Ⅱ 異端児の住むところ
真聖王国にある『サナト』の近郊。
小高い丘の上に建つシュティレ教会の前で、高らかな声が響き渡った。
「ベルっ。あんた、またやったわね!」
そんな大声を発したのは、濃紺色の修道服に身を纏った女。
彼女は長い服の裾を託し上げ、ウェーブのかかった金髪を太陽光に反射させながら疾走している。
時折、スカートから純白のドロワーズが、見え隠れしているが、しかし、そんなことも構わず修道女は顔を真っ赤にしながら、ベルと呼んだ男を追いかけていた。
「ごめん、ごめんなさいである。シスター、マテリア」
男はというと、雨も降っていないのに大きな黒い傘をさしながら逃走している。途中、まるで喜劇のように軽やかにピョンピョンと跳ねていた。
「待ちなさーい! 謝る気があるなら、逃げるなっ」
「だって、マテリア殿は怒るだろう。もしかしたら我が輩を叱って怒鳴りつけるかもしれないし」
「いや、もう怒ってるし。ってか怒鳴ったりしないから、そんなはしたない……私は、淑女ですよ」
――「はしたない」と叫んだ後、修道女マテリアは我に返った。
辺りを見渡すと、他の修道女たちがこちらを見て苦笑している。急激に恥ずかしくなってコホンと咳払いをした。
「たかが、花瓶を割ったごときで怒鳴ったり致しませんわ。それが一度ならず二度目であっても、三度目であってもですよ。
さぁ、ベルさん。優雅にこちらにおいでくださいませ」
マテリアは「こちらへこいこい」と柔らかい動作で手招きをした。
掃除の名目で装飾品を破壊するのは、ベルの得意技『おっちょこちょい』の一つである。当人である彼の方は、離れた場所から傘の中に縮こまってマテリアの様子を窺い見ていた。
「怒っている……マテリア殿は確実に怒っている。だって目が笑ってない」
よくもまぁ、離れた距離からこちらの表情まで見えるものだと彼女は関心した。
ベルこと、ベルティッヒ・ゲーゲンは、族に吸血鬼と呼ばれる者である。
――『魔人の墓から甦り、日の光や銀の装飾品に弱く、生物の血を吸って生きる怪物』と、世間一般では子供を怖がらせる言い伝えとして存在している。
その正体は日光が苦手な魔人、というだけであった。
彼は血色の良くない青白い肌に、鋭く尖った長い耳が生え、時折深紅の羽が生えたりもする。それが、ベルが人間でないことを物語っていた。
聖国では魔人はとても珍しい。
実は隠れ住んでいる者も少なからず存在するかも、知れないが、彼らは滅多に人前に現れないものだからマテリアには分からない。
ある日。
「役に立ちたい」と何処からかひょっこり現れたベルはせっせと働くが一向に出て行く気配がない。
このシュティレ教会へ居座り続けて早くも、一年半が経っている。それを許す司教様も司教様だと思うけど。