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君と英雄ポロネーズ  作者: 裏耕記
第一章 始まりの春
10/50

10th Mov. 非日常と日常

 彼女の演奏が終わった。

 会場では、彼女の圧倒的な演奏の余韻を味わうように、静かな時間が流れる。


 その静寂を破るように、神田さんの拍手の音が鳴り響くと、会場からも地響きのような歓声とともに拍手が鳴り響く。会場が一体化したように大きな音となり、叩き続けられる観客たちの手のひら。


 彼女は、その賞賛を一身に浴び、天を仰ぐ。


 やがて、スッと立ち上がると観客席の方に身体を向ける。あれほど鳴り響いていた拍手は、彼女の動きに魅入られるように静まっていく。


 普段と違って自信に溢れた立ち姿。彼女の瞳は遥か遠くを見定めている。

 一挙手一投足。誰もが皆、彼女から目を離せない。


 飲み込む唾の音さえはばかられる静寂。

 その静寂は、彼女のお辞儀によって破られた。


 反射的に立ち上がり、動いてしまう両手。

 再開される拍手。先ほどよりも、強く大きく鳴り響く。


 舞台からこちらに振られる手。いつもの伏見さんの笑顔。

 そこへ駆け寄った神田さんと中野。


 神田さんから大きな花束を受け取り、顔をくしゃくしゃにしている彼女。


 それを少し離れた座席から眺めている僕。



 ※



「いや~、凄かったわ。鳥肌モノだね、ありゃあ」

「私は、毎年聞いているけど、今年は気持ちの入り方が違ったと思う。やっぱり本気だったみたい」


「本気って、あれで本気でなけりゃ何だってんだ? つうか、あのレベルで音大付属に落ちるって、ピアノの世界ってどうなってんの?」

「今日のは特に神がかってたっていうのもあるけどね。ピアノで生きていくって大変なのよ」


「確かにプロのピアニストなんて、数人しか知らないしな。音大生だって毎年数千人は卒業していっているんだろう。諦める人がいたとしても、プロで生きていく人だって沢山いるだろうに」

「プロなんて本当に一握り中の一握り。お母さん先生だって、音大卒業してるし」


「伏見さんのお母さんだろ? 二教室も経営しているなんて凄いよな」

「私が通いだした頃は、まだ一つだけだったけどね。どんどん生徒さん増やして大きくなっていったの。それに合わせるように、紬もどんどんピアノにのめり込んでいったのよ」


「その成果がアレかぁ。もうあそこまで行ったら一芸ってやつだろ。音大なんか行けなくたって」

「その世界には不必要に見えて必要なこともあるの。その辺りのこと、不用意に発言しないでね」


「了解。俺は大丈夫だと思うけど、そっちの奴はダメかもしれないぞ。今のうちに再起動させて、念押ししておかないと」

「うん、そうね。中野、任せた」


「……おーい、野田。聞いてるか?」


 おもむろに立ち上がった中野は、僕の正面に立ち、肩を揺する。


「う、うん。大丈夫」

「本当かぁ? 伏見さんの演奏を聴いてからは、心ここにあらずって感じだったぞ」


「大丈夫だよ。僕も受験のことには触れないって。そんな些細なことより、あの演奏が素晴らしくて。同い年の子が、あんなに凄いこと出来るんだね」

「褒めてるのは分かるから、あまり言いたくないんだけどさ、他人にとって些細なことでも、悩んでいる本人からしたら重要なことってあるからね。うっかりでも触れないであげて」


「うん」


 僕らは発表会のあと、お疲れ様会をするために伏見さんが出てくるのを待っていた。

 神田さんは普段着に着替えていて、一緒にかえでホールのロビーにいる。パンツルックでさっぱりした印象の神田さん。学校とは全然印象が違う。


 伏見さんは、他の演奏者さんたちと集合写真を撮ったり、生徒さんの親御さんたちに囲まれて、賞賛や質問攻めを受けている。少し対応したら、着替えて出てきてくれることになっているんだけど、まだまだ時間がかかるかもしれない。


 ホールから出てくる親御さんたちは、誰もが皆、伏見さんの演奏を褒め称えていた。まだまだあの演奏を聴いた興奮が冷めやらぬといったところ。かく言う僕も同じだから良く分かる。演奏している光景が頭を離れず、彼女の『英雄ポロネーズ』が何度もリフレインしている。


 元々、中野たちの話を聞いていないんじゃなくて、あの光景を忘れないように思い返しているに過ぎない。


 今までの僕の生き方では、出会わなかったであろう経験。

 中野が強引にでも神田さんに話しかけなければ、知ることすらなかった彼女の凄さ。

 それこそ、彼女が音大付属の高校に受かっていたら、僕は今日というこの日を迎えることはなかった。


「ごめーん! お待たせしました~」

「ちょっ、ちょっと! 紬! 鞄から何かはみ出てるよ!」


 ガラガラとキャリーケースを片手に、大きな花束をもう一方の手で抱えた彼女が小走りに駆け寄ってきた。さっそく、面倒見の良いお姉さんの雰囲気に変わる神田さん。当の伏見さんは、演奏中の面影はどこへやら。いつもの見慣れた柔らかな雰囲気に戻っていた。少しドジなところも変わらない。


 さっきまでの演奏会が嘘だったかのように。

 今までの日常が、今までのように動き出す。


 でも、間違いなく言えること。

 今日の伏見さんの演奏は、会場にいた人たちの心を揺り動かし、衝撃を与えた。

 高校一年生の女の子が数百人の人たちの心を動かしたんだ。


 その中には、同い年のはずの僕もいた。

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