連歌ん雁
連歌は続くよ
どこまでも
壁越え
人越え
時越えて
あれは、いつの日のことだったろう?
確かな日時は分からねど、そう最近のことでもなければ、わりあい昔のことでもない。
ある日。
《連歌ノ法》が、施行された。
正確には、《神社及ビ仏閣ニ於ケル連歌ノ公募、収集、保管及ビ告知法》。
それ以来、日本中の神社本殿及び寺院本堂等の腰は、カラフルになった。
社寺の腰には、色とりどりのベルトが巻かれた。
参拝する人々は、『創建当時の色合いは、これに近かったんやろな~』と、過去に思いを馳せた。
連歌ノ法の狙いは、神社仏閣を、昔のように地域交流の場、老若男女のコミュニケーションスペースにすることだった。
国的には、役人的には、お上的には、
『神社やお寺に、連歌を募るようにしておけば、自然と神社やお寺に、
老若男女が集まるだろう。
《老》は勿論のこと、《若》にも、漫画等で、古い文化がキテいるらしい。
《男》は、老でも若でも、《女》が来れば、付いて来おる。
そうすれば、病院を溜まり場化して、井戸端会議をしている年寄りが減り、
医療費の増加問題も、解決されるに違いない!
子供や若者が、神社やお寺に集うようになれば、
子供の居場所問題も解消されて、教育問題の一つも、
解決されるに違いない!』
と計算ずくに考えて、計画案提出→検討→再提案→再検討→決定案提出→決定案検討→承認→告知→施行、となったに違いない。
甘かった。
やはり、甘かった。
目論見は、甘過ぎた。
連歌ノ法の施行をキッカケとして、老若男女は、神社仏閣に新たに通い出した。
ここまでは、国の ‥ お上の、狙い通りだった。
が、その老若男女は、やっぱりと言うべきか、短歌・和歌・俳句・川柳・一行詩等の愛好者だった。
その為、老若男女は老若男女でも、その一部の人々に過ぎなかった。
どころか、そのような人々は、神社仏閣ファンと重なることも多かった。
つまり、お上が目論んだように、新たな法律を施行した程の成果は、ほとんど得られなかった。
良かったと言えそうなのは、日本中の神社仏閣が、カラフルになったこと。
本殿や本堂といった建物の腰部分に、色とりどりのベルトが巻かれたこと。
確かに、色彩が多彩になって、神社仏閣に対する、人々の親近感は増した。
神社仏閣の中心となる建物(本殿や本堂等)の外周りには、グルッと一周、連歌を募る紙のベルト(帯)が巻かれた。
紙帯は、白や黒は勿論のこと、赤、青、黄、緑、ピンク、紫、ひいては金や銀等、様々な色のものがあった。
紙帯の色のセレクトは、各自の社寺に任される為、様々な色が氾濫した。
つまり、各々の社寺に勤める人間の、好みに左右された。
曰く、『ウチの建物には、この色が合う』と思えば、その色にされた。
『俺、この色が好きやし』と思えば、その色にもされた。
今、目の前にあるお寺の、本堂に向かって左端から始まる髪帯は、鮮やかなスカイブルーだった。
スカイブルーの紙帯は、人の眼の高さを走り、グルッと建物の周囲を廻って、右端に到達する。
紙帯は、三行の文章が綴れる程の空間を空け、上下を実線で区切っていた。
各空間欄の下部には、〔署名〕〔投稿年月日〕とタイトルされた横文字が、縦積みで二行並んでいた。
よく見ると、空間欄には、文字で埋められているものもあった。
いや、実は、紙帯の半分以上の空間欄は上部下部とも、文字で埋められていた。
上部は、五文字・七文字・五文字の縦書き三行の欄の次に、七文字・七文字の縦書き二行の欄が続く。
七文字・七文字の二行欄の次に、また、五文字・七文字・五文字の三行欄が続く。
五七五
七七
五七五
七七
五七五
七七
五七五 ‥
五七五あるいは七七と続く言葉の下部には、欄毎にある〔署名〕〔投稿年月日〕に、名前と日付が記入されていた。
最後に、欄が埋まっている言葉は、二行(七七)のものだった。
日付を見ると、もう一ヶ月以上前。
一ヶ月以上もの間、次の五七五が、繋がれていないことになる。
その、次の句を堰き止めている言葉は、以下のものだった。
我泣き濡れて
猫と戯むる
どこかで見たような句。
ただ単に、イタズラで書いたのか、オチャラケで綴ったのか。
それとも、キチンと原句をリスペクトして、本歌取りのように詠んだのか。
ジーンズの尻ポケットから、ボールペンを取り出す。
なんとも可愛らしいキャラクターのついた頭を、カチッと押す。
ボールペンの先から、ペン先が飛び出たのを確認し、紙帯に向かう。
最後の句が書かれた、すぐ横の空白欄に、ペン先を向ける。
思い悩む、考え込む、といった素振りも見せず、サラッとボールペンを動かす。
泣けれども
知らぬ存ぜぬ
猫は鳴く
「この辺、どこも途切れとんな」
男が、ボソッと呟く。
実は、先程からこの寺のスカイブルー紙帯を、男は一人、見つめていた。
紙帯を起点から見始め、句が途切れたところで、佇んでいた。
男は、年齢不詳。
でも、社会人以下には見えないし、高齢者以上にも見えない。
頭を坊主頭にし、スニーカーを履いている。
フォレストグリーン地の、Tシャツを着ている。
Tシャツには、前面真ん真ん中に、三つの図柄が入っている。
赤《煉瓦》の壁
andの短縮形《‘n》
ワイアット・アープが愛用していたような《銃》
の三つの図柄が、縦に並んで、入っている。
男は、紙帯に句を書き付けると、署名と日付を入れ、その場をスラッと去る。
男が去った後しばらくして、紙帯の周りには、徐々に、人が集まる。
老若男女取り混ぜて、集まる。
人々は、『ふんふん』と考えた後、順番に紙帯に、書き付け始める。
老若男女取り混ぜて、書き付け始める。
小坊主さんは、驚く。
本堂周りを、掃き掃除するつもりで出て来て、驚く。
一ヶ月以上滞ったままだった紙帯が、昨日から今日までの内に、十数句進んでいる。
このお寺及び、この周辺地域では、最近、有り得ないことだった。
小坊主さんは、庫裡に慌てて戻り、和尚さんを呼び出す。
「和尚さん!和尚さん!」
「 ‥ なんぞ、天念。
騒がしいな」
和尚さんは、ゆったりと、庫裡の玄関に姿を現わす。
和尚さんは、スカイブルーの作務衣に身を包み、玄関口の床板を、ギシギシ言わせながら出て来る。
ヴァージンレッドの作務衣に身を包んだ小坊主さん ‥ 天念は、勢い込んで、和尚さんに返答を返す。
「大変なんスよ、和尚さん」
「また、《「で」抜き言葉》になっておる。
お前は、慌てるとあかんのう」
設置仕立ての信号機のように、師弟は青赤が眩しかった。
青が眩しい師匠が、赤が眩しい弟子を、やんわりと嗜める。
「慌てた時だけッしよ。
それより、大変なんスよ」
「また、《「で」抜き言葉》になっておる ‥ 」
和尚さんは、眼を閉じ、やや下向き加減に首を落とし、首を振る。
そして、声にならずとも、「やれやれ」と呟く。
「何が大変なんじゃ?」
「そう、それ!
紙帯が、むっちゃ進んでるんスよ」
和尚さんは、イチイチ注意するのも阿呆らしくなり、そのまま流して、話を続ける。
「確か、一ヶ月くらい、滞っていたように思うが」
「それが今日になって、十数句くらい、進んでるんスよ」
「はて、それは面妖な」
和尚さんは、天念に急かされ、草履を履き、庫裡をゆったりと飛び出す。
和尚さんは、天念に背中を押され、のけぞりながら、歩を進める。
青からの赤、鮮やかな青からの真紅の赤、スカイブルーからのヴァージンレッド。
僧侶二人組とは思えない色の軌跡を描いて、シグナルみたいな二人は進む。
本堂の周りをグルッと取り囲む紙帯のところまで来ると、進もうとする青を止め、赤も止まる。
和尚さんの背中を押すのを止め、天念も止まる。
和尚さんが、紙帯を確認すると、確かに今日になって、句が十数句、進んでいた。
紙帯の、約一ヶ月の停滞を突き破った句には、このように署名が残されてあった。
飯与宗次
「飯与宗次?
いいよそうじ?
イイヨソウジ?
飯与宗次!」
和尚さんは、記憶を探り探りした末、思い出したのか、叫ぶ。
天念は、いぶかしそうに、叫ぶ和尚さんに問い掛ける。
「いいよそうじ?
むっちゃちゃんと、綺麗にした掃除ですか?」
「なに、頓珍漢なこと言っとるんじゃあー!
飯与宗次を知らんのか?!」
「知りません」
ズケズケと、『それが何か?』みたいに答える天念に、眩暈を感じながらも、和尚さんは答える。
「連歌ん雁じゃ!」
「レンガんガン?」
「連歌、ん、雁、じゃ!」
連歌ん雁。
連歌を詠み行く、渡り鳥。
実際のところ、紙帯に投稿される句は、地域によって、神社仏閣によって、多大な格差を生み出していた。
質も量も。
観光地で有るか無いかによって、紙帯への投句は、質量共に、左右された。
有名社寺で有るか無いかによっても、投句は、左右された。
いきおい、地方都市の社寺への投句は、振るわなかった。
医療費削減策及び、教育問題解決策の一つとして、地域の紐帯を目指して、連歌ノ法は施行された。
が、結果は、皮肉なものだった。
観光地の有名社寺にばかり、(内外の観光客の)投句が集中し、それがマスコミに取り上げられ、ますます集中する。
観光地にとっては、正の循環、正のスパイラル。
が、地方都市の社寺では、投句は日に数句しかなく、地域住民は押しなべて、あまり感心が無かった。
紙帯の世話など、手間がかかるだけだった。
地方都市にとっては、負の循環、負のスパイラル。
連歌ノ法は、お上の目論見とは全く逆効果となり、観光地のアピールポイントを増やしただけだった。
結果として、観光地(都会)と地方都市の、知名度格差は広がった。
自然、投句量は、地方よりも都会の方が、歴然として多くなった。
もう一つ生まれ出された結果は、『都会と地方の文化格差は、広がっている』と、世間に捉えられてしまったことだった。
地方都市に目を向けた、心ある人々は思った。
『このままじゃ、あかんでしょ』
そこで、連歌・和歌・短歌・俳句・川柳・一行詩等の愛好家達が、立ち上がる。
「たいして格差無いのに、わざわざ格差作って、広げたらあかんでしょ」
連歌・和歌・短歌・俳句・川柳・一行詩等の愛好家達は、地方の投句を増やす為に、クラブを組織する。
その名も、[連歌ん雁]。
《ん》は、「私ん家、俺ん家」のような、《の》を表わす《ん》。
《雁》は、メジャーな渡り鳥を表わす。
よって、名が表わすものは、《連歌の渡り鳥》
連歌ん雁は、基本、一(都道府)県一チーム(四人)。
四人がローテーションで、その県の市町村を、一人で廻る。
これに随時、自由に別働できる《遊撃隊》が応援に付く。
連歌ん雁、遊撃隊。
これぞまさに、連歌ん雁の真骨頂、とも云うべき働きをする者達。
一チームでは人手が足りない、対応し切れない県に出かけて行って、面倒そうな地域を優先して、カバーする者達。
チームからの要請、あるいは、連歌ん雁本部からの要請があれば、日本全国どこへでも飛んで行く。
チーム員及びチームリーダー、そして本部員等の中央組織の部員を、すべて経験した者が優先的に、遊撃隊員になることができる。
よって、遊撃隊員は、連歌ん雁の中でもエリート、それなりの年齢の者がなることが多い。
遊撃隊員は概ね、そのキャリア及びその実績及びその伝説から、連歌ん雁の仲間内で、名を知られている。
また、連歌・和歌・短歌・俳句・川柳・一行詩等の愛好者達の中でも、名が知られている。
ひいては、一般人の間でも、名が知られている人物もいる。
「天念、連歌を広めた人を、知っておるか?」
和尚さんの突然の問いに、天念は『へっ?』といった顔をする。
考えてみようとも、記憶を辿ろうともせずに、和尚さんに即答する。
「知らないです」
和尚さんは、『やれやれ』とばかりに首を振って、言葉を紡ぐ。
「飯尾宗祇じゃ」
「いいおそうぎ?」
和尚さんは、天念の繰り返しに、『うむ』とばかりに、重々しく頷く。
「その飯尾宗祇に加えて、二条良基、西山宗因、北村季吟の計四人が、
有名どころの四人と言われておる」
「はい」
連歌ん雁の遊撃隊員で、一般人にも名を知られる者達は、この四人の名を元に、号名を名乗っていた。
二川良々、
西浦宗品、
北倉季錦、
そして、飯与宗次。
四人は、連歌ん雁、ひいては連歌界の四天王 ‥ 黄金の四人 ‥ クアトロ・フゴーネスと呼ばれていた。
その一人、飯与宗次が、この土地に来ているという。
なんともはや、飯与宗次が ‥ 。
和尚さんの驚きは、紙帯の連歌が進んだことや、連歌ん雁がこの土地に来たことが、その一番の原因ではなかった。
飯与宗次が、この土地に、首を突っ込んで来たことが、一番の原因だった。
飯与宗次。
クアトロ・フゴーネスの一人。
黄金の四人の最年少。
実質、四天王のトップ。
実績だけ見ると、その軌跡は、輝きに包まれている。
学生時代に、連歌師として歩み始め、あれよあれよと言う間に、若手連歌師の第一人者となる。
大学卒業と同時に、連歌ん雁の一員となり、プロ連歌師の道に進む。
連歌ん雁に在籍してからも、チーム見習い員を数ヶ月、チーム員を約一年、
チームリーダーを約一年、連歌ん雁本部員を約一年、トントン拍子で勤める。
そして、平本部員から管理職に昇進を打診されるが、「現場にいたい」との理由で、遊撃隊に転出する。
遊撃隊転出後の活躍も、目覚ましい。
飯与宗次が関わった地域は、例外無く、以前より連歌が盛んになっている。
紙帯に連歌が寄せられるスピードは増し、連歌を詠んで記載する人物も、老若男女問わず多岐に渡るようになった。
少なくない地域に連歌愛好会ができ、子供から大人まで連歌に親しむようになった。
飯与宗次は、言う。
「いや、自分は、思い付いた句を、繋いでるだけですし」
そうかもしれないが、その繋いだ句は、周りの人々への波及効果が抜きん出ている。
それを、この寺に停滞を起こしていた句[我泣き濡れて 猫と戯むる]を例にしたい。
この句から繋げようとしたものの、断念した人の思いは、以下のようなものだと思われる。
曰く、
『なんか、歴史上の人物の句みたいで、なんとなく重いし』
『パクリで、パロってんじゃねーの』
『元歌をリスペクトして詠んでいるやろうから、私が繋ぐのは、恐れ多い』
などなど。
そうして、停滞すること、約一ヶ月。
『たく、余計な句を、詠んでくれたもんじゃ』
『余計なこと、しやがって』
和尚さんと天念が、じりじりと、密かに怒ること、約一ヶ月。
連歌ノ法では、その神社及び寺院の関係者は、紙帯に投句することはできなかった。
それは、故意に紙帯の句数を増やして、「自分達の社寺は、連歌が盛ん」に見せかけることを、防ぐものだった。
マッチポンプによるフェイクアピールで、世の注目を集めることを、禁止していた。
和尚さんと天念が、じりじりと、手をこまねくこと、約一ヶ月。
その句は、投句された。
その句を境に、紙帯への投句は、再び、滑らかに走り出した。
その句を投句した飯与宗次は、
『なんか、歴史上の人物の句みたいで、なんとなく重いし』
『パクリで、パロってんじゃねーの』
『本歌をリスペクトして詠んでいるやろうから、私が繋ぐのは、恐れ多い』
といった、句を繋ごうとして断念した人々の、諸々の思いを含み置いて、その句を詠んだに違いない。
泣けれども
知らぬ存ぜぬ
猫は鳴く
明らかに、その前の句より、次に繋げ易い。
朗らかに、その前の句より、親しみを感じる。
健やかに、泰然自若とした、猫の鳴き声が聞こえて来る。
「さすが、飯与宗次じゃな」
和尚さんがつぶやくと、句を見ていた天念は、和尚さんに向き直り言う。
「その『飯与宗次さんが、この辺に来てる』ってことですか?」
「そうじゃ」
「じゃあ、この辺のお寺や神社の紙帯、進んでるかもしれませんね」
この辺りの地域にある神社仏閣は、軒並み、紙帯の停滞に悩まされていた。
総じて、約一ヶ月前に投句された句が、停滞を引き起こしていた。
「お隣のお寺も、一ヶ月くらい、止まってたし」
「止めた句は、何じゃった?」
「確か、
夢は枯れ野を
歩き巡らん
です」
「うわっ。
“ん”で終わっておる。
しかも、芭蕉の句を、模しておる。
繋げにくいのう」
「お隣の神社も、一ヶ月くらい、止まってたし」
「お隣の神社は、どんな句で、止まってたんじゃ?」
「確か、
主無しとて
春を生きなん
です」
「うわっ。
これも、“ん”で終わっとる。
しかも、これも、菅原道真の和歌を、模しておる。
これも、繋げにくいのう」
和尚さんは、なにげに、天念の方を剥いて、言う。
「 ‥ 確かめてみるか。
これ、天念」
「はい」
「お隣のお寺と神社に、紙帯の進みを、聞いて来てくれ」
「私がですか?」
「勿論じゃ」
『お前以外に、誰がおんねん』という顔をして、和尚さんは天念を見つめる。
天念は、『ですよね』という顔を返し、庫裡に取って返す。
和尚さんに従いながらも、直接行くことはせず、電話で済ますつもりにしているらしい。
和尚さんが、進んだ紙帯の句をじっくりと読んでいると、天念が、庫裡から帰って来る。
「どうじゃった?」
「やっぱりです。
昨日、投句された句を境に、一ヶ月ほど停滞していた紙帯が、
ググッと進んだそうです」
「で、その境となった句の署名は、どうじゃった?」
「はい。
《飯与宗次》と、署名されていたそうです」
「やはりか」
「やはりです」
「やはりですか」
ん?
