本をしっかり憶えた俺は、先日の某ショッピングモールでの話に漕ぎ着けた。
「あ~っ。あれね!従兄のお兄ちゃん。彼女にプレゼント買うから一緒に選んでくれって頼まれたのよ!あの時見られてたの?あー恥ずかしい~っ」
(てめぇぶっ殺すぞ!聖ちゃんの従兄様め!お前のせいで…、お前のせい…、、あれ?貴方様?感謝しなければいけないのか?うーーん、±0で無罪放免とする事にしよう。)
さておき、あれだけ長期間悩んでいた霧を一言で祓ってしまう聖ちゃん。マッチポンプ感は否めないが、彼女を思う気持ちが更に限界突破したのだった。
高校2年生に進学。最高のタイミングでようやく俺と聖ちゃんはクラスが同じになり更に一気に急接近することになった。
「ねー。ここの問題教えてもらっていいかな?」
「燕都君。一緒に帰ろう!」
「燕都君って私といる時はいつもとキャラが違うよね。・・・ううん。すっごく優しい。」
「手、繋いでいい?」
女神の祝福や施しを断れようはずが無い。聖ちゃんは俺が言った「友達になって下さい」という台詞を言葉通りでなく、しっかり付き合う事に向けて距離を詰めてきてくれているのである。こちらから距離を詰められない俺のヘタレさに落ち込むと同時に、幸福<<<<損耗 もまぁ酷い。祝福と加護が強すぎて精神も体力も参ってしまいそうだった。高校3年で改めてこちらから台本ガチガチの血を吐くような告白を行いお付き合いさせていただく事にはなったのだが、いつまでも彼女の聖光に慣れる事は無かった。
大学はどちらが言い出した訳でも無いが同じ地元の大学に。俺にとっては高校の選択と同様に聖ちゃん以外の事に関してはどうでも良い事なのであるが、聖ちゃんが幻滅しない俺というものはできるだけ叶えておきたい。共に実家暮らしなので高校の時と大して変わらない生活であったのだが、
大学4年の夏に父が急逝する。
聖ちゃんを除くと最も近しい人物の死。しかし俺の心は大して揺れていなかった。喪服姿の聖ちゃんに脳がシェイクされていたからだ。
聖ちゃんは以降、俺を一人にしないためか特に用事が無くても一人で住む俺の家に訪れるようになっていた。父の死に、俺はそこまで感傷的になっていないのだが、聖ちゃんから見ると俺は気丈に振舞っているように見えたようだ。さすが女神である。一周回ってもちろん女神である。聖ちゃんが定期的に訪れるため家の掃除の時間は10倍にはなったが聖ちゃんが触れた家具、柱、座った畳、呼吸した空間が聖遺物となり家宝が増えていった。
大学を卒業のタイミングで聖ちゃんは俺に逆プロポーズをしてきた。
「俺達まだキスもしていないのに!?」
「燕都君は顔を寄せると気絶しちゃうから憶えてないだけでしょ?もう!」
なんて返される。しばらくして婚約、結婚を急いだ理由が判明する。聖ちゃんは妊娠していたのだ。
「俺達まだキスもしていないのに!?」
「もう!燕都君ったら!」
聖ちゃんが浮気などをしていない事は四六時中ずっと一緒にいた俺が一番分かっている。聖ちゃんの処女懐胎の奇跡に俺は毎日祈りを捧げていた。子にではない。聖ちゃんを何かと理由を付けて崇めたかっただけである。
婚約・妊娠の報告のために聖ちゃんの両親に挨拶に行く。特に緊張をする要素は無い。横で正座している聖ちゃんが視界に入っている方が億倍は緊張してしまう。聖ちゃんの両親なんぞ幼少からの一方的な顔見知りであり、むしろ現在も続く嫉妬の対象なのである。
「燕都君。ウチの娘をよろしくね。でも本当に良いの?」
「もちろんです。聖ちゃんとは生涯添い遂げて大切にします!」
「ありがとうね。でも、聖と一緒にいて辛くない?」
正直、、、超辛い。生涯の心臓の鼓動の回数が決まっているという話を聞くが、そうだとしたら俺はおそらくあと数年で死んでしまうだろう。しかし聖ちゃんと添い遂げるためには300年だろうが500年だろうが生き続けるつもりだ。
「…ほら。ウチの娘。顔が…ね。」
聖ちゃんは生まれた時から顔の上部が焼け焦げたように赤黒く、ぐにゃぐにゃになっており、鼻が無い。幼稚園、小学校、中学校とその事を揶揄したり、噂するような輩が多くいたが、俺はそういった輩を半殺しにしてきた。幼稚園から截拳道を習ってきていて良かった。理解のある人間だけが聖ちゃんの近くに配するよう動き続けていたのだ。
「あぁ。素晴らしいですよね。あの聖痕は。初めて見た時から目が離せなくなって顔に釘付けになりましたよ。あぁ、でも見た目だけで好きになった訳では当然無いですよ。」
その日は聖ちゃんの両親とお酒を飲みながら聖ちゃんの良い所をエンドレスで挙げていき、結局聖ちゃんにしこたま怒られた。
