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じめじめとした空気がまとわりつくこの季節。みゃーこも湿気には参っているようで、今日はさっさと退散してしまった。
十分な癒やしは得たものの、どうしてだか、まだ家に帰る気にはなれない。それを察したのか、いやそんなことあるはずないか、彼女は「寄り道していかない?」と僕を少し強引に連れ出した。
言われるがままに歩いていくと、ある喫茶店に辿り着いた。決して大きくはないが、外装は落ち着いた色あいで、小洒落ている。若者が行くような、行列のできるパンケーキ屋とかじゃなくてよかった、と僕は安心する。
彼女は迷うことなくドアを押し、ベルがカランカランと明るい音を鳴らしながら軽快に揺れた。
「こんにちは!」
「あら、夕陽ちゃん、いらっしゃい。そっちの男の子は? まさかボーイフレンド?」
「そんなわけないでしょ。彼は【 】くん」
「ああ、最近話していた子ね。奥の席でいい?」
「うん、ありがとう」
一連の会話を終えて、僕らは席についた。相手に確認もせずにこういう場所に連れてくるあたり、強引ではあるが彼女らしいと思う。
「慣れてるんだね」
「こう見えても私、ここの常連さんなんだよ?」
初めてあったときのことを思い出して、「似合わないね」とつぶやくと、「ひどーい」とゆるい口調で返される。どうやら、彼女の方も、僕の対応に徐々に慣れてきているらしい。
「まあ、あの人と仲良く話してるところは、君らしいよね」
「佐伯さんのこと? とってもいい人なんだよー、たまにおまけしてくれるし」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」
会話が聞こえていたらしく、佐伯さんは顔をほころばせながら、「またおまけしちゃおうかしら」なんて言う。それを聞いて、彼女は「わーい」と声に出して喜んだ。弟と同じくらいの年の妹がいたら、きっとこんな感じなのだろう。佐伯さんは僕たちの席に近づいてきて、「今日は何にする?」と聞いた。
「私はいちごのワッフル! 飲み物はミルクティーで。【 】くんは何か頼む?」
「コーヒーでお願いします」
注文が終わると、佐伯さんは「はーい」と言葉を伸ばしながら、上機嫌そうにもどっていく。その様子はどこか彼女と似ていて、類は友を呼ぶとはこういうことなのだな、と一人納得していた。
すると突然、彼女が「あ」と声を漏らす。どうかしたのかと訊ねれば、「そういえばさ」と話を切り出してきた。
「なんで君はまだ生まれてないの?」
「本当に唐突だね」
「いいじゃん。今なら人もいないしさー」
彼女の言うとおり、店内には佐伯さん以外の人はいない。とはいえ佐伯さんは裏側に行っているし、実質的には僕と彼女二人きりの空間というわけだ。ちなみに、どきどきするとかいうような恋愛フラグはここには存在しない。
「面白い話じゃないから、期待しないでね」
僕がそう忠告すれば、「もとからそのつもりだから大丈夫」と言われた。相変わらず、彼女は相手の心にガツガツと踏み込んでくるくせに、対応は冷たい。本当、心が広い相手じゃなかったらどうなっていることだろうか。
僕は呆れながらも、あの発言の意味を語り始めた。