隣り合った和尚さんの左肩と天念の右肩に、ポンッと、手が乗せられる。
掌の感触から、肩に乗せられた手を持つ人物は、男性に違いない。
指が骨張っている感触も無いので、高齢者でもなさそうだ。
が、ムチムチしている感触も無いので、歳若い人物とも考えにくい。
えっ?
和尚さんは、『眼を向けているんだけど、実は何も見ていない』視線を、前に投げ掛ける。
その視線をキープして、頭の中をまさぐる。
天念も、『眼を向けているんだけど、実は何も見ていない』視線を、前に投げ掛ける。
その視線をキープして、頭の中をまさぐる。
二人とも、ほぼ同時に、思い至ったのか、ほぼ同時に、眼を見開く。
そして、ほぼ同時に、首を回す。
和尚さんは左へ、天念は右へ。
お互い、顔を見合わせた二人は、目配せをして、更に首を回す。
和尚さんは、もっと左へ、天念は、もっと右へ。
にこっ。
そこには、和尚さんと天念の肩に手を置いて、男が一人、突っ立っていた。
和尚さんと天念に、少しだけ毛を生やしたような、坊主頭。
Tシャツとジーンズに、スニーカーを合わせている。
Tシャツは、フォレストグリーン地で、『《煉瓦》《‘n》《銃》]の図柄が入っている。
ジーンズは、『これぞデニム!』の色をした、まさにデニムブルーのジーンズ。
スニーカーは、有名ランナーがメーカーから支給されるような、パッションオレンジカラーのものだった。
が、和尚さんは、男の服装よりも、男の顔に食い付いた。
「飯与宗次!」
和尚さんは、再度眼を見開き、いや、先程より大きく眼を見開き、叫ぶ。
「飯与宗次?」
天念は、いぶかる。
天念は、男が『予想していた(飯与宗次の)人となりより、かなり違う』ので、いぶかる。
天念の疑惑は、男の一言で、瞬時氷解した。
「はい。
飯与宗次です」
思ったより若い、飯与宗次。
和尚さんは、写真等で見たことあるから、『そんな人やろな』と思っていた、飯与宗次。
天念は、和尚さんから聞いた話しか知らないから、『マジで?』と思った、飯与宗次。
和尚さんと天念は、飯与宗次にあれこれ尋ねたが、特に突っ込んだ話も聞かず聞けず。
ましてや、飯与宗次のプライベートなんて、もってのほか。
まあ、初対面で訊くやつが、どうかしてるとは思うが。
結局、分かったのは、「連歌ん雁の遊撃隊として、この辺りに来ている」ということだけだった。
が、飯与宗次が話すには、「遊撃隊として応援に出ている時は、野宿がち」とのこと。
その話を捕まえて、和尚さんと天念は、自分とこのお寺 ‥ 念々寺に泊まることを、強く薦める。
詳しく訊くと、飯与宗次の応援地域は、自転車なら念々寺から一日で通える範囲内だった。
野宿生活をさせるに忍びない和尚さんと、好奇心いっぱいの天念は、念々寺をベースキャンプにすることを、強く強く薦める。
「それは、有り難い。
丹念和尚、よろしくお願いします」
和尚さん ‥ 丹念和尚は、重々しくうなずく。
「天念さんも、
よろしくお願いします」
天念も、ぎこちなく丹念和尚の真似をして、重々しくうなづく。
そこへ、檀家の一人が訪れる。
門をくぐり、本堂前に佇む三人を見て、檀家さんは『うわっ』と驚く。
青・赤・緑、チカチカキラキラ。
スカイブルー、ヴァージンレッド、フォレストグリーン、カクテル錯乱。
『ここ、お寺か?
お寺なのか?』
檀家さんは、眼前に広がる、色彩飛び交う空間に、ミラノコレクションや東京ガールズコレクションを見る。
檀家さんは、溢れる色彩に拘束され、口をポカンと開け、猫背になって首を出し、手をブラブラ下げた姿勢になり、金縛りに遭う。
スカイブルー作務衣の丹念和尚は、フリーズしている檀家さんに気付き、手招きをする。
檀家さんの眼には、溢れる色彩以外眼に入っていないのか、丹念和尚の手招きに気付かない。
丹念和尚が、手招きする。
檀家さん、気付かない。
手招きする。
気付かない。
手招きする。
気付か ‥ 『はっ?』 ‥ 気付く。
檀家さんは、立てた親指を自分に向けて、『俺ですか?』という顔をする。
丹念和尚は、『そうじゃ』という顔をして、うんうん頷く。
『やっぱ、俺かぁ~』みたいな諦め顔で、檀家さんは、丹念和尚達 ‥ 三人に近付く。
「古田さん、おはよう御座います」
ヴァージンレッド作務衣の天念が、挨拶する。
「おはよう御座います」
檀家さん ‥ 古田が、挨拶を返す。
「古田さん、
こちら、飯与宗次さんです。
この辺りの紙帯の状況確認の為、こちらに来られています」
「よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
飯与宗次は、天念から紹介を受け、古田に挨拶を行なう。
「飯与さん、
こちら、檀家総代の息子さんで、古田織介さんです」
「どうぞ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、お願い致します」
フォレストグリーンTシャツの飯与宗次が、口角を上げて、微笑む。
本人は、爽やか健やかな微笑を浮かべている、つもりだろう。
が、その微笑が、少なくはない皺を、くっきり顔に浮かばせている。
その為、《爽健コワモテ笑顔》となっている。
古田は、飯与宗次の爽健コワモテ笑顔に、心の中でたじろぐ。
が、表面的には、たじろぐ素振りも見せず、三人に言葉を掛ける。
「いやー、カラフルですねー」
「何がですか?」
「服」
古田は、天念の問いに答えて、三人が着ている服を、順番に指し示していく。
丹念和尚の、スカイブルー作務衣。
天念の、ヴァージンレッド作務衣。
飯与宗次の、フォレストグリーンTシャツ。
「ね」
「でも、古田さんも、たいがいですよ」
天念も、古田の服を指し示す。
古田は、天念の指し示す指先を視線に捕らえ、指し示す方向に沿って、視線を伸ばす。
視線を伸ばした先には、自分のTシャツがあった。
レモンイエローのTシャツ。
確かに、まごう事なき、カラフルだった。
「いやー、一本取られたな」
古田は、頭を掻き掻き、天念につぶやく。
天念も、『そうでしょ』とばかり、微笑む。
丹念和尚も、『ふむふむ』とばかり、微笑む。
お寺と檀家の、和気藹々。
飯与宗次は、『なんやこれ』とばかりに、苦笑する。
青・赤・緑・黄。
ブルー・レッド・グリーン・イエロー。
「あと一つ、ですね」
古田は、つぶやく。
「あと一つ、ですよね」
天念も、つぶやく
「あと一つ、です」
飯与宗次も、つぶやく。
丹念和尚は、問う。
「何が、「あと一つ」、なんじゃ?」
その時、庫裡の方から、声が飛んで来る。
「おとーさーんー ‥
天念さーんー ‥ 」
和尚さんの奥さんが、庫裡の玄関から姿を現し、二人を呼ぶ。
割烹着姿の奥さんが、二人を呼ぶ。
白 ‥ ではなく、ショッキングピンクの割烹着の奥さんが、二人を呼ぶ。
「揃いましたね」
「揃いましたよね」
「揃いました」
古田、天念、飯与宗次は、お互いを見つめ、ウンウンと頷く。
「だから、なんじゃ?」
和尚さんは、問う。
「ネンネンジャーですよ」
「ネンネンファイブの方が」
「ネーネンズという手もあります」
古田、天念、飯与宗次は、丹念和尚の問いに、畳み掛けて答える。
「答えになっとらん」
和尚さんは、三人の答えに、納得いかず、少し頬を膨らませる。
三人は三人とも、『いや、充分過ぎる答えですって』の思いを胸に、不可解そうな顔を、丹念和尚に向ける。
丹念和尚は、『ギクッ、わしが悪いのか?』という顔を浮かべて、たじろぐ。
丹念和尚と三人の間に、微妙な空気が流れる。
その空気から丹念和尚を助け出すかのように、絶妙のタイミングで、声が掛かる。
「ごはん、できましたよー」
ピンク割烹着の奥さんから、声が掛かる。
丹念和尚は、『ナイスタイミングじゃ』と思い、『心中ホッ』とする。
天念は、『待ってました』と、『心中舌なめずり』をする。
飯与宗次は、何の気無しに、腹に手をやる。
古田も、『そういや』とばかり、腹に手をやる。
丹念和尚は、飯与宗次と古田に、言う。
「一緒に、どうじゃな?」
丹念和尚と天念は、二人分追加を知らせに、一足先に庫裡へ戻る。
残された飯与宗次と古田は、お互いの顔を、改めて見つめる。
「そういや、ちゃんと自己紹介してませんでしたね。
檀家総代の古田です」
古田は、右手を差し出し、飯与宗次とガッチリ握手する。
「正確には、親父が檀家総代なんですが、
最近、代理で、お寺に伺うことが多いんです」
古田は、慎み深く、飯与宗次の眼を見つめ、言を重ねる。
「飯与宗次です。
連歌、繋ぎに来ました」
飯与宗次は、サラリと、古田の眼を見つめ、言を返す。
古田の眼が、グワッと開き、キラッと光りを増す。
「飯与宗次さん!
