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君と英雄ポロネーズ  作者: 裏耕記
第三章 夏の記憶
49/50

49th Mov. 今までとこれから

 既に部屋の一部となっている電子ピアノの鍵盤を押す。

 だけど、いつもの綺麗な音は出ず、カタンカタンという音しか出ない。


 電源の入っていない電子ピアノはピアノでもなくて、その鍵盤は鍵盤の役割を果たせていない。


 まるで今の僕みたい。

 ピアノは弾けるけどピアニストというには程遠くて、鍵盤は押せるけど人の心を動かせるほどの腕前じゃない。


 僕は何者でもなくて、何者にもなれなさそう。

 今も、これからも。


 ※


 気持ちというものは、本人にもどうにもならない。自分の中で結論を出したと思い込んでも、質の悪い風邪のようにぶり返すらしい。


 彼女のようになりたくて。

 彼女の側に立ちたくて。


 そんな不純な気持ちで始めたピアノ。

 習い始めてからは、その気持ちが少し変化したけれど、それでも根っこの部分は変わらない。


 ある意味では強くなった気がする。彼女を知れば知るほど。

 そして彼女と時間を過ごせば過ごすほどに。


 だけどその理由を伝える気にはなれない。

 今はまだ隣にすら立てていないから。


 それが一番の理解者である彼女にすら説明できない理由。そして、この葛藤は誰にも伝えられず、僕の胸の中で燻っている。


 僕の気持ちを理解してくれる大切な人には、理由が伝えられなくて。

 理由を話せる友人は、僕の境遇とは別の立ち位置にいる。


 結局は僕自身が消化するしかないのだけれども、未だにそれが出来ていない。

 だから苦しい。


 本当はショパンを弾きたい。

 彼女が好きなショパン。あの演奏と同じショパンの曲を弾いて、君の心を震わせたい。


 僕が君の演奏で心が震えたように。

 君と同じ世界の端っこに辿り着けたと伝えたい。


 演奏で伝えたいけど、僕に出来ない。だから僕はブルグミュラーを選ぶしかない。

 そう分かっているはずなのに。


 分かってる。分かってるよ。失敗するのは怖いけど、ショパンを弾いて彼女の心を震わせたいんだ。良いじゃないか、それくらい夢を見たって。


 自分への弁明と抗弁。


 ピアノを始めるまでの人生では、自分に期待することなんて無かった。ほどほどに頑張って、良くも悪くも目立たないようにする日々。それを急に変えたって戸惑うのは当然だろう。僕自身、成功しているイメージが湧かないんだから。


 不相応な望みを抱いたからいけないのか、頑張らない人生を過ごしてきたことがいけないのか。どっちも正しい気がして、そうでないはずと思いたい気持ちがある。


 明るい未来を想像できず、後悔している自分のイメージばかりが頭をよぎる。

 どんな選択をしても上手くいく気がしなくて、どんな選択も選べない。


 選ぶ道の正解が見えず、選択しなければならない不安。

 進む道のゴールに、いつ辿り着けるのかという不安。

 決めてしまったら戻れないかもしれないという不安。


 不安の種を探せばキリがない。


 こういう時、みんなはどういう風に乗り越えているんだろうか。


 中野は、上手くいくか分からないと理解しながら、神田さんをデートに誘った。

 断られたら気まずかっただろうに。ダメだったとしても、今まで通りの仲良しグループの雰囲気を壊さないと心に決めて勇気を出したそうだ。


 本当に勇気がある奴だよな、中野って。思い返せば、紬や神田さんと仲良くなったのも、中野が勇気を出して行動してくれたからだった。充実した高校生活は、すべて中野の勇気のお陰だった。


 あいつの勇気の十分の一でも僕にあったら、ここまで不安にならずに済むかもしれないのに。


 ――――いや、違う。


 夏休み前に誘ってデートの日になるまで、あからさまに態度に出るほど緊張していた。話し方はぎこちなかったし、笑顔も引き攣っていたように思う。


 中野は、不安でもちゃんと決めて行動しただけなんだ。

 初デートまでの一週間ほどは心底不安だったに違いない。それでも周りに気を遣わせないように、いつも通りの対応を心掛けていたんだろう。自分だってきついはずなのに、周りのことを気にすることが出来る中野は大人だ。



 紬だってそうだ。幼稚園の頃から頑張ってきたピアノ。

 プロになりたくて頑張っていたけど、自分に才能が無いことを突き付けられて。

 それでも諦めずに頑張ったけど、音大付属高校の受験にも失敗してしまった。


 だからといって、周囲に当たり散らしたり、同情を買うようなことはせず、自分で受け止めていた。ふと思い出して、気分が落ち込むことがあっただろうに。それでも、明るい笑顔を振りまき、周りにいる人に元気を与えていたんだ。


 失敗したって立ち上がって歩いた。歩き続けた。

 それがあの発表会につながって、ピアノの先生という道につながった。

 彼女が歩み続けたからこそ見つけられた道だ。


 当初望んだ道じゃないかもしれないけど、今の彼女は幸せそうにしている。

 きっと、挫けず歩み続けた彼女へのご褒美なんだろう。そう思ってしまう。



 僕はどうだ?

 中野みたいに決める勇気も無くて、紬みたいに歩み続ける根気も無い。


 ――――違う。そうじゃない。そうじゃないだろ。


 そんな風に自分に無いものを探している暇なんて無いじゃないか。

 僕にはピアノに向き合える時間は少ないんだから。


 ピアノの表現力を高めたいなら、寝る間も惜しんでピアノを弾かなきゃ。

 悩むなら手を動かせ! 不安なら練習しろ! 


 やるだけやって失敗したらそれで良いじゃないか。

 紬や中野たちは失敗しても変わらずに接してくれるよ。


 だったら何を怖がる必要がある? 格好悪い自分なんて、昔っからなんだし。

 何より、失敗して格好悪くても笑う人はいない。


 大丈夫。絶対大丈夫。

 だったらやることは一つ。

 ガンガン弾き込んで、自分なりの演奏をする。


 何を弾くかじゃない。どう弾くか。

 とにかくそれだけを考えてやってみよう。



 そう決めたら、今まで悩んでいたことが砂粒のように小さく感じられて、ピアノに向かい合うことが楽しくなっていた。


 ※


 それからというもの、ピアノに没頭する生活は日々を加速させた。

 過ぎ去る時間。高まる完成度。

 楽譜通りの演奏を超えた先が見えた気がする。


 そう思える頃には、僕は高校二年生になっていて、発表会が目前となっていた。

 去年、僕の人生を変えた発表会の季節が、またやって来ていた。

第五章 進み直した冬了

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