滅亡ハッピーエンド
俺たちは日が暮れても、家には帰らなかった。神社を後にして、ぶらぶらと街を歩く。ルリは、大人しくついてくる。こうしていると、まるで休日の散歩をしているみたいだ。その実、俺たちに目的地はない。
幼い頃の思い出が昨日のことのように蘇る。ルリは、いつも俺の後ろをついてきた。
ずっと一緒だった。
ひたすら街を歩き回った。夜が更けるまで。
俺が迷子になったスーパー跡。親が死んで、二人で叫び散らした河川敷。ちょっと遠かったけど、バイト先のファストフード店。アキラはいなかった。
目的もない放浪の道中、俺は訊ねた。
「一応聞くけど、どこで気づいた? 日記には書いてなかったはずだけど」
「最初の朝」
「そんな早く?」
「カーテンレールが壊れてたから。朝日があんなに射し込むのに、放置してるのも、変」
「……ほら。普通は予行練習とかしないだろ。ぶっつけ本番でやったら、失敗した」
カーテンレールで首を吊る。
当たり前だが、実際に見たことはない。だから、意外と簡単に出来るのかと勘違いして、実行した。すると、首が完全に絞まる前にレールが外れて腰を打つだけになった。
「兄さんは……首を吊ろうとした」
ルリは静かに呟いた。
起きてしまった事実を、声にして確認するようだった。
「……それで?」
俺は試すみたいに、続きを促した。
「兄さんにはレシートを溜める癖があった。何度も注意してるのに、まだ治ってない」
「つい、溜めちゃうんだよなぁ。でも、それが?」
「ゲームセンターで財布、借りたでしょ」
「ああ」あれね。
「最近、練炭を買ったみたい」
「……ありがちだよな。練炭って」
「車。貸したって言ってたけど、西田くんは知らないって。他に、貸す友だちも思い当たらない。どこかに、捨てられてるんじゃないかな」
車の中で練炭を焚く。
よく聞く話だったから、選んだ。
成功した。
「確信を持ったのは、昨日。それまでは、推測が外れてる、って、信じたかったけど」
「昨日っていうと……バイトのときか」
「兄さん、ナイフで刺されても、ちっとも痛そうじゃなかった」
「どうも、死んでるから、かな」
「わたしもさ。なんだかこの体になってから、あんまり痛みを感じないんだ。一緒だ、って……思ったよ」
すっかり真っ暗で、ひとけのない公園に着いた。一つだけぽつんと、街灯がベンチを照らしている。まるでそこは、小さな舞台のようだった。
暗闇が怖かった。だから、そこに向かった。
俺はゆっくりとベンチに腰を下ろす。ルリは立ったままだ。わずかな距離を保ったまま、会話を続ける。
「どうして?」
「どうして自殺したのか、って?」
ルリは俺に背を向けたまま、頷く。
街灯を見上げる。光に照らされながら、俺は罪を告白する。
***
精神の異常なんてのは、後になってから自覚する。どうしてあのとき、あんな気持ちでいたのだろう、といったように。
始まりはおそらく、両親が死んだこと。進路に悩んで、大学にも行けなくなる。ルリにも八つ当たりした。とどめを刺すように、ルリが死んだ。とどめを刺したのは、ストーカーだっていえるかもしれない。
ほぼ喧嘩別れに近い形で、俺たちは離れ離れになった。小説や映画かよ、って思っても、これは現実だ。
止まない雨はない。そう信じていたが、雨は知らず知らずのうちに根腐れを起こし、植物を枯死させる。当たり前のことだが、俺は枯れるまで、気づけなかった。
腹が減ったらなにか食べる、尿意を感じたらトイレに行く。それらと同じように、俺は自然に死のうと思った。
背中を押したのは、あのニュースだ。
『世界滅亡』
丁度いいな、って感じた。自殺なんて、普通は許されないだろう。けど、どうせ世界が滅ぶなら仕方ないって、許されるんじゃないか。そう期待した。
そのときは、滅亡を信じたんだ。生き返った今だから、デマだって思える。
昨日のナイフを持った中年だって、他人事じゃない。狂気を他人に向けるか、自分に向けるかの違いでしかない。
隣の県まで車を走らせた。車なんて、ちょっと遠いショッピングモールに行くくらいしか使わない。大学にだって乗っていかない。初めての遠出だ。ドライブ気分で、自殺の場所を探した。
山奥で、車内を密閉した。
ネットで調べた。練炭自殺なら、比較的苦痛なく自殺できるらしい。
でも結局、後悔した。
実際には、息がゆっくり詰まって、苦しかった。奈落に続く階段を、転げ落ちるような気分だった。
声をあげたかった。やっぱり、やめたいって。
手遅れだったけど。でも、祈ったんだ。叫びたかった。
「ルリを殺した奴を、殺したい」
きっとその叫びが届いたんだろう。気がついたら、自分の部屋にいた。
お婆ちゃんのことは思い出さなかった。俺の頭には、一つの願いしか存在していなかったから。
あいつを殺すこと。
それが俺の願いで、死者の叫びだった。