あの、連歌ん雁の!」
古田は驚きを隠せず、見開いた眼のまま、飯与宗次に問い質す。
「はい。
知ってくれてはりますか?」
「知ってるも何も、連歌を齧っている人間なら、
『知らいでか!』ってとこですよ」
「はあ、そうですか」
そうだった。
飯与宗次は、その世界では、『知る人ぞ知る、知らない人もなんとなく聞いたことはあるかも』の人間だった。
「その、飯与宗次さんが、何だって、ウチの寺に来てはるんですか?」
古田は、至極真っ当な疑問を、呈する。
「この県を担当しているチームでは、『手に足りそうにない』とのことで、
本部から「応援に行け」と言われて、来たんです」
「じゃあ、やっぱり、連歌ん雁がらみで?」
「はい」
「それじゃあ、この寺に来はったのは、偶然ですか?」
古田は、ちょっとガッカリして、肩を落とす。
飯与宗次は、そんな古田を見て、ちょっと言葉を濁す。
「いや、偶然だけとは言えなくて ‥ 」
「と言うと?!」
飯与宗次の物言いに、俄然勢いづいた古田は、畳み掛ける。
「この地域の投句は、ちょっとおかしいと言うか ‥ 」
「はい」
「わざと繋げにくい投句がしてあるというか ‥ 」
「はい」
「次に句を繋ぐ人のことを、考えてないみたいなんです」
「それ、私も、なんとはなしに、思ってました」
「わしも、思っておった」
丹念和尚が、言う。
「僕も、思ってました」
天念も、言う。
「みんな、思ってましたか」
飯与宗次が、言う。
「なんか、繋げにくいんですよね。
それが、『わざとしてある』ってゆうか ‥ 」
「そうそう、繋ぐ気を削がれるってゆうか、
『うげっ』て、感じさせるってゆうか ‥ 」
古田と天然の言い分は、感覚的ではあったものの、充分説得力があった。
「思うに ‥ 」
和尚さんが、二人の言い分に、言葉を重ねる。
「《ん止め》と《本歌取り》が、あかんのじゃろう」
丹念和尚の言葉に、飯与宗次は食い付く。
「と、言いますと?」
「ふむ、
繋ぎにくくなっている句は、《ん》で終わっている句が多いんじゃ。
また、有名な誰でも知っているような句を、模したものも多いんじゃ」
「それは ‥ 連歌や俳句、川柳などの心得がある人なら、
繋ぎにくいですね。
《ん》からの展開に、技術的にひるんでしまうし、先人の句が畏れ多くて、
躊躇してしまう」
飯与宗次は、『う~ん』という顔をして、丹念和尚の答えに同意する。
「この現象は、この辺り一帯に広がってるんですか?」
飯与宗次の問いに、丹念和尚は、口を開く。
「この辺り一帯の、寺社に広がっているようじゃ。
天念、具体的には、どうなんじゃ?」
「県全体ではないけれど、
ウチの町含め、幾つかの近隣町に広がっているみたいですね。
もちろん、寺院神社、関係無く」
「DSN(檀家組織ネットワーク)の情報網によっても、
ウチの町に隣在している町は、多かれ少なかれ、被害があるそうです」
「そうですか ‥ 」
これはどうも、飯与宗次一人が奔走して、どうにかなるレベルの話では無さそうだった。
が、兎にも角にも現場に行って、自分の眼で確認しなければ、先に進まない。
頭の中で、できるだけの想定はして、準備を怠らず、飯与宗次は臨むつもりだった。
問題は、《足》だった。
「え~と、
『紙帯が止まっている寺社巡りをしよう』と思ったら、
歩きでは難しいですか?」
師弟は、即答する。
「無理じゃな」
「無理です」
「 ‥ やっぱ、そうですか ‥ 」
言い澱み、困った顔で眼を伏せた飯与宗次に、古田は提案する。
「ウチの車、貸しましょか?」
「有り難いですけど、遠慮させていただきます」
『えっ?』とばかりに、古田は不思議そうな顔をする。
飯与宗次は、困り顔の苦笑をして、言葉を続ける。
「免許、無いんです」
「えっ、そうなんですか」
『ありえない』『マジで?』『現代の人間やない』等の思いが混じって、古田は、複雑な笑みを浮かべる。
その複雑な間を取り繕うように、丹念和尚が助け舟を出す。
「ウチの自転車を、貸そうかの?」
「いいんですか?」
「ああ、ええよ。
ママチャリとロードレーサーの合いの子みたいなやつで、
使い勝手ええぞ」
「それに、おっきなカゴも付いて、六段変速なんです」
「ありがとう御座います。
助かります」
「ほっほっほっ」と、丹念和尚は、満足そうに笑う。
「ふぉふぉふぉ」と、天念も、嬉しそうに笑う。
飯与宗次は、リュックから地図を出し、床にパラッと広げる。
「ここが念々寺ですよね?」
飯与宗次は、地図の上の卍印を、人差し指で押さえる。
「そうじゃ」
「で、念々寺周辺で、
紙帯が止まっているお寺や神社は、
どこなんですか?」
飯与宗次は、問い掛ける眼をして、丹念和尚、天念、古田を、順に見つめる。
「わしが聞いておるのは ‥ 」
「僕が知っているのは ‥ 」
「私が把握している限りでは ‥ 」
地図上の卍印と鳥居印に、次々と○印が付けられてゆく。
○印の付いた範囲は、念々寺を中心として、半径二十キロメートルの円周内に、数多く散在していた。
「うわ~」
飯与宗次は、思わず、声を漏らしてしまう。
どうやら、数日の滞在では、手に負えそうにない。
どころか、『数週間でも、やっと』というところだった。
どうやらこの辺りは、地方に時たま見受けられる《民間信仰集積地》のようだった。
そんな飯与宗次を見て、丹念和尚と天念は顔を見合わせ、同時にうなづく。
「どうじゃな。
ウチの寺に滞在して、活動しては?」
「えっ?」
「ウチの寺をベースキャンプにして、
周りのお寺や神社を廻ったらいいんですよ」
「いいんですか?」
「全然、かまへん。
空いてる部屋は、有り余るほど、沢山あるし」
「ホンマですか」
「和尚さんのお客さんだから、食費も宿泊費もいらないですし」
「それはさすがに、なんか、申し訳ない気が ‥ 」
「なら、手が空いた時に、檀家連に、連歌や句を、教えてくれればええ」
「あ!それいいです!」
丹念和尚の提案に、古田が飛び付く。
丹念和尚、天念、古田のスリー笑顔に晒され、飯与宗次は頭を下げる。
「有り難いです。
そういうことなら、よろしくお願いします」
『うむうむ』と、丹念和尚は頷く。
丹念和尚は、天念に目配せをしながら、一同に問い掛ける。
「では、お近づきの印と、更なる親交を深める為に、一献どうかな」
「お、いいですねー」
「あ、いいですねー」
おおよそ、一献で済みそうにないが、天念と古田は、秒殺即答する。
が、飯与宗次は、顔を伏せ気味にして、申し訳無さそうな、照れ臭そうな雰囲気を醸し出す。
「 ‥ あの ‥ 」
「なんじゃ?」
「なんですか?」
「どうしました?」
急に態度がおかしくなった、飯与宗次をいぶかしみ、三人は同時に反応する。
「 ‥ 実は ‥ 私 ‥ 」
「「「はい」」」
「 ‥ お酒 ‥ ダメなんです ‥ 」
「「「えっ」」」
飯与宗次の、場の空気をものともしないプチ・カミングアウトに、三人は驚く。
慌てて、天念が取り繕う
「でも、日本酒とか焼酎とかウィスキーとか、度数の強いやつはあかんけど、
ビールくらいなら、大丈夫でしょ?」
「いえ、
アルコール全般がダメなんです」
天念のフォローを、飯与宗次は、切って捨てる。
「でも、コップに半分とか、お猪口に一杯とかなら、大丈夫でしょ?」
「いえ、
量に関係無く、ダメなんです」
古田のフォローも、飯与宗次は、切って捨てる。
♪ ‥ る~ら~ ‥
天念と古田は、心の中で密かに哀しい音楽を流し、心の中で密かに上空を見つめ、心の中で密かに涙を流す。
丹念和尚は、鳩が豆鉄砲を食ったように、キョトンとしていたが、そこは年の功。
飯与宗次に、穏やかに、理由を尋ねる。
「なんで、アルコールが、あかんのじゃ?」
「いわゆる贅沢嗜好品は、体質的に受け付けなくて ‥ 。
煙草も、ダメなんです ‥ 」
「ふ~む」
和尚さんは、両方の顔が立つ、適度な妥協案を出す。
「なら、お茶で、付き合ってくれ。
お茶ならば、かまわんじゃろう?」
「はい、喜んで。
日本茶でも、烏龍茶でも、紅茶でも、付き合います」
天念は、一時のヘコミから立ち直ると、不思議なものでも見るように、飯与宗次に問い掛ける。
「免許証無いんですよね?」
「はい」
「それで、酒も煙草もやらないと?」
「はい」
「ギャンブルも風俗も?」
「はい」
「もしかして、携帯やスマホも?」
「ノートPC、持ち歩いてますから」
『呑む打つ買うタッチ、俺には必要無し』とばかり、飯与宗次は、胸を張って答える。
天念は、そんな飯与宗次を、人外のものを見る眼で見つめ、言う。
「人間やない ‥ 」
『でも、人間ですから』とばかり、飯与宗次は、変わらす、にこやかに胸を張る。
一同は、悪びれない(当たり前と言えば、当たり前なのだが)飯与宗次に、呆気に取られる。
僧侶の天念が、呑む打つ買うタッチをしない飯与宗次を、「人間やない」と指摘する。
そのおかしさに、とりあえず一番先に気付いたのは、丹念和尚だった。
「これ、天念」
天念も、そのおかしさに気付き、飯与宗次に対する失礼な行為を、恥じる。
「あ、すいません」
天念は、ペコリと頭を下げる。
飯与宗次は、にこやかな顔を崩さずに言う。
「あ、かまわないですよ。
いつものことで、慣れてるんで」
『慣れているのか!
いつも、言われているのか!』
古田は、飯与宗次・天念・丹念和尚の間の、一連の動きを観察し、複雑な感想を持つ。
どちらかと言えば、古田も、飯与宗次に近い生活を送っている。
おそらく、その感性も似通っていることだろう。
「僕も、煙草やらずの酒たしなむ程度、チャリ漕ぎ野郎なんで、
分かりますよ」
「おお、そうですか。
では、チャリ漕ぎ野郎の古田さんに、お願いがあるんですが」
いたずら小僧っぽい笑顔を向ける飯与宗次に、古田は警戒しながら、おそるおそる尋ねる。
「僕で、できることなら ‥ 何ですか?」
「これなんです」
飯与宗次は、広げていた地図を、指差す。
「自転車だったら、どのルートで行けば、
『安全で楽で、多くの社寺を早く廻れるかな~』、と。
『古田さんなら、知ってはるかな~』、と」
「ああ、そういうことですか。
それなら ‥ 」
飯与宗次と古田はそのまま地図を前にして、「あーでもない、こーでもない」と、ルート検討に入る。
二人の会話から取り残された形になった丹念和尚と天念は、ポツネンと顔を見合わせる。
丹念和尚は、『話が終わるのを待ってたら、らちかんわ』とばかりに、天念に指示を出す。
「天念、酒の用意じゃ」
「はい!」
『待ってました!』とばかりに、いつもと違ってキビキビと、天念は動き出す。
立ち上がると、台所へ飛んで行く。
「先に、始めとるぞ」
「はい」
「どうぞ」
飯与宗次と古田の上の空返事に、『やれやれ』とばかりに、丹念和尚は両手の平を上に向けて、両肩をすくめる。
天念が宴の支度を整え終え、丹念和尚は天念と二人で、『まずは一献』を始める。
地図でルートを検討している二人を傍目に、いそいそと始める。
丹念和尚と天念が、五、六献かたむけたところで、二人は顔を上げる。
「では、それで」
「それがいいと思います」
飯与宗次のルートセレクトに、古田が同意する。
やっと、検討会は終わったらしい。
ほんのりくっきり頬が桜色になった丹念和尚は、若干デレッとした笑みを浮かべる。
「おお、終わったか。
ではでは」
二人が地図を片付けるのも、もどかしく、そそくさと準備する。
飯与宗次には、コップ。
古田には、お猪口。
「天念、お二人に、早よ注がんか」
天念が、二人に飲み物を注ぐ。
飯与宗次には、烏龍茶。
古田には、酒。
丹念和尚と自分のお猪口にも、新たに、酒を注ぐ。
「では、僭越ながら、わし丹念が、乾杯の温度を取らせていただきます。
みんな、ご準備ください」
飯与宗次・古田・天念が、コップ・お猪口・お猪口を、胸の高さまで掲げる。
「今日の出会いを祝い、今後の親交を願って、
かんぱ~い!」
「「「かんぱーい!」」」
胸の高さから頭上へ、お猪口が上がる。
それに一呼吸遅れて、コップ・お猪口・お猪口も、胸の高さから頭上へ上がる。
和尚さんは、満足そうに、お猪口を呑み干す。
ほんのりくっきり桜色の頬を膨らませ、次の瞬間、プハーッと息を吐く。
『これが、したかったんやな』
天念は、そんな嬉しそうな丹念和尚に、二人の検討会中そわそわしていた丹念和尚の様子を重ね合わせて、しみじみ思う。
コップがゆったりと、コップの横のお猪口も、ゆったりと動く。
二つの隣り合ったお猪口は、お互い小刻みに動く。
コップとお猪口の一つは、ゆったりとリズムを刻み、二つのお猪口は、せわしなくリズムを刻む。
それらのリズムに合わせるように、会話が流れ、時は過ぎてゆく。
キラッ
「行って来ます」
自転車のフレームが、日の光りを照り返す。
飯与宗次は、ペダルを踏み込みながら、出発の挨拶をする。
「行ってらっしゃい」
見送りに出てくれた天念が、『ご無事に』の思いを込めた挨拶を、返す。
天然は、飯与宗次を見送りがてら、自転車の調整しがてら、朝の掃除しがてら、庫裡から出て来た。
丹念和尚は、まだ、幸せそうに、グースカと寝ている。
古田も、家に帰らずに、丹念和尚の横で、グーグーと寝ている。
今日は、午前中二箇所、午後二箇所を廻る予定にしている。
昼飯は、和尚の奥さんに、お弁当を作ってもらっている。
飯与宗次は、“念々寺から最も遠い神社へまず行き、そこから戻りがてら、他の神社仏閣を巡るルート”を、今日は予定していた。
シャッシャッ シャッシャッ
シャーーーーーーーーーーー
シャッシャッ シャッシャッ
シャーーーーーーーーーーー
自転車を、漕ぐ。
日の光りを浴びて、漕ぐ。
左右に広がる田畑の中、漕ぐ。
道は、真っ直ぐ貫き通った一本道。
さすがに、『地平線まで続く』ではないが、山際までずっと続いていた。
人や自転車には、めったにすれ違わない。
車とも、たまにしか、すれ違わない。
そのせいか、思い出したようにしか、信号機は取りつけられていない。
その代わり、[車も自転車も、スピード出し過ぎ注意]の立て看板が、そこらかしこに目に付く。
シャッシャッ シャッシャッ
シャーーーーーーーーーーー
シャッシャッ シャッシャッ
シャーーーーーーーーーーー
飯与宗次は、緑の中を、ゆく。
風に揺れる、田の中を、畑の中を、走り抜ける。
風は、飯与宗次と自転車にも、吹きぬける。
飯与宗次は、風に眼を細めながら、見通しの広がる道を、ゆく。
