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2話 労働④




 たとえばあなたが、はじめて配達のバイトをやってみたとする。


 いきなり、そんなに長くやるつもりはない。

 最近はやっているから、どんなものかたしかめるくらいの軽い気持ちで、あなたはそれを始めてみることにした。


 なんでもまずは、自前のバッグと自転車が必要らしい。

 ちゃんとしたものを買うというのも当然、選択肢としてはありうる。でも、あなたはそれをしない。すぐにやめてしまった場合、使い道のない大きなバッグと、高性能な自転車だけが手元に残ってしまって、なんなら財布の中身はかえって軽くなっているかもしれないからだ。


 だから、家にあるものを手に取ることした。

 古びたバッグ。中高生のころに使っていた、やたらに重たい自転車。


 さあ、準備はできた。

 あとはいつものように、出かけてみることにしよう。


 そしてあなたは、その配達の途中で気がついた。


 腕時計が、邪魔なのだ。


 いつものようにつけていたそれは、大きなものを運ぶとき、かならず手首のあたりでガチガチとぶつかってしまう。

 長く使っている時計だ。いまさら傷のひとつやふたつ、大して気にはならない。でも、ときどき時計と荷物のあいだに肉がはさまれてしまったりして、とても痛い。


 しまったな、とあなたは思った。

 外に出るんだからと、いつでも時間が見られるようにとつけてきた時計が、裏目に出てしまった。


 仕事がしにくい。

 どうしよう。


 そうだ、一旦、外してしまおう。

 明日以降はつけてこないことにして、とりあえず今日のところは。


 配達バッグのなかに、一緒に入れてしまおう。


 そしてあなたは、そのバッグを置き忘れる。

 慣れない仕事だったから? それとも、その喫茶店に置いたゲーム機が配達の最後で、油断してしまったから?


 さあ、そのあたりのことは、わかりはしない。

 でもきっと、あなたはそれを忘れてしまったことに。


 また、腕時計をつけて外に出かけようとするまで……気がつかないのかもしれない。



QQQ




「なんていうかさあ、こういうことがあると、私がふだん悩んでるようなことも、ほんとうは超どうでもいい話なんだろうなって感じがしてくるよな。」


 と。

 バイトさんは、僕たちの隣に座って、ぢゅーっとクリームソーダのストローをくわえながら、言った。


 ……もう一度、言うけど。

 僕たちの隣に座って、言った。

 ……つまり、店員さんがふつうに、お客の僕たちと同じテーブルについて、飲み物を飲みながら、そう言っていた。


「あ、それわかる。よくわかんないことがあっても、ほんとうはものすごく簡単なことなんだろうな~って。」

「なー。そう思うと、まじめに生きてるよりも、もうちょっと肩の力抜いてた方がいいのかな、ってなるよな。私、ここではたらき始めてから特にそう思うもん。」


 これは『はたらいている』のうちに入るんだろうか。

 というか、埜井さんはまったくこういう状況を気にしないままバイトさんと話しているんだけど、これって僕が細かいことにこだわりすぎなんだろうか。


「だってさ、爆弾だと思ったら、ただの忘れものだぜ? しかも、邪魔だから外しただけの腕時計の音にあんなにビビってさあ。」


 結局。

 バッグを開けてからすぐに、その忘れものの主は、このお店までやってきた。


 三十代半ばくらいの、女の人だった。

 忘れものに気がついたあと、自転車に乗って急いでここまで来たらしく、髪はぼさぼさ。大きな丸めがねも鼻の上でちょっとズレていて、「どうもすみません。」と何度か頭を下げてから、再び自転車に乗って、シャーッと風を切るように、どこかへと去っていった。


