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「ごめん、こんな話ふっちゃって」
また申し訳なさそうに彼女が笑うから、僕はどうしたら良いのかわからず、とりあえず「別に」と返しておいた。
ふと、ザラリとコンクリートを触る感覚がして手元を見ると、いつの間にかみゃーこが居なくなっていた。まるで、人間の話を理解して、空気を読んで行動しているみたいだ。みゃーこは本当に賢いやつだなと改めて思う。
「僕は帰るよ。みゃーこも行っちゃったし」
彼女は控えめに頷いた。意外にも、彼女は感傷的になりやすいらしい。もっと、こう、ぱっとしていて、からっとした性格だと思っていた。
僕にとって一番困るのは、日常にずれが生じることだ。彼女が僕の歯車になりつつある今、いつもみたいに騒がしくないのは僕の調子を狂わせるだけで、何のメリットもない。
「君は、帰らないの」
そんな言葉を紡いでみた。しかし、彼女は生返事をするばかりで、反応は薄い。効果はいまいちだ。
こうなったら少し強引でも仕方あるまい。もとはといえば、彼女が同じような手口で、僕の中に土足で踏み込んできたのが元凶なのだから。
行き場のない彼女の手をぐいと引っ張り上げて立たせる。その手は思っていたより細くて、白くて、壊れてしまいそうで、嫌でも彼女が女なのだということを理解させられた。状況を飲み込めずに目をぱちくりさせている相手に、僕はこう言った。
「早くしないと、おいて行くよ」
なれない発言が少し、いや、とてももどかしい。これで「はあ?」という言葉と共に冷たい目線を送られたりしたら、僕は二度と立ち直れないだろう。あ、でも、恥ずかしそうに照れられても困る。そんな気があると勘違いされたらたまったもんじゃない。
僕の勇気の代償として、三倍の後悔が襲ってくるとは、いったい誰が予想しただろうか。やってしまった、かもしれない、と思った。しかし、そんなもやもやを払うように、いつか聞いたような明るい声が茜色の空に響いた。
「帰る! 一緒に帰るよ!」
また、犬のしっぽの幻覚が見える。それはもう、「気がする」では済まないほどはっきりと確認できるのだ。決して、僕の頭がおかしくなったわけではない。
「今、失礼なこと考えてたでしょ」
「別に」
「別に、って、そんなわけない! 【 】くんに限ってそんなことあるはずないもん!」
「酷い言い草だな」
僕は新たな日常を取り戻したことに満足し、彼女の一歩先を踏み出した。