最初の目的地は、眼前に広がる山の麓に、在していた。
目測では、『案外、近いやん』と思っていたが、いくらか漕いでも、一向に近づいて来ない。
近づかない。
近づいて来ない。
『案外、遠いか、こりゃ』
と、優雅に漕いでいた飯与宗次は、立ち漕ぎに切り換える。
シャッシャッ シャッシャッ
シャッシャッ シャッシャッ
シャッシャッ シャッシャッ
シャッシャッ シャッシャッ
立ち漕ぎに切り替え、しばらくすると、ようやく、山の麓が見えて来る。
山の木々と、田畑の境目が、クッキリと判明して来る。
境目は、緑の濃淡で、現わされていた。
上部(山頂側)は濃緑、下部(麓側)は淡緑。
その境目に、両部の緩衝地帯であるかのように、濃と淡の合い間の緑が、欝蒼と茂っていた。
山と田畑の境界に佇む、緑の杜には、もう一つの色があった。
濃くて淡い緑の杜の入り口に、眼の覚めるような朱が、そびえていた。
字数にすると、四画。
直線、四本。
組み合わさった直線は、縦二本、横二本。
横の二本は、上の一本が長く、下の一本は、やや短い。
縦の二本は、長い横線を頭頂に高々と抱え上げ、短い横線を長い横線の下、一メートルほど下方に挟み込む。
長い横線と、短い横線の間の、空いた空間に、縦長長方形の木札が挟み困れていた。
その木札には、【九坂社】と、金文字で書かれていた。
飯与宗次は、九坂神社の聳え立つ朱鳥居の根元に、自転車を止める。
自転車にロックを施し、カゴに入れていたリュックを背負う。
鳥居をくぐると、参道の砂利道を、踏みしめて進む。
ジャリジャリ ジャリジャリ
ジャリジャリ ジャリジャリ
欝蒼とした杜の中、砂利道のみ、一直線に伸びていた。
砂利道の先から、向かい風が吹き抜ける。
風が、飯与宗次に、ビュウバシッと突き当たる。
参道は、信者の通り道でもあり、神の通り道でもあり、風の通り道でもあった。
飯与宗次は、神社の作ったルート通りに ‥ 杜の形作る道沿いに、奔る風を受けながら、参道を進む。
砂利の尽きたところで、参道は終わり、境内が広がった。
中央に舞殿、向かって左手に手水舎、右手に社務所。
舞殿の奥に、本殿が鎮座していた。
本殿の周囲は、朱色の柵で グルッと囲まれていた。
その柵越しの、本殿の白壁の、眼の高さのところに、紙帯が走っていた。
シャイニング・シルバーの紙帯。
眩しく銀色に輝く紙帯は、日の光りを照り返して、存在感を際立たせていた。
案の定と言うべきか、ここの紙帯も、一ヶ月ほど前から滞っていた。
止めた句は、次の通り。
柿とか食えば
鐘とか鳴らん
「うわっ」
またもや、《ん止め》と《本歌取り》。
しかも、リズム的に終わりを強制している。
飯与宗次は、愛用のボールペンを取り出す。
キャラクターの付いたペン頭を押して、ペン先を飛び出させる。
滞りの無いスムースなアクションで、紙帯に書き付ける。
鐘打たず
鼓打つのは
舌ちゃうか
飯与宗次は、時計を見る。
時刻は、お昼に差し掛かろうとしている。
この調子では、やはり、『一日に三箇所廻るのが精一杯』のようだ。
『思ったより、手こずるかもな』
飯与宗次は、心の中で、ポツリとつぶやく。
おもむろに、社務所へ向かう。
社務所は、引き戸が閉じられ、鍵が掛けれられ、戸締りがキッチリされていた。
おそらく、神主が常駐していない、無住のお社なのだろう。
氏子連が協力して、管理しているのだろう。
昼飯を食べる場所と、できればお茶の一杯も所望したかったのだが、諦めざるをえない。
飯与宗次は、『やれやれ』とばかりに、社務所の軒先に腰を下ろす。
リュックから、弁当と水筒を取り出す。
弁当とは言っても、中身は、おっきなおにぎり三つだった。
和尚の奥さんが握ってくれたもので、具は、梅・鮭・オカカだった。
飯与宗次は、一つ目のおにぎりに、取り掛かる。
おにぎりを包んでいる銀紙を剥きながら、パクつく。
飯与宗次は、酸っぱい顔をする。
頭の中に、今後のスケジュールと、行動予定地図を浮かべる。
頭の中で検討後、飯与宗次は、今度は、口に出してつぶやく。
「やれやれ」
頭の中の思考も、飯与宗次に、酸っぱい顔をさせる。
飯与宗次は、午後から二箇所廻る。
前情報によると、この二箇所もやはり、《ん止め》と《本歌取り》で、停滞していた。
どうも手口が、単独犯とは思われない。
手法的には、似か寄るどころか、共通している。
が、ディテール的というか雰囲気的というか、その辺りのところでは、ハッキリと違いが感じ取れる。
どうやら相手(《敵》と言うべきか?)は、複数で行動しているらしい。
今日時点での、飯尾宗次の感想だった。
キーーーキッ
飯与宗次が念々寺に帰って来るやいなや、天念が庫裡から飛び出して来る。
「大変っス!」
「どうかしましたか?」
飯与宗次は、息をするのももどかしく話す天念に、返事を促す。
天念は、慌てているので、口調が《で抜き言葉》になってしまっている。
「また、増えたっス!」
「増えた?
‥ ! ‥ 止まったところが、増えましたか!」
飯与宗次は、一瞬の思い巡らしの後、天念の言うことに気付く。
天念は、飯与宗次の反応を見て、次の言葉を紡ぐ。
「はい。
四箇所、増えました。
お寺が二つに、神社が二つです」
少し落ち着いた天念は、この近隣地域の現状を詳しく説明する。
三歩進んで、二歩下がる。
いや、
三つ減らして、四つ増える。
飯与宗次は、つらつらと考えながら、悟っていた。
これは、この県担当チーム+俺だけじゃ、とてもじゃないが手が廻らない。
が、他の連歌ん雁の実動部隊も、手一杯で、こちらに割ける人員はいないだろう。
ということは、『俺達(チーム+俺)でなんとかしなくてはならない』ということか。
チームが俺に助けを求めたということは、とどのつまり、『俺が、なんとかせなかん』ということか ‥ 。
飯与宗次は、苦笑する。
自分の陥った、『やれやれ』といった羽目に、苦笑する。
天念は、苦笑している飯与宗次を見て、『まだ、この人、余裕あんな』と思い、ホッとする。
天念は安心して、次の言を、でも恐る恐る継ぐ。
「キリがないですね」
「キリがありませんね」
飯与宗次は、何が可笑しいのか、苦笑を笑みに変え、顔いっぱいに湛えていいる。
今にも、声を上げて、吹き出しそうにしている。
ちょっと前屈みにもなって、腹を抱えるようにもしている。
天念が不思議そうに、何か問いたそうに眺めると、飯与宗次は、口を開く。
「すいません。
なんか、自分で自分が、可笑しくなっちゃって」
飯与宗次はどうも、『逆境に陥った自分を客観的に眺め、そんな自分を面白がる』ところがあるらしい。
「戦略を再度検討し直して、作戦の展開を変更しないといけませんね」
そして、『そんな自分を奮い立たせ、改善された次の手を打つ』ように、できているらしい。
「どうするんですか?」
「う~ん。
まずは、風呂に入らせてもらいます」
天念が、『へっ』という顔をする。
「で、サッパリして、食事の時に、みなさん一緒に追々考えましょう」
夕食の膳を、五人の人間が囲んでいる。
飯与宗次
丹念和尚
天念
古田
そして、丹念和尚の奥さん
和尚の奥さんの同席は、飯与宗次のリクエストだった。
脇合い合い ‥ もとい ‥ 和気藹々として、夕食の場は進む。
が、飯与宗次の一言が、その雰囲気をブッ潰す。
「明日から、どうしたもんですかね?」
場が凍る。
ピシっと、音を立てたかのように、固まる。
丹念和尚は、箸を空中で止める。
天念は、口に運ぼうとしたご飯を、空中で止める。
古田は、うつむき視線を落として、肩を下げ止まる。
和尚の奥さんは、キョトンと飯与宗次を見つめ、止まる。
飯与宗次は、四人を順番に見つめ、答えを得ようとする。
飯与宗次と目を合わせたのは、和尚の奥さんだけ。
が、その瞳は、『答えを得ることは、、期待してはならない』ことを示している。
『まあ、そうやろなー』
飯与宗次は、悟り気味に思う。
正直、答えは期待していない。
でも、一応は、『聞いてみた方がええよな』ってな感じで、問いを発した。
実は、ある程度の戦略案は、飯与宗次の中ではできている。
しばらくの沈黙の後、古田が切り出す。
「飯与さんは、何か案があるんですか?」
飯与宗次は、上目遣いに、
丹念和尚
天念
古田
和尚の奥さん
を、順に見つめる。
見つめた後、数秒溜めて、飯与宗次は、口を開く。
「『なまじっか、知っているから』だと思うんですよね」
一同の頭頂に、?マークが浮かぶ。
「なまじっか、連歌とか短歌とか俳句の心得があったり知ってたりするから、
《ん止め》と《本歌取り》に怯んでしまって、句を繋ぐのに、
二の足を踏むんだと思うんです」
「ほお」
「だから、止まってしまったところには、
そういう知識を知らん人に、句を繋いでもらうとかとか、
そういう知識を、ちゃぶ台ひっくり返して無くしてしまう仕組みを作って、
句を繋ぐとか」
「具体的に、考えありますか?」
古田が、ツッコむ。
「たとえば ‥ 子ども達に、句を繋いでもらうとか、
落語の三題噺みたいな仕組みを作って、句を繋ぐとか」
「三題噺ですか?」
「三つお題を取ったら、句では苦しいやろうから、一つのお題くらいにして、
問答無用で、そのお題で、句作るとか」
「なるほど!
【らくごのご】方式ですね?」
古田が、昔やっていた関西ローカルの深夜番組を、例に出して言う。
「まあ、そんな感じで。
お客さんからお題もらうわけにはいかへんから、
止まったところ(寺社など)が、お題作ったらえんではないかと」
「ふむ、それはええな」
「僕も、いいと思います」
「古田さん、早速、DSN(檀家組織ネットワーク)の皆さんに、
案を提示したらどうじゃ?」
「そうします」
古田は、『善は急げ』とばかりに、席を外す。
おそらく、ケータイでネットワーク仲間に、連絡しに行ったのだろう。
古田が戻る。
「どうじゃった?」
「止まって困っているところへは、ほとんど連絡が取れました。
早速明日にでも、みんな、やってみるそうです」
「そうかそうか。
これでみんな、停滞が解消してくれたら、嬉しいもんじゃな」
「じゃあ、明日一日は、各地の動きに任せる感じですね」
「そうじゃな」
「じゃあ、飯与さん、明日はどうしはるんですか?」
「え?」
「明日は、 『各地の動きと様子を、見る一日』にするということは、
『明日一日、飯予さんの体が空く』ということでしょ」
天念の指摘に、飯与宗次をうなずく。
「なるほど。
どうしましょうね?」
飯与宗次は、『それは盲点だった』の顔をして、にこやかに問い掛ける。
ここで、『我が意を得たり』とばかりに、丹念和尚が口を挟む。
「「この寺に腰を据えたらどうじゃ」とか言った時に」
「はい」
「そっちが遠慮してたんで、交換条件を出したじゃろ?」
「はい」
「条件は、「手が空いたら、檀家連に、連歌や句を教えてやってくれ」
やったと思うから、明日、それを果たしてやってくれんか?」
「はい、了解です。
喜んで」
丹念和尚は、飯与宗次の返事を『おっ』と満足そうに受け止める。
その顔で、古田に告げる。
「古田さん、早速、檀家連に連絡して、参加希望者を募ってくれ」
「分かりました。
電話借ります」
戻って来た古田が、慌しくUターン。
古田の足音が遠ざかると、天念が自分を指差して言う。
「僕も参加したいです。
いいですか?」
「もちろん」
「えっ。
天念、抜け駆けズルいぞ。
わしもいいかの?」
丹念和尚も、自分を指差して言う。
師弟ふたりが、自分を指差す。
「もちろん。
奥さんは、いいんですかね」
「あいつは ‥ 」
「もちろん、参加させていただきます」
丹念和尚の言葉を継いで、部屋の外から、和尚の奥さんの返事が届く。
「じゃあ、念々寺は、全員参加ということで」
飯与宗次は、言いながら、明日の参加者を見積もる。
『念々寺から三人、古田さんも参加するだろうし、それで計四人。
檀家さんの参加者も入れて、合計十人弱ってとこか』
いや、甘いでしょ。
計算、甘いでしょ。
甘かった。
次の日、念々寺には、二十人強の人々が集った。
「 ‥ いや、これ ‥ 」
飯与宗次は、眼前に広がる光景に、口ごもる。
計算違いも、甚だしい。
「これで半分くらいです。
あと、小学校からも来るんで」
「へっ?」
にこやかに事実を告げる天念に、飯与宗次は、思わず声を上げる。
聞いて無いよな。
うん、聞いてない、
いや、聞いてないですから。
「その小学校と言うのは ‥ 」
「ああ、近所の小学校の、小堀小学校です」
「あ、そうですか。
で、なんで、その小学校から参加者が、来るんですか?」
「PTAに、ウチの檀家さんが多いので、そこから話が廻ったみたいです。
気付いた時には、児童、親御さん、教職員、その他諸々我も我もと、
参加者が二十名以上になったそうです」
「 ‥ そうですか」
「いや~、連歌、キテますね~」
キテるのは嬉しいが、飯与宗次のプランは白紙になる。
連歌には、様々な約束事やルールがあり、それを踏まえて、『ちょっと突っ込んだ話もしよう』と思っていた。
それは、スッパリ諦める。
小学生にそんな話をしても、しゃーないし。
面白くないし、楽しくもない。
俺も、面白くない。
もっと、老若男女に、楽しんでもらえる話をしよう。
飯与宗次は、腹をくくる。
小学校一同様が来る。
ワイワイガヤガヤ、ウキウキワクワク、賑やかにやって来る。
児童、親御さん、教職員、その他諸々、老若男女取り混ぜて、わしわしと念々寺の境内に入る。
「これで全員、揃いましたね」
天念の言に合わせて境内を見ると、壮観。
総勢、約五十人。
性別の偏り、世代の偏り、ほぼ無し。
あえて言うなら、中学生~大学生の世代が抜けているが、それは年代的に時刻的に、仕方が無いところ。
丹念和尚、和尚の奥さんも、そそくさと出て来て、参加者に加わる。
天念は、助手の如く、すまして飯与宗次に寄り添う。
スカイブルーとショッキングピンクが加わり、フォレストグリーンにヴァージンレッドが寄り添う。
眼前に、前にも増してグワッと広がる生徒達を、飯与宗次は眺める。
腹をくくったかのように腹に空気を吸い込み、声を出す。
「みなさん!こんにちはー!」
飯与宗次の大きな声に対して、人数の割りに小さな声が返って来る。
「「「「「「「「「「「「「「こんにちは」」」」」」」」」」」」」」
『お約束だ』とでも言うように、いい与宗次は首を振って、再び声を出す。
「声が小さい!
