ああ、愛しの縁者へ(4)
迷いの森は一部に毒沼があるため、その辺りは腐敗していて危険だ。しかしそれを除けば、ただの迷いやすい森林地なのである。
真聖王国スウェアの『クスリラ』という街が、ここからならば一番近い国境となる。
魔人民衆は滅多な事では国境へは近寄らず、また迷いの森があるから人間も魔国側には進入をしない。そんな暗黙の了解が存在する。
ネージュはリヒトと共に森内を疾走していた。
その早さはもはや人間の走る速度ではなく、並の者では目視できない。
一方で鳥型の魔獣まじゅうに跨がったグラースは上空から対象者を探している。
魔獣とは、瘴気に晒された動物の変異体で、近年では、大きいものは飼い慣らして乗物にしたり、小さいものは愛玩用に家で飼育したりするのが一般的だった、ただし、飼い慣らされていない生物や野生の大型の個体は非常に危険で、一般人が遭遇すると命にも関わるという。
「いたぞ、見つけた」
淡い空色のサングラスをかけたリヒトが、その鋭い眼光で対象者の背を捕らえた。
ネージュがその背に続くと、藤色の髪が木の陰でこそこそと動いているのが視界に入った。
速度を落として、対象に気づかれぬよう、彼女の背後へと回る。
ネージュが彼女へ「ゼーシル」と短く呼びかけると、対象者は大きく肩を振るわせた。
藤色の髪と同じく、紫がかった色味の瞳が困惑した様子でキョロキョロと忙しなく動く。
それから、ややぎこちない動作で、ゼーシルは主であるネージュへと一礼した。
ネージュは何も言わなかった。代わりに怯えた様子のゼーシルの前に、不満げなリヒトが仁王立ちをした。
「お前は何故こんな場所にいる。職務はどうした」
そう厳しい口調で問うたが、リヒトに至っては誰に対しても同じような態度を取るので、怒っている訳ではない。相手へ無理矢理、詰め寄らないのは彼なりの優しさか、ネージュを気遣ってのことだろう。
ゼーシルは無言で首を横に振った。そのタイミンでグラースが「遅ればせながら」と魔獣の手綱を引きながら参上した。
「どうなりましたか」
緊迫感を漂わせるグラースの様子に、ついにネージュの痺れが切れた。辛抱ならずに声を荒げる。
「どうもこうもない。ゼーシル、お前はこんな所に何の用があって来たのだ」
「申し訳ありません。ネージュ様、申し訳ありません」
彼女の口から出てくるのは謝罪の言葉のみだった。
その間もゼそわそわと落ち着かない様子で、辺りを見回したり遠くを見つめたりしている。
このままでは一向に話が進まない。グラースが一歩前に出た。
「ゼーシル、国から出るつもりだな。ネージュ様を裏切るつもりか」
ゼーシルの方は、眉を下げて、しずしずと涙を流し始めた。気丈な彼女が泣く姿などネージュは一度も見たことがなく、思わず脳内をひねる。