幻覚コインランドリー
制服に着替え、レジに立つ。流れ作業的に客をさばく。油臭いファストフード店は、非常に日常的な光景だった。
昼飯時のピークが過ぎ去り、やがて暇な時間が生まれた。
暇なので休んでます、というわけにもいかないので、レジでぼうっとしていると、バイト仲間のアキラが側に寄ってきた。
「ソラくん、調子どぉ?」と、間延びした口調で喋る。
「なにがですか?」
「妹さんのこと。落ち込んでたじゃん」
「無断欠勤、すいません」
「誰も怒ってないってぇ」
気を遣っているのか、わざと軽い調子で話しているようだ。不快感はないし、むしろ気楽でありがたい。
アキラは一つ年上の女性だ。アマチュアバンドのギタリストをしているらしい。一度、演奏している動画を見せて貰ったことがある。ジャンルはパンクロックで、彼女は悪魔めいた化粧をし、荒波のような激しさでギターを弾いていた。
鬼神を思わせる眼光におののき、彼女にはつい腰が低くなってしまう。
「ニュースにもなったんだっけぇ?」
「すぐに別の話題に持ってかれましたけどね」
「世界滅亡の?」
「くだらないデマ」
早く会話を終わらせたくて、「もう、大丈夫ですよ」と言ってしまった。
「そうなの?」と言ったアキラが、実際どう捉えたのかは分からない。
そこへ一人、中年の男が入店してきた。
いらっしゃいませー、と真面目に、アキラと声を揃えた。抜けていた気を引き締めて応対しようとする。が、男はただ立っているだけで、レジにやってくる様子はない。
商品の写真を見て悩んでいるのかと思ったが、違う。その瞳は虚ろだ。死んだ魚の目というか、色が掠れた絵画というか。薄気味悪い。
結局なにも言葉を発することなく、男は出て行った。
「なんだったの、今の?」アキラは露骨に不快そうだ。
「さあ?」
「店長に伝えとく?」
「そうですね。俺が報告しておきます」
嫌な空気が店内に残った。ファストフードの臭いに混じって、吐き気のするような異物感が漂っている。
意味はないけれど、蠅を払うみたいに、空気を手で払った。また意味はないけれど、溜息を吐くみたいに、アキラに話しかけた。
「もしも、死んでしまった家族とか恋人とか、大切な人が生き返ったとしたら、どうします?」
漠然としすぎた質問に、自分で可笑しくなる。アキラは表情を変えずに、俺を見つめる。さっき大丈夫ですよと言っていたくせに、やっぱり引きずっているじゃないか。そう言いたげだ。
「大丈夫ですから」と念を押しておく。
「昔、彼氏が死んだっけなぁ」
「そんな軽く言うことですか?」
「ぶっちゃけ、そんな好きじゃなかったからね。体の相性が良かっただけ。飲酒運転で事故ったときも、我ながら怖いくらい、悲しくならなかったし」
「その人でも、もっと大切な人でも。本当にもしも、の話でいいですから」
「もしも死んだとして、さらにもしも、生き返ったとしたらぁ?」
アキラは呟き、薄い眉を下げる。当たり前だが、嬉々として考える想定ではない。無人島に一つ持っていくとしたら、と同じノリの話題にはなり得ないだろう。
「好きにさせるかなぁ」
アキラは嘔吐するように、おえっと舌を出す。ピアスが光った。バイトの規則とか、大丈夫なんだろうか。
「好きにさせるって?」
「自由にさせる。どこに行く、なにが食べたい、お好きにどうぞ、って感じ。あたしにできることなら、できる範囲で協力する」
「優しいですね」
「そういうんじゃないって。死んじゃったんだから、多少のワガママは許してあげたいと思うってだけ」
「一緒に死んでくれ、とかは。できる範囲を超えてますかね」
アキラは細い、爬虫類を思わせる瞳をぎょろりと動かした。
「やっぱりソラくん、大丈夫じゃなさそうだね」
「大丈夫ですよ。軽い冗談です」
「早退する? 店長には伝えておくよ」
「大丈夫ですって」
「大切な人が死ぬとか、酷い悲劇に遭った人はね。本人は大丈夫だと思っていても、どこかでおかしくなるんだって。日常でも、夢を見ているような感覚に襲われたり、幻覚を見たり、現実との区別がつかなくなったり。だから、気をつけて」
俺は静かに笑った。冗談を言っているようではなかったが、アキラがとても無機質に喋るものだから、本心で言っているのか分からない。その様子が可笑しかった。
「本当に大丈夫ですってば。死ぬほど、元気です」
「死んだら駄目なんだって」
アキラは気怠げに言った。
***
夜、コンビニ弁当を買いに行った。財布にお釣りとレシートを押し込む。
俺はレシートを財布に溜めておく癖があり、それを昔、ルリに指摘されたことがある。しかし、改善されることはなく、数ヶ月分のレシートで膨らんでいる。
何故捨てないのだろう、と自分でも思う。
家に帰るまでの道中、コインランドリーの前を通り過ぎた。そこで、なんとなく引き返し、中を覗いた。誰もいなかった。洗濯機が並んでいる。
棚の上にある小さなかごには、昭和を思わせる漫画がぎっちり押し込んである。
一番端の洗濯機には、故障中と書かれた張り紙がある。いつまでも直される気配はない。
洗剤の匂いが漂っていて、まるで家の中にいるような感覚になる。
壁に年季の入ったシミが付いている。
床のタイルが一つ、欠けてどこかへ消えている。
コインランドリーって、こんな内装だっけ。
遠くでクラクションが鳴って、急激に頭が冴えた。なんてことはない。毎日のように通り過ぎる、コインランドリーじゃないか。違和感なんてない。
幻覚なんて、見ていない。
***
「兄さんって、車持ってたっけ」
弁当をレンジで温めていると、ルリが訊ねてきた。
「持ってるよ。言ってなかったか」
「いや、たぶん聞いたことあった」それから、外にある駐車場の方向を指差した。「今、あるの?」
「今は人に貸してる」
人に、というのはずいぶん曖昧な表現だった。俺は深く追求されたくないから、「ほら、早く食べろよ」と誤魔化した。
「兄さんが運転してるの見たことないんだよね。乗せてくれない?」
「しばらく返ってきそうにないな」
「わたしが消えるまでに?」
思わず返答に窮した。
考えていないわけじゃない。時間制限。タイマーのついた爆弾を想像する。
俺は限られた時間の中で、ルリの望みをいくつ叶えてあげられるのだろうか?
「神社、行きたくない?」ルリが提案する。
「神社?」
「ほら、実家の近くにあった。小学生の頃、よく二人で遊んだじゃん」
「ああ」
正確には、神社の裏だ。
木々に囲まれて、広くて、そこらの小さな公園よりよっぽど子どもの遊び場という感じだった。神主が優しくて、ボール遊びや鬼ごっこをしていても許してくれた。ただ、夕焼けの町内放送が鳴っても帰らないと、叱った。それも、神主の優しさだ。
「行けたらいいな」
俺は、曖昧に言った。
明日と明後日は、バイトが休みだ。二日間で、ルリが望む場所に連れて行ってやろうと思う。死んじゃったんだから、多少のワガママは許す。というアキラの言葉が思い返される。
もっともな意見だ。
それでも、神社の裏は気が乗らない。昔の記憶とか、いろいろと思い出して、悲しくなるから。
レンジが場違いに大きな音を出した。
弁当が、温まった。
まずは3話まで読んでくださり、ありがとうございます。よろしければこの先も読んでいただき、また評価やブクマなどなど、していただけると大変嬉しく思います。