こんにちはー!」
「「「「「「「「「「「「「こんにちはー!」」」」」」」」」」」」」
今度は、幼い声や若い声が中心だったが、大きな声が返って来る。
「グッジョブ!」
飯与宗次は、親指を立てて言う。
「どうも、飯与宗次です。
短い時間ですが、みなさんに、連歌の話をさせていただきます。
よろしくお願いします」
飯与宗次が挨拶がてら頭を下げると、まとまった拍手が返って来る。
「ありがとう御座います。
みなさんは、『期待と不安、ここにあり』みたいな感じで、
ここにいはると思います。
連歌は、“一見”“一聞き”、なんや難しそうな気がします。
正直、昔からの定型やルールにのっとれば、割とややこしいものです」
飯与宗次は、ここで大きく息を吸い、一呼吸置く。
「でも、この際、そんななんやかんやは、ちょっと置いときましょう。
そこらへんにとらわれず、ヘンにハードル上げることもなく、
連歌を楽しみましょう」
おおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
参加者一同から、声が上がる。
飯与宗次は、サポーターの声援を受ける選手の心持ちになる。
その心持ちを顔に出して、言葉を続ける。
「連歌をする上でのルールは、五文字・七文字・五文字の句を詠んで繋げて、
七文字・七文字の句を詠んで繋げることです。
その際に、気を置いといてもらいたいのは、
《前の句の雰囲気を壊さずに、次の人が、繋ぎ易い句を詠むこと》
です。
それで、ずーっと繋がって、結果的に、
絵巻物のような、長編小説のような、大河ドラマのような
連歌ができたらええと思います」
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。
一堂、イマイチ分かってない反応。
「じゃあ、ちょっとやってみましょう。
‥ ハイ、君」
飯与宗次は、前の方にいた、小学校中学年らしき男の子を指差す。
男の子は、「僕?」みたいな感じで、自分の人差し指を、自分に向ける。
飯与宗次は、うなずく。
「ちょっと、五文字・七文字・五文字で、一句詠んでみて。
なんでもええで。
って言っても、戸惑うやろうから、範囲縮めよう。
食べ物で」
う~ん。
う~ん。
男の子は、悩む。
う~ん。
う~ん。
「なんでもええ?」
「なんでもええよ」
「じゃあ、
いも と くり
はちみつ と もち
あんこもね 」
飯与宗次、親指を立てて言う。
「素晴らしい!」
が、傍目には、次に繋げるのが、ちょっと難しそうな気がする。
ハードルちょっと高めやぞ。
どうする、飯与宗次。
『おもしれえ』の顔をして、飯与宗次は微笑む。
一呼吸置いて、おもむろに息を吸う。
吸った息を、声と共に吐き出す。
「 みなみんな
ドドッと混ぜ込み
笑顔菓子 」
飯与宗次は、『どや』顔。
男の子は、『アハ』顔。
「次に繋げる句を、思い付いた人はいませんかー?」
飯与宗次が、見回すと、半分以上が目を伏せる、逸らす。
U―12(十二歳以下)は、比較的視線を上げている。
O―13(十三歳以上)は、ほとんど視線を下げている。
子どもは何人か、高々と手を上げている。
大人は、おずおずと、中途半端に、肘から手を上げている。
だが、あえて、O―13。
「じゃあ、そこの人、お願いします」
飯与宗次に氏名され、おじいさん未満おじさん以上の年齢らしき男の人が、自分の人差し指で自分を指差す。
声に出さすとも、「私」という形に、口を動かす。
「はい、そうです」
にこやかに、容赦の無い判決を下すように、飯与宗次は言う。
中途半端とはいえ、手を上げていた手前、男の人は、バツ悪そうに考え始める。
飯与宗次は、にこやかに待つ。
男の人の周りと、その周りと、その周りの人々は、男の人を見つめる。
多数の視線が、男の人に突き刺さる。
『『『『『『考えてたんちゃうんかい』』』』』
男の人は、焦って考える。
ま、自業自得。
十数秒後。
やっと句が浮かんだのか、男の人は口を開く。
「 笑顔咲く
和菓子の恩は
伝えたり 」
「おお、なるほど。
《和菓子の恩》と《我が師の恩》を掛けたわけですね」
甘い食材 → お菓子 → みんな笑顔 → 笑顔伝えたい →転→ 我が師に受けた恩も伝えたい
いい流れになって来た。
男の人も、思いの外、句が褒められたので、満更でもない。
飯与宗次も、どことなく満足気。
天念は『どや』顔。
ここまで、何もしていないに等しいが。
それからは、投句ハイスピード。
飯与宗次の仕切り、ノセ方、進め方が上手かったのか。
はたまた、みんなの素養、知識、情熱等が、元々あったのか。
天念のツッコミやヘルプも、たまに役立っていたことは、付け加えておこう。
なんやかんやと、用意した紙帯が二枚、句で満たされる。
念々寺の本堂の腰には、新たに二つの腹巻が、巻かれることになった。
スカイブルーの紙帯二枚。
スカイブルーの腹巻二つ。
スカイブルーの二つの紙帯を備え付け、念々寺の一同が、みんなの前に向き直る。
真ん中に、丹念和尚。
丹念和尚の向かって右隣に、天念。
天念の隣に、和尚の奥さん(ショッキングピンク)。
丹念和尚の向かって左隣に、飯与宗次。
飯与宗次の隣に、古田。
子ども達はニヤニヤする。
『ちょっと立ち位置、違うけどね』『欲を言えば、あと一人欲しいけどね』の顔でニヤニヤする。
和尚さんが、ズイッと一歩前に出る。
「ちょっと、みなに提案と言うか、お願いがあるんじゃが、
聞いてくれるかの」
和尚さんが下がり、入れ替わって、飯与宗次が前に出る。
「みなさん、お疲れ様でした。
『いい感じの句を並べた紙帯が、できた』と思います。
全体の流れも、いいと思いますし。
そこで、そんなみなさんに、僕から、お願いがあるんです」
ザワザワ。
ちょっとザワザワ。
「僕を、助けて欲しいんです」
ザワザワ。
わりとザワザワ。
「知ったはる人も多いと思いますが、この辺りのお寺や神社は、
紙帯への投句が止まっています。
連歌が、繋がれていません。
理由は分かりませんが、意志ある ‥
悪意と言ってもいいかもしれませんが、そのような投句によって、
句の繋がりが切断されています」
ザワザワ。
かなりザワザワ。
「切断された繋がりを、再び結ぶ為に、
連歌ん雁からチームが派遣されていますが、
切断されたところが多過ぎて、正直、手が足りていません。
僕も、遊撃隊として応援に来ていますが、それでも手が足りません」
ザワザワ。
『話の展開が読めん』ザワザワ。
「そこで、みなさんにお願いなんですが、
《連歌ん雁地元遊撃隊》を結成してくれませんか?
その部隊が、派遣された連歌ん雁チーム及び
僕こと連歌ん雁遊撃隊を助けて、
切断された連歌を繋ぐようにお願いします。
結成された連歌ん雁地元遊撃隊は、
正式に連歌ん雁の一員として認めるように、
連歌ん雁本部とは話をつけてあります」
ザワザワ。
『マジかよ』ザワザワ。
「でも正直、遊撃隊の仕事に掛かりっきりになると思うので、
サラリーマンの方や常時仕事のある方、学校等に通っている方は、
難しいと思います。
それを踏まえて、遊撃隊になってやろうという人は、
手を上げてください」
ワサワサ。
サッ、サッ、 サッ。
ワサワサ。
サッ 、サッ、 サッ。
わりとワサワサ。
サッ 、サッ 、サッ。
「思ったより、参加希望してくれはる人が多いですね。
有り難いことです。
手を上げていただいたみなさん全員に参加いただきたいところですが、
それをしたら収拾がつかなくなり、
逆に、こちらの地元にマイナスになる恐れがあります」
スカイブルー『どうするんじゃ?』
ヴァージンレッド『どうするんスか?』
レモンイエロー『どうするんですか?』
ショッキングピンク『あらあら』
「というわけで、二チームですが、それでお願いしたいと思っています。
具体的には、U―22(二十二歳以下)の男女二人、
O―23(二十三歳以上)の男女二人、計四人。
それが二チームで、合計八人でどうでしょうか?」
バサバサ拍手。
ワサワサ拍手。
「ありがとう御座います。
じゃあ、それで行かせていただきます。
二十二歳以下で、連歌ん雁地元遊撃隊になってやろうという人は、
改めて手を上げてください」
そんなわけで、
連歌ん雁地元遊撃隊二チームは、盛況の内に決定した。
U―22の女の子一人、男の子一人。
O―23の女性一人、男性一人。
計四人一チームで、二チーム合計八人。
世代の幅に大きなものがあるが、とりあえず老若男女カバー。
二チームは、北と南に別れて、活動することとなる。
北の地域を担当するチームはPST、南の地域を担当するチームはSCT、と名付けられる。
中央部の念々寺周辺地域は、引き続き当面、飯与宗次がみることになる。。
PSTとSCTのチーム員には、飯与宗次及び県担当連歌ん雁チーム、そして念の為、念々寺の連絡先が伝えられる。
後日、《煉瓦》《‘n》《銃》マークの入ったTシャツも支給されることになった。
PSTはセルリアンブルー地、SCTはターコイズブルー地。
早速、明日より、各四チーム(飯与宗次一人チーム、県担当連歌ん雁チーム、PST、SCT)は、活動を開始することにする。
PSTとSCTは、結成翌日は、飯与宗次及び県担当連歌ん雁チームと、顔合わせ及び打ち合わせ、活動への事前準備にいそしむことになる。
PSTとSCTは主に、午後からの活動となる。
午前中は、用事のある人間が多かった。
県全体を四チームでカバーする。
他県より、明らかに、手は足りている。
でも ‥ それでも ‥ なかなか、状況は改善されなかった。
「なかなか、うまくいきませんね」
「うむ、なんでかのう?」
「なんでですかね?」
「 ‥ 」
天念、丹念和尚、古田、飯与宗次は、作戦会議を開いている。
思ったより、うまく進まない。
手は足りている、土地勘はある、連歌の素養もある ‥ では、何が?
何がまだ足りない?
足さなければならない?
「思うに ‥ 」
古田が、口を開く。
「まだ単純に、人手が足りてニアないんじゃないですか?」
「ああ、そうですよね」
「そうじゃな」
「 ‥ う~ん ‥ 」
天念と丹念和尚は即座に同意したが、飯与宗次は悩み続け同意しかねる。
「あと、二チームぐらい増やしたら」
「ああ、そうですよね」
「そうじゃな」
「 ‥ う~ん ‥ 」
話が突き進んで詰められようとしても、飯与宗次は悩み続ける。
「何を、そんなに悩んでおるんじゃ?」
飯与宗次の続く呻吟に、丹念和尚は問う。
「なんか違うんですよね」
「私の提案が、おかしいんですか?」
「いや、そういうことじゃなく」
「まだ、不充分なんですか?」
「いや、そういうことでもなく。
なんて言うんやろ。
なんか、『アプローチの方法を変えなあかん』ていうか」
「なんじゃ、アプローチって?」
「僕は分かりますよ。
『視点を変えろ』ってことですね?」
「そうです。
ただ単に、人増やすだけじゃ、解決できないような気がするんです」
「それは何なんですか?」
「それがイマイチ分からないから、
古田さんの提案にも、賛成しかねている始末です」
「困りましたね」
「困りました ‥ 」
沈黙。
沈黙が続く。
四人は、考え込む。
誰も、口を開かない。
開きにくい。
そこは、やっぱり、年の功。
「止まっている状況が改善されてへんとはいえ、
放っておけば、余計にひどくなるのは自明やから、
とりあえずは、今の活動を続けるしかないじゃろ」
「ですよね」
「そうですよね」
「やっぱり、そうですよね」
天念、古田、飯与宗次は、とりあえず賛成する。
当面は、現状の活動を、維持し進めることにしよう。
でも、対処療法に過ぎず、根本療法にはならない。
その根本療法が、思い付かない。
飯与宗次をもってしても、悩みは深い。
この『あらゆるところの連歌を、止めまくる』という悪意の行動の、根は深い。
数日間。
そのままの状況で、日々は過ぎて行く。
悪くもならず良くもならず。
ドツボにはまらず、かといって、改善もされず。
絶え間無い現状維持、でもやめてしまえば、落ちるだけ。
飯与宗次もPSTもSCTも、疲れとイライラが、出始めている。
飯与宗次経由で聞く、県担当連歌ん雁チームの状況も、そんな感じらしい。
『いかんな~』
いかん。
『まずいな~』
まずい。
飯与宗次は、未だに有効な次の手が、思い付けずにいる。
今日も今日とて、丹念和尚、天念、古田、飯与宗次の、(いつのまにやら)定例戦略会議は不調に終わる。
丹念和尚の「しょうがないの。「今日はここまで」じゃな」の締め言葉と共に、酒盛りに入る。
飯与宗次は、盛り上がる丹念和尚と天念、それに(お茶で)合わせる古田を残し、一足先に席を外す。
あてがわれた部屋に戻り、一人になって落ち着いて、再度、考えを巡らす。
が、いい考えは出て来ない。
この数日、この繰り返し、堂々巡り、無限ループ。
ハッキリ言って、煮詰まりまくっている。
原因は、分かっている。
新しい二チームだ。
二チームの動きだ。
いや、二チームのメンバーに、個人的に、どうのこうの言うのではない。
メンバーはみんな、よくやってくれている。
問題は ‥ その構成だ。
一チーム内の構成は、
U―22(二十二歳以下)の、女一名、男一名、
O―23(二十三歳以上)の、女一名、男一名、
計四名。
Uー22組には、「子どもの心を大切にした句を、詠んでください」とお願いしてある。
O―23組には、「大人のスマートさを大切にした句を、詠んでください」とお願いしてある。
そのメンバー構成と、句に対するお願いが、裏目に出たらしい。
Uー22組とO―23組の断絶、を表す例を挙げる。
紙帯の流れを止めていた句は、こういうものだった。
五月雨を
集めて早し
最上義光
いや、《ん止め》でこそないけれど、芭蕉の句を《本歌取り》してるし。
しかも、《最上川》が《戦国武将》に変わってるし。
続けにくっ!