 つまり、僕の推理は結構、当たっていたらしい。

 正直言って、まんざらでもない。


 しかも、店長さんが「名推理への賛辞は惜しまないとも。」なんて言って、腕によりをかけて料理を作ってくれるというんだから、この空腹状態に、なおさら。


 いまは、その料理ができあがるのを待っているところだけれど……。


「ところでさっきからそれ、なに書いてんの?」

「これ? メモだよ。」

「なんの?」

「漫画の。」


 ああ、と。

 そういえばさっきそんなこと言ってたな、とバイトさんは、埜井さんにむかって、うなずいた。


「描いてんだ。漫画。」

「そうだよー。まだまだ下手だけどね。」

「いやいやそんなこと言っちゃってまた……。」


 席順は、バイトさんが埜井さんのとなり。

 特に埜井さんも、そのアイディアノートを隠すでもないから、ひょいっと覗きこめば、バイトさんはその中を見ることができて。


「うまっ!!」

 だいたいそうなるだろうな、という感じの反応を、きれいに返してくれた。


「絵はね~。話の方が苦手なんだけど……。」

「そっか、漫画だからそういうのがあるのか。いやでもすげ~……。へえ~……。」


 すげえな、ともう一度、バイトさんは言った。

 埜井さんはまんざらでもなさそうな顔をして、その隣でえへえへしている。(そして僕と目が合うと、「やったね。」という風にもう一段、笑顔を明るくした。僕はこういう瞬間が好きで高校生をやっている。)


「じゃああれ、やっぱりああいうのやるのか? あの、喫茶店で原稿やりますみたいなやつ。前にドラマでやってんの見たことあるけど。」

「いや、むりむり。ちょっと試してみたいな~、と思うけど、お店の人から『いつまでいるのかな。』とか思われてたらって思うと……。」

「うちで描けばいいじゃん。どうせ客来ないし。」


 その言葉を待ち構えていた埜井さんは、「聞きましたか添観くん。」という顔で僕を見た。僕はそれに、「添観くん、ばっちり聞きました。」という顔でうなずき返した。(そして店員さんが「どうせ客来ないし。」と言い切る喫茶店の行く末について、思いを馳せかけて、やめた。)


「そ、それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな~?」

「そうしなって。ほんとここ、ふだんは喫茶店なのかきれいな廃墟なのかわかんないくらい閑散としてんだからさ。」

「バイトくん。きみ、なかなか失礼なことを剛速球で言うね。」


 ぬっ、と店長さんがカウンターから姿を現した。

 それに怯むでもなく、バイトさんは応える。


「事実じゃん。」

「……まあ、たしかにそうだけど。」


 店長さんが、カウンターの上に、お皿を置く。

 するとバイトさんが立ち上がって、そのお皿をお盆の上に乗せて、僕らの席まで運んできてくれる。


「お待ち。オムライスとミートスパ。」


 オムライスが埜井さん。ミートスパが僕。

 正直僕は、このお客さんの全然いない喫茶店で出される料理に対して、かなり失礼な不安を覚えていたけど……。


「わ。」「おいしっ……!」

 意外や意外。


「そうだろう、そうだろう。」

「この店の唯一の長所だからな。ほかはほんとうになにもないけど、店長の料理だけは上手いんだ。」

「そうだろう、そうだろう。」

「これだけ美味くてこれだけ閑古鳥が鳴いてるっていうのは、かなりやばいんだけどな。」

「そうだろう…………うん。そうだろう。」


 店長さんとバイトさんは漫才をしていたけれど、僕らは出された料理に夢中だった。


「おいしいね、添観くん!」

「うん。すごく。」


 そうだろう、そうだろう、と。

 店長さんは、僕らの会話にうなずいて。


「それ、おごりでいいぞ。」

「え?」「いいんですか?」


 思わぬ提案に、僕らは驚く。(そして僕は、心のなかで「それで経営はだいじょうぶなんですか?」という余計なお世話を、呑み込んでいる。)


 ああ、と店長さんはうなずいた。


「そのかわり、さっきバイトくんが洩らした情報は、くれぐれも言いふらさないように頼む。イメージが悪くなるからな。」

「あ、それから私も。バイトの許可、学校に取ってないからヒミツにしといてくれよ。内申書悪くなるからさ。」


 よろしく、と店長さんは言った。

 しくよろ、とバイトさんは言った。


 僕と埜井さんは、手を止めて。

 改めて、目の前のごはんを、まじまじと見て。


 その意味を、よく考えて。

 顔を合わせて、無言でこう、気持ちを伝えあった。


 なるほど、口止め料。


「わかりました。それじゃあ、口を固くしておきます。」

「『カチコチ』に!」



 市立日早高校散歩部の、今日の報酬。


 ごはんふたり分。

 これから埜井さんが漫画を描く席、ひとりぶん。


 これから僕が、埜井さんを気軽にごはんに誘える場所、ふたりぶん。






(2話・了)


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