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君と英雄ポロネーズ  作者: 裏耕記
第一章 始まりの春
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6th Mov. 緊張と興奮

 発表会当日。僕はアラームが鳴る前に目が覚めた。予定より一時間は早い。

 僕が緊張したって仕方ないのになぁと思わずにはいられない。


 まるで入試の当日みたいだ。今の高校だって無理なく入れるってレベルの高校だったのに、あれだけ緊張したもんな。自分が出演しない発表会で緊張っていうのも、僕らしいといえば僕らしい。


 何となく落ち着かなくて、朝ごはんもそこそこに、普段浴びない朝シャワーを浴びて、髪を乾かす。普段は降ろしている前髪を立ち上がるようにブローしてみる。なんか、こういう場って髪型もキッチリしないといけない気がする。


 今日着ていく白Tシャツに袖を通し、髪をグリースを混ぜたワックスで整える。


 ……どうしよう。準備が終わってしまった。

 ここまで準備を終えて、もう出掛けられる状況になった。なのに、時計を見れば、やっと起きる時間になったところだ。明らかに時間が余っている。


 中野や神田さんとの待ち合わせは、伏見さんの出番の三十分くらい前の11時半。

 前の出演者の人たち次第で時間が前後することがあるから、余裕をもって見に行くことになっている。発表会自体は朝9時から始まっていて、伏見さんの出番はお昼を過ぎるくらいの40番目。発表会を締めくくる最後の演奏者さんなのである。


 彼女には、お母さんが経営しているピアノ教室側の出演者という意味合いもあって、頑張って練習するとここまで弾けるよっていう目安とアピールの役割を持っているそうだ。そのため、伏見さんは恥ずかしい演奏は出来ないんだって張り切っていた。勉強そっちのけで練習に取り組んでいたのは、そういう事情が影響していたようだ。



 それはそれとして、問題は時間の潰し方。着替えも終わったし、ベッドでゴロゴロも出来ない。腰を掛けてスマホをいじるが集中できなくてゲームも捗らない。画面をスワイプして時間を見ても、まだ9時過ぎ。


 ――――ちょうど発表会が始まった頃か。


 時間の潰し方に悩んでみたが、この緊張感では何をしていても落ち着かない。ならば、いっそのこと発表会を見に行ってしまえばと思い至る。

 会場自体は発表会が始まっているから入場できるし、演奏者さんの入れ替わりのタイミングならホールを出入りしても構わないらしい。それなら、中野たちとの待ち合わせ時間前に抜け出せば問題ないし、大丈夫だろう。


 買ったばかりの黒いジャケットの襟を摘むと、ゆっくりと袖を通し、家を出た。スマホに定期、念のため財布を持って、いつもの道順を歩く。いつも通りの行動のお陰か、すこし落ち着いてきた。


 最寄りの立川駅まで見慣れた光景が続く。高校に入学してからの二か月間、ほぼ毎日見てきた光景。

 すでに特段意識もしなくなった景色だったが駅に近づくと気になってしまう看板。


 とてもファンシーなデザインの看板には『うさぎピアノ教室 立川校』と、これもまた可愛らしいフォントで描かれている。気になる理由はデザインという訳じゃない。デザインも気にならなくはないが、もっと根本的な理由。それは、伏見さんのお母さんが経営しているピアノ教室だからだ。


 ファンシーな看板に反して、伏見さんのお母さんは意外とやり手のようで、これから行く八王子駅にも教室を持っているそうだ。二つ合わせて生徒数が百人を軽く超えるというのだから、侮れない。

 伏見さん自身は大したことはないと、メトロノームのように手を振っていたが、神田さん曰く、大したものらしい。


 普通、ピアノ教室というのは大手と町の教室に分かれるとのこと。町の教室の多くは自宅の一室を使用した先生一人のパターン。だけど伏見さんのお母さんは、自分で教えつつも、ほかの先生を雇っているそうだ。それだけでなく、駅チカにテナントを借りて大手としのぎを削りながら、二教室も経営している。中々出来ることではないそうだ。


 だから発表会も二教室合同で開催するため、会場は立派なところになる。

 これから行く八王子市のかえでホールという所は市営の施設らしく設備が整っている。その中の観客席が300席近くもあるホールでやるらしい。


 発表会に出るのは強制ではないらしく、今回の演奏者は四十人。これでも今回の発表会にでる生徒さんは少ない回らしい。改めて考えてみても凄いな。伏見さんのお母さん。

 そう思わずにはいられないんだけど、普段の伏見さんを見ていると、どんな人か想像つかない。


 切れ者な感じの伏見さん? うーん、イメージがわかないな。もしかしたら、伏見さんはお父さん似なのかもしれない。


 ※


 八王子駅に着いて、駅に置いている自転車をピックアップしに行く。かえでホールは、駅から歩くには少し距離がある。けど、自転車なら五分程度。今の時間なら10時過ぎには着きそうだ。


 かえでホールに着いて、中に入ると目指すべきホールへの案内板が目に入った。それに従い、奥へと進むと折り畳みテーブルに張られた受付の文字。

 伏見さんから渡されていたチケットを渡して、プログラムを受け取る。ホールの重厚な扉の前に行くと、発表会の主催者である『うさぎピアノ教室』のスタッフさんらしき人が扉の前で待機している。スタッフさんと目が合うと、今は演奏中なのでお待ちくださいと告げられた。


 僕は言葉に従い、扉の前で待機しつつ、先ほど貰ったプログラムに目を通す。

 当然のように知らない人たちの名前が続き、聞いたことがあるような曲名が目が滑る。


 そうやって流し見をしていたプログラム。最後に至ると僕の心臓が跳ねた。

 そこに書かれていたのは『NO.40 伏見 紬 F.ショパン Op(オーパス).53 英雄ポロネーズ 』という文言。音楽に疎い僕でも分かるショパンという文字。


 伏見さんが三歳のころから始めたピアノ。短い学校生活でも理解できるほど必死にピアノに取り組んでいる彼女。年齢からするとキャリア十二年。


 その彼女が仕上げたショパン。僕と同じ高校生が人生のほとんどを費やして磨き上げた技術。そういう風に一つの物事に突き詰めていくと、一体どこまで高みに登れるのだろうか。


 僕には無い。彼女のような人生の濃さが。

 彼女にはある。積み重ねてきた道筋が。


 ふいに眩く感じた彼女の人生。

 日頃見せる柔らかな印象とは別の彼女。


 ここに来るまで僕の胸を占めていた緊張感は、いつの間にやら消え去っていた。そして、残っていたのは興奮だったんだ。

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