どーすんの、これ?
U―22組の繋いだ句は、こう。
五月の雨は
人になるのか
いや、ストレートな思いは伝わって来るけど、繋げにくいぞ、これ。
O―23組の繋いだ句は、こう。
川の流れは
武士の生き様
いや、綺麗やけど、上手く治まり過ぎて、繋げにくいぞ、これも。
U―22組もO―23組も共に、飯与宗次のお願いを、真っ正面からバカ正直に受け止め過ぎて、ガチガチの句になっている。
『自分らが自分らが』になり過ぎて、後に繋ぐ人のことを考えずに、『飯与さんを感心させる、いい句を読んでやろう』になってしまっている。
まさに、本末転倒、手段の目的化。
『本来も何も、目的は、
『紙帯の停滞を解消する為、後に繋げ易い句を詠むこと』なんやけどなー。
選ばれたプチ・エリート意識からか、みなさんの中で、
目的と手段の逆転現象が起こってるなー。
ヘンに、思惑が入って来ると、上手くいかへんなー』
飯与宗次は、人を使う難しさを、再認識する。
再認識しよう。
再認識します。
再認識する。
再認識するとき。
再認識すれば。
再認識しろ。
「 ‥ ああ ‥ !」
飯与宗次は、頭を振って、テレビに手を伸ばす。
主電源を点け、ONスイッチを入れる。
『こんな時は、気分転換、気分転換』
ここ数日、頻繁に出るセリフを心に浮かべ、テレビに目をこらす。
テレビでは、お笑い番組を放送している。
芸人が、持ちネタを披露していくスタイルの番組だ。
ゆったりとネタ披露時間を取ってあるようで、関西圏のお笑い番組を思い起こさせる。
ちょうど、ヨサブソンという芸人が、テレビの中でネタをやっている。
三つの、半分にしたドラム缶のような、バケツのようなものに、細長いボードが入っている。
ボードには、文字が書かれている。
例えば、一つのバケツに入ったボードには、《お母さんが》とか《先生が》とか《仮面ライダーが》とか、書かれている。
一つのバケツに入ったボードには、《家で》とか《八坂神社で》とか《M78星雲で》とか、書かれている。
最後の一つのバケツに入ったボードには、《寝た》とか《回転した》とか《懺悔した》とか、書かれている。
ヨサブソンは、バケツから順にボードを出して、それを組み合わせて文章を作る。
そして、その文章をボケにして、ツッコんで、そのツッコミのコメントで笑いを取る、ネタをやっている。
ネタの一つを例に取ると、
《仮面ライダーが》
《M78星雲で》
《回転した》
「どこに行っても、めげんと、必殺技繰り出すなー」
ってな感じだ。
『おっ、なかなかオモロいやん』
飯与宗次は、引き付けられる。
元々、ヨサブソンが所属している五人組 ‥ 今は四人組のお笑いユニットは、好いている。
メンバーそれぞれが面白いし、独自のネタ持ってるし。
全員でやるコントも面白い。
なによりも、飯与宗次は、メンバー達の発想力に引き付けられる。
『よく思い付けるもんだ。
スゴイわ』
飯与宗次は、連歌とお笑いと立場は違えど、同じ発想力を武器にする者として、常々感心している。
連歌にも、この発想の柔軟さは必要だと思う。
『見習わなあかんな。
連歌にも使えたらええんやけど ‥ ん? ‥ 』
飯与宗次は、画面に、ネタに、ヨサブソンのちょっと出っ歯に、引き付けれれる。
見つめる。
見続ける。
ネタが終わる。
ヨサブソンが頭を下げて、バケツ群を片付けながら、舞台を下がる。
飯与宗次の眼は、いつのまにか輝きを得ている。
『ありがとう、ヨサブソン』
飯与宗次は、PSTとSCTの八人の前に、ゴミ箱を置く。
細長い、アルミでできたゴミ箱だ。
ゴミ箱の表面には、特撮のヒーローが描かれている。
ゴミ箱の中には、細長い棒が、何本か入っている。
『せんせ~い』みたいな感じで、U―22組の一人が、手を上げる。
「それ、なんですか?」
「お題箱」
「お題箱?」
「これから、説明するし」
飯与宗次が思い付いたのが、これだった。
題して、《お題作戦》。(そのまんまやけど)
各チームに、棒を引いてもらう。
棒の先には、ある言葉を書いた、紙が貼ってある。
その棒を引いたチームは、その言葉に添って、句を詠まなければならない。
紙帯の流れを、次に繋げる句を読まなければならない。
まずPSTから、棒を引く。
PSTのリーダー(二番目に年長の人間)が引く。
説明を受けて、一応納得したものの、なんか釈然としない表情で引く。
出て来た言葉は、《お米》。
次に、SCTが、棒を引く。
SCTのリーダー(二番目に年長の人間)が引く。
説明を受けて、一応納得したものの、こっちも、なんか釈然としない表情で引く。
出て来た言葉は、《お豆腐》。
『むちゃ振りだ』
その場に居た古田は、思う。
丹念和尚と天念は、檀家のところへ行っているが、二人が居ても、そう思うに違いない。
ああ、でも、案外、『sさもありなん』『そうですか』とかなるかも。
PSTとSCTのメンバー全員、『げっ』とか『ええ~』とか『マジで』とかの表情を浮かべながらも、今日の現場に向かう。
渋々と、おずおずと向かう。
一目で、嫌々とか半信半疑なのが分かる。
無理も無い。
今日も、PSTもSCTも、晴れやかな顔で帰って来る。
飯与宗次も、笑みを浮かべた顔で帰って来る。
話によると、県担当連歌ん雁チームも、最近そうらしい。
「いやー、順調です」
「はい」
「順調っす」
「はい」
「こっちも順調です」
「はい」
「いい感じっす」
「はい」
PSTのコメントも、SCTのコメントも、明るさを感じさせる。
「こっちもです」
飯与宗次のコメントも、明るさを感じさせる。
《お題作戦》を採用して以来、紙帯の停滞は、順調に解消されている。
U―22組の自由奔放と、O―23組のオーソドックスが、適度に矯正されて、ほどよくいい感じの句が詠まれるようになっている。
繋げ易い句が一度提示されるやいなや、各寺社の紙帯は、また滑らかに滑り出す。
PST、SCT、飯与宗次、県担当連歌ん雁チームの活躍もあり、県内で紙帯が止まっている寺社は、ほぼ解消されている。
後に残るは、再び止まってしまった紙帯を、再稼動させる作業だ。
これについては、今回のような意志ある悪意は感じられず、ただ単にそういう句が投稿されて、自然発生的に止まってしまったものと思われる。
PST及びSCTが、随時対処していけば、解消されるものと思われる。
飯与宗次と県担当連歌ん雁チームの活動は、一息ついたことになる。
『もうそろそろいいかな』
飯与宗次は、思う。
県担当連歌ん雁チームとは、既に話し合っている。
おそらく数日の内にでも、飯与宗次と県担当連歌ん雁チームは、この地をさる。
今日にも、丹念和尚、天念、和尚の奥さん、
古田始め、協力してくれた檀家のみなさん、
PSTとSCTのみんな、に話すつもりでいる。
連歌のレッスンも何回か行なって、『連歌や川柳、俳句や和歌に親しんでもらえるようにはなった』と思う。
心残りは、和尚の奥さんの手料理が食べられなくなることと、丹念和尚と天念のボケとツッコミが見られなくなること。
でもこれらは、後日、個人的に訪問して、楽しませてもらうことにしよう。
飯与宗次が満足気に、自分の思考にうなずいていると、出迎えてくれた天念が指を指す。
念々寺の入り口、山門の前に立つ人影に、指を指す。
「あそこになんか、いはるんですけど」
「いはりますね」
「知り合いですか?」
「いや、ローソクさんに知り合いはいません」
山門にたたすむ人影は、ローソクだった。
白のスーツジャケットをはおり、白いYシャツを着、白地のネクタイをしている。
口元と顎に髭を生やし、白縁の眼鏡を掛け、頭には白のニットキャップ。
‥ ニットキャップ?!
白のスーツスラックスを履き、白の手袋をはめ、白いステッキを地面に着けている。
ステッキから視線をズラすと、足元にひかえるは、白いスニーカー。
‥ えっ、スニーカー?!
