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「はーい、おまたせしました」
ちょうど会話が途切れたところで、佐伯さんが注文の品を持ってきてくれた。皿とテーブルが奏でるコトリという音でさえどこか優しく聞こえるから、不思議なものだ。
コーヒーの良い香りがふわりと僕の鼻腔をくすぐる。喫茶店のコーヒーは自動販売機の缶コーヒーとは比べ物にならない、というのはどうやら本当らしい。
テーブルの反対側に置かれた紅茶も、色が透き通っていて、綺麗だ。紅茶には詳しくないから何とも言えないが、適した方法で上手くいれると渋みも少ないと聞いたことがある。
彼女の頼んだワッフルは思っていたより大きく、男性でもお腹が満たされるのではないかと思うほどだ。やわらかく上に伸びた白い湯気、ゆっくりと溶け出すバター、そして僅かな光さえも反射して輝いているいちごのソース。そのどれもが出来立ての美味しさを熱演しており、食欲がそそられる。これだけ長く述べたが、まとめると、とても美味しそう、ということだ。
彼女は、手を合わせて目をキラキラさせながら「いただきまーす!」と言った。本当に、子供みたいだ。僕も続いて「いただきます」と声に出す。
「んー! やっぱり佐伯さんのワッフルは格別だね」
ワッフルを口に放り込んだ後、手を頬に当てて幸せそうな顔になった。それを見ながら僕は優雅にコーヒーを飲む。なんだか僕には贅沢すぎる時間だなと思ってしまう。そんな僕らを見て、佐伯さんは「うふふ、よかったわ」と微笑んだ。
「【 】くんもゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
佐伯さんが立ち去ったのを見送り、視線をテーブルに戻すと、彼女のワッフルは既に最初に見たときの半分の大きさになっていた。このままでは話す間もなく食べ終えてしまいそうなので、とりあえず「重い話に戻すようで悪いんだけどさ」と声をかけてみる。
「君が死んでるってどういうこと?」
「え、気になるの?」
「僕のことだけ知られるのは、不公平だろ」
僕が言い訳じみた事を言えば、彼女は「そういうことにしておいてあげるね」とくふくふ笑った。少し馬鹿にされているような気がするのは気のせいか。
「まずね、『ゆうひ』って書くの。夕方の『夕』にカタカナの『ヒ』ね。で、そこに漢字の『一』をのせると……」
「『死』っていう字になるわけね」
僕が「なるほど」とこぼすと、彼女は「そーなの!」とどこか嬉しそうに言う。
「それだけ?」
「それだけ」
「本当に?」
「うん。すごいでしょ」
無邪気ににこにこと笑う彼女。その様子は、初めて自分の名前を全部漢字で書けた小学生のようだ。もっと深い意図とか、興味深い思考回路とかが隠されていると思ったのに。ああ、彼女に限ってそんなことがあるはずないか。
「……期待して損した」
僕がため息混じりにそう言うと、彼女は「ちょっとー、何それ⁉」と叫んで、ムスッと黙り込んでしまった。さて、どうしたものか。僕が機嫌を取り戻す方法を考え始めると、彼女はどうやらそれに気がついたようで、わざとらしくこう言った。
「私にとって最大級の秘密だったのになー」
「あれが?」
「……もう知らない」
「悪かったって」
謝ってみたが、彼女はずっと恨めしそうに睨みつけてくる。許してくれる様子は無さそうだ。僕は苦笑いしながら目をそらす。すると、メニューが書かれたボードが目に入った。
「すみません」
軽く手を上げて佐伯さんを呼ぶと、「はーい」と緩く返事をしながらトコトコとやって来た。僕が「あの」と言いかけると、佐伯さんは彼女のことをよく理解しているようで、「夕陽ちゃんならあんみつなんてどうかしら」とこっそり教えてくれた。
「じゃあ、あんみつ一つ、お願いします」
「かしこまりましたー」
「若いわねぇ」と微笑みながら、佐伯さんは僕たちから見えない方へ戻っていった。