第二話
あるところに一人の神様がいました。
その神様の見た目は、老婆の姿をしていました。老婆の姿をした神様に親切な行いをした人間には、ご褒美が与えられました。
「一つだけ願いを叶えてあげましょう」
そう言って一つだけ願いを叶えてもらえるのです。
◎◎◎
谷川千春は電車の揺れに身を任せていた。
――今日も疲れた
千春は今年、三十になる。恋人もおらず、仕事しかすることがない。自分のことを好きになってくれる人なんて、この先も現れないのだろうと思う。
そう千春は美しくない見た目をしていた。
昔から男子に陰で「ブス」と囁かれたり、電車に乗ると向いに座る女子大生が、千春を見てこそこそ耳打ちするのを目にした。
最初はそういうこと一つ一つに傷ついていたけれど、そんなことをしていたら身がもたないと思った。
そして、いつからから諦めるようになった。
――私はこの容姿で生きていくしかないのだ
と。
◎◎◎
電車の扉が開いて、乗客が乗降車する。
千春はその様子を何気なく眺めていた。人々が乗り込んだ後のホームに老婆がぽつんと残っているのが見えた。
腰が曲がっていて杖をついているからか、酷く年老いて見える。この電車に乗るのだろうか。
足元も覚束ない。
千春は思わず立ち上がった。
「大丈夫ですか?」そう言って老婆の体を支え、電車に乗せた。優先座席まで連れて行き、座らせる。
老婆は千春に頭を下げた。
千春が降りる駅に着いた。
普通電車しか停車しない不便な駅だ。
千春は改札を通り、アパートがある駅の南側に向かって歩き始めた。
「もしもし」
後ろから声をかけられた。びっくりして千春は振り返る。そこには、腰の曲がった老婆がいた。
――どこかで見たことがある……
はっとする。
先程、電車で助けた、老婆にそっくりだったのだ。
でも、こんなところにいるはずがない。いや、同じ駅だったのかもしれない。
そんなことを思っていると、老婆が言った。
「一つだけ願いを叶えてあげましょう」
◎◎◎
「へ?」
状況が飲み込めず、千春は間抜けな声を出す
「あなたは先程、電車に乗るのを手伝ってくれました。そのお礼です」
――やっぱり!! 電車の老婆だったのか
老婆の顔に刻まれた皺は深かったが、その目には妙な力が宿っている。
本当に願いを叶えてくれるのだろうか。
千春はいろんな考えを巡らせながら、ある願いを思いついた。
「どんなことでも、いいんですか?」
念を押す。
老婆は深く頷く。
千春はその願いを口にした。
◎◎◎
今日は土曜、明日は日曜。
こんな心弾む休日は、生まれて始めてかもしれない。
金曜、老婆に願いを叶えてもらった後、千春はデパートに赴き、気が狂ったように服や化粧品を購入した。
今までそんなことをしなかった。
だから、貯金だけはやたらとある。
千晴が老婆にお願いしたこと。それは
――美人になりたい
だった。
そして、千春はみちがえる程、美しくなったのだった。
デパートからの帰り道、知らない男の人に何度か声をかけられた。
そんなことを人生で経験するなんて、思いもしなかった。美しい千春は、そんな誘いには乗らない。
これから選り取りみどりになるのだから。自分のことを大切にしてくれる人を見つけるのだ。
昨日買ったばかりのワンピースを着て、化粧をする。
鏡に映る自分に見惚れてしまった。
◎◎◎
月曜日。
千春は金曜に購入した新しいパンツスーツに身を包み、意気揚々と出勤した。
いつも通りに自分の机に座ると、みんなの視線がこちらに向いているのが、わかった。
――当たり前よね。こんなに美人になったのだから
うきうきとパソコンを立ち上げる。
と、その時、ぽんと肩を叩かれた。振り返ると課長が訝しんだ表情で立っていた。
「誰、君? 谷川さんじゃないよね?」
「いえ。谷川です」
自分は谷川千春に間違いないから、そう言った。
「不法侵入だよ。後、業務妨害?」
何だって⁈ いつも通り、会社に来て仕事を始めようとしているだけなのに!
「私、谷川です!」
必死に訴えれば訴える程、周りが引いていくのがわかる。どうしたらいいの……
◎◎◎
今、千春はぽつんと部屋にいる。
あの後、「警察を呼ぶ」と言われて千晴は怖気付いてしまった。それ以降、会社を休んでいる。
老婆に願いを叶えてもらって、美人になったけれど、谷川千春――ではなくなってしまった。