金の斧銀の斧とアックスファイター
ある日、池のほとりで斧を素振りしている男がいました。
彼の職業はアックスファイター。
斧を使って敵と戦う戦士です。
彼が持つ斧は鋼鉄で作られており、とても切れ味のよいものでまさに彼にとって相棒と呼べるほどの武器でした。
「九十七……九十八……」
百回の素振りを三セット。一日のはじめにこれをするのがアックスファイターにとっての準備運動のようなものでした。
「九十九……ひゃ……っ!?」
ちょうど百回目の素振りの時、手が汗で濡れていることもあり、アックスファイターの手から斧がすっぽ抜けてしまいました。
こういう時はなぜか悪いことが起こるもので、斧は池の方へと飛んでいきます。そのまま、大きな音を立てて彼の愛用の武器は池の底へと沈んでいってしまいました。
アックスファイターは慌てて池のへりに駆け寄りましたが、もはやその斧の姿は見えません。さらに悪いことに、アックスファイターは泳ぐのが苦手でした。
うなだれるアックスファイター。しかし、突然池の中央から光が溢れだしました。何事かとアックスファイターは身構えます。
やがて光に包まれながら、水の中から一人の女性が現れました。その姿はとても美しく、この方はきっと池の女神様に違いないとアックスファイターは思いました。
女神は両腕で二本の斧を抱えていました。そのどちらもがきらびやかに輝く美しい斧でした。
とまどい見つめるばかりのアックスファイターを前に、女神は口を開きます。
「あなたが落としたのは、この金の斧ですか?」
「い、いいえ……違います……」
「では、あなたが落としたのは、この銀の斧ですか?」
「……いいえ。違います」
アックスファイターは正直な男でした。金の斧と銀の斧、どちらも自分のものではないと答えました。
その答えを聞いた女神はにっこりと優しく微笑みます。
「あなたは正直な人ですね。すばらしい。この金の斧と銀の斧をさしあげましょう」
「……は、はい……ありがとうございます……」
アックスファイターは未だに目の前の光景を信じられませんでしたが、呆然としながらもお礼の言葉を述べました。
女神は池のへりに金の斧と銀の斧を置くと、やがて光に包まれながら水の中へと戻っていきました。
アックスファイターは恐る恐る金の斧と銀の斧に手を伸ばしました。そしてそれぞれを掲げます。
この輝き、この重さ。間違いありません。本物の金と銀で出来ています。
これを売ればきっともう戦場で戦う必要がないくらいのお金が手に入るでしょう。アックスファイターの顔が自然とほころびました。
水の中に落としてしまった鋼鉄の斧は返してもらえませんでしたが、アックスファイターは気にもとめません。
その時、アックスファイターの中にある考えが浮かびました。彼は鋼鉄の斧を予備としてあと一本持っているのです。それも池に落とせば、またあの女神様が現れて金の斧と銀の斧を授けてくれるのではないか、そう思ったのです。
彼は正直者ですが、別に愚鈍なわけではありません。さっそくその考えを実行しようと家に帰り、新たな鋼鉄の斧を手に池へと戻ってきました。
ふたたび素振りを始め、今度はわざと斧を池の中に落とします。すると彼の考えていた通りのことが起き、アックスファイターは金の斧と銀の斧をもう一本ずつ手に入れることができました。
やっぱり鋼鉄の斧は返してもらえませんでしたが、もう鋼鉄の斧なんて必要ありません。金の斧と銀の斧を一本ずつ売れば、死ぬまで遊んで暮らせるほどの大金が手に入るはずですから。
残った金の斧と銀の斧は家に飾っておこう。もし贅沢しすぎてお金に困ったらその時にあらためて売ればいい。
アックスファイターはそう考え、スキップするかのような足取りで帰途につきました。
◇◆◇◆◇
急にぜいたくな暮らしをはじめたアックスファイター。
そのことを変に思ったのはアックスファイターの仲間たちです。彼らも同じように、愛用の鋼鉄の斧で敵を倒すアックスファイターでした。
正直者で通っているアックスファイターには不似合いな生活ぶりに、仲間たちは何があったのか口々に尋ねました。
最初は口を閉ざしていた正直者のアックスファイターでしたが、自慢話というのはついついしてしまいたくなるもの。
ある日、宴会でお酒を飲んで気分が大きくなっていたこともあり、仲間のアックスファイターたちに池で金の斧と銀の斧を手に入れたことをベラベラと喋ってしまいました。
最初は半信半疑だった仲間たちも、正直者のアックスファイターの家で金の斧と銀の斧を見せてもらい、たちまち全員が目の色を変えました。アックスファイターたちは皆、自分の家から鋼鉄の斧を持ち出し、池に押しかけました。
嘘つきのアックスファイターも、欲深いアックスファイターも、意地悪なアックスファイターも、全員が同じように池に己の武器を投げ込み、たちまち現れた女神の質問に口々に答えました。
「俺が落としたのはその金の斧だ!」
「私が落としてしまったのはその金の斧と銀の斧に間違いありません。ああ、実を言うとプラチナの斧も落としちゃったんですよ。女神さま、プラチナの斧も見かけませんでしたか?」
「僕が落としたのは刃が波打つ特殊な形の斧でしてね……あれで切ると相手にものすごい苦しみを与えることが出来るんですよ……ふふふ」
それらを聞いた女神様は、やはりにっこりと微笑んでこう言いました。
「あなたは嘘つきですが、嘘をついてでも自分の望みをかなえたいというその考え、嫌いではありません。この金の斧と銀の斧をさしあげましょう」