ルリと同じで、俺もうっすらと予見していた。俺はずっと生き続けていられるわけじゃない。
でも、あいつを土に埋めても、俺はまだ消えなかった。
ルリが玄関に現れたことで、察した。
俺の日常を知りたいって言われたことで、理解した。
妹の叫びを叶えることも含めて、俺のロスタイムなんだ、と。
すべて語り終えた俺は、息を吐く。
死者の吐いた息に、二酸化炭素は含まれているだろうか。もし含まれていたら、なんとなく、申し訳ない気分になる。
ルリには言わなかったが、一つだけぼんやり考えたことがある。
もしルリが生き返るって、神様か、なにかが教えてくれたら。
お婆ちゃんのことを思い出して、その可能性に思い至っていれば。
俺は自殺を選ばなかったかもしれない。
いや。
「言い訳か」
俺は小さく呟いた。
***
ルリは空を見上げていた。じっと、黙っている。
寒々した夜の空気に、二人で身を浸していた。すると、遠くの方から、妙な喧噪が耳に届いてきた。しばらく聞いていると、不鮮明ではあるが、多数の人間の発する声だと分かった。
「デモだ」俺は勘付いた。こんなところにまで、と呆れる。街を練り歩いているのだろうか。どこに向かって、主張しているのか。
「今夜の零時に、世界は終わる!」
そう聞こえた。俺は思わず噴き出す。
「日付が変わる瞬間に? 世界滅亡って都合がいいなぁ」
そもそも、誰が教えたのか。時間指定まで細かく、古代の何者かが予言したとでもいうのか。馬鹿らしさに、ほとほと呆れてしまう。
だけど、それもどうでもいい。この世界が終わろうと続こうと、関係ない。
スマートフォンを家に置き忘れていた。時間が分からない。零時まで、あとどれくらいだ。公園の時計を見上げたが、壊れて止まっている。
すると、街灯の電気がばちばち、と音を立てて明滅したかと思うと、消えた。周囲一帯の灯りが消えて、暗闇が俺たちを包んだ。世界が終わる前兆なのか、と俺は冗談半分、本気半分で考えた。
「もう、終わるのかな」
「世界が?」
驚いた。いつの間にか、ルリは俺の隣で、ベンチに座っていた。
「世界も、わたしたちも」
ルリは前髪を払い、俺の目を見つめた。泣いた痕がくっきり残っている。
「ルリ」
「なに?」
「ごめんな。こんな兄貴で」
「わたしは、ただ本当に兄さんの日常を知りたかっただけ。なんでか、分かる?」
「さあ」
「わたしが死ぬ直前、あの夜、ずっと思ってた。これからは、二人でちゃんと支え合って生きていこうって。一緒に住んで、協力して。喧嘩だってするかもしれないけど、きちんと仲直りして」
「そっか」
「もし、わたしに彼氏ができたらどうしようかな、とも考えたんだよ。兄さんを一緒に住まわせようかな……とか」
「それは……彼氏を優先させてあげてくれ」
「とにかくさ。もっと、一緒に、過ごしたかったんだよ」
ルリの、叫びだった。
俺たちは肩を寄せ合った。
「ごめんな」
「それも、違うよ」
ルリはかぶりを振る。
「時々的外れなことをするし、恋人も作らないし、わたしに八つ当たりするし。隠し事はバレバレだし。結局、自殺までしちゃう、まさに、死ぬほど呆れる兄さんだったけど」
違うんだよ、と言う。
「頼れる、大好きな兄さんだよ」
デモが遠くに消える。今度こそ、本当の静寂が訪れた。風も止んで、木々の音まで静まりかえる。
まぶたを閉じた。これで、かすかに残った光さえも、消えてしまった。
「頼れる……かなぁ、俺」
「わたしのために、生き返ってくれてありがとう」
暗い。いつしか、寒さまで消えた。
あらゆる感覚が消えていくようだった。
ただし、ルリが隣にいるからか、少しだけ暖かかった。
「いじめから守ってくれて、ありがとう。お父さんに嘘吐いてくれてありがとう。
時々、料理を作ってくれて、勉強を教えてくれて、一緒に叫んでくれて……」
ルリが生まれたときから今に至るまでの、さまざまな記憶がフラッシュバックする。
ルリが生まれて、産声を上げた。俺は凄い生き物が生まれた、なんて思った。
同じ小学校に通い出した。少しだけ、妹がいる優越感があった。
スキー旅行に行った。結局最後まで、俺は滑れなくて、ルリは上手かった。
ルリが就職して、少しだけ寂しかった。これを機に、シスコンを卒業するべきか悩んだ。でも、素っ気なくするのも違うと思って、変われなかった。
ルリが死んだ。
そして生き返った。
「わたしを見守ってくれて、ありがとう」
「……こっちこそ。ありがとう。ルリ」
いつの間にか、手足の感覚も、臓器の重さも、呼吸をしている意識も消え去っていた。
「ルリ」
「なに?」
「暗いな」
「うん」
「迷子になるなよ、ルリ」
俺は笑って、ルリはなにか返事をしたのだけれど。
俺の聴覚も、触覚も。暗闇に落ちるみたいにぽっかりと消えて。
最後は、暗闇だけ。
世界の滅亡だ。
さようなら。
また次回作で会いましょう。