薯蕷饅頭に抹茶シェイクの取り合わせ、チーズケーキにほうじ茶の取り合わせ、合いそうなんだけど、どこか違和感を感じる。
『なんかイーッとする』というか「どっかキショい』というか、そんな感じ。
そんな感じの服装をした人影だった。
『生クリームonソフトクリーム?』
天念は思う。
『一反もめんon雪の女王?』
飯与宗次は思う。
細長く、真っ白でスリムなローソクの如く、その人はそこにたたすんでいる。
念々寺の境内に集まっているみんなも、山門の影に気付き、徐々にザワつき出す。
「誰か、声掛けて来いよ」
「嫌っすよ」
「誰か声掛けへんと、あの人可哀想やろが。
いつまでも、あそこにいるぞ」
「じゃあ、自分が声掛けてくださいよ」
「俺は、嫌や」
「なんでですか?」
「なんか、危なそうやもん」
「なんすか、それ。
俺もっすよ」
「先輩の言うこときけや」
「こんな時だけ、年上風吹かさないでくださいよ」
などなど。
PST、SCT、飯与宗次、天念、古田のいる辺りは、各々が勝手にしゃべり出し、雑然として来る。
『しょうがないなー』
天念が、山門にたたずむローソクさんに、ひょこひょこ近付く。
「あのー、何か御用でしょうか?」
ローソクさんは、伸ばしていた背筋を、更に殊更伸ばし、質問に質問で返す。
「飯与宗次さんは、おられるかな?」
「はい」
「呼んでもらえるかな?」
「飯与さんのお知り合いで?」
「そのようなもんです」
「お名前は?」
「藤川 と言ってもらえたら、分かります」
天念は、飯与宗次のそばまで戻って来て、言う。
「呼んだはります」
「はい?」
「「飯与さんを、呼んで欲しい」って」
「あの人が?」
「はい」
「どちら様ですか?」
「「藤川 って言ってもらったら、分かる」って」
藤川の名を聞いた途端、飯与宗次の目が狭まる。
眼に、光が走る。
「分かりました」
飯与宗次は、ローソクさん ‥ 藤川に、近付く。
成り行きを見守る天念は、固唾を呑む。
PST及びSCTのみんな、古田も、状況の変化に気付き、徐々に静まり、成り行きを見つめる。
飯与宗次と藤川はお互いに気付き、互いの制空圏が触れ合う。
互いの制空圏が、触れ合ったところで、飯与宗次は立ち止まる。
「藤川さん、お久しぶりです」
「飯与くんも、元気そうで」
パチパチ
和やかな久方振りの挨拶を交わしているが、互いの触れ合っている制空圏は、火花を散らす。(散らしているに違いない)
「今日は、何用ですか?」
「大体、見当がついているんじゃないのかね?」
バチバチ
火花は大きく、強くなる。
と、緩まる。
飯与宗次が、力を抜いたらしい。
飯与宗次の制空圏が、剛性よりも柔性に富んで来る。
柔軟になる。
ポヨヨン感に包まれる。
「はあ」という感じで、飯与宗次は息を抜いて、息をついて、答える。
「はい、ついてます」
「その思っている通りだと思う」
目をやると、藤川のしているネクタイには、縦に図柄が並んでいる。
赤煉瓦の壁、andの短縮形の‘n、眠狂四郎が使う円月殺法の刀の軌跡。
《煉瓦》《‘n》《刀円月》。
「やっぱ、そういうことですか」
「いかにも」
「《連歌ん斬》ですか」
「いかにも」
『まあ、薄々は感づいていたけどもね』というなりで、飯与宗次は、藤川に対する、
藤川も『薄々は分かっていたやろ』というなりで、飯与宗次に対する。
「その連歌ん斬の藤川さんが、直々おいでになって、何用ですか?」
飯与宗次は、脱力して飄々とした体勢のまま、眼だけには力を入れ、眼を光らせて、藤川を見る。
藤川は、飯与宗次の視線を受け止める。
背筋を伸ばし、紳士か執事かと思うような姿勢を崩さず、微笑みを絶やさず、笑みを絶やさず、眼だけには力を込め、視線を受け止める。
「最近、この辺りの状況が芳しくないので、ちょっと様子見にね、
寄せてもらった」
「僕ら的には、順調なんですけど」
「利益が反する団体だから、状況の受け止め方も、自然、反対になるな」
連歌ん斬 ‥ その名の通り、連歌の繋がりを切り捨てることを目的とする団体。
その意味で、連歌ん雁、とは対極に位置する。
元々、連歌ん雁の母体となった連歌愛好団体には、二つのグループがあった。
みんな仲良く、細かいこと言わずに、連歌を楽しもうやないかグループ。
連歌をストイックに突き詰めて、高みに上ろうとするグループ。
誤解を恐れず超ザックリ例えると、佛教で言うところの、前者が大乗佛教、後者が上座部佛教、という感じ。
二グループは交流こそ無かったが、互いを排斥することは無く、それぞれの活動に関しては干渉することはなかった。
転機は、連歌ノ法だった。
連歌ノ法施行を機会として、その連歌愛好団体は、連歌ノ法が志向するところの《みんなに親しまれる連歌》の普及に、大きく舵を切った。
自然、連歌愛好団体の中心は、《みんな仲良く、細かいこと言わずに、連歌を楽しもうやないかグループ》に移って行く。
それに反発を覚えた《連歌をストイックに突き詰めて、高みに上ろうとするグループ》は、今や団体の中心となった《みんな仲良く、細かいこと言わずに、連歌を楽しもうやないかグループ》と、今後の団体の展開について、検討及び再確認する会議をもつ。
検討再確認会議とは名ばかりの、二グループ間の、条件提示→歩み寄り→妥協案提示→折衝の交渉会議だった。
結果は、決裂。
《連歌をストイックに突き詰めて、高みに上ろうとするグループ》は、団体を出て行き、同じ志を持つもの同士で集い、新しい団体を興す。
それが、連歌ん斬。
元の連歌愛好団体の方も、《みんな仲良く、細かいこと言わずに、連歌を楽しもうやないかグループ》が中心メンバーとなって、団体を刷新する。
それが、連歌ん雁。
以来、二つの団体は、交流することも無く、それぞれの道を極め続けている。
‥ はずが、ここに来て、連歌ん斬が、ちょっかいを出して来たらしい。
「目的は、何なんですか?」
「いや、最近、ちょっと調子乗り過ぎだと思うんでね」
「調子乗ってませんよ。
普通に、活動してるだけです」
「本人は、普通に活動してるだけに思ってても、
傍から見ると、調子に乗っていることはある」
「僕達は、違います」
堂々巡り。
噛み合っているようで、根本的なところが決定的に、噛み合っていない。
話し合うだけ、交渉するだけ、無駄というもの。
現に、話せば話すだけ、お互いに距離を感じる。
話せば話すだけ、お互いがファーに離れて行く。
お互いの制空圏というか雰囲気が、頑な色に染められて行く。
「みなまで言うな!」
いつの間にか近付いていた、丹念和尚が叫ぶ。
右腕を前に真っ直ぐ伸ばし、右掌を(相撲の張り手のように)二人に示し、心持ち頭を伏せて、丹念和尚は叫ぶ。
「この諍い、わしに預けてくれ」
突然の丹念和尚登場に、二人は気を殺がれて、力を抜く。
「どうするんですか?」
飯与宗次は、丹念和尚に訊く。
『ほお、なんか面白そうですね』とばかりの顔をして、藤川が展開を見守る。
「わしに、いい考えがあるんじゃ。
な、天念」
「え」
「わしの考えが分かっておるから、付いて来たんじゃろう?」
「いや、なんとなくっス」
「なんやそれ」
丹念和尚に付いて、いつの間にか、天念も来ていた。
緑Tシャツ、白スーツ、青作務衣、赤作務衣が、一同に会す。
なんてカラフルな、胡乱な雰囲気。
「お寺で、《がん(雁)》と《ざん(斬)》と言えば、ほら、天念」
「分かんないっス」
「いやいや、ウチにもお祀りしてるやろうが」
「は?」
「ほら木像で、僧侶の形をして、本名は良源じゃ」
「いや、分かんないっス」
「あ~、こやつは!」
丹念和尚は、『こいつ、密かに興奮しておるな』と冷静に思いつつも、もどかしさに地団駄を踏む。
「《がん》《ざん》(元三)大師 ‥ 別名、慈恵大師 ‥ 本名、良源」
「ああ、確かに、元三大師の木像は、有りますね」
「だから、元三大師と言えば?」
「いや、そんなムチャ振りされても」
「いや、ムチャ振りやない!
ウチの寺の僧侶なら、当然知っておくべきことや」
「分かんないっス」
丹念和尚は、気が抜ける。
天念が当寺に来てからの教育を、間違えたらしい。
続いて説明を咥える気力が失せる。
丹念和尚と天念のボケツッコミ、に見とれていた飯尾宗次が、おそるおそる手を上げる。
「僕、分かるかも、です」
「はい、飯与宗次くん」
丹念和尚に、即バツーン、と当てられる。
「元三大師と言えば、《往生要集》書かはった源信の師匠ですよね」
「うむ、よく知っておるな」
「それで、おみくじ始めた人でもありますよね」
「その通りじゃ」
『お、こいつ、分かっとんな』という満足そうな顔を、丹念和尚はする。
「だから、」
「うむ」
「この場を治める為に ‥ 白黒ハッキリつける為に、
『おみくじを使おう』ってことなんじゃないですか?」
「正解じゃ」
「それで、『いい目の出た方が、勝者になる』ということ
なんじゃないかと」
「大正解じゃ」
丹念和尚は大満足気にうなづき、『お前も見習え』とばかりに、天念を睨む。
天念は、『へいへい』とばかりに、頭をカクカクさせる。
「じゃあ、天念。
おみくじ用具一式を、取ってまいれ」
「ラジャー、です」
天念は、そそくさと、庫裡に向かう。
当事者二人を他所に、丹念和尚と天念で、物事が決められ進められて行く。
あれよあれよと、進められて行く。
「 ‥ え~と ‥ 」
飯与宗次は、口ごもり、戸惑う。
『いいんですか?』と言うように、藤川を見る。
『まあ、高みの見物で様子見しましょ。なんか不都合が生じたら、その時はその時です』と顔に書いた笑顔を、飯与宗次に向ける。
なんとも奇妙な、一体感というか連帯感というかそんなものを醸し出して、三人は天念を待つ。
「持って来ました」
使い込んだ風合いが豊かな、白木作りのおみくじ筒と、これも使い込んだ風合いが豊かな、おみくじ箋の入った木箱を、天念は持って来る。
筒は八角形で一面に黒字で《おみくじ》と書かれている。
木箱は、小さな引き出しが複数付いた、片手で持てるぐらいのもの。
丹念和尚は、おみくじ筒を縦振り、横回しして、言う。
「さあ、始めようかの」
少しニヤッとして言う。
あれは三年前、止める、あなた ‥ やなくて、一年前くらいやったかの。
丹念和尚は思い起こす。
「いかんですねー」
「いかんなー」
天念と丹念和尚は、困っていた。
浄財 ‥ まあ、ぶっちゃけて言うと、金の件で困っていた。
紙帯には、随時、句が投稿され、それに伴い、お賽銭も入っている。
檀家からのお布施も、例年と変わりなく、届けられている。
例年より大幅に落ち込んでいるのは、物品販売の分野だった。
曰く、お守りとかおみくじとか、由来書とか収蔵品の図録とか、ストラップとかステッカーとか、そんな類の物の売り上げが落ち込んでいた。
「特に、おみくじの売り上げが悪いですねー」
「おみくじかー。
原因は何じゃろうなー?」
「一つ、心当たりがあります」
「何じゃ?」
「延々寺」
「すぐ近所の」
「はい。
延々寺が、新しいおみくじを売り出したんですよ」
「ふむ」
「それが好評なんです」
「どうしてまた?」
「おみくじ箋に、延々寺の和尚が考えた、
ゆるキャラの図柄を入れたらしいんです」
「ふむ」
「それがブレイクと言うか、ネットで話題になって、
延々寺でおみくじを引くことが、流行ってしまってるんです」
「とすると、そのあおりを受けて、
ウチの寺のおみくじの売り上げが落ちてとるのか」
「ウチに使われるはずのおみくじ代が、そっくりそのまま、
延々寺に行っちゃってるんでしょうねー」
「なんじゃそりゃ」
と、丹念和尚は答えるが、自分に絵心が無い(犬の絵が牛の絵になる)のを分かっているので、「同じ手を使おう」とは、よう言わない。
天念もそこらへんは重々分かっているので、そこらへんは触れずに、対応策を考えている。
「おみくじって、みんないいこと言ってもらいたくって、
引くんですよねー」
「そうやなー。
わざわざ、嫌なことを言われる為に、凶を引き当てる為に、引くことは、
ほぼ無いやろうなー」
「ほんで、僕考えたんですけど」
「ほお」
「吉とかの数、増やしたらええんとちゃいますか?」
「ほお」
「そしたら、「あそこの寺のおみくじは、ええ目が出易い」とか言うて、
おみくじ引く人が、増えるんちゃいますか?」
「ほお。
それ、ええかも」
それから、念々寺おみくじ一大プロジェクトが始まる。
と言っても、当たりくじ(吉相当のくじ)を増やすだけだが。
「増やすだけ」と言っても、本来、その割合に妙が有るのだが。
その妙を、念々寺では、ものともしなかったが。
「おみくじ箋入れの箱の引き出し、三十二ありますから、
その半分の十六を、大吉にしましょう」
「ふむ」
「残りのそのまた半分の八つを、中吉にしましょう」
「ふむ」
「残りのそのまた半分の四つを、小吉にしましょう」
「ふむ」
「残りのそのまた半分の二つを、吉にしましょう」
「ふむ」
「残った二つの内、一つを凶に、一つを大凶にしましょう」
「ふむ。
全然、OKじゃ」
あら、あっさり。
というわけで、念々寺のおみくじ仕様は、決まった。
そのまま変わらす、現在に至る。
つまり、念々寺のおみくじは、50%の割合で大吉、25%の割合で中吉、12・5%の割合で小吉、6・25%の割合で吉、3・125%の割合で凶と大凶が出る。
以後、「念々寺のおみくじは、大吉が出やすい」と評判が広まり、お手軽に幸福を求める人々が、ちょこまかと訪れるようになる。
おかげで、念々寺の物品部門は、とりあえず一息つく。
そう、念々寺のおみくじは、フツーにしてても、大吉が出やすいのだ。
丹念和尚は、少しニヤリと微笑む。
天念に、目配せする。
気付かない。
ウィンクする。
気付く。
でも、『げー』という顔をする。
丹念和尚としては、『グフフ、頼むぞ天念』の意を含んだ視線を飛ばしたつもりだったが、どうやら誤解されたらしい。
「いや、違うんじゃ」
と言うわけにもいかず、丹念和尚は、視線を切る。
おみくじ筒を、改めて振る。
「さあ、始めるぞ」
「ちょっと、待ってください」
そこに、非常に礼儀正しい《ちょっと待ったコール》がかかる。
コールの発信者 ‥ 飯与宗次は言う。
「僕も、そこに居る藤川さんも、おみくじで白黒付けることに、
まだ同意してないんですが」
丹念和尚は、『そうじゃったかの』の顔で、とぼける。
天念は、『え、今さらですか』の顔で、とぼける。
飯与宗次は、二人の《なし崩し的規定路線化》に、抵抗して言う。
「はい、してません。
当事者は、僕と藤川さんなので、二人の意見が最重要だと思います。
二人の意見を聞いてください」
『お前の為を思って、ウチのおみくじで、カタをつけようとしてやってるのに』の雰囲気を滲み出して、丹念和尚は、渋々うなづく。
「ほな、そこな藤川さんに聞く。
おみくじで、この場を治めるのはどう ‥ 」
「いいですよ」
はやっ!
藤川は、即断即決で返答する。
あまりにもハイスピードの返答に、丹念和尚も天念も、呆気に取られる。
飯与宗次も驚く。
「いいんですか?」
「いい。
何かしらの手段を用いて、
『この状況に、解決策を見出さなければいけない』と思っていた」
「何か考えたはったんと、違うんですか?」
「幾つかの手段は想定していたが、どれにするかは、まだ決めかねていた。
そこに、ちょうどいい提案を受けたので、それを受けた」
「にしても、早過ぎません?」
「早くない。
私としては、ずっと考えていたことが、ここに結実しただけだ。
何か、君は、カタチだけでももう少し思い悩んだフリして、
返答しろというのか?
君は、何も考えていなかったのか?
