エピローグ 会えてから
「ふん、ふふ~ん♪」
最近の埜井さんは、歩くとき常に、ちょっとスキップしている。
さすがに僕も、「それでいいのか。」と思わないでもない。
「最近雨続きだけど、きょうは晴れてよかったね、添観くん!」
「うん。」
それは、たしかに。
僕も、同感ではあるんだけど。
僕らはまた、活動をしていた。
もちろん、散歩部の。
文化祭からもう二週間……ふたたびやってきた、土曜日。
文化祭が終わってから少しして、日早市は梅雨入りした。
「ギリギリだったな。」とは会長さんが言っていたことで、なんならもう少し、文化祭の日程を来年からは早めてもいいかもしれない、なんて話もしていた。(そして「おまえの来年の仕事だな。」と唐突に話を振られた猫耳小僧くんは、とても困惑していた。文化祭のメインステージを使うために、色々と会長さんにこき使われて、その仕事ぶりを気に入られてしまったらしい。)
けれど幸い、きょうは晴れ。
春の名残と、初夏の気配が混じり合った、薄緑色の季節。
そのなかを、僕と埜井さんは、歩いていた。
「半袖だとまだちょっと寒いね~。」
「長袖だとちょっと暑いけどね。」
「じゃあ七分袖だ。あはは。」
浮足立つ、という言葉を、これほどわかりやすく説明してくれる人も、埜井さんのほかにはいないと思う。
ほんとうに、あの文化祭……正確に言うなら、『裏の裏の浦島』の漫画家先生の謎を解いたときから、ずっとにこにこしていて、うきうきしている。
それもそうか、と僕も思う。
だって埜井さんは、その憧れの漫画家先生と、連絡先を交換できたんだから。
自分の出した謎を解かれたこと、それからその講演が成功したこと(ちなみに、ものすごくリアルな魚の被り物をして現れた。)をよろこんで、また、「いまでも散歩部に漫画担当がいるのが、なんだかうれしいから。」っていう理由で。
しかも今では週に一回、先生のところでアシスタントとして、アルバイトをする約束まで取りつけられたんだから。
そりゃあ、そのくらいよろこんだって、なにも不思議なことじゃない。
……のかな?
「あのさ、添観くん。」
なんてことを考えていると。
先を歩いていた埜井さんが、ふいに、振り返った。
「ん? なに?」
「ありがとね。」
僕は、少しだけ考えた。
なにについてのお礼だろう、と。
「……講演で僕がほとんど司会をしてたのなら、気にしなくていいよ。定型じゃないところの原稿は、埜井さんが作ってくれたんだし。埜井さん、カミカミすぎてなんか、心配だったし。」
「そっちじゃなくて! ……いや、そっちもだけど!」
あまりにも噛みすぎて、次の日、口内炎が三つできたらしい。(それでも埜井さんは懸命な人なので、文化祭当日は熱々のたこ焼きにすら尻込みせずかぶりついていた。)(そして涙目になっていた。)
「ほら、謎解きとか。いつもそうだけど、添観くんに、色々助けてもらってるから。」
「べつに解けようが解けまいが、なんの問題もないようなものばっかり解いてる気もするけど……。」
「……そんなことないよとは言えないけど、でも、先生のはそうだったでしょ!」
いやいや、と僕は言おうとした。
たしかに、ちょっとくらいは埜井さんのお手伝いをしたけれど、最後の暗号を解いたのは、まちがいなく彼女の力だ。
だから、あんまり大したことはしていないよ、と。
言う前に、「というわけで。」と、埜井さんはカバンから封筒を取り出して。
「はいっ。」
と、僕に手渡してくれた。
「これって……。」
見覚えがあった。
あんまり、自分では使わない。
というか、全然。
でも、埜井さんが使っているのは、何度か見たことがある。
「漫画の、原稿?」
「そう! ……お礼って言ったらなんなんだけど。読んでほしくて。」
埜井さんの描いた漫画を読んだことは、当然、何度かある。
でも。
「このあいだ先生から、『せっかく描いてるなら、もう新人賞に出しちゃえば?』って言われてね。で、たしかに私と同じくらいの年でデビューしてる人もいるから、挑戦してみようと思って。」
「じゃあ、これが応募原稿?」
「ううん。」
「え?」
訊ね返すと、埜井さんはちょっと、はにかんで。
「逆。これからしばらく、そういうのを描くから、今ここで描いちゃわないと、できなくなっちゃうと思って。」
「…………? なんだかわからないけど、わかったよ。」
「うん。なんだかわからないと思うけど、わかって。」
手渡されたそれを持って、僕はちょっとだけ、あたりを見回した。
すると、ちょうど、近くにベンチがある。
バス停のだけど、でも、このあたりは実は、めったにそのバスが来ない。半分田舎で、半分都会。そんな日早市の田舎成分は、バスの本数に現れたりしてる。
だから、その場所に座って。
じっくり読ませてもらおうと、封筒から原稿を取り出して、ページをめくり始めた。
タイトルは、まだついていない。
主人公は、高校生の女の子。
「埜井さん、これってさ……。」
「しーっ。」
「……?」
「ちょっとだけ、なにも言わないで読んでみて。」
そう言った彼女の表情が、すごく真剣だったから。
それじゃあ、僕も真剣に。となりに埜井さんがいることすら忘れてみて、まじめに紙面に、集中してみる。
主人公は、高校生の女の子。
そして彼女が将来目指しているのは、漫画家。
彼女は漫画のネタを探して、学校のなかを、学校のある街を、歩き回る。
ちょっとドジで、大げさで、情けない。よく失敗をするし、探偵役にするにはちょっと頼りない、そんな女の子。
それをサポートするのが、パートナーになる男の子。
冷静で、大人びていて、主人公の彼女をこれでもかってくらいに褒めてくれて、いつでも味方でいてくれる。そんな少年。ちょっとおかしなくらいに、女の子のことを、過大評価してる。
女の子と男の子は、ふたりで日常の、ささいな事件を解決していって。
そして、最後は。
女の子は、男の子に。
「…………。」
もしかして。
もしかして、とは思うんだけど。
僕にとって、いちばん都合のいいように解釈していいっていうなら。
「埜井さん、これって――。」
顔を上げる。
でも。
「……あれ?」
埜井さんの姿は、なかった。
ぽかん、としてから。
僕は考え始める。
どうして埜井さんが、これを読んでいる途中の僕を放り出して、どこかへ行ってしまったのか、ってこと。
これもたぶん、僕の都合のいいように考えるなら。
たとえば。
途中で、恥ずかしくなっちゃった、とか。
「…………。」
原稿を、封筒の中にしまい直す。
最後まで読んだ感想を、心のなかで言葉にする。
でもまさか。
この漫画がどんな意味を持っているのか、『最終的な判断を、自分でしてしまう』わけにはいかないから。
立ち上がる。
そして、埜井さんが、どこに隠れてしまったのかを考える。
いつもみたいな、推理の時間。
少しずつ謎を解きながら、僕は彼女に伝えたいことも、いっしょに用意をし始める。
たとえば、さすがに『天使』だなんて思ってないよ、とか。
埜井さんが思っているより、僕は埜井さんのことを、ちゃんと見てるよ、とか。
むしろ、目の前のことに気づいてないのは、相手のいいところだけを見過ぎちゃってるのは、埜井さんの方だよ、とか。
あとは、そう。
あなたと会えてから、毎日しあわせです、とか。
そういうことを伝えるために。
僕はいつもみたいに、歩き始めた。
市立日早市高校散歩部の土曜日は、きょうもうららかだ。
(了)