「あなたはとても欲深いですが、その強欲さが私の目にとても好ましく映ります。この金の斧と銀の斧をさしあげましょう」
「あなたは意地悪ですが、敵をさんざん苦しめたいという性悪さが気に入りました。この金の斧と銀の斧をさしあげましょう」
アックスファイターたちは無事に金の斧と銀の斧を手に入れることができました。残念ながらプラチナの斧はもらえませんでしたし、刃が波打つ特殊な形もしていない普通の形状でしたが、金の斧と銀の斧が手に入ればじゅうぶんです。
彼らも正直者のアックスファイターと同じく、自宅にある予備の斧も持ち出し、それも金の斧と銀の斧にかえてもらうのでした。
もちろん最終的にそれぞれ片方のセットは売り払い、もう片方のセットは自宅に飾っておきました。
彼らもやっぱり池に落とした鋼鉄の斧は返してもらえませんでしたが、大金持ちになった今となっては不要なものですので、気にもとめませんでした。
やがて正直者のアックスファイターの周囲だけでなく、世界中のアックスファイターがこの噂を知ることとなり、全てのアックスファイターが同じ行動をとりました。
人の欲望というものはすさまじく、この世界からついに鋼鉄の斧がなくなってしまいました。
◇◆◇◆◇
「敵襲だ!」
大金を手に入れ、もう戦いとは無縁になったと思っていたアックスファイターたちの集落に、危険を知らせる叫び声が響き渡りました。その声が示す通り、敵がやってきたのです。
正直者のアックスファイターをはじめとする彼らは、全員が自宅にある斧を手に戦場へと駆けつけました。もちろんその手に握られているのは鋼鉄の斧ではなく、金の斧もしくは銀の斧でした。
敵の姿は彼らアックスファイターと同じく人間のようでした。その手にはやはり斧が握られています。
相手にとって不足はない、と正直者のアックスファイターは敵の一人に向かって突進しました。相手もそれを迎えうちます。
正直者のアックスファイターは熟練の戦士でした。自慢の斧で、これまでの戦いにおいて立ちふさがる敵を散々切り捨ててきたのです。しかし少しの打ち合いのあと、今回は自分が不利であることをはっきりと理解しました。
正直者のアックスファイターが持つ金の斧はやたらと重いうえ、やわらかくて敵の斧と打ち合うとあっさりひしゃげてしまいます。銀の斧も金の斧ほどではありませんがじゅうぶんに重いし鋼鉄のような切れ味もなく、しかも相手がヴァンパイアなわけでもないので武器として使うメリットはまったくありませんでした。
必死に重い武器を振り回しつつ、なんで俺は鋼鉄の斧を手放してしまったんだろうと後悔する正直者のアックスファイター。しかしもう遅い。
敵の戦士の繰り出した斧の一撃が、ついに正直者のアックスファイターをとらえました。地面に倒れ、呆然と敵の姿を見据えるしかありません。相手が大きく斧を振りかぶるのが、その目に映ります。
(ああ……鋼鉄の斧が手元にあったら、俺はこんな奴に負けることはなかったはずなのに……)
自分の愚かさを悔やんでいた死の間際、正直者のアックスファイターはあることに気付いて驚きに目を見開きました。
敵が持っている斧が、かつて自分が愛用していた鋼鉄の斧にそっくりだったからです。刃の形といい、柄に巻かれている布の色といい、間違いありません。その武器をふたたび手にしようと、残る力をふり絞って腕を伸ばします……しかし、そこに無情にも斧の刃が振り下ろされました。
正直者のアックスファイターは、以前は自分の相棒だったその斧によってとどめをさされてしまったのです。
嘘つきのアックスファイターも、欲深いアックスファイターも、意地悪なアックスファイターも、目の前の敵に太刀打ちできずに次々と地面に倒れていきます。
その中でも意地悪なアックスファイターは、見覚えのある刃が波打った特殊な形状の斧で自分の体を散々に切りつけられ、死ぬまでに何度も悲鳴をあげることになりました。
ややあって、彼らの集落は壊滅しました。しかし、ここで起きたことはただの始まりに過ぎませんでした。
手に鋼鉄の斧を持つ戦士の数はどんどん増え、やがてこの集落を足がかりに世界中へと侵攻を開始しました。彼らはまるで蟻が巣穴から這い出てくるかのように、とある場所から続々とこの世界にあふれ出でていたのです。
その場所とは、過去に正直者のアックスファイターが自分の斧を落としてしまった、あの池でした。
◇◆◇◆◇
屍が累々と横たわる大地を一人の女が眺めています。
その人は、かつて池でアックスファイターに金の斧と銀の斧とを授けたあの女神でした。
しかしあの時に浮かべていた優しそうな笑顔はどこにもありません。
金属のように、ただただ冷たい表情があるばかりです。
その女神の側に一人の男が近づき、ひざまずいて尋ねました。
「女神様。金の斧と銀の斧についてはいかがなさいますか?」
「すべて回収して綺麗に手入れしておけ。武器には不向きだが人の欲望を煽るにはぴったりのものだからな。また別の世界に攻め入るときに有用なエサとなるだろう」
「承知しました……しかしこの世界の戦士たちはずいぶんと愚かな連中でしたな。欲にかられ、自分の相棒とも言える武器を手放してしまうとは」
「まさしくな。そんなうまい話などあるわけがないものを」
金言と呼ぶにふさわしい女神の言葉。
しかし、その女神の言葉を聞くことのできるアックスファイターたちは、もうこの世に一人も存在しないのでした……。
――おしまい――