ああ、愛しの縁者へ(2)
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噴水の縁に座り込む少女が、水面に浮かせていた。
素足を動かすと、止めどなく巡回する水流が、音を立てて跳ねた。
緩やかな水の流れに逆らうように、乱暴な様で両足を動かすと二つに縛った漆黒の髪とリボンが共に揺れた。
陶器のようなきめの細かい白肌に跳ねた水滴が洋服にまで染み込む。
「何を騒いでいる」
いかにも不機嫌そうな声が頭上から降ってきて、少女は足の動きを止めた。
ゆったりとした動作で振り返れば薄褐色の眉間に深いしわを寄せた強面。
細身なのに筋肉質という体格の男が、腕組をしながら立っている。
「もう一度、言う。ネージュ・ヴェーメ。何を騒いでいる」
短く切りそろえられた金髪が、太陽の光を反射する。それが一瞬、眩しくて、少女ネージュは目を細めた。
「ああ、今しがた、ちょうど水の精霊と戯れていたところだぞ」
少女の横暴そうな口調から飛び出た「水の精霊なんぞ」は、口からでたらめである。そんな空想物はこの世には存在しない。
それを知っていた男が「何をふざけたことを」とでも言いたげな大げさな息をついた。
記号のような首元の刺青を困った様子で掻きながら言う。
「十六にもなって噴水で遊んでいるなどと。貴様は、王家の血を引く者としての自覚がないのか?」
「ん? ああ、特にはないな」
悪びれることもなく、ネージュはつまらなさそうに足を再び揺らし始めた。男は鋭い目を更につり上げる。
「それを魔王様が聞いたらさぞ、嘆かれることだろうな。非常に胸が痛む」
「おう、リヒト・ヴェーメス君。父上のことなど、微塵も心配していないくせに」
ネージュは手を広げてやれやれと頭を振った。
その様子にリヒトと呼ばれた彼の方がフンと鼻を鳴らす。
「そんなことはどうでもいい。みっともないから、早く止めろ」
リヒトはそう言いながら、黒の革手袋をはめた右手をネージュの体へ伸ばした。しかし、それは物影からさっと飛び出してきた人物によって阻まれることとなった。
「彼女に気安く触れるやめたまえ!」
そこに現れたのは、透明な飴菓子のような薄い色の髪に、碧眼の双眸を持つ色男だった。
彼はたいそう端整な顔つきであるのだが。残念ながらその美しい髪を振り乱して宝石のように光り輝く瞳を半月状にしている。
おまけに、細身の身体に黒のぴったりと密着した衣服をまとい、頭に葉の付いた木枝を巻き付けていた。
どこからどう見ても不審人物としか言いようのない男に詰め寄られながら、リヒトがやれやれといった様子で首を横に振っている。
「グラース。貴様も羞恥という言葉を知らないのか」
「はっはっは。ネージュ様が、『近付く者リヒトは排除せよ』と仰せなので隠れて見張っていたのさ。こんな素晴らしい着衣までご用意くださったので張り切ってしまったよ」
グラースは照れたような仕草で前髪をかき上げる。奇抜な格好は別としても彼は色男なだけに眩しい日差しを浴びるその姿はさながら絵になっていた。
リヒトが「もう諦めた」と言わんばかりに大きなため息をつく。
「馬鹿だ、馬鹿だと思っていたがこれほどまでとはな」
彼のそんな言葉など微塵も気にしていない様子で、グラースは嬉しそうに目配せをする。ネージュは柔らかな笑みを漏らしてから再び水の中へと足を浸した。
この国は魔王という存在が統治している。
名称は、魔人帝国。通称はデジールと呼ばれている。
元々この地域は瘴気と呼ばれる有害物質が濃く、人体に影響を及ぼす程となっていた。
人々の総称する『魔人まじん』とは。長年に渡って瘴気を浴びた人間の末裔、なのである。
人間とはかけ離れたその容姿や魔力で操る特殊能力を持つ者が出現すると、人種を分け隔てる大きな溝となってしまった。そうして起こってしまった戦争が終息したのが、
約二十年前のこと。