そして結婚式を挙げた。つまり人生で一番多い気絶をカウントした日なのだが、不思議な事に父が亡くなった日よりも、結婚式の日の方が亡き父の事を多く思い出した日でもあった。そして結婚式の翌日から俺の実家に聖ちゃんがやって来て同棲を始める事になった。
日が経つに連れて聖ちゃんのお腹が膨らんでいき、聖ちゃんの笑顔が増えていく。俺は子供には興味が無かったので、赤子に猛烈な嫉妬をし始めた。しかしはやはりお腹の中で育つ我が子に対して嬉しそうにしている聖ちゃんを見ていると幸福にもなった。
そして出産の日。病院に呼び出されるまでも無く俺は聖ちゃんの傍らにずっといた。そして、廊下の椅子に座り待ち続けていた。分娩室での立ち合い出産の予定で聖ちゃんの傍で励ましたかったのだが、どうも陣痛が続くのに分娩が進まず、何かしらのトラブルが起こっているとのことで外に出された。
聖ちゃんの苦悶の声が聞こえ続けている。人生の中で愛する人物の声が聞こえているのに辛いという矛盾を初めて味わった。しばらくしてから聖ちゃんは分娩室から手術室に移された。
・・・12時間
・・・15時間
・・・18時間
そしてドアが開いた。
暗い顔をした執刀医でもある主治医が説明をしてくれた。
「手を尽くしましたが母体と胎児…共に助ける事ができませんでした…」
「胎児が子宮内に癒着しており自然分娩が困難な状態でした…」
「奥様は顔面の痕の影響か、免疫不全があり帝王切開をするには相当のリスクを伴いました…」
「奥様からの了承を得て麻酔を行い帝王切開をして胎児を取り出そうとしました」
「胎児が奇形児であり奥様の体の子宮奥深くに2本目の右手をねじ込ませており大手術となりました…」
「奥様の体力が早く限界を迎えて先に奥様が心肺停止…」
「間もなく後を追うように胎児の男の子も息を引き取ってしまいました…」
「お救いすることができず申し訳ありませんでした…」
一言一句はっきりと生涯忘れないだろう。
聖ちゃん…。
聖ちゃん…。
出産の直前。聖ちゃんの関心のすべては我が子に向かっていた。その愛を一身に受けたにも関わらずその聖ちゃんの生を奪ったのは我が子。わずか2800g程の物。二人で食べ放題に行った時に食べた1食分の質量じゃないか。聖ちゃんから離れたくないからと掴んだまま冥府にまで聖ちゃんを引きづりこんだのだ。俺は聖ちゃんと生涯添い遂げると誓ったのに死に目にも逢えなかった。俺の人生を賭した聖ちゃんの全てを生後0の物が奪っていったのかと怒りが湧いてきた。
主治医に亡くなった聖ちゃんとその物を見たいと伝える。
すると主治医はしばらく黙った後に拒否する権利が無いと言わんかのように無言で案内してくれた。
5年後
俺は1000人程の前で講演をしていた。
あの日、俺はすぐに聖ちゃんの後を追い、死ぬつもりであった。しかし一つの雑念が混じり、死を思いとどまる事になったのだ。それは興味も関心も無かった生後0の物。医者は必死に押し隠していたが目の奥には明らかに奇異な物を見る光があった。奇形児であった男児は聖ちゃんと同様に顔の上部が焼け焦げたように赤黒くぐちゃぐちゃであり右腕が3本あった。手術の際に真ん中の1本が切り落とされたのだろうが、元は3本だった事が見てとれた。
…この子の声が聞きたかった。
あの瞬間、この死児に愛を感じてしまった事、聖ちゃんの存在が一瞬でも頭から消えていた事に気づいたのだ。
「それから、、少し、、広い視点で、、、世の中を、、見られるように、、、なりました。
…………
あなた方にも確信があるでしょう。
完全である事。
欠けている事。
どちらも世の中には必要な要素であり、十分な正しい愛なんていうものは過信です。
偏愛であっても、妄執であっても、
世の中は歪に組み合うからこそ愛が深く繋がり、
綿々と紡いでいけるものなのです。」
わあああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!パチパチパチパチ!!
俺は、表向き聖ちゃんと名も無い男児への思いを言語化して、世界を愛で満たす活動をしている。
脳裏には笑顔の聖ちゃんと、
表情も何も無い腕4本の死児。
常に涙を流し続けながらの講演は人々の心を打ち、熱狂的な信徒がすでに数万人単位でいる。
俺に話しかけてくる信徒は信仰が深く、皆一様に中学生の頃に告白してきた女子のように、緊張した面持ちで俺の目を見ることが叶わないといった感じで恐る恐る話しかけてくる。
俺も聖ちゃんと話す時、終ぞまともに目を見て話しかける事ができなかったなぁと思った。
聖ちゃんは俺といて幸せな人生だったのだろうか…
聖ちゃんのいない世界。その世界を砕くため。幸を辛に。祝を呪に、慶を瘧(疫病)に、世界中の人を欠如で満たし、未来を未来にするため。
俺は笑顔の仮面を張りつけて欠けた世界で活動を続けている。