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「ただいま」
玄関で少し声を張ってみると、僕の予測どおり、弟がバタバタと階段を降りてきた。
「兄ちゃん、おかえり!」
僕が返事をする間もないほど「ねえ」を連呼したあと、「聞いてよー」と勝手に自分の話を始めた。弟は小学六年生で、高校二年生の僕との年の差がちょうどよいらしく、喧嘩もあまりしない。
「兄ちゃんさ、学校の池知ってるでしょ?」
「ああ、あの泥臭い」
「今日ね、そこの石のところにカエルが潰れてたの」
「は?」
いつもと変わらないトーンで発されたのは、生き物の生死に関わる話題。さらっと出されると驚く。そんな僕を気にする様子もなく、弟は話し続ける。
「先生がねー、すっごい怒ってたの。『こんなことしたの誰だ! 命は大切にしなきゃだめだろ!』って」
眉間に頑張って皺をよせ、変声期でまだ安定しない弟は、できる限り低い声で先生の真似をした。
「潰れてたってどういうこと?」
「べちゃって」
「そういうことじゃない」
これじゃあコントをしているみたいだ。僕は、何故それが人為的なものだと言い切れるのかと聞き直した。
「なんかね、カエルが潰れてて、その隣にめっちゃ汚れたちょっと大きい石があったの。だから、多分誰かがその石でばーんってやったんだろうなって」
「先生もそう言ってた」と弟は答えてくれた。現場を想像してみたが、小学生にしては少々グロテスクではないかと思った。いや、今はもうそんな時代ではないのかもしれない。
「普通に気持ち悪いな。まあ、お前はそんなことするなよ」
「するわけないじゃん」
それもそうか、と思う。弟は意外と臆病で、明るく見えて寂しがりなのだ。たとえアリくらい小さい生き物であっても意図的に殺すことは出来ないだろう。それにしても、昔はあんなに泣き虫だったのに。あの頃の弟が同じ場面に立ち会っていとしたら、どうだろう、腰が抜けてその場に座り込んだまま泣きじゃくっている光景が目に浮かぶ。考え始めるとどんどん懐かしくなってきた。
弟は軽く笑い、「じゃあ俺、遊び行ってくる!」と残して、外へ飛び出していった。
いかにも小学生らしい行動に笑みが溢れる。僕みたいな子供にならなくてよかった、これからもなってほしくないな、なんて思いながら、僕は自分の部屋を目指して階段を上り始めた。