そうなのか?」
飯与宗次は、「あ、そんなことないです。僕も少しは考えていました」とニコやかに言いながらも、辟易する。
『あ、この人、めんどくさいかも』
飯与宗次は、藤川に対するポジション取りを、少し改める。
プチめんどくさい人に向けた、対応方法に改める。
「じゃあ、僕も異存無いです。
じゃあ、それで」
「うむうむ」
丹念和尚は、そりゃもう満足ぞうに微笑むと、再び、おみくじ筒を振り始める。
「ほなここは、年の順ということで、年上らしきそちらから、どうぞじゃ」
丹念和尚が、おみくじ筒を渡す。
藤川は、おみくじ筒を即引っくり、番号札を出す。
ほぼ、1Stepアクション。
迷いが無い。
『ちょっとぐらいタメるとか、勿体つけてくれても』
丹念和尚は、そう思いつつも、天念に数字を告げる。
「十二番」
「はい」
天念は、おみくじ箋箱の、十二番の引き出しを引き出す。
おみくじ箋を取り出して、『おっ』という顔をしながら、丹念和尚に渡す。
丹念和尚も『おっ』という顔をして、おみくじ箋を読み上げる。
「大吉、じゃ」
「おー」
感心の声を漏らしたのは、飯与宗次。
藤川は、ニコリともせず、『さもありなん』とばかりにポーカーフェイス。
「ほな次、飯与くん」
「はい」
飯与宗次が振る、引っくり返す、番号札が出る。
「二十四番」
「はい」
天念が、おみくじ箋箱の、二十四番の引き出しを引き出す。
おみくじ箋を取り出して、『ほっ』という顔をしながら、丹念和尚に渡す。
丹念和尚も『ほっ』という顔をして、おみくじ箋を読み上げる。
「大吉、じゃ」
藤川は、『これぐらいは、食い下がってもらわないと、張り合いがありませんね』の顔を浮かべる。
「一回目は、ドロー、じゃな」
丹念和尚は、重々しく裁定する。
「ほな、二回目、行くぞ」
丹念和尚が、おみくじ筒を振る。
丹念和尚は、丹念に振る。
藤川に、おみくじ筒を渡す。
藤川は、おみくじ筒を振る、引っくり返す、番号札が出る。
「六番」
「はい」
天念が、おみくじ箋箱の、六の引き出しを引き出す。
おみくじ箋を取り出して、密かに『おしっ』という顔をしながら、丹念和尚に渡す。
丹念和尚も、密かに『よしっ』という顔をして、おみくじ箋を読み上げる。
「吉、じゃ」
今度は、声も漏らさず、微妙な顔をして、飯与宗次は佇む。
当の藤川は、相も変わらず、ポーカーフェイス。
丹念和尚が、飯与宗次に、おみくじ筒を渡す。
飯与宗次は、おみくじ筒を振る、引っくり返す、番号札が出る。
「十八番」
「はい」
天念が、おみくじ箋箱の、十八の引き出しを引き出す。
おみくじ箋を取り出して、おおっぴらに『よっしゃあ』という顔をしながら、丹念和尚に渡す。
丹念和尚も、おおっぴらに『おしっ』という顔をして、おみくじ箋を読み上げる。
「中吉、じゃ」
丹念和尚は、見回す。
飯与宗次、藤川、天念の顔を、順に見つめる。
後ろに控える、PST&SCT(古田含む)の方も見る。
「これで、決まりじゃな。
飯与くんの勝ち、じゃ」
丹念和尚が宣言し、その場の一同から、声が上がりかける。
「ちょっと待ってください」
藤川が、右手を挙げ、左腕を背中にまわし腰に当て、背筋をピンと伸ばして言う。
非常に礼儀正しい《ちょっと待ったコール》が、かかる。
「私の記憶では、吉は中吉よりも、優越するはずですが」
天念と飯与宗次、PST&SCT(古田含む)の一同は、一斉に『へっ』という顔をする。
場の雰囲気が、『へっ』の不可思議な空気に囚われる。
が、丹念和尚ひとり、『しまったあ』の顔をして、狼狽する。
確かに一般的には、おみくじの良い順番は、
大吉 → 中吉 → 小吉 → 吉 → 凶 → 大凶
とされている。
しかし、地域によって、同じ地域であっても神社仏閣によって、その順番が異なることがある。
例を挙げるなら、
大吉 → 吉 → 中吉 → 小吉 → 凶 → 大凶
が、よく知られているところ。
他にも、『大吉が最高で、大凶が最悪』というのは同じだが、順番のバリエーションは多々ある。
曰く、おみくじの吉凶の順番は、一定でないということ。
痛いところを突かれ、丹念和尚は、あからさまにうろたえる。
「それはそうじゃが、一般的には ‥ 」
「立場や環境によってルールが異なるなら、ゲームを始める前に、
お互いのルールを擦り合わせて、お互い納得したルールの下、
ゲームを開始するべきではないですか?
しかも今回は、勝ち負けを決めるんですから、
より厳格に規定すべきではないですか?」
「 ‥ その通りです、ハイ ‥ 」
丹念和尚は、至極尤もな指摘を、藤川から受ける。
受けて、口ごもって、黙り込む。
飯与宗次も天念も、藤川の言い分に『そういや、その通りやな』と納得する。
『中途半端に進めた、和尚さんの落ち度でしょ』とも、正直思う。
でも、このままでは、あまりに丹念和尚が可哀想で、話も先にい進まないので、飯与宗次は、助け舟を出そうとする。
そこに、一陣の桃。
吹き抜ける桃風。
奔るピンク。
丹念和尚の奥さんは、四人のところへ、サーーーと近付く。
藤川と丹念和尚の前に立ち、言う。
「そんなん、どっちでもええやん」
ちゃぶ台を返す。
土台から話を、引っくり返す。
「そんなん、どっちがどうでもええんとちゃいますか?
お互いのメンツに、連歌を引きずり込んで、
ああだこうだ言って動いてるけど、
一番大事にしなあかんのは、最も考えなあかんのは、
ええ連歌や句を詠むことちゃいますか?
そこらへんおろそかにしてたら、本末転倒、枝葉末節重視、
手段の目的化ちゃいます?」
「「「「 ‥ 」」」」
四人、何も言えず。
丹念和尚の奥さんは、続ける。
「そら、お互いの立場とか既得権益とか考えとか、あらはるやろうけど、
『連歌を真摯に詠む』ということは、忘れたらあかんと、私は思います。
それは、飯与さん、そこの人始め、みなさん同意されるはずです。
なら、ヘンな諍いはやめて、お互いに協調して妥協して、
連歌の道を進むべきやないですか?」
「「「「 ‥ 」」」」
『はい、尤もです』
四人は、口を開かずのままだったが、思っていることは、ビシバシと空気中に漂う。
藤川も、ポーカーフェイスが、ババ抜きフェイスぐらいになっている。
地味に、精神的ダメージを受けているらしい。
飯与宗次は、唇を噛むような悔しいフェイスを浮かべている。
丹念和尚と天念は、“しょぼーん”と音が聞こえそうなくらい、しおれている。
場の不雰囲気が落ち込み、『こりゃ、そうおいそれとは回復できひんぞ』と、各々が認識し始める。
その刹那、丹念和尚の奥さんは、取り出す。
棒のささった、アルミでできたゴミ箱を取り出す。
「建設的に前向きに、物事に臨んで行きましょう。
同じ連歌を愛好する者として、仲良くしましょう。
仲直りの印として、二人で、ウチの紙帯の次の句と、次の次の句を、
考えてください。
でも、自由にしたら、それこそヘンないじわる、とかしそうやから、
お題を設けます。
はい、飯与さんから」
有無を言わせず、丹念和尚の奥さんは、飯与宗次の前に、ゴミ箱を置く。
飯与宗次は、促されるがまま ‥ いや、意志を持って流されているように見えるがまま、棒を引く。
「狐、です」
「どうぞ」
妙なる風を 受けて味わう
紙帯の現時点の最後の句は、このように七七で終わっている。
次に繋ぐ句は、五七五だった。
飯与宗次は、一瞬、中空に見上げた後、サラサラと詠む。
毛で受けて 毛で味わって 狐立ち
いつの間にやら近付いて来ていた古田が、すかさずメモに書き付ける。
見れば、PSTとSCTも来ている。
古田とPSTとSCTの面々は、天念から、状況を聞いているところだったらしい。
その途中で、古田はすかさず、メモを取り出したらしい。
天念とPSTとSCTのみんなは、「「「「おーっ」」」」と感心する。
「では次に、そこの人」
丹念和尚の奥さんは、藤川の前に、ゴミ箱を置く。
藤川も、『しょうがありませんね』という顔を浮かべながら、棒を引く。
「梅、です」
「どうぞ」
藤川は、躊躇なくスラスラと詠む。
東風吹かば 匂ひおこすは 梅ならん
ここに来てもか。
ここまで来てもか。
《本歌取り》の《ん止め》。
しかも、五七五.
七七の筈なのに。
藤川定観!
この期に及んで、まだそんなことするか。
まだ、足掻くか。
飯与宗次の射すくめる視線を巧みにズラし、藤川は、相も変わらない表情と姿勢で佇む。。
『こりゃダメだ』
丹念和尚が肩を竦め、天念もそれに追随する。
古田は、溜めに溜めた、溜め息をつく。
丹念和尚の奥さんも、藤川が『ここまで意固地』とは思っていなかったらしく、明らかに次の手を打ちかねている。
「はい」
PSTから、手が上がる。
PSTの一番年少者が、手を上げている。
そういえば、さっきから、PSTみんなで、何やら話し合っていた。
それが、まとまったのだろう。
「はい、どうぞ」
気概を殺がれた飯与宗次は、いい具合に力の抜けた、いつもの表情を取り戻す。
いつも通り、手を上げたPSTメンバーを当てる。
風は吹き撫で 狐と梅を
繋いだ。
PSTは、繋いだ。
五七五と五七五、断絶していた二つの句を、繋いだ。
「はい」
今度は、SCTから、手が上がる。
SCTの一番年長者が、手を上げている。
そういえば、さっきから、SCTもみんなで、何やら話し合っていた。
それが、まとまったのだろう
「はい、どうぞ」
飯与宗次が、一転、ニコニコしながら当てる。
手を上げたSCTメンバーを、当てる
匂い味わい 記憶のしおり
繋げた。
SCTも、繋げた。
五七五の句に七七の句を重ねて、次に繋げた。
『『『『『『ほう』』』』』』
飯与宗次。
丹念和尚。
天念。
丹念和尚の奥さん。
古田。
そして、藤川定観。
PSTとSCTを除く、その場にいた人間がすべて、この形に口をすぼめる。
そして、口に出さずとも思う。
『『してやったり』』
丹念和尚、天念は、『『よしっ』』とばかりにニヤける。
『よくやった』
古田は、『よしよし』とばかりに、顔を綻ばす。
『よくやりました』
丹念和尚の奥さんは、『あらあら』とばかりに、微笑む。
飯与宗次も、『どうですか?』とばかりに、藤川定観に笑みを投げ掛ける。
藤川定観は、飯予宗次の視線を捕らえると、フッと息を抜く。
藤川定観は、『わかったよ』とばかりに、背筋を少し丸め、両手を少し上げる。
藤川定観は、言う。
「どうやら、この辺りに関しては、大丈夫そうですね。
ここの県については、当分、様子を見ることにしましょう」
一同が、安堵感と厳しさと親近感の微妙に入り混じった眼差しを、藤川定観に向ける。
藤川は、見つめる。
順に、見つめる。
PSTのO―23の、年長者。
PSTのO―23の、年少者。
PSTのU―22の、年長者。
PSTのU―22の、年少者。
SCTのO―23の、年長者。
SCTのO―23の、年少者。
SCTのU―22の、年長者。
SCTのU―22の、年少者。
全員を見つめ終えると、息を抜いてつぶやく。
「グッジョブ、です」
そのまま踵を返して、山門を抜ける。
念々寺を、立ち去る。
風のように、去りゆく。
丹念和尚、天念、丹念和尚の奥さん、古田、PSTメンバー、SCTメンバーなど、その場にいた全員が、飯与宗次を見る。
『どうなってるんですか?』と問い掛けるように、見る。
飯与宗次は、答える。
「ま、解決、ってことですね」
飯与宗次は、前句に続けて、書き込む。
スカイブルーの紙帯に、書き込む。
(前句) 妙なる風を 受けて味わう
毛で受けて 毛で味わって 狐立ち
風は吹き撫で 狐と梅を
東風吹かば 匂ひおこすは 梅ならん
匂い味わい 記憶のしおり
ちょっと歪な感じもするが、まあいい流れであることには違いない。
いい句達であることには、違いない。
飯与宗次は書き終えると、署名を入れる。
自分以外の句にも、代理で署名を入れる。
飯与宗次。
PSTチーム。
藤川定観。
SCTチーム。
飯与宗次は、書き終えると、キャラクターの付いたボールペンを、尻ポケットに仕舞う。
仕舞うと、リュックを担ぎ上げる。
フォレストグリーンのTシャツの前面に、リュックのベルトが掛かる。
《煉瓦》《‘n》《銃》に、掛かる。
「もう、行くのかの?」
丹念和尚が、尋ねる。
「はい。
この辺とかこの県とか、当分大丈夫そうなんで、引き上げます。
連歌ん雁の県担当チームも引き上げます」
「寂しくなるの」
「すいません。
担当チームは、他の県行かなきゃいけないし、
僕も、他のとこから要請を受けてるんです」
「そうか ‥ 」
「本音は、もうちょっとゆっくりしたいんですけどね。
遊撃隊なんで、そうも言ってられないんです」
「もう来ないんスか?」
「もう来ないの?」
「もう来られないんですか?」
天念と、丹念和尚の奥さんと、古田の問い掛けが、カブる。
天念と古田の後ろには、PSTとSCTの八人が、真摯な目で控える。
ターコイズブルー×4。
セルリアンブルー×4。
レモンイエロー。
ショッキングピンク。
ヴァージンレッド。
そして、スカイブルー。
集まってくれたみんなを見回し、飯与宗次は言う。
「また、来ますよ。
だって ‥ 」
『『『『『『『『『『『『ん?』』』』』』』』』』』』
「グリーンがいないと、ネンネンジャーは決まりませんからね」
「しかりじゃ」
「そうっスよ」
「あらあら」
「そうです」
「「「「「「「「はい!」」」」」」」
ブルー九人と、レッド一人、イエロー一人、ピンク一人は、言うやいなや、ユルい円陣を組む。
まるで景色は、円陣レインボー。
円陣の中で、何やらヒソヒソ相談をする。
飯与宗次は、一人ポツンと、ほったらかし状態にされる。
『まあ、すぐ済むやろ』と、飯与宗次は、のんびり話がまとまるのを待つ。
話が、まとまったらしい。
全員が、飯与宗次の方に、向き直る。
「じゃあ、今度来た時、わしは、餅巾着を用意する」
「僕は、奥さんに習って、飛竜頭にチャレンジします」
「あらあら」
「私は、慣れ親しんでいる衣笠丼を」
「「「「「「「「僕達は、いなり寿司で」」」」」」」」
飯与宗次は、怪訝な顔をする。
その顔のまま、目を中空に飛ばして、一瞬、考え込む。
思い付いたらしい。
目を輝かすと、ピンと伸ばした右手の人差し指と中指二本で、一同を指す。
そして、『分かりました』とばかりに言う。
「狐だけに?」
みんな、答える。
「「「「「「「「「「「「狐だけに!」」」」」」」」」」」」
一面の笑み。
「では、ありがとう御座いました。
お元気で」
飯与宗次は、クルッと背中を向けると、スタスタと歩き出す。
五、六歩ぐらい進んだところで、歩みを止める。
その体勢のまま、左腕をピンと伸ばし、高々と突き上げる。
そして、左手の親指を、ピンと差し上げる。
ありがとう、さようなら、サムズアップ